ギルド難民なおれだが、暇ではない

しろめしめじ

第1話 暇そうに見えるのだが暇ではない

「ギル、起きてる? 」

 食後の心地良いまどろみの時に浸っていたおれの意識を、なじみのある女声が強引に覚醒へと導いた。おれは顔を顰めると、不満の意をあからさまに見せつけつつも、やむなく無理矢理に重い瞼をこじ開ける。

ここは、とあるゲーム世界の辺境にあるギルドの酒場。木目むきだしの板を打ちつけただけの素朴なテーブルでふんぞり返るおれの目の前に、仁王立ちする人影があった。

 革製の胸当てとミニスカートにショート丈のブーツ姿といった軽装の魔導騎士が、両手を腰に当てて不機嫌そうにおれを見下ろしている。大きく見開いた瞳は吸いこまれそうな魔力――てゆうか、魅力、か――を秘め、捉えた獲物であるおれを逃がさねえぞとばかりに見据えていた。

「リイナか、久し振りだな 」

 おれは顔いっぱいに口をおっぴろげて大欠伸をブチかますと、ぐううっと両手をあげて背筋を伸ばした。

「リアルが結構忙しかったからねえ。期末テストとかもあったし」

 リイナは吐息をつくとおれの対面の席に腰を下ろした。

「教師って大変だな」

「ギルはいいよねえ。こっちとリアルの仕事ジョブが連携してるし」

 リイナが羨まし気におれの顔を覗き込んだ。

「そうでもないぞ。プライベートと勤務時間の境目があってないようなものだからな。心から楽しめているかってえと、答えに困る」

「そっかあ。そういうことになるのよねえ。その気持ち、分かる気がするな」

 彼女は神妙な面持ちで頷くと、注文を取りに来たウェイトレスにアイスティーとチェリーパイのセットを頼んだ。

「その点、教師もある意味おんなじだよな」

 おれは頷いた。彼女はリアル世界では某私立高校の教師なのだ。確か担当は数学だったと思う。

 分かり切っていることだが、教師はただただ生徒に勉強を教えていればいいって訳じゃない。生徒の精神面の育成にも力を注ぐ必要があるし、ましてやそこで起きるいじめや不登校といった問題にも取り組んでいかなければならない。

 場合によっては「公」の時間に追われ、「私」の時間が極端に削り取られた挙句に病んでしまう人も多いだろう。まあ、それは教師に限らず、職業や学生、様々な身分の枠を超えて誰にでも起こりうる可能性がある。こちらの世界を見ていると、そういったストレスから逃げ出したい一心でここを訪れるヴィジターが非常に多い。ここでストレスを解消してリアル世界にすっきりとした気分戻っていければ問題は無い。

 問題なのは、リアルへの帰還を拒み、ここに居座って現実逃避しまくる輩の存在だ。単なるゲーム依存ではなく、ゲームをやり続けてリアルに戻るのを拒絶する存在――闇蠢者ダークウォーカー。とあるエピソードが発端となって、今まで現実逃避者リアルドロッパーと呼ばれていた輩を総称してこう呼ぶようになった。

 その事件にはリイナが大きく関わっており、実際には乖離した彼女の意識の一部が人格を形成して独り歩きして様々な問題を起こすに至ったのだ。

 本来ならばこの世界から永久追放されてもおかしくない内容だったのだが、あくまでも本来の彼女自身の意思で行われたものではない事と、危険を顧みず自身の力でそれを消去した事が認められ、結果御咎め無しの特赦を受けて今日に至るのだ。それに、彼女がそこまで追い込まれた理由に、生徒からの陰湿ないじめがあったことが原因であることも情状酌量の要因の一つだった。

 ただ創造神から出された条件が一つ。

 おれの手助けをし、息を潜めている他の闇蠢者ダークウォーカーを捜索してリアル世界に復帰させること、だ。

 今、あの時乖離したもう一人の彼女は、リイナの中にいる。もはや完全にリイナの意識下に取り込まれており、もう暴走することは無いだろうが、存在そのものが消えたわけではない。

