第34話
穂高の本家は時間軸が違うところにあるのではないか。釜で炊いたご飯が美味しいし、井戸から引きあげた水が美味しい。なにより自分が気取らないで居られる。
お昼にはみんなで流しそうめんを食べた。昨日から、渚ちゃんと大和くんで竹を準備してくれていたらしい。冷たい水で冷えたそうめんは本当に美味しかった。伯母が作ってくれたおにぎりもばあちゃんが作ってくれた天ぷらも美味しかった。私たちが準備した果物を食べると、さらに体が冷えて風鈴を揺らす風が気持ちよい。
お昼ご飯の片づけをした後は、明日から迎えるお客さんの準備で忙しくなった。親戚たちの集まりが明日あるのだ。私と渚ちゃんは買い物に、樹と大和くんはお墓掃除に駆り出された。
「え!渚ちゃんって車の運転できるの?!?!」
買い物に出かけようと渚ちゃんと一緒に外へと出ると、渚ちゃんはさも当たり前かのように車のキーを持ち出して車庫へと向かった。彼女がワゴンRの運転席に乗ろうとしたところで、私は驚きの声をあげたのだった。
「できるよ。免許持ってるもん。」
渚ちゃんはそう言いながら、初心者マークを前と後ろにつけた。まさか、渚ちゃんが車の免許をとっているとは思わなかった。
「意外だなあ。そしてちょっと怖い。」
「なによ。ちゃんと安全運転だから大丈夫だよ。」
恐る恐る助手席へと乗り込むと、車はゆっくりと出発した。
「いつ免許取ったの?」
「受験が終わってすぐかな。私は推薦入試だったから、時間があったんだよね。」
「いいなー。」
「百合ちゃんは免許とる時間ありそうなの?」
「どうだろ。前期で受かれば行けそうだけど。1ヶ月くらいでとれる?」
「みっちり行けばとれると思うよ。早くとりたかったら合宿もあるし。」
ワゴンRをすいすいと運転してしまう渚ちゃんに、大人の余裕を感じた。1歳しか違わないけれど、できることが私よりたくさんあると感じた。来年には私もそうなっているのだろうか。
「合宿かー。それもいいかなー。」
「お友達がこの夏に合宿で免許取りに行ってるけど、楽しいって言ってたよ。」
ちょっとした旅行気分で免許が取れるなら、それもありだな、なんて考える。高校を卒業した後のことを考えると、わくわくする気持ちと同時に寂しさも感じる。これが進路を考えるということなんだろうか。
渚ちゃんの運転で15分もすれば、目的地であるスーパーについた。たくさんの買い物があるため、買い物カートを押しながら買い物を進める。親戚が集まるから仕方がないとはいえ、私たちの買い物カートは溢れんばかりとなった。お会計は1万円を超していた。
買い物が終わると、私たちは木漏れ日で涼めるところのある公園へとやってきていた。買い物のときに買ったアイスを食べるためだ。お肉や魚の生鮮食品は氷を入れたクーラーボックスに入れているから、少しの間なら大丈夫だろう。
木陰に腰を下ろした私たちは、それぞれのアイスを頬張った。渚ちゃんはガツンとみかんで、私はガリガリ君ソーダだ。キンキンに冷えたアイスが、口の中でほどける。ソーダ色の空を見上げると、入道雲が聳え立っていた。
「渚ちゃんは大学入ってから彼氏できた?」
麦わら帽子を被る渚ちゃんは、どこからどう見ても清楚で可憐でモテないはずがない。中学高校と女子校に通っていた渚ちゃんだけれど、共学になった今は男子からのお誘いが尽きないはずだ。
「お誘いはしてもらえるんだけど、今のところ良い人は居ないかな。お友達には“とりあえず付き合ってみたら”なんて言われるんだけど、好きな人以外に時間を割くのもねえ。」
「シビアだね。」
「そうかしら。今はまだ、図書館で勉強したりゼミの課題で討論をしたりするのが楽しいのよ。法曹界にも興味はあるけれど、私の性格的には研究職かなあと思うし。その中で良い人と巡り合えればいいなあと思うくらい。」
「そっか。」
「そういう百合ちゃんはどうなの?」
今度は自分に話をふられて、私は西野っちの話をするかどうか迷った。渚ちゃんは西野っちのことをまったく知らない人だ。だったら話をしても良いんじゃないかと思って、口を開いた。
「彼氏は居ないけど、好きな人ならいる。」
「わあ!素敵。そうなのね。どんな人か聞いてもいいの?」
「どんな人かあ。そうだなあ。笑顔がキュンとする人、かな。」
「なにそれ。すごく素敵。告白はしないの?」
