優しい音
地面に落ちている葉や枝を踏みしめ音を鳴らしながら少女は緩やかな斜面走る。
赤みがかった茶色の髪は、木々の隙間から零れる光が当たると、赤く光輝く。
丸く大きな目は、ほんのり赤い瞳と相成って天真爛漫さを伝えてくる。
大きな木の下にたどり着くと上を見上げ、ぱあっと明るい笑顔を見せその場でくるくると回り喜びを体いっぱいで表現する。
「あったよ!
ぴょんぴょん跳ねる少女は、斜面の下から上がってくる女性に手招きする。
「そんなに慌てるな。エペルは逃げやしねえよ」
「えー、ぼーっとしてたら駄目だぁーっていつも母さん言ってる!」
「母さんって呼ぶんじゃねえ。急ぐのは良いが、慌てるな。敵がどこに潜んでいるか分からねえだろって話だ」
「はぁ~い」
軽い返事をしながら既に少女は、木になっているエペルの実をどうやってとるか思案している。その様子を呆れた表情で見る女性は、髪は白く、しわも深くなり、体も一回り小さくなったイリーナである。かなり歳こそ重ねているが、その眼光の鋭さと気迫は失われていない。
呆れているイリーナのことなど気にせず少女はとりあえずと、木の幹の窪みに足を掛ける。
「ノア、登らねえで、これを使え」
「げっ! ここでも修行するの?」
投げられた木を加工した剣、
ぶつぶつ文句を言いながらも、木剣を正面に構え集中する。
木剣に炎が纏い激しく燃え始める。
「もっと絞れよ。そのままじゃ木が燃えるぞ」
「ぐぐぐぐっ……あっ、でも燃えたら焼きエペルになるから丁度良くないかな?」
「あほか! 木が燃えたら次が食えねえだろ」
「それはまずい」
ノアは目をつぶり集中し、炎を絞っていく。激しく揺らめいてた炎が、段々とゆっくりと穏やかになっていく。
「うりゃ!」
目を開いたノアが振るう木剣の炎が大きく円を描く。
どや顔のノアにバサバサと落ちてくるのは葉っぱたち。
「うわわわっ、げげっ! 虫がいる!?」
頭や肩に積もった葉っぱや虫を払いながら慌てるノアを見て、イリーナは大きなため息をつく。
「魔力の保有量が多くてもな、ぶっぱなすんじゃなくて、コントロールは上手にできるようになれよ」
イリーナがパチンっと指を鳴らすと、エペルが一つ落ちてきて、それをキャッチすると表面を拭いかぶりつく。
「食べ頃だな。甘くてうまいぞ」
「ああっ! ずるい、ずるい! あたしにもちょうだいよ!」
「食いたきゃ自分で取れ!」
「ぶー! あたしの炎はこういうのに向いてないの知ってるくせにぃ! 助け合おうよぉ!」
文句を言いながら地団駄を踏むノアだが、イリーナに怒られエペルの実を取ることになるのだった。
* * *
ノアは道具屋のガラス棚の中をキラキラとした目で見つめる。
目線の先にあるのは、金属製の横笛。
「ねえ、見て見て! この笛凄いよ。金属製だって! どんな音がするんだろう?」
ノアは興奮気味に近くにいるイリーナを呼ぶと、うっとり金属製の笛を眺める。
「最近金属加工の技術もかなり上がったって言ってたからな。何より金属を武器や防具以外に回せる余裕ができたってことだな」
「夢のないこと言わないでよ~」
イリーナの言葉に膨れっ面になるノアだが、自分の荷物入れから革の袋を取り出すと、更に中から木製の横笛を取り出す。
「まっ、金属製といえども、あたしのこの笛の音には敵わないはず」
へへーんと笛をくるくる回すノアに、イリーナは呆れながらも優しい微笑みを見せる。
道具屋から出て町から離れ、仕事の依頼を受けた村へ向かう道すがら、ノアは先ほど道具屋で出した笛を吹く。
「ご機嫌だな」
「分かる? だって今から行くアルケ村って、
「お前、食い物ばかりだな」
「お母さんもブドウ酒飲める~って喜んでたじゃん」
言い返せないイリーナが睨むが、それをノアは可笑しそうに笑う。
「それにさ、お母さんやっと会えるんでしょ。エレノアって人に」
「あ、ああまあな。あいつの相方が今頃になって会ってくれないかと言うわけだ。
別にあたしもうどうでも良いんだが、エレノアのヤツの体調が悪いとかでな、ホントどうでも良いんだが。むしろ今更迷惑だな。
でもここはあたしの器の大きさを見せるとこだろ?」
横を向いて、めんどくさそうを装い、いつもより
