メゾンひまわり

あいる

第1話この世でいちばんめんどくさくて温かい場所

 僕がメゾンひまわりに住んでから、ようやく1週間が過ぎた


 建物は古いアパートで2Kの部屋が全部で六世帯。


 路地のいちばん奥に建っているこのアパートは少し不思議な雰囲気を醸し出していた。

 昭和のような、外国の田舎町のようなのんびりと時間が流れている感じがする場所。


 どうしてここに決めたのか?

 それはもちろん家賃がいちばん安かったからで、今はフリーターの僕にはお似合いの場所だった。


 以前住んでいたのは、街中にあるデザイナーズマンションの広めのワンルーム、この春までテレビ番組を作る会社でカメラマンをしていた。


 コロナウィルスの感染が広がり、テレビ番組の収録も激減して、いとも簡単に会社が傾いた。

 それなりの報酬を貰っていたが、僕は全て失うことになった。


 入居する時に、不動産会社の人が気になることを言った。


「あの……時々住民の集まりがありまして、もちろん自由参加ではあるのですが……」

 奥歯に何か挟まったような言い方をする担当者に僕は言った。


「あ~大丈夫です、自由参加なら適当に逃げますから」


 そう言いながら契約を済ませ、鍵を受け取った。


 就活はしているが、この時期は募集も少ないし、新卒でさえ仕事にありつけない。コンビニのバイトをやりながら失業保険の支給を待っている。


 昼間は光もあまり入らないその部屋で暮らし始めた僕、水力の弱いシャワーの水、古いアパート独特のクローゼットではなくて押し入れなのには困った。

 もちろん温水便座なんてものは付いていない。


 とにかく、社員として働くまでは我慢するしかないのだった。



 今どき引越しの挨拶などもせずに引越しをすることも多いが、とりあえず僕は洗剤を5つ用意をしていた。


 荷物の片付けが終わり、のろのろと隣の部屋2ーBのドアの横に付いているチャイムを押した。


 静かに開いたドアの中からは、今年30歳の僕よりかなり年上の男性が顔を出した。

 不精髭が伸びてるが、髪の毛はキチンと整えられている。


「挨拶が遅れてすみません、隣に越してきた木村です」

 手に持った洗剤を渡すと

「これはご丁寧にすみません、どうぞお気を使わないでください」


 見た目は、怖そうな雰囲気だけど丁寧に話す男性に少し驚いた。

「私は五年程住んでいます、このアパートはなかなか住みやすいですよ、次の金曜日の夜に住民の集いがあるので良かったら」


「その日僕は仕事なのでちょっと参加は無理かも知れません」

 本当は、コンビニのシフトには入っていないけど、どうにかやり過ごすことにすることにした。


「それは残念です、みんないいひとばかりなので次回は是非」


「……そうですね」

 社交辞令で、そう返事をしてその場を離れた。


 部屋に戻ると、隣の部屋から静かな音が流れて来るのが微かに聞こえてきた。

 曲名は知らないけれど確かショパンの有名なピアノ曲だった。


 また、その集会に誘われたらどうしようかと思いながら次の部屋へ向かった。

二階の道路に面した2-Aは、郵便受けにチラシがたくさん入っていて、留守だと見受けられた。


 真下の1ーCのチャイムを鳴らした。


「はーい」と高めの女性の声が聞こえて、1歳位の女の子を抱いたショートカットの女性がドアを開けた。


「上の階に越してきた木村です、挨拶が遅れてすみません。良かったらこれを……」


「あら、ありがとうございます、ちょうど洗剤が切れそうだったから嬉しいです」


 腕に抱かれている女の子がニコニコしながら僕に両手を出した。


「ダメよ、ゆずちゃん、すみませんこの子男の人が好きみたいで……」


 歳はきっと僕より若い、20代も前半だろうその女性は、化粧っ気もないけれど端正な顔をしていた。

 きっと化粧をしたらかなりの美人だと思う。


「私は、風間ゆかです、この子は柚季ゆずきで、いわゆるシングルマザーです」

 あっけらかんと話す女性の瞳は、母親としての覚悟とか自信に溢れている。


「あ、そうなんですね、子育て大変ですね」


「もっと小さい頃は大変でしたけど、今は少しずつカタコトで話してくれるし楽しいですよ」


 その笑顔はきっと本物だろうなと思った。

 挨拶をして帰ろうと歩き出すと後ろから声が聞こえた。


「私はここで生きることを前向きに考えるようになりました」


 振り向いて頷くと風間さんはゆずちゃんの手を持ってバイバイと小さな手を振った。


 ゆずちゃんに手を振って、右側の1-Bの部屋へと向かった。


 チャイムを押そうとした時に、突然ドアが開いた。

「あーびっくりした」

 出て来たのは70代くらいのおばあさんだった。

「驚かせたみたいですみません、引越しの挨拶に伺いました2階の……」


「2階のCに引越してきた人やね、私はこのアパートの管理人もしている北村です、またお兄ちゃんイケメンやな~」

 関西出身だと言う北村さんは、既に30年もこのアパートに住んでいるという、玄関先にはプランターが置かれてあり、キュウリやトマトを家庭菜園で育てているようだ。


 実家にいる母親もベランダで野菜を育てるのが趣味で、採れたての野菜を食卓に出していた事を思い出した。


