第43話

 卒業式前日は、雨が降っていた。段々と寒さが緩み始めた季節とはいえ、まだ足の先まで冷える。卒業式の練習をするために、久しぶりにクラスメイトが教室に揃った。全員がこの教室に揃うのは、約2ヶ月ぶりだ。でもそれももう、明日で最後になる。


 ありがたいことに志望大学に合格した私は、少し心に余裕をもって登校したけれど、中には受験が終わっておらずに勉強をしているクラスメイトも居た。その中で「緊張する」と騒がしかったのは、義明だ。明日の卒業式で答辞をしなければならないらしい。


 義明は恩田に原稿の添削をしてもらっている。私はその間、準備してきた色紙をみんなに回していた。1週間ほど前にクラスのグループトークで、西野っちに色紙と花束を準備することに決まったのだ。色紙は吉永さんが準備してくれ、花束は今日、私が準備することになっている。


「色紙と花束のレシート、ちゃんと合算してみんなに請求してな。」


 発案者の大地が、吉永さんと私を気遣ってくれる。


「もちろん。それより、花束と色紙は誰が西野っちに渡す?」


 準備するのは良いけれど、最後は手渡しする人が居なければならない。それも決めておかないと、明日はグダグダになってしまうのではないかと心配だ。


「それはもちろん恩田だろ。」


 大地が恩田を指名した瞬間、ガタガタッと大きな音が教室に響いた。そちらの方に視線を向けると、恩田が座っていた椅子からすっ転んでいた。


「千尋、大丈夫?!」


 蓬に腕を引っ張られながら立ち上がった恩田の顔は、赤いような青いようなとにかく焦った表情をしている。恩田は未だに注目を浴びるのが苦手なせいか、焦っているのだろう。


「い、いやいやいやいやいや。僕じゃなくて野久保くんの方が良いでしょ。それに、蓬さんや穂高さんや吉永さんだって。」


 焦って自分は相応しくないと言っている恩田だけど、そう思っているのはこのクラスに彼しかいない。私も、花束と色紙を渡すのは、恩田が良いと思う。恩田の純粋さと努力が、このクラスの良い雰囲気を保っていたと思うからだ。


「私も恩田が良いと思うけど。」


 私がそう同調すると、他のクラスメイトたちも次々に同調した。そして、恩田の隣に立っていた蓬が、ぽんと彼の肩を叩く。


「みんなもこう言ってるから。千尋、お願い。」

「……分かったよ。でも、どのタイミングで渡すかの合図は、野久保くん頼んだよ。」

「おう。それは任せとけ。」


 クラスメイトの総意とあれば、引き受けないわけにはいかない。恩田が了承の意を示したところで、教室のどこそこから拍手が起きた。恩田が知らない間に、彼はこんなにも人望を集めているのだ。


 蓬が恩田を好きだと分かったとき、とても驚いたことを昨日のことのように思い出せる。蓬の恋路が上手くいくように、余計なお節介を焼いたこともあった。最初は地味でヘタレだという印象しかなかったけれど、人ってこんなに変われるんだと恩田の姿から学んだ。





 体育館での予行練習が終わると、教室で西野っちから明日の確認があって、それで放課となった。午前中のうちに放課となったから、閉じた傘を腕にかけて、蓬と恩田と校門のところで「また明日ね。」と別れた後、JONへと向かった。


「百合子!」


 そんな私の背中を追いかける声が聞こえた。義明だ。


「どうしたの?」

「今からJONだろ?俺も一緒に行くよ。」

「帰り道、反対方向じゃん。いいよ、私は帰り道の途中なんだし。」

「久しぶりに片桐さんにも会いたいしさ。」


 そう言われると断るのも無粋になる。義明が良いと言っているんだしと思い、「それなら。」と一緒にJONへ行くことになった。


「西野っちにお花を贈ることはもう伝えてるんだろ?」

「うん。今日行って、どんな花束にするか打ち合わせすることになってるのよ。みんなの手出しを考えると、ちょっとお高い花でも良いかなと思ってる。」


 うちのクラスは全員で31名だ。全員から100円を徴収しても3100円になる。それだけでもちゃんとした花束を準備できることを考えると、せっかくの卒業式だからこれまでの感謝を込めて、ちょっと良い花束でも良いかと思っているのだ。


