7.

 ガラス張りの自動ドアを出て、駐車場から門までの間がちょっとした歩道のようになっている。

 植えられた並木沿いに僕たち二人は歩いていた。


「かれんちゃんね、失語症になっちゃったらしいの」


 病院の玄関からすぐ出た所で、吉久保さんは徐に切り出した。


「……えっ?」


 シツゴショウ。

 僕は、その言葉が何を意味しているのか理解できない。

 

「ど、どういう……ことですか?」

 

 僕はどう反応していいか分からず、どもりながら次の言葉を吐き出した。

 頭が現実を受け入れることを拒んでいる気がした。


「私も詳しく知らないんだけど、前頭葉を傷つけたせいで言語障害が残っちゃったんだって」


 ゼントウヨウ。

 ゲンゴショウガイ。

 

 言葉として理解されない音だけが、耳の中で反響してはざわめく。


「でもホラ、リハビリすれば治るかもしれないし、まだ本当にそうと決まったわけじゃないんだから」

「そんなっ……」


 口が勝手に動いていた。

 吉久保さんの言葉を遮って、僕は叫んでしまった。


「そんな、なんで、なんで白石さんがっ……!」

 

 この世界は残酷だ。

 なぜだ。

 彼女は何も悪くないのに、それなのにどうして。


 周りをまばらに行きかっていた人たちが、僕たち二人をよけて歩いていく。


「……ショック、だったね」

 

 吉久保さんは、その日初めて悲しそうな顔をした。

 僕は立ち止まってうなだれていた。

 足下の白い運動靴は、夕日に照らされてオレンジ色になっていた。

 申し訳なさそうに目線を下に落としたまま、吉久保さんは続けた。


「ごめんなさい。でも、君には言わなきゃいけないと思ったの。かれんちゃん事故からもう結構経つのに、あたしが話しかけても全然喋らないんだ。なーんにも」 

「……」


 無理に明るく話そうとして声だけは明るいが、吉久保さんの表情は固かった。

 言葉が話せなくなるなんて、遠い世界の問題だと思っていた。

 僕は息を大きく吸って、口を開いた。


「……吉久保さんが、謝ることはないですよ。すみません、急に大きな声出して」


 僕は洗いざらい全部吐いてしまおうと思った。

 そうすれば楽になれる。

 僕がどうして今日ここに来たのか。

 学校で彼女の身に何が起きていたか。

 そして、僕がどうして彼女をそんなにかわいそうだと思うのか。


「あの、彼女学校でずっといじめられてたんです。それで、今日は僕が……」


「君はきっと、いい子なんだね」


 今度は吉久保さんが僕の言葉を遮った。


「おかしいと思ったんだー」


 吉久保さんはちょっと笑って、いつもの元気な口調に戻っていた。

 

「病院にお見舞いに来る人がお父さん以外誰もいないの。お父さんが来たのも最初の一回だけ。

 これだけならまだいいけど、今日初めて来たと思ったら、口下手で女の子と話すだけで緊張しちゃうような水無月君でしょ?

 学級委員とか、もっと適任がいるはずじゃない?」


 僕はあっけにとられて聞いていた。


「女子の友達も一人もいないのね、あんなに可愛いのに」

         

 とても不思議だった。

 吉久保さんの言ったことは概ね事実だったからだ。


「おーい、水無月ぃーっ!」

 

 その時、遠くから急に大きな男の声で僕の名前を呼ぶ声がした。


 僕は声の聞こえた方を振り向く。

 学校の校門のような重そうな鉄製の門の前で、狭山先生が僕たち二人に必死に手を振っていた。


「てめぇ、何一人で先に行ってんだよぉーっ!」

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