君の望む世界にさせない

アイリス

第1話 死に場所の出会い

今から死ぬ。

そう心に決め、少年は夜の路地に歩みを進めた。

「自死」を決めると、周囲の雑音が消え、全ての神経が大嫌いで考えたくもない自分という世界に向いた。

「死」ということは、こういうものなのか・・・と、心の隅で感じた。

僕は・・・誰かに必要とされたかった。

認められたかった。

誰かに愛されたかった。

あの温もりを・・・記憶の中に今でも鮮明にある母の温もりを感じたい・・・。

少年は記憶の中の母がよく撫でてくれた頭に触れた。

世界の中で独りぼっちになった気分だ。

そりゃ、世界なんて僕を置いてぐるぐる回っているけど、見捨てられたくはなかった。

世の中には、生きたくても生きられない人がいる。それは分かってる、僕もできることなら変わってあげたい。でも、そんなこと不可能だ。

僕を必要とする人はいない。

毎日生きることが苦しい。

もう、楽になりたい。

少年は手を右の額に伸ばした。指先に、ボツボツと歪んだ皮膚が当たる。

いつのことか・・・思い出せないが・・・いや、思い出したくないのか。

同級生達につけられたタバコの焼き痕・・・。見て見ぬふりをした担任教師・・・。

今でも痛む・・・傷が・・・心が・・・。

ふと、外気の温度を感じ、我に返った。

「っさむ・・・」

真っ暗な闇の中で眼に神経を集中させた。

「ここは・・・輪廻橋」

輪廻橋は、自殺の名所で有名だ。真っ直ぐ伸びる橋の下は渦が巻いている。

この渦潮にのまれれば、二度と上がってこれない。まさに自殺に最適な場所だった。

想像以上の迫力を見せる黒い渦に気圧され、足が少し縺れた。

しかし、歩みを止めることはなかった。

「怖くない!ここに飛び込めば・・・楽になれるんだ!!」

自身を鼓舞しながら橋の歩道を進んだ。

橋の街灯も少年の心を照らすには暗すぎた。絶望が少年の背中を後押し、風と渦を巻く音が不気味に少年を誘う。

少年は高欄に登り、渦潮の真上に身をおいた。

恐怖が忍びより、心臓の音がうるさいくらいに全身を鼓動させた。呼吸が荒れ、足が震えた。

「なんで・・・・!!!僕は・・・死にたくない!死ぬのが怖い!でも、生きたくない!!どうしたらいい!!!!」

少年は残酷なまでに美しい夜空に向かって叫んだ。

「悔しい・・・無様だ・・・僕は何も成し遂げられない!!!」

失望が押し寄せ、涙が頬を伝う。まだ生きている、と感じた。

「さっさと飛び降りて死んだら?」

明るい声が、一瞬で少年の心を引き戻した。

思考の止まったまま声の方へ目をやると、同じ高校の制服を身に纏った少女が立っていた。

「・・・だれ?」

薄暗い街灯に照らされた少女は息を飲むほどに美しく、そして少年の記憶にあった姿をしていた。

「え?東雲(しののめ)せりか・・・さん?」

僕は何を!!!!少年は慌てて高欄から歩道に足を降ろした。

「ど!!!どうしてここに!?」

東雲せりかは高校や地区にファンクラブがあるほどの美少女で、少年のクラスメイト。少年は彼女のファンでもある。

「ねぇ、もうやめるの?死にたいんじゃなかったの?」

せりかは優しく微笑んだ。

「え・・・?」

笑顔に見惚れたのか、せりかの言葉が理解できなかった少年は記憶を辿った。

「・・・東雲さん・・・なんて言ったの?」

「だから、もう飛び降りないの?って聞いてるの。北波多零くん」

「・・・」

笑顔に見惚れたんじゃない・・・笑顔に不釣り合いな言葉だったから・・・理解できなかったんだ・・・。

零はせりかの表情を窺いながら声を発した。

「・・・飛び降りようとしてたけど・・・」

「そうよね、もうやめるの?」

「・・・・うん」

間髪入れない堂々としたせりかに、零は思わず後ずさった。

「あなた、死んだほうがいいよ。世の中のために」

不釣り合いな笑顔でせりかが発した言葉に、零は戸惑い、言葉が出てこなかった。

「自分で死のうとしてたくせに。歓迎したら戸惑うなんて、本気じゃなかったってことね。しょうもない。でもね、さっき言ったことは本当のことよ」

「本当って・・・?」

「世の中のために死んだほうがいいって話」

「・・・僕・・・君に何かした?」

「いいえ、何も。初めて話すわよね、挨拶が必要だったかしら」

「っそうじゃなくて!!・・・どうしてそんな・・・ひどいこと言うの?」

せりかは首を傾げた。

「死のうとしてた人に言われたくないけど」

零は返す言葉を失くし、下唇を噛み俯いた。

「・・・僕は確かに、世の中のためになるような人間じゃないけど・・・君に死を望まれるようなことはしていないと思う」

零は恐る恐るせりかの顔を覗き込んだ。

「あなたは将来、父親のようになる。そして、人を殺める。だからよ」

父親・・・零の中で時が止まった。記憶がゆっくり動き出した。

押し入れの中、閉じ込められる!殴られる!嫌だ!痛い・・・怖い・・・殺される・・・嫌だ・・・誰か・・・恐怖が一気に零を襲い、零は尻餅をついた。

「東雲さん・・・どうして父親のことを知ってるの?」

「私、未来が見えるの」

「・・・未来?」

「信じようが信じまいが、どうでもいいけど。どうせあなたは飛び降りないって未来を見たの。だから意地悪した。でもね、悪いと思ってないわ。覚悟もなく命を無駄にするあなたみたいな人、大嫌いなの。それに、将来は人殺しなんて、早く死んでしまった方がいいわ」

「僕は!!!!」

零の声はせりかの言葉を遮り、音が止まった。

「父親のようにならない・・・。そう心に決めて生きてるんだ・・・」

せりかは、手を口元に当てた。感情を抑えきれないのか、肩が震えている。

「っはははははははは!!!」

せりか綺麗な声は澄んだ夜空に舞った。

「私の見た未来は変えられないの。せいぜい頑張ることね」

せりかは高らかに笑い、そう言い残すと零に背を向けてその場を立ち去ろうと歩き出した。

「何でわかるんだ!君にそんなこと言われる必要はない!証拠はあるのか!?」

せりかは歩みを止めて振り返り口を開いた。

「明日、体育の近藤先生が休みで生物の授業に変わる。あとは、同じクラスの篠栗健太と田原由依が付き合ってることを公表する。篠栗健太を好きだった相原愛美が泣いて教室を飛び出してトイレに逃げる。当たるか確かめてみて」

せりかは自信満々な顔を見せてニヤリとすると、前を向き再び歩き始めた。

綺麗な後ろ姿が闇にのまれ消えていった。


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