 そうこう話をしているうちに、JONへと着いた。待っていてくれたのか、片桐さんがお店の扉を開けてくれる。


「いらっしゃいませ。佐藤くんも一緒だったんですね。ありがとうございます。」

「片桐さん、こんにちは。」

「こちらにどうぞ。」


 片桐さんの案内に従ってお店の奥へと歩を進めると、そこには小さな教室があった。フラワーアレンジメントの教室をこの部屋で行っているのだろう。教室には何人かが座れる長テーブルとイスが配置してある。壁には大きなホワイトボードも掛けてあった。


「ここでフラワーアレンジメントの教室もやってるの。どうぞ、座ってください。」


 片桐さんに勧められて椅子に座ると、彼女はなにやら何枚かの紙をテーブルの上に置いた。そして、それに向かって何かを書き始める。義明が「それは?」と聞くと、「これは花束の設計図だよ。」と笑顔で片桐さんは答えた。


「孝仁さんへの花束ですもんね。どんな花束を贈りたいとか希望はありますか?」

「そうですね。感謝の気持ちを伝えられる花束が良いなと思って居て。予算的には、1万円とかでできますかね?」

「1万円でしたら、十分な花束ができますよ。感謝の気持ちかあ。それだったら、感謝の花言葉がある花をふんだんに使っても良いかもしれませんね。」


 片桐さんはそう言うと、さらさらと紙に花の絵を描いていった。あっという間に花束の絵ができあがる。


「こんな感じでどうでしょう?男性だから、シンプルだけど華美なイメージにしました。」


 それは、白いダリアと白いバラを基調とした、素敵な花束だった。カーネーションやガーベラのカラフルな色味が、ダリアとバラをさらに引き立たせている。


「包装紙とリボンは若草色にしましょうか。新緑であなたたちの門出をイメージする感じで。」

「すごい。素敵。ね、義明。」

「ああ。これなら西野っちも喜んでくれそう。」


 さすがプロである。こちらのオーダー以上のものが出来上がってしまうのを間近で見て、プロのあるべき姿を教えてもらった気がした。


「孝仁さんは幸せ者ですね。こんなに素敵な生徒さんに囲まれて。私も頑張らなくちゃと思います。」


 私たちの感嘆の声に、片桐さんは目尻に皺をよせながらそう言った。


「西野っちは本当に幸せ者だね。片桐さんみたいな奥さんをもらえて。」


 私がそう言うと、義明は一瞬だけ驚いた顔をしたけれど、すぐに破顔した。


「そうだな。羨ましいよな。」


 口元を押さえて頬を染めながら「ありがとうございます。」と言った片桐さんは、可愛らしかった。ツンと鼻の奥が痛くなったけれど、私はなんとか目尻を緩ませて笑った。


 明日、花束をとりに来る時間を予約して、何度も片桐さんに御礼を言ってから私と義明はJONを出た。歩いて家へと向かううちに、段々と気持ちが弛んでいく。それに比例して、どんよりとした曇り空も少しずつ滲んでいった。


「なんで泣いてんの。」


 歩きながら私の方を見ずに義明は問いかけてきた。


「なんでだろ。自然と出るから気にしないで。」


 人前で涙を晒したくない私の精一杯の強がりだった。なんで涙が零れるのかなんて、私にだって分かっていない。寂しさとか悔しさとか羨ましさとか楽しさとか嬉しさとか愛おしさとか。色んな感情がごちゃ混ぜになって、それが涙となって零れていた。


「……私。明日、西野っちに気持ちを伝えようかと思う。」


 今日、片桐さんに会ってその決心がついた。彼女から彼を奪いたいとかそんなんじゃなくて、伝えないままでいる弱虫な自分に悔しいと思ったのだ。色んな言い訳をして伝えないままで居るのは簡単だけど、未来のことを想い描いたときに「あの時伝えればよかったな」って後悔しそうだなと思ってしまったのだ。


「いいんじゃないの。」

「うん。じゃあ今から西野っちにメッセージを送るから、一緒に居てくれる?」

「ああ。」


 私の家へとたどり着くには、市内でも有数の川を越えるための橋を渡らないといけない。その橋に立ち止まり、制服のポケットからスマホを取り出す。そして、震える指で西野っちへのメッセージを綴った。


「じゃあ、送るよ。」

「ああ。」


 送信ボタンを押すと、すぐにそのメッセージは送られた。


<明日、話したいことあるから卒業式の後時間ある?>


 そのメッセージはすぐに既読になった。


「あ。返事来た。」

「なんて?」

「了解だって。」


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