「告白、できないんだよね。」
私は地面を這う蟻の行列を見ながら言った。食べていたガリガリ君の欠片が落ちてしまっていたようで、そこに蟻が集まってきていたのだ。
「どうして告白できないの?」
渚ちゃんは私の顔を覗き込むようにして言った。渚ちゃんはシンプルに「どうしてなの?」という表情をしている。
「学校の先生なんだよね。しかも、私のクラスの担任。私が卒業しないと告白できないからさ。」
渚ちゃんは驚く風でもなく「なるほど。」と言った。否定するでもなく、ただ受け入れてくれた。
「……驚かないの?」
「私がどこの学校出身だと思ってるの?担任の先生を好きになるなんて、女子校あるあるなんだから。」
「そういうもんなの?」
「そういうもんなの。そっかあ。でも、百合ちゃんは偉いね。本当にその先生のことが好きなんだね。」
自分が偉いなどと一度も思ったことがなかったから、私は「え?」と渚ちゃんにその真意を聞き返した。西野っちを好きなことと、私が偉いことって何が関係あるというのだろう。
「だって今、告白自体ができないわけじゃないじゃない。フラれる可能性は高いかもしれないけれど、隠れて付き合う人たちだっているでしょ。教師だって人間なんだから、生徒を好きになってしまうことだってあるし。だけど百合ちゃんが卒業するまで告白しないって決めてるのは、先生を困らせないためでしょ?だから、その先生のことを本当に好きなんだろうなって思うし、先生の立場を尊重してて偉いなって思ったの。」
「前にね。私が社会人の人と付き合ってたときに、その先生に言われたんだ。“彼氏が穂高のことを本当に好きだったら年齢も気にするし未成年のお前と付き合わないはずだ”って。人を好きになるって相手のことを守るというか、本当の意味で相手のことを考えることだって教えてもらってさ。そんな先生を好きになったから、私も先生の立場も自分の立場も尊重したうえで恋愛したいと思って。」
「そうだったんだ。良い先生だね。」
「うん。良い先生だと思う。だから、彼女いるっぽいんだよね。」
「いくつくらいの先生なの?」
「今年28とかだったかな?」
「じゃあ彼女が居てもおかしくないよね。そっかあ。でも、結婚していない限り可能性はゼロじゃないんだからさ。告白する価値はあると思うけどなあ。」
「うーん。どうだろ。私のことをどう思ってるかが本当に分からないんだよね。生徒と思ってることは確かだけど。バレンタインのお返しにってホワイトデーにお菓子くれたし。私がバイトしてたところにもちょくちょく食べに来てくれてたし。」
「それって、ちょっと特別な生徒とは思ってくれてるんじゃないの?」
「うーん。どうだろう。」
彼の性格的に、彼女がいるならその心は彼女だけのものだと思う。そういう人だから好きになったんだと再確認すると同時に、切なくなってしまう。
「その先生ならきっと、百合ちゃんの気持ちを尊重してくれるから悪いようにはならないと思うよ。あと、フラれても大丈夫。百合ちゃんは百合ちゃんを大事にしてくれる人と一緒になるべきだから。」
「ありがとう。渚ちゃんに話したらなんか楽になったな。誰にも話してなかったからさ。」
「お友達にも話してないの?」
「自分だけで抱えておきたい恋だからさ。」
「なんかそれはちょっとだけ分かるかも。」
「渚ちゃんもそういう人が居るの?」
私の問いに渚ちゃんは、眩しい笑顔をもらしただけだった。
「さ。そろそろ帰ろうか。帰ったら夕飯や明日の準備もあるし。」
「そうだね。」
木陰から腰をあげると、じりじりと熱い日差しが照り付けてきた。食べたアイスの空はビニール袋に入れてきちんと持ち帰る。
帰りつくと、荷物を降ろすのにお父さんたちが手伝ってくれた。荷物を片付けた後は、私と渚ちゃんでお墓へと向かった。大和くんと樹でお墓を綺麗にしてくれているはずだから、その労いとお供え物を持って行くためだ。
大和くんと樹は汗びっしょりになっていた。二人とも麦わら帽子を被ってタオルを首からかけていて、シャツの色が変わっている。冷たい飲み物を渡すと喜んでいた。二人が休憩する間に、私と渚ちゃんでお花とお酒をお供えした。
そして、手を合わせる。先祖代々の皆様。今年も私は元気です。
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