「大きなキュウリですね」

 そう言うと、北村さんはその中で小さいキュウリを採って僕に渡してくれた。

「大きなやつはもうアカンねん、これくらいのやつがいちばん美味しい、今晩食べてみてや野菜を取らなアカンで、若い人はあまり食べへんからな」


「ありがとうございます、そうですね、ついついレトルト食品ばっかり食べてしまいます」


 コンビニのバイトでは、廃棄予定の弁当や惣菜をタダで貰えることもある。

 大きなチェーン店ではなく、地元独特の店なのでそんなことが出来る。

 実際、学生時代にバイトをしていた有名なコンビニでは、もったいないなと思いながら、弁当やスイーツを廃棄していた。


「これからよろしくお願いします」

 洗剤を渡すとしわくちゃな顔で笑った。

「なんか困ったことがあったらいつでも言ってや」

「はいありがとうございます」

「ほなこれが私のLINEのIDやから登録しといてな、ここの住人さんにはみんなグループLINEに入って貰ってんねん、あとこれも読んどいて、ちょっと買い物に行って来るわ」

 と言いながら鍵をかけて通りへと行った。


 おばあさんの割に、スマホを使いこなしていることに驚いた、僕の実家は関西の小さな港町、そこで一人暮らししている母親は未だにガラケーだし、それさえ使いこなせていない。



 なんだよそれ、聞いてないよ。せっかく見つけた格安物件はまるで事故物件なのか?と独りごちた。


 1-Aの部屋のチャイムを押すと、壊れているのか鳴らなかった。

 ドアをノックして待っていたが反応がなくて部屋へと戻ろうとした時に後ろから声がした。


「なんか用ですか」

 振り向くとまるでカラスかと思う位全身を黒で揃えた若い男性が立っていた。

 履いているサンダルだけがカラフルなクロックスでなんだかおかしかった。


「すみません、引越しのご挨拶に参りました、上の階の木村です」


「イマドキ、引越しの挨拶する人なんて珍しいですよ」

 口ではそう言いながらも、にこやかに笑っている男性に笑みが零れた。

「まったくそうですよね、でも実家のばぁちゃんが、挨拶だけはしろと育てられたので」

 その黒いカラスは話した。

「俺の名前は蒲田です、蒲田康平、売れないミュージシャンです」

 

 ベースギターでも持たせたら似合うなと、その蒲田さんを見ながら考えた。


「僕は楽器はぜんぜん出来ないから尊敬しますよ、楽器は何を?」


「ドラムっすよ、メジャーデビューも出来ないバンドで叩いてます」


 予想は外れたけど、世間にはこんな若者が多いのだろう、いや若者ではなくても夢を捨てきれない人もいるはずなのだ。


 話しやすそうな青年だと思ったから、早速聞いてみた。

「さっき管理人のおばあさんにグループLINEとか言われたんですが、あれって必ず入らないとダメなんですか? 」


「確かに、めんどくさいですよね、でも、あれに助けられることの方が多いからとりあえず入った方がいいっすよ、別に返信とかしなくてもいいし既読だけ付けてればいいし、北村のばあちゃんはこのアパートの太陽みたいな人、じきに分かると思うよ」


 今度ライブとかある時は聴きに行きますよと言って部屋をあとにした。



 部屋に戻って、渡されていたプリントを広げてみた。

【メゾンひまわり】


 ・朝早起きが必要なら事前に知らせるべし、起こしに行きます。


 ・LINEの返信は不要だが、困ったことは必ず言うこと(既読のみOK)


 ・子育てに参加すべし


 ・幸せになるための行動をすべし


 まだまだたくさんの項目が書かれてあったが、読まずに畳んで引き出しに入れておいた。



 住み始めて分かったことは、毎日グループLINEに一斉にメッセージが流れる。


 💬北村

「ひじきの煮物炊いてるから、食べたい人は取りに来て」


 💬風間ゆか&柚希

「やったー!帰りに取りに行きます、それと、明日の保育園のお迎え誰か頼めませんか?」


 💬北村

「誰か行ったって」


 💬安武(ドラムのアイコン)

「俺行けるっすよ、バイト真夜中だし」



 そんな感じで、わちゃわちゃとメッセージがやり取りされる、たまに既読を忘れると突撃されるから要注意。


「ホンマに心配させんといてや、困った時は誰かに頼ったらええねんで」


 お粥とか果物とか冷えピタとかが玄関のチャイムと共にドアノブに掛けられる。北村さんからとその他の住人からだ。

 全く、めんどくさくて暖かい最高の場所だった。


北村さんが管理人になってから数年後に一人の若者が部屋で人知れず亡くなっていた、その出来事がきっかけで始まったコミュニティだそうだ。


 三年住んで、結婚を機に引っ越したが、毎年ひまわりの咲く頃にはLINEメッセージがやり取りされる。


 砂漠の中にあるオアシスのようなこの場所は、ある意味僕達の実家のようなものだ。


えっ?誰と結婚したかって?

ご想像通りゆずちゃんのパパになりました。


 (了)

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メゾンひまわり あいる @chiaki_1116

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