 人格と言うか、スピリットが二つに分離した彼女の場合は、極めてまれなケースで、多くの場合は自分の意思でリアルとの結びつきを拒絶し、この世界の闇に身を隠そうとするのだ。

 だが最近、単なる現実逃避だけではなく、犯罪者が収監されるのを拒む為にこちらの世界に籠る輩が出始めた。厄介なことに、彼らはゲームを強制終了させても現実世界には戻らない。本来なら不本意ながらも目が覚めるはずなのだが、某違法改造マニアがリミッターを取っ払う方法を開発し、闇ルートで販売しているとの情報を掴んでおり、最近の闇蠢物ダークウォーカーは、もっぱらこの違法改造でこの世界の深淵に潜り込む輩がほとんどだ。。

 そうなると、リアルの身体はどうなるのか。

 ずっと寝たままで目覚めないのだ。飲食が出来ないばかりか排泄物も垂れ流しっぱなしで発見され、急遽入院となれば取り調べや審議はそこで中断してしまう。

 いわば幽体離脱した状態で、魂だけがこの世界に居座り続けるのだ。ネイティヴでもヴィジターでもない、今まで想定されなかった存在として。

 彼らは現実の器を捨て、この世界で生きる事で法の裁きから逃れようとしているのだ。ある意味、国外逃亡よりも確実に逃げる事が出来る。現実世界で得たものを全て捨てなければならないリスクを度外視すればの話だが。

 そういった秒刻みで変化する架空世界での捜査は人手不足が悩みの種で、彼女のサポートは正直滅茶苦茶心強い。こっちの世界に特異的な能力を発揮できるおれのような刑事はそうざらにはいない為、場合によってはプロのゲーマーに委託する場合もある。

「期末テストか・・・懐かしいスペルだな。」

 感慨深げに呟くおれの顔をみて、リイナは吐息をついた。

「大変なんだから。準備して、採点して。赤点取った子には補習授業やって・・・ここに来る余裕なんて全然なかったもん」

「その割には、モーリやスウィルはちょこちょこ来てたけどな」

「えっ! 」

 リイナが険しい表情を浮かべると、おれの隣でふざけ合っているモーリとスゥイルを見据えた。ふっさふさの顎髭を蓄えた技人ドワーフのモーリと、トンボの様なしなやかな羽が背中に生えている妖精ニンフのスウィルは、リアルでは彼女の生徒なのだ。

「え、あ、いやあ、ちょっと息抜きに来ただけだから」

 モーリは頭をがしがし搔きながら言い訳めいた呟きをぼそりと投下。

「気分転換でちょっとだけよう 」

 スゥイルはスゥイルでばつの悪そうなてへへ笑いを浮かべた。

「ま、二人ともそこそこいい点とってるからいいか」

 リイナは挙動不審の二人に苦笑しながらテーブルに腰を下ろした。と同時に、目線をモーリの右肩に注ぐ。

「モーリ、その子は・・・? 」

「先生――じゃなくて、リイナは見えるのか」

 モーリが驚きの声を上げた。

「レベルアップしたもんな」

 おれはにやにや笑いながら固まったままのリイナを見た。前回の冒険奇譚で、経験の浅い駆け出しにもかかわらず、瀕死の重傷を負ったおれを最上級の治癒秘文で救ってくれたのだ。彼女はその功績が認められ、一気に中級の上クラスにまで正式にレベルアップしたのだ。

「この子、ひょっとして?」

「ようやっと思い出したか」

 モーリの右肩のそれは、リイナの反応に笑みを浮かべた。

 モーリの肩には、真っ白な羽織袴姿の長い黒髪の少女がちょこんとのっかっている。といっても五十センチ位だから、一見日本人形のようにも見えるがそうではない。モーリが召喚契約を結んでいる龍の姫様だ。