「この仕事が終わったら、あたしもついてい行くからね。どんな人か見てみたいし」
「お前と似てるとこあるからな、揃ったらうるさいだろうな」
「そうなの? ま、名前似てるしね、親近感感じるもの。
ますます楽しみ! 早いとこ村の畑を荒らす魔物を討伐して、エレノアって人に会おうよ!」
小走りに走るノアの後ろを歩くイリーナの足取りも早くなる。
* * *
夜になると村の畑に現れる魔物を討伐する、年老いたとはいえイリーナとノアにとって難しい依頼ではなかった。
現に畑を荒らしていたオッソと呼ばれる熊の魔物は難なく討伐し終えた。
「ちっ、これはまずいな」
闇夜に光る目玉は四つ。スコルと呼ばれる狼によく似た魔物なのだが彼らは肉食。ラクス畑を荒らす魔物としては考えにく魔物。
そしてなにより、獣らしからぬ統率された動きでイリーナとノアに襲いかかってくることと、遠方から放たれる矢によって戦闘を阻害され思うように動けないことで苦戦を余儀なくされる。
ノアは十歳、同年代の子に比べれば文句なしに強い。だが、実戦経験の少なさとイレギュラーに対応できずに焦りが見る。
「ノア、火を止めろ。出しっぱなしにするんじゃなくて、瞬間だけだせ。光と魔力で感知され狙われるぞ」
「う、うん」
慌てて剣の炎を消すノアだが、光源だった火が消えたことで辺りに闇が重く落ち、不安に押しつぶされそうな気持に駆られ、敵の気配を見失う。
暗い空気が揺れ、魔力と気配が大きく動く。
暗闇の中ノアを包むのは、いつも自分を包んでくれるイリーナの感触と、ぬめりと生ぬるい感触。
「獣ふぜいがぁ!!」
激しい怒号と共に、地面から鈍い音が派手に響き何かが砕ける。
空気が激しく震え、空中でメキッと響く複数の音はおそらく矢が折れる音。
そして、獣とは違う何かが辺りに複数やってくると二足歩行で走ってくる。
暗闇で激しく剣と剣がぶつかり火花を散らす。
火花が散る一瞬だけ見えるイリーナは左腕でノアを抱き寄せ、右手で剣を打ち合っている。手を放して、戦って、と言おうとしてノアは気づく、イリーナが血だらけであることに。さきっから感じていた生暖かいぬめりがその血であることに。
「動くな、じっとしてろ。大丈夫だ」
ノアをぎゅっと抱きしめる腕は震えていて、イリーナが無理をしているのはノアにも分かる。そして今自分が足手まといであることも分かった。
暗闇に潜む何者かたちは、イリーナを確実に葬るためにノアを狙っている。それを防ぐ為に、周囲から飛んでくる矢や短剣がノアに当たらないように落とし、落としきれない分がイリーナ本人に刺さっていることも、瞬間的に見える火花が教えてくれる。
剣が砕け金属が甲高い悲鳴を上げ、肉に刃が食い込み骨を砕く音が響くと、一つ気配が消える。
消えていく気配に反比例して、激しく立ち
その後しばらく潜んでいた気配だが、サッと消えてしまう。
それと同時にノアから力なくすり抜ける腕と、崩れ落ちる音が後ろで響く。
ノアが慌てて剣に炎を灯し地面に座り込むイリーナを見て息を飲む。
背中や肩に刺さる複数の矢と短剣、右腕はスコルに噛み千切られたのか歯形にえぐれている。
最早、大丈夫? と声を掛けることも躊躇する状態に、声を出せないノアにイリーナは顔を上げると声を掛ける。
「大丈夫か……」
涙を目に溜め大きく何度も頷くノアに、イリーナは必死に微笑む。
「ノア……オレゴとモルトを頼れ。それと、頼みが二つある……聞いてくれるか?」
我慢できなくなったのか、ボロボロと涙を流し必死に頷き、縋りつくノアの頭をイリーナは優しく撫でると、そっと抱きよせ耳打ちする。
それに驚いた表情をし、何度も頷くノアに今度は聞こえる声で伝える。
「最後にお前の演奏を聞かせて欲しい……」
イリーナの願いにノアは大きく頷くと立ち上がり、横笛を口に当て息を吹き込む。時々息が乱れ音が飛ぶが、それでも必死に演奏を続ける。
イリーナは演奏するノアを、掠れた視界で必死に意識を繋ぎ止め見つめる。
──ノア、もう少し一緒にいたかった……オレゴ、モルト……会っておけばよかったな……。
……エレノア、お前に会いに行けそうもないな……言いたいこと、あったのにな……死ぬのは怖くないと思ってきたが、今はここから離れるのが怖いな……
