第3話 ヘルメッセンジャー
航宙士の無意識知覚が違和感、危険を伝えていた。
具体的なそれを、その情報を探す、あった、それはエアロックのインジケータ・エラー。
リンはそれを伝えようと、先行する背中に向け短距離通信を投げようとした。
しかしその前にタロウは躊躇なく緊急手動で解放している。
リンは悲鳴を上げた。
エアロックの先には宇宙空間が拡がっていた。
インジケータの異常、ドアの向こうが与圧されていない事を示すアラートだった。
無論、タロウは単身真空の大海原を泳ぎ渡って来た、ワケではない。
虚空を挟んでミニチュアの様な機影がランデヴーしている、2~300メートル先というところか。
慌てて思い起こす。
確かにリンは、来客に当たり管制も、ドッキングシークエンスの要請も受けていない、大佐は勝手に乗り込んで来た、つまりEVA(Extravehicular Activity)とはこういう事だった。
もうやだままおうちかえる。
『ガイドする』
流れる様に大佐は行動していた。
その左手には死体袋代わりのバッグを、そして空いた右腕で彼女は抱き抱えられ、バイザー越しの接触通話で宣言を聞いたと思ったらGを体感、既に跳躍が開始。
流石、と感嘆する以外ない手際で驚く間もなくふわりと到着。
した、が。
何というか、なるほど、軍人が緊急に乗り付けたというのが一目で得心出来るような武骨な機体だった。
否、武骨、という形容も控えめで、外観上居住区相当の構造は確認できず、質量重心近辺に真空暴露で設置されているシートらしきものがつまりコクピット、であるのだろうか。
『母艦で操縦する』
のだそうだ。
……で? 。
やっぱりというか当然というか。
それが彼女の特等席で、接合材をスプレーされて座らされ、大佐はその上から更にテープで頑強に固縛した。
なんというか、ええと、なんというか。
リンが自らの感情表現内面把握に懊悩している間にタロウは自身もシートの背後にアンカーし終えると回線を開く。
「ヘルメッセンジャー」
「Yes commander」
「回収準備完了」
「Yes commander,10,9,8,7,6,5,4,3,2,1 launch」
カウントに被せて耐G姿勢、という声が届くが稼働範囲は指一本すらないのでせいぜい舌をかまないように歯を食いしばる。
直後、危惧した通り、発生した爆発的殺人的加速にリンはこの短時間で何回目になるのか無力と諦観と無条件服従、意識をあっさりと手放した。
意識が戻ると同時に彼女は身を折り激しくむせた。
あれ。
加速は終了しているし自分は開梱されていた。
機上で見渡し、リンは改めて納得する。
詳しくはないが学者の眼で観察するに機体は航宙飛翔体ではあっても無人機ですらない、操縦不要ですという構造以前にブースターか或いはセンサーユニットか、仮に汎用であっても設計者がその運用に人員搬送を予期した痕跡は認められない、ないない尽くしの環境でF語を垂れ流しながら軍命遂行でここまで駆け付けた大佐の奮闘ぶりが荒涼とした機上の光景からありありと想起された。
前略中略後略で自分をここまで蹴り飛ばして来たのもそうだ、1秒遅れればその分必要な運動量獲得で私の身体が虐待される。
つまり掛け値なし寸秒を争う緊急事態だったのだ。
諸般の事情で母艦は初速を殺す余裕無く所期の任務継続、ぎりぎり自分の回収を割り込ませた。
そういう次第かと。
『ところで』
また、接触通話で。
『臨時だが、有線結線での意志確認手段の確保を提案したい、同意願えると幸甚だが如何か』
それはまあ、この環境で拒否の余地は無い。
『全面同意します』
『結構』
二人はケーブルで結線、肉声が互いに伝わる環境を構築する。
直後。
見えた。
大佐の呟きが彼女の耳元で囁いた。
星空の観察を職務とするリンにもその巨影を認めることは困難だった。
光学探査を欺瞞する防眩迷彩。
肉眼、光学センサでの可視光反射識別を極限まで抑制したそれは、天光の一角を削ぎ落した闇。
が、長期の航宙で劣化し尚高初速を発揮している艦体は淡い輪郭を浮き上がらせている。
その外観は、各種港湾での見慣れた、もし何かあっても最期にヘシ折れる事を予定された計算値強度を獲得した竜骨、多くはトラス状の船体主構造に推進機構を始め居住棟他必要モジュールを搭載した、コマーシャルベースや文学表現で云う海洋船舶に準じた直喩である宇宙船、という古来からの憧憬をも込めた表記より実際的具象的な現場事務感覚での航宙機材、という日常語こそ相応しい商用飛翔体とは確かに一線を画していた。
星間物質や宇宙塵等の自然物にはもちろん、火砲や攻撃、人為的積極的害意に対しても敢然と抗堪せんと挑む気概、それは正に、軍艦というものにして、それこそかつて海洋を疾駆した鉄の艨艟の再来、宇宙戦艦とはつまりこうしたものではないのか、何一つ説明されずともそれが一目で理解できる、大佐が呼び続けてきた「ヘルメッセンジャー」はそうした存在だった。
惜しい。
彼女がその肉眼からの視覚情報を通じ得た理解は半面正しい、説明無く通例の経済運行する民航機体との顕著な差異、最大加速上限準光速という内航とは比較が無意味な規格外の性能発揮への必要要求剛性、それを実現する設計の外観構造がなるほど、軍艦を想起させるのはとても自然だ。