「モーリ、大丈夫なの? 召喚術使ったらしばらく動けないんじゃなかったっけ」

 リイナは心配そうにモーリに問い掛けた。

「大丈夫。モーリもレベルアップしておるし、私も力を抑えておるからな」

 龍の姫様は目を細めて笑みを浮かべると厳かにVサインで答えた。

「でもよかったわあ。姫様の姿がリイナにも見えて。共通の会話が出来なかったらどうしようかと思ってたよう」

 スウィルが膝の上のポーターを撫でながらほっこり呟く。ポーターはさっきまでおれ達と一緒にランチをしていたのだが、リイナが来る少し前からスウィルの膝の上でゴロゴロ喉を流しながら爆睡している。こう見えてモービル憑きの妖精なのだが、今の姿は誰が見ても只の猫だ。

「姫様の姿って、誰もが見える訳じゃないんだ」

 リイナが興味深げにおれを見た。

「ああ。ある程度のレベルじゃないと見えないな。たぶん今このギルドにいる連中で、姫様が見えるのはおれ達とゴウド位だな」

 おれは受け付けカウンターの奥で帳簿とにらめっこしている年配のホビットに目線を向けた。彼は俺の視線に気づいたのか、愛想笑いを浮かべるとウインクで返してきた。鑑定士でありこのギルドの支配人だ。おれとの付き合いも長く、良き理解者でもある。とは言えゴウド、悪いがウインクで返事するのはやめてくれ。仲間に誤解されても困る。

「ちょっと来ない間に、ここもなんか様変わりしたよね。いつの間にか隣の空き地に別館が出来ちゃったし、入り口に飛竜ドラゴンの石像が建ってるし」

 リイナは運ばれてきたアイスティーを口に含むと、チェリーパイを頬張った。

飛竜ドラゴンの石像? 初耳だな。ゴウドが置いたのか・・・ああ、別館はあれだ、宿屋だろ。おれが投資したんだ。ちゃんとポーターの車庫もある」

「ひょっとして、この前の報酬で? 」

「ああ。運営はゴウドの奥さんに頼んで見てもらってるよ。リイナは何かに使ったのか? 」

 俺はリイナに問い掛けた。この前の報酬というのは、創造神直々の依頼で向かった闇蠢者ダークウォーカー討伐の報酬だ。破格の賞金がかかっていたから、うちの面々と助っ人の騎士のパーティーで山分けにしたんだが、それでも結構な金額だったのだ。大抵の冒険者は、報酬が入ると姿格好がガラッと変わったり、武器が明らかに強化されたりするものだが、リイナにせよスウィルやモーリにせよ身に着けている防具や携えている武器に変わりはない。勿論、俺もだが。

「防具を一つ買っただけかなあ。あ、他に薬草やら、ポーションやら秘文書とか買って残りは貯金した。ギルドに預けてあるよ」

 リイナが顎に人差し指をそえながら遠くを見つめるような目線で呟く。

「わしもだ。ワインを少々買ったが残りはギルドに預けたよ」

「わたしもよう」

 リイナに追従するモーリとスウィルだが、二人はそれぞれ一軒家クラスの酒蔵をこっそりギルド裏にぶっ立てている。中には勿論言うまでもなく多量のワインが保管されており、中にはかなりのビンテージものも含まれているらしい。管理はゴウドに頼んでいるらしく、管理費プラステイスティングフリーという契約を結んだようだ。

 ポーターにも同額の報酬を与えたのだがなかなか受け取ろうとせず、最終的には受け取ってくれたのだが丸々ギルドに貯金したようだ。

 ちなみに騎士殿御一行は大人の歓楽街に何やら怪しげな店をオープンしたらしい。     

 リアルでの年齢アンダー十八禁の為、モーリ達を取れていけないのが残念だ。

「皆さん、お揃いですね」

 お馴染みの受付嬢が笑みを浮かべながら近付いて来る。丸顔で猫のようなぱっちりした目が印象的だ。最近ファンが結構増えたらしく、以前は暇そうだった彼女の窓口も、今は冒険や魔獣退治の依頼窓口に匹敵するほどの盛況ぶりで、特にまだ経験の若い冒険者やハンター達の人気を集めている。