イリーナはノアの優しい音を聞きながら微笑むと顔を下に向け、静かに目をつぶる。
「母さん?」
演奏を止めたノアは笛を落とし、イリーナに駆け寄り泣きながら揺さぶり抱き着く。
静かな夜にノアの泣き声が響く。
* * *
王都エウロパを立派な棺が多くの人によって運ばれていく。それを見送る人々は喪に服し悲しみに暮れる。
五星勇者、イリーナ・ヴェベールの死を悼み皆が涙する。街道に集まる人々に見送られ、葬儀会場へ運ばれた棺桶は開かれずそのままで、閉じた蓋の上に花が供えられていく。
「なんでお顔を見せないのかしら?」
「なんでも火傷がひどいらしく、イリーナ様への配慮かららしいわ」
「私、聞きましたわ。火事の中、人を救い自分が犠牲になったらしいわよ」
捻じれて伝わる噂話の中であっても、親しまれ、惜しまれる声の数々。そんな折、会場の空気が僅かにどよめくと、棺桶の前に立ち深々とお辞儀をする赤髪の老人に皆の視線が集まる。
「エッセル様よ。あんなに長く深々とお辞儀をされ別れを惜しんでいらっしゃるのね」
花を置いて去っていくエッセルとすれ違いにやってきたのは、青い髪の上品な出で立ちの女性。
会場の出入り口で互いに立ち止まって、エッセルと女性は目を合わせる。
「リベカ様よ。御屋敷から滅多に出ないのに、ご友人の葬儀に駆け付けたのね」
「エッセル様と何をお話になってるのかしら?」
リベカとエッセルが無言で合わせた目が、好意的でないことに気が付く者はいない。一瞬鋭く睨むリベカと、僅かに笑みをこぼすエッセルはすれ違う。
そのまま進んだリベカがイリーナの眠る棺の前に立ち花を供えると、跪きそっと棺桶に触れる。
「イリーナ、本当にいい子たちに恵まれたのね。あなたが眠るべきはここではないわ」
リベカは跪いたまま、目に溜めた涙をこぼしながら天を仰ぐ。
* * *
山の奥深くにある二つのお墓の前にそれぞれ花が供えられる。
その二つのお墓を見つめる三人。
「母さん、ここなら少しは喜んでくれるかな?」
ノアは自分を抱きしめてくれる、モルトを見上げ泣きそうな顔で尋ねる。
「大丈夫、母さんにとってここが一番だよ。絶対喜んでる」
目をごしごし擦るノアの頭の上にオレゴが手を置く。
「国の墓に入りたくないって、どこでも適当に埋めてくれって遺言にちゃんと応えれてるし、ここほどいい場所はないって」
頷くノアの頭を優しくポンポンと叩く。そんな三人の後ろからやってきた年老いた女性は、花を持ってきて二つのお墓に供える。
「もっと立派な石用意できれば良かったんだけど」
「いえ、シェルさんが手伝ってくれなかったらここに埋葬はできませんでした」
モルトが頭を下げると、オレゴとノアも続く。
「私は場所を教えただけよ。スティーグ様とリベカ様が手を回してくれたお陰」
二つのお墓を見つめるシェルの隣に並んだオレゴたちも一緒に見つめる。
「シェルさん、エレノアさんとお母さん楽しくお話してる?」
ノアに尋ねられ、シェルは目を細める。
「お話ねぇ……ふふっ、きっとお互い文句言いながら楽しそうに殴り合ってるかな?」
シェルの答えに、目を丸くしたノアだがお墓を見て微笑む。
「お母さんらしいや」
「ああ」
「だね」
笑みを見せる三人とシェルに見守られ、二つのお墓は静かに佇む。
『エレノア・ルンヴィク』
『イリーナ・ヴェベール』
────────────────────────────────────────
『転生の女神シルマの補足コーナーっす』
みんなの女神こと、シルマさんが細かい設定を補足するコーナーっす。今回で遂に20回目っす!!
※文章が読みづらくなるので「~っす」は省いています。必要な方は脳内補完をお願いします。
イリーナがなぜ襲われたのか? リベカの噂がなぜ違うのか? などなど疑問はあるところですが、それはいずれまた。
イリーナが拾った赤子は立派に育ち、これからも成長していきます。現世で活躍する詩たちですが、こちらの世界も時間は進んでいるので物語は続いていきます。
ノア・ヴェベール、彼女のその後の活躍はここでは伏せておきます。
さて、次回
『進め山岳先輩!!』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます