天樹傘【創作昔話】

片喰藤火

天樹傘

天樹傘

                              片喰藤火


昔々、各地で戦が絶えず、人々が疲弊していた時代。優然(ゆうねん)と言う和尚がおりました。

その年は戦だけでなく、数年に一度かと言われる長雨で各地の川が氾濫し、田畑の実りも腐り、民は飢えに苦しみ、国は酷く荒廃していきました。

都の政では賄賂が蔓延り、私腹を肥やす官吏ばかり。人々の心が荒み、神仏を信じない者達も増えていきました。

 それを見かねて優然和尚は、仏の道を説こうと全国を旅する事にしました。

 旅は厳しいものでした。時には物盗りに合ったり、時には石を投げられたりしました。飢えの苦しみは優然和尚自身も苦しめました。

それでも心優しい人々から施しをもらい、なんとか旅を続ける事ができました。


 季節は巡り、次の年の夏の終わりに、とある寂れた村に辿り着きました。

 この年も雨に苦しめられ、この村も他の村と同じように家屋はぼろぼろで、田畑は荒れ放題。秋の収穫は見込めそうになく、この村も死に絶えてしまうだろうかと思われました。

 しばらく村を歩くと、村外れに鳥居が見えました。小高い丘にある神社のようで、鳥居を潜ると石段が続いていました。

 石段を登りきると、粗末な造りではありましたが立派な社がありました。

――神仏混淆。神も仏も民の為にある。

 そう思った優然和尚は熱心に祈りました。

祈った後に社で一晩を明かさせてもらおうと思ったものの、社は小さく、雨宿りもできそうにありません。それに社で雨宿りをするのも罰当たりだと思い、どこか雨を凌げる所で野宿をすることにしました。

 階段を降りて一回りすると、丘の裏手に木の根が剝き出しになっている所がありました。土砂が崩れて流されたのかしたのか、そこが洞のようになっていて雨風が防げそうです。

 ――今日はここで夜を明かすか。

 ちょうどよく乾いた石もあり、そこに腰かけて一息つきました。そして懐から椀を取り出し、施しで貰った湿気った糒を入れて雨水で戻し、それを啜ろうとした時、ふと隣に童が立っていました。

 びくりとして和尚は童を見ました。

 童にしては大人びた容姿で、雨の向こう側を見るように遠くを見つめていました。

「お主も雨宿りか。腹が空いているならこれをやろう。」

 優然和尚は啜ろうとしていた椀を差し出しました。

 童はくくくと薄ら笑い、片目を釣り上げて優然和尚を睨みました。

「施しを貰うのはお前の方だろう。」

「いや、拙僧はまだ我慢できる。それに食わねば大きくなれんぞ。」

 童は優然和尚の差し出した椀を手に取らず、再び前を向きました。

 優然和尚は何やらおかしい童だと思いながらも、差し出した椀を戻して自分で啜りました。

 椀を懐に仕舞った時、大切な経文が無い事に気が付きました。物取りに合ってもこれだけは盗まれまいとしていた大切なものです。

 童を見ると優然和尚の経文をいつの間にか持っていました。

「これ、返しなさい。」

 童は和尚の言葉を無視して経文をぱらぱらと捲っています。

 取り返そうとすぐ傍にいる童に手を伸ばしても何故か手が届きません。優然和尚は座っていた石から立ち上がって何度か経文を取り返そうとしましたが、ひょいひょいと躱して返そうとはしません。

「童の姿をした鬼めか?」

「鬼か。鬼だとしたらどうする。殺して奪い返すか。」

 童は経文をひらひらとひけらかしてにやにやしています。

 優然和尚はむっとして怒りを覚えましたが、ふとその童の行動が奇妙に思えました。物取りなら取った後すぐに逃げるようなものだからです。

 訝しみながら和尚は問いました。

「鬼だろうと何だろうと悪戯に殺すなどと言うものではない。お主は何者じゃ。」

 童は問いには答えずに和尚に言いました。

「教えなど、今を生きるので精一杯の者達に一体何の役に立つ。」 

「希望が無ければ生きる気力まで奪われてしまう。念仏で少しでも安心させてやれるのなら、それだけでも意味はあろう。」

童は溜め息をついて木の根の洞から出て空を見上げました。

「日照りが続けば雨を降らせよと人は言い、雨が降り続ければ降るなと人は言う。」

「天候は人には如何様にもできぬ。だからこそ祈り、願うのじゃ。」

「神も仏も人が創り出したもの。だが天も地も人には創り出せん。この雨もな。だが人はこの雨すらも穢すことは出来るようだ。くだらない戦ばかりで空にまで死臭が蔓延っておる。それとも人は戦をする事を願っておるのか。」

「人々が仏の教えを正しく行っていけば、何れ戦の無い世も訪れるであろう。そうすれば天災にも皆で協力して備える事が出来るやも知れぬ。」

童は優然和尚の事を鼻で笑った後、経文を指でなぞりました。

すると経文が光り、金剛杵に変化しました。

童がそれを手に取り天へと掲げると、優然和尚の周囲の景色が落ちていき、一面の青空が広がりました。

景色が落ちていったのではなく、優然和尚が空へ飛ばされたようです。

 和尚はふわふわと浮いていて、上も下も分からずに手足をばたつかせていました。

――一体何が起こったのだ。

「天の理」

 逆さまのまま、声の方へ振り向くと、先ほどの童が和尚を見下ろしていて、その遥か後方に巨大な大樹がありました。

「な、なんだあれは。」

「まぁ見ておれ。」

 童が金剛杵を雲へ振り下ろすと雷が飛び出して、雲全体に広がりました。雷が止むと雨雲がもわもわと動きだしました。どうやら遠くにある巨大な樹の根がどんどんと雨雲を吸い上げているようです。


優然和尚はあまりに突拍子もない出来事に言葉を失ってしまいました。

 空と大地を遮っていた雲が一切無くなり、青く澄み渡った光景が広がりました。

 その光景に見惚れていると、ふっと体が落ちていきました。

 急降下して地面にぶつかる瞬間、目をぎゅっと瞑りました。しかし、地面とぶつかった衝撃がありません。

恐る恐る目を開けると、優然和尚は元の洞の石に座っていました。

 隣には童が何事も無かったかのように立っていて、童が持っていた金剛杵も経文に戻っていました。

 そして童は経文を呆けている優然和尚に投げつけました。

「念仏で腹は膨れんぞ」

 そう言い捨てて、童はぽたぽたと雫が垂れる洞から出るとふっと消えてしまいました。

 童は天候を操る八幡様だったのか、はたまた金剛杵を操る帝釈天様であったのか。と、考えを巡らせながらも、天気が晴れた事に感謝し、その木の根本で熱心に祈りました。

 その後、優然和尚はこの出来事を村人達に話しました。けれども村人達は和尚の言う事を信じず、馬鹿にしたり笑ったりしました。

しかし、荒れ果てた田畑が蘇り、秋には大変豊穣となったので、和尚の言っていたことは本当だったのではないかと思うようになりました。村人達は飢饉でお供え出来なかった事を悔やんでいたので、この年は沢山のお供え物をしましたとさ。

 以来、和尚が雨宿りした木を天樹傘と言い、長雨に苦しめられた時は、この木の根の下で「糒を雨水で戻して啜ると空が晴れる」という伝説が下総国臼井庄古牟呂村に言い伝えられているそうです。



──おしまい――


船橋市小室町にある八幡神社の裏手にある帝釈天の祠の近くにある木の根をネタにしました。

(注意)この物語はフィクションです。

    雨水はそのまま飲まないでください。


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