「忙しそうだな」

「ギルさんの御陰ですよ。運びポーターの仕事がランクアップにつながるって噂が広まって。初級の冒険者達がこぞって申し込んでくれるんですよ」

「おかげでおれの仕事が減っちまった」

 おれは苦笑を浮かべた。誰が広めた噂なのか知らないが、そうなっちまったようだ。まあ実際にやってみるとほどほどの手頃なの妖獣モンスターとでくわす訳で、いい練習になるし、そうなれば結果ランクアップに繋がるから、あながちガセではない。

「ギルは冒険に出ればいい」

 不意にリイナの背後から落ちつた女性の声がした。いつの間に現れたのか、彼女の背後には、さらさらの長い銀髪に、青い眼の八頭身美女が立っている

 マチアだ。以前は人工的に創り出した変異体の人外部隊を使ってこの世界の覇者となろうとしていたマッドサイエンティストの秘書だったのだが、おれとの戦いに敗れた後、今はパティシエのシオンに拾われてそこで働いている。実を言うと、シオンはリアル世界じゃおれの実姉で、マチアはここだけの話だが姉の旦那――つまり、おれの義兄だったりする。

 秘書時代は白いブラウスに黒のタイトスカートと言った地味な装いだったが、今は黒基調のメイド服の様な格好をしていた。しかもふわふわした超ミニのスカートで、モデル並みの長い脚を存分に曝け出している。リアルを知っているだけに、おれは何とも思わないどころか、むしろ冷ややかな目線を投げ掛けてしまう。だが、リアルを知らない冒険者やハンター達は色めき立ち、世捨て人的な存在のギルド難民達も何故かついに俺達の時代が来たとでも言わんばかりの勢いで、鼻息荒く彼女をガン見する始末だ。

「マチア、どうしたの今日は」

 俺はニキ――否、彼女に話し掛けた。

「納品だ、商品の。今日からうちのスイーツをここでも売ってもらうことになったんだ。日持ちのする焼き菓子だけだけど」

「へえええ。そうなんだ。じゃあシオンは留守番? 」

「朝からポチに乗って何処かに出かけた。新しい食材を探してくるって言い残して。多分しばらくは戻りそうにない。まあ、リアルの店は今日定休日だしな」

「えっ! じゃあ美紅は? 」

「安心しろ、保育園に預けてある」

 マチアは何故か得意気に答えると、徐に腕組みをした。クロスした両腕に押し上げられて、見掛けよりご立派な胸が更に強調される。

 因みに、美紅は姉達の娘で、おれの姪っ子に当たる。子供をほったらかしてこっちの世界にどっぷり浸かっているようだったら、おれの職業柄、じっくり説教してやろうと思ったが、そうではないようだ。

「ギル、頼みがある」

 マチアは両手をテーブルにつくと、神妙な面持ちでおれを見つめた。

「冒険に出る時、私にも声を掛けてくれ」

 マチアはコスチュームからこぼれ落ちそうな胸の谷間をこれぞとばかりに見せつけ、情熱的な熱い眼差しで俺をじっと見つめた。

 俺は苦笑しつつ彼女に対峙する。

 おいおい、なんだよそのとろんとした目つきと半開きの唇は。義弟のおれに色仕掛けかよ。義兄ちゃん、そりゃ無理だって。リアルを知っているだけに。

 なんだか背後が騒がしいい。

 振り向くと、いつの間にか俺の背後には馴染みのギルド難民や見知らぬ冒険者達がぎっちりと集結していた。それも、まるで魔法にでもかかったかのように、全ての視線が目前のマチアの胸に集中している。秘文無しで誘惑チャームの術に陥れるとは。恐るべしニキ――否、マチア。