実際は軍艦ではない、艦籍が登録されていないからだ。
有人航宙性能を持つ、実験機材でしかなかった。
管轄こそ外宇宙艦隊ではあったが、艦体整備計画実現化に先立つ事前調査、人類初の外宇宙有人航宙実験にして太陽系外深宇宙単独航宙概念実証機、それがこの巨大な航宙飛翔体の正体なのであった。
シルフィード、風の妖精とはまた異なる、スカイ・フェアリー、地上では無く天海に住まうがごとし、彼の地にあってはどれほどの先天的才能、あるいは磨き抜かれたスキルがあろうと物理環境、井戸の底では纏わりつく重量の呪いを火星の低重力はいとも軽やかにその身体を高く優美に舞い踊らせまた羽毛にも似て降臨せしめる。
ウェルカム、アーシアン。
地球のみなさま、ようこそ、火星へ。
正にかっこうのディスプレイであったのが、効果が過ぎたようで。
あの娘が欲しい、という珍客に支店長は苦慮した。
あの娘、でございますかお客様。
そう、この娘、この娘が欲しいんだ、ムリは承知だ。
名刺にコム番を走り書きして突き出して来る、顧問弁護士と相談してくれ。
名に覚えがあった、量コンOEMパテントで一財を為しアーリーリタイア、珍妙にもここ火星に別荘を構えている筋金入りの変人だ。
否。
思いの外の上背より尚この火星ですら重力作用方向が目立つ容姿には、つまり1Gではなく0.6Gの環境を余生に選んだ理由はそこまで奇特ではないなと。
ディスプレイマネキンは眼前の喧騒を、下界の些事を見下ろす天女の優雅、無関心で機械的なステップを精確に繰り返す。
そして衝動買いのメイロイド、バイオロイドと致すのか、まあよい。
事後の不都合、交換、返品はいっさいお受け致しかねますと文書化念押ししプレインストーススキル未処理、中身スッカラカンのディスプレイですので同等モデル市価の7掛けでお譲りしますと、???私非売品、なぜ売られる???、シビル・ハイヤードは安住の倉庫店頭往復業務から未知の荒野へドナドナ。
「それでは本日のお題はなにかな、テルオくん」
「ない」
ぞんざいに、しかし小声でテルオは応じた。
「きみの声が少し聞きたくなった、それだけだ」
人生初めての体験にマリーは軽く頬を赤らめ、軽口の接ぎ穂をなくす。
環境省宇宙庁は24時間365日稼働する。
その管轄が人類圏全域を網羅するが為に。
軌道エレベータ1号基、スカイフック01基部メガフロート、サウスアメリカ州。
地上本庁舎が所在するその頭上、直上延伸方向、軌道上のエレベータ強度維持構造、テンションフックアンカーを兼ねる人類初の常設大気圏外施設、北米宇宙港に併設されるそれ、地球連合環境省宇宙庁航宙保安局内宇宙艦隊地球軌道基地。
通称、「ヤンキーステーション」
純金で埋め立て工事するような不毛で空しい初期開発の後、ようのやくにして採算分岐点突破テイクオフした地球軌道商圏は、やはり宇宙開拓から開発を経て生活、経済の場となった月圏と活発な通商活動を展開していた。
そのYS、宙保母港の窓際、眼下の地球が良く眺められる特等席にテルオの、航宙保安局内宇宙艦隊准将、テルオ・トウドウの執務室は割り当てられていた。
人には知らずにおく自由が、不幸を避ける知恵がある。
しかしテルオには意志と能力が存在し、未知を嫌う性格があった。
結果、不幸のずんどこに叩き堕とされた今ココ。
パンドラの函、シュレーディンガーの人事考査。
再三再四の異動出願をどうしてそこまで頑なに却下し続けるのか納得いかねえ! こっちはけっきょく浪人のあげく内宇宙艦隊勤務のまま一般職昇進上限の准将に達してしまった、昔なら佐官、いや将校下限である尉官の壁であがいたろうがさすがに時代が違う、それとて望んで得た地位でないにせよ。
しかし貰えるモノは貰うし使えるモノならとことん使い倒す、遠慮という文学表現とは無縁の価値観に生きている、それならで、地位と権限の総てを投じて相手の口を割らせてしまった。
「互いに不幸な関係」
苦笑で応じる以外にない。
言われてみれば、言われるまでもなく理解していた。
今の外宇宙艦隊には彼が望み実行可能な要件は何一つ存在しない事実を。
現在の外宇宙艦隊の実情として、乗り組み可能な艦艇も、将官にふさわしい指揮下に置ける戦力も無い。
総てが準備、整備段階にあるのだ。
乗り込んで行って出来る事求められる資質。
それは、キライで苦手なデスクワークと人務調整予算獲得を含む渉外折衝、超長期ロードマップをまいにち確実に1マスずつ埋め歩む堅実性。
ああそうだよ、俺には何一つねえしそれ全部ムリだわ。
彼が渇望して止まない、否、それに向かってこそ正に現職一同が粛々と日々営んでいる日常の、その遥か先に燦然と輝く忍従の果ての成果、太陽系外深宇宙の先に拡がる無限の世界は。
それまで、貴君にとっての、苦行でしかない時間を過ごす覚悟があるか、我々がそれを貴君に望むか。
判るだろう。
共に、ノーだと。
妻帯もしない、航宙幕僚課程すら蹴って捨てる。
それは、まあ、無理だよな。
こちらから呼び出し、黙りこくったコムの向こうで悪友が喚き散らしている。
ホントに声だけ聴いてやんの。
こういう奴だよ俺は。
どうしたらいいと思う、マリー。
呆れた相手はそのまま切れてコムはスリープ。
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