最初で最後の最強コンビ

ひろかつ

第1話

 頭の中で大きな銅鑼が鳴っていた。周囲の音はまるで耳に届かない。鼓動は加速度的に早まり、呼吸はそれに追いつけない。視界もぼやけて真っ白くなり、今にも恐怖の声を上げそうだった。身体はゆらゆらと揺れだし、全身がバラバラに崩れ去りそうだ。その時、大きな声によって現実に引き戻された。

「いい加減にしてくれ!」一見すれば温和そうに見える男が、こちらを睨み大きな声を張り上げていた。『そうだ、ここは取引先だ』私はその人物の顔を見て自分の犯した過ちを思い出した。

「す、すいません」私は何度も深く頭を下げた。

私を睨みつける目には、もはや謝罪を受け入れる気さえないように見えた。それも仕方のないことだ。私のミスにより、生産ラインが二日も遅延するのだ。重要な取引先だと言うことは、重々承知していたにも関らず、私の頭の中からはその注文が完全に抜け落ちていた。しかも二度目のミスである。弁解の余地もないのは分かっていた。それでも私は頭を下げつつも、不思議と冷静さを取り戻していた。

『なぜだ?』との自問だけが頭の中を駆け回っていた。特に頭が悪く、記憶力が悪いわけでもない。ただどうしても身が入らない。『なぜだ?』そんな自答する姿も全く現実味がなく、まるでスクリーンに映る自分を客席から見てるかのようだった。当然のこと、会社に戻る私の足は重かった。上司には既に連絡が入っているのは間違いがないだろう。戻れば得意先の担当よりも、きつい叱責が待っているのは確かだ。私は雑踏の中を、ゆっくりとした速度で歩いた。携帯もひっきりなしに鳴り響いている。『何故だ』『何が悪いんだ?』『どうしてこうなるんだ?』そんな疑問が次々と湧いたが、求める答えは何処からも聞こえない。繰り返される自分への問いは、いつしか言葉の暴力となり私を殴り続けた。

普通の家庭に生まれ何不自由なく育ったが、今の自分は普通とは程遠いところに居るようだ。ところが、よくよく思い出してみると、楽しかった時の記憶が浮かんでこないことに気が付いた。記憶の蓋をこじ開けてみるが、思い出は霧が掛かったようにぼやけていた。まるで古ぼけたセピアカラーの写真のようだ。長い時間をかけて社に戻り、上司に叱られながらも、やはり私は別のことを考えていた。『なぜだ?』と。

転職を繰り返す自分を雇ってくれたことには感謝するが、どうしてもそんな考えから抜け出せずにいた。学生時代もそうだった。勉学にしろ部活にしろ、何の興味も湧かなかった。得意な科目もなく、趣味に没頭したわけでもなく、まったく目立つ存在でもなかった。それ故に、クラスメート達とも自然と距離を置いていた。今にして思えば、虐めに合わなかったのが不思議なくらいだ。社会に出ても毎日を、ただ漠然と生きているだけの時間を繰り返しているように感じていた。

一人暮らしを始めたアパートも、部屋の隅の床に目をやれば、うっすらと埃が積もっている。けれども、私はそれを見て見ぬふりをしていた。掃除をする理由を、見出せなかったからだ。誰も訪れることのない寝るだけの部屋に、気を使う必要などないと思っていた。『なぜだろう、何がいけないのだろう。本当にこれが自分の人生なのだろうか?』と考えるが、鏡を覗き込めば、自分以外の何者でもない姿が映る。しかし、自分でも感じるほどにその顔には生気も覇気もなかった。こういった考えは年齢や性別、地域や時代、それらにはまったく関係がなく、誰でも一度は感じる疑問であろう。私もそんな疑問を持った、普通の人間の一人なのだろうか。

数年前には医者にも掛かったが、『恐らく鬱でしょう』と診断され、処方された薬を指示通りに飲み続けたが、私にとってはまるで意味のない浪費でしかなかった。私なりに努力はしてきたつもりだ。努力しても結果が出ない、努力が足りない、それだけなのかもしれない。『なぜだろう、何がいけないのだろう』いくら考えても、その先の答えは見つからなかった。まるで『今日』という、砂漠のような日々を当てもなく彷徨っているようだった。自分はどこに行こうとしているのかさえ、完全に見失っていた。ところが、なにもない砂漠を歩き回る私の目に、ある時、緑豊かなオアシスが飛び込んできた。その景色も幻覚かもしれない。今を逃れたいだけの想像の産物かも知れない。それでも私は走らずにはいられなかった。強い力に引き寄せられるように無我夢中で走った。今までにない何かを感じたのだ。

そして、辿り着いたオアシスで待っていたものは、私の想像を遥かに超えた世界だった。それまでの私が気づきもしなかったのは当然に思えた。それほど突飛もないことが私の身に起きた。たとえ天地がひっくり返っても、はたまた墓から死体が這いずり出ても、その出来事に比べれば、たいして驚きさえしなかっただろう。

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