「そりゃあいいけど」

「本当か!?」

 マチアは嬉しそうに笑みを浮かべると、テーブルに身を乗り出した。

 ちょっと待て。超ミニスカートでそんなに前のめりになって尻をつきだしたら、どうなるか分かっているのかよ。

 ギャラリー達はそれを即座に悟ったらしく、ぞわぞわとマチアの背後に大移動した。

「マチアさん・・・パンツ見えてる」

 リイナが顔を赤らめながら、マチアにそっと囁く。

 が、マチアは一向に気にする素振りを見せず、更に腰を突き出しておれに迫った。

「言い出した私からこんな事言うのもなんだけど、条件がある」

「条件って? 」

「シオンが日帰りしか駄目だって言うの」

 マチアが悲しそうな表情を浮かべた。憂いを浮かべた彼女の表情に萌えたギャラリーの面々の眼が、らんらんと輝く。

「日帰りかよ――厳しいな。ま、たまにあるけど」

 おれは表情を歪めた。おれの場合、調査やなんやかんやで出払う時って、こちらの世界でも何日間かに及ぶ場合がほとんどだ。

「機会がある時でいい」

「分かった。その時は連絡する」

「ありがとう。じゃあ、私はこれで。そうそう、シオンからギル達に渡してくれって頼まれたものがある。表に置いてあるからこれるか? 」

「ああ」

 俺はテーブルから立ち上がると、勘定をすませ、マチアを追った。

 おれが仲間の食事代も払ったのを見てか、リイナとスウィルは満面の笑みで駆け寄ってくる。その後ろを、モーリが苦笑を浮かべながら追従。ポーターと言えば、今だスウィルの腕に抱かれて夢の中だ。

 途中、マチアはカウンターの間で立ち止まると、ゴウドと受付のスタッフ達に深々と頭を下げた。

 もちろん、ギャラリー達は彼女の背後から熱い視線を送り続けている。

「こっちだ」

 ギルドを出ると、マチアはいつの間にか扉のそばに設置された白い飛竜ドラゴンの石像に近付いた。

 ゴウドの奴、いつの間にこんなでっけえ彫刻を飾ったんだろ? 今朝見た時は確か無かったはずなんだが。ただ妙な事に、首に一抱えはある巨大なバスケットが括り付けられている。

 マチアはいとおしそうに石像を見つめると、折りたたまれた翼をを優しく愛撫した。

 おれは眼を疑った。

 石像の眼に、生気が宿った。ついさっきまで灰色だった瞳に、深い蒼の輝きが宿る。

 眼だけじゃない。石特有の無機質な風貌が、一気に生に満ちた明るい白色へと転じていく。  

 石像の飛竜ドラゴンは、ぶるるっと嘶くと体を大きく震わせながらゆっくりと頭を下に垂れた。

 白亜の飛竜ホワイトドラゴンだ。石像に擬態し、乗り手が戻るのをじっと待っていたのだ。

 マチアによくなついているらしく、彼女が頭をなでると気持ちよさそうに眼を細め、喉をごろごろと鳴らした。

「この子、私の相棒なんだ」

 マチアが笑顔で白亜の飛竜ホワイトドラゴンを見つめた。

「珍しい。白い飛竜ドラゴンは初めて見たよ。凄いな、良く懐いている。でもどうやって知り合えたんだ? 」

 おれは嘆息を漏らすと、マチアに尋ねた。

「ポチについてきた」

「え? 」

「シオンが辺境に特産品のナッツを仕入れに行った時、帰りにストーキングしてきたのだ」

「まじか」

「ポチもまんざらじゃないようだし、私にも懐いているからな、今は一緒に暮らしているんだ」

「へええええ。因みに、辺境って・・・」

「それ以上は聞くな」

 マチアが、そっとおれの耳元で囁いた。

(そうなのか? )

(たぶんな)

 おれとマチア唇だけを動かして言葉身近に無声で会話した。

 恐らくだけど、この白亜の飛竜ホワイトドラゴンは人工培養した変異体の可能性がある。マチアが仕えていたマッドサイエンティストの創り上げた作品の一つかもしれない。

 後で馴染みの調査兵から聞いたのだが、俺達が変異体を培養していた地下施設の奥に消えた直後、培養システムが暴走し、覚醒した変異体達が自ら培養容器を破壊して、俺達を追うかのように時空の扉の向こうに。

