14.

 白石さんは、案外あっさり見つかった。


 普段の運動量を遥かに超えることをやってのけたのに、あまり息切れはしていなかった。

 それ以上に、彼女が気になっていたからだろうか。

 建物の中ほど、ガラス張りの戸で四方を囲まれた中庭の引き戸に僕は手をかけた。


 瞬間――急に外に出たせいで、眩しさに慣れていない目がくらむ。

 ちょうど昼時で太陽の光が真上から差し込んでいた。


 僕は体が火照ってきたので、学ランを脱いで腕にかけワイシャツ一枚になった。


 中庭は思っていたよりも広かった。

 ベンチが置かれ、野菜や様々な花の植え込みがあった。

 キュウリに、ニガウリ、ジャガイモ――。

 トマトやヘチマもある。

 それにこれはなんだろう?


 僕は様々な野菜に目を奪われながら、足を進めていった。

 車いすと男の子とその母親らしき人が、オシロイバナのピンク色の花を摘み取って遊んでいた。

 たぶんここは、この病院から出られない入院患者たちの心を緑で癒す目的で作られたのだろう。


 彼女はちょうど中央あたり、紫陽花の花の前で「立膝」をしていた。

 ちょうど野菜畑に隠されて、中庭の真ん中あたりは外から見えにくくなっていたのだ。

 

 ようやく、見つけた。


 寝間着に近い格好のまま、無表情で呆けている彼女。

 薄いクリーム色のチュニックに包まれた細い腕と脚。

 髪は事故にあった直後よりも多少伸びて、僕と同じかそれより少し長いぐらいの長さには戻っていた。

 もう包帯も外れていた。


 おだやかな光に抱かれて、

 それでも少女は全く楽しそうではなく、

 かといって哀しみや辛さが滲み出ているかといえばそれも違う。


 言うなれば、今の彼女の面持ちには生気がない。

 光の中に消え入りそうなほど弱々しく、あらゆる欲が感じられない。


 ――遠くから見ていると絵になる。


 いけない、余計なことを考える暇があったら話しかけなくては。

 見舞いにもこない父親や無愛想な医者の代わりを、誰もやらないなら僕がやるんだ。

 

 僕はまたあの時のように、とにもかくにも何かを口にしようとした。

 そしてあの時と同じくどうしようもなく緊張した。


「し、白石さん?」


 声が裏返ってしまった。

 結局僕は無難に話しかけることができなかった。

 

 勇気を出せ。


 しかし白石さんは気づいていないように見えた。

 聞こえていないらしい。

 ちょっと安心した。


 深呼吸をする。

 僕は意を決して、つかつかと一歩一歩大股で彼女の方に足を進めた。


「あの、すみませんっ!」


 大きな声で、はっきりと。

 空気が振動したと思うぐらいのうるさい僕の声が中庭中に響き渡った。


 彼女は、はっ、と首を上げて、座ったまま顔だけを僕の方に向ける。

 そしてあの澄んだ瞳でこちらをまじまじと見つめた。

 

 聞く分には言葉が分かるはずだから、ちゃんと説明すれば分かるはずだ。


「白石さん、勝手に病室を出ちゃダメだよ。みんな心配してるから、一緒に帰ろう」


 肝心なことを言い忘れたのでつけ足した。


「あ、言い忘れてたけど、今日は白石さんが心配だから、お見舞いに来たんだ。

 言葉が話せなくなっちゃったみたいだけど、僕がこうやって話しかけてればいつかまた話せるようになるかなって、思ってさ」


 言いたいことは全部言い切った。


 僕は視線を合わせるのが怖いと感じつつ、彼女の様子をうかがう。


 しかし彼女は視線を下に逸らして、また、申し訳なさそうな顔をしていた。

 せっかくの大きな瞳を隠すように瞼は半開きで、真一文字に結ばれた小さな唇は無言のうちにバツが悪い、というメッセージを伝えているようにさえ思える。


 まただ。

 やはり彼女は僕を迷惑だと思っているのだろうか。

 休日にわざわざ会いに来るなんてストーカーみたいだし、やっぱり気に障ったのだろうか。


 ――でも今日は、何かを言いたげに口を少し開けていた。

 僕はあろうことか、それに気づかなかった。


 間がもたないので、とりあえず黙ったままの彼女に続けて話しかける。


「さ、さぁ、とりあえずカウンターに行こう。報告しなきゃ」


 またしてもどもりながら、僕は中庭の入り口になっているガラス戸の方へ体を向けて、歩き出そうとした。

 だがその時、何かが僕の腕をつかんで僕の歩行を妨害した。


「えっ……?」


 僕はあまりに驚いて、状況が把握できずにパニックに陥った。

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