 造られた変異体達は、何故か俺達に加勢し、闇ニ蠢クダークウォーカーの護衛の妖獣達に果敢に戦いを挑んだものの全滅と言う悲しい末路を追う事となったのだった。

 この白亜の飛竜ホワイトドラゴンは、その生き残りかもしれない。

 あくまでおれの推測ではあるが。ただこれに関してはマチアも同じ考えを抱いているようだった。

 飛竜ドラゴンは緊急時には恐れ知らずの果敢な行動をとるものの、本来は大人しい性格なのだが、その反面すこぶるプライドが高い。だからこそ、背には自分が相応しいと判断した者しか乗せないのだ。彼らには人に仕えるという思考や感情は無い。あくまでも気に入った友人の手助けをしてやっているといった視点で行動をともにしているらしい。

 マチアも白亜の飛竜ホワイトドラゴンに認められたのだと素直に考えるべきなのだろうが、もし、人工変異体の生き残りだったとしたら、強制的に洗脳され、人に従順になるよう摺りこまれたのかもと勘ぐってしまう。ただそうなれば、恐らくはあのマッドサイエンティスト――クロウナなら自分自身にだけ従うように仕向けるだろう。

 あの騒動の後、マチアから聞いた話では、彼女自身毎日培養棟に入っていたらしい。本来は無人状態で、クロウナが研究室で集中管理していたらしいが、毎日一回は定期的に巡回して現地確認を行っており、マチアがその担当だったとの事だった。

 ひょっとしたら、この白亜の飛竜ホワイトドラゴンは、培養器の中から頻繁に訪れるマチアを見ていたのではないか。やがてそれは彼の記憶に刻み込まれ、親しみを覚える様になったのではないか。

 勿論、自然界でも変異体は存在する。飛竜ドラゴンも例外じゃない。

 とは言え、例え彼が人工の変異体であっても、仮説が正しければ、結果として、マチアは認められたのは間違いない事実。

「お待たせ。いい子だ。もう少しだけ待ってくれ」

 マチアが優しく語り掛けると彼は眼を細めて頷いた。

 彼女はバスケットの留め金を外すと、中から大きな手提げの紙袋を二つ取り出し、リイナに手渡した。紙袋からは甘い香りが漂ってくる。

「うちの商品だ。みんなで食べてみてくれ。新商品もいくつか入っている」

「うわーい! ありがとうございますう! 」

 リイナは顔を満面の笑みで思いっきり崩すと、マチアに深々とお辞儀をした。

「ごちそうさまですう! ウエーィ!」

 スウィルが喜びを抑えきれずに思わずポーターを放り投げ、早速紙袋の中を覗き込んだ。

 ポーターは緩やかな放物線を描くと、今度はモーリの腕の中に納まった。

 しかもこいつ、まだ寝てやがる。

「ありがとうございます」

「ご馳走にあずかります」

 おれとモーリはいたって大人な対応でマチアに会釈した。龍の姫様も小声で『いただきます』と礼を言ってお辞儀をした。が、多分、マチアには見えていない。

 否、そうでもなさそうだ。

 おれは見た。マチアが龍の姫様に向かって優しい笑みを浮かべると『はい』と小さく呟くのを。

 見えているのか。この人も成長したんだ。

 きっと姉――シオンにしごかれて。

「ここまで呼び立てて申し訳なかった。なんせ、中で渡すと騒動が起きそうだったからな」

 マチアは苦笑を浮かべながらちらりとギルドに目線を走らせた。

 見ると、窓という窓に男どもが貼り付き、恨めし気にこちらをじっと見ている。

「確かに」

 おれは静かに頷いた。ある意味、狂気の光景だった。奴らがこちらに来れないのは、恐らくゴウドの配慮の御陰だろう。

 きっと遅滞スロウ封印ロックダウンの秘文を紡いで、奴らを足止めしてくれているのだ。ここでは詳細は伏せておくが、彼は知る人ぞ知るマスター級の術師で、ハイクラスの術師が束になって掛かってもかなわない。それ故に彼のギルドでは食い逃げや喧嘩といった揉め事は皆無だった。

 場所によっちゃかなり荒れた感じのギルドがある中、ここみたく明るくて安全で清潔なギルドは貴重な存在だった。

 今日は野郎どもばかりだが、このギルドに冒険女子や猟師女子が集まる比率が高いのは、きっとその噂が伝わっているからなのだろう。

「マチアさん、この子、男の子なの? 女の子なの? 」

 リイナが興味深々の眼差しで飛竜ドラゴンを見つめた。ドラゴンの雌雄は外観では中々区別が付かない。前にシオンに聞いた時は、ポチの性別ですら分からないと言っていた。何でも、生殖行動を見ないと分からないらしい。

「女の子だよ」

 即答するマチア。てこたあ、この人、見たのかよ。

「じゃあポチは男の子なんだ」

 リイナは何故か首を傾げた。

「そうだ。男の子ってより、もう大人だね。この子もそうだけど」

 マチアの答えが意味深だったが、気付いた奴はおれぐらいか――否、いた! モーリとスウィルはニヤニヤ笑いを浮かべている。全く気付いていないのはリイナだけか。こいつ、生徒の二人よりお子様じゃん。龍の姫様も何となく気付いたのか、ちょっと顔を赤らめている。

「名前は? 」

「まだない」

 即答するマチアに唖然とするリイナ。

 前回のポチを凌ぐ攻撃に、リイナは完全に言葉を失っていた。

「そろそろ戻る」

「ああ」

 マチアは、再びギルドの窓に貼り付くギャラリー達をチラ見すると、足を大きく開き、奴らにスカートの中を見せつけるかの様にゆっくりと飛竜ドラゴンにまたがった。

 おれ達からは何も見えなかったが、ギャラリー達からは衝撃の映像が拝めたらしく、何人かはその場で昇天していた。

 それを見たマチア、口元にニヤリと笑みを浮かべる。

 この人、分かっててやってるよ。それもわざとに。

 一度オフ会に連れて行ってやる。ギャラリー達の反応が楽しみだ――と思ったけどやめておこう。リアルが坊主頭の筋肉ガチムチ男だって知ったら、奴らはきっとショックで立ち直れなくなるだろう。

「また店にも寄って来れ! リアルの方でもな」

 マチアは飛竜ドラゴンの首筋を軽く二回叩いた。すると飛竜ドラゴンは待ってましたとばかりに翼を大きく開いた。

「あ、そうそう。リイナさん、この子の名前、実はあるんだ」

 手綱を手に取ると、マチアがリイナに言った。

「え、本当? 何て名前? 」

「タマだよおおおおおおおおおおっ」

 マチアの告白と共に、白亜の飛竜ホワイトドラゴンは大空へと羽ばたいていった。何となくお約束的な展開に、おれは苦笑いした。

 思い出した。

 確かネキ達が飼っているヌコの名前と一緒だ。確か、雄の柴っぽい犬がポチで雌の白い猫がタマだった。確か二匹共譲渡会でお迎えしてきたのだ。

「タマ、だって・・・無いのに」

 リイナは下顎が地面に到達するんじゃないかと思うくらいに口をおっぴろげている。『無いのに』ってのはなんだよ。偏見だぞ。現におれが昔飼ってた三毛猫は雌だけど『タマ』だったし、ネキの飼い猫もそうだ。それに親戚にもおばさんで『たま』って人いたぞ。

 リイナの反応にツボったのか、モーリとスウィルは彼女の後ろで声を押し殺して大笑いしていた。

 何より驚いたのは、一緒に大笑いしている龍の姫様の姿だった。何となく大人びた感じがしていた今までとはうって変わって、女の子らしい幼げな表情をしている。

 良きことかな。

 何となくそう思ったおれだったが、これから始まるであろうスイーツ争奪戦を想像するととんでもなく気が重い。男子VS女子――人数的には半々だが戦力差は歴然としている。なんせ女子軍には無敵の龍の姫様が付いているのだから。

 












 


 

 



 

 


 

 



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