第3話

 彼女は何も言わず固まってしまっていた。ショックだったのだろうか、と思い俺から説得を試みようとしたその時、ようやく喋りだした。


「あっれ、前はちゃんと涙出たのになぁ〜」

「嘘泣きの練習とか暇かよ」


 演技は失敗に終わったが、とんでもない奴だ。

 恐らく、彼女は俺の事が好きなのだろう。何故、そうなのかはわからないが、許嫁というものに憧れでもあったのかもしれない。


 俺だって、好かれて嫌なわけでは無い。でも、同棲は別だ。一緒に暮らすというのは、互いに気遣って生きて行かなければならない。今まで恋愛経験0人のひよこ、ぴよぴよ~である俺が、そのストレスに耐えられる自信がないのだ。


 そう、彼女と俺の決定的な違いはそこだ。

 俺は彼女を好いていない。気楽に話せる友達程度には頑張ればなれるかもしれないが、キャラが火を見るよりも明らかに違うので難しいし、そうなるまでにそれだけの時間を弄するだろう。


「君が俺の事を多少すっ……好きかもしれないのはわかったけど、俺が拒み続けたらどうせ他の男を好きになる。そんな時、俺は邪魔だろう」

「大丈夫。空くんが私を好きになってくれればいいし、拒み続けても、他に靡いたりなんてしないのだから」

「そこまで肝が据わっているなら、これ以上は言わない。だけど、一緒に暮らすといっても節度は守ろう」

「あっ、家事は全部私がやるね?」

「君無しでは生きていけなくするような策には嵌まらない。家事は分担だ。疲れて君が倒れたらどうしようもなくなるだろ」

「えっ……ときめいた! そんな気遣いも出来るんだぁ~」


 冷静に問題点を洗い出していたら、心配していると思われたらしい。

 彼女の中ではどんな事でも愛情へと脳内変換されてしまうのかもしれない。


 ポジティブ思考なのは嫌いじゃない……が、煮込みすぎて水分が全て蒸発してしまう鍋のように加熱してしまうのは悪癖としか言えない。


「家事は、偶数日が俺、奇数日が君で分けよう」

「私、味にうるさいけど、肥えた口に合う料理を作れるの?」


 料理について心配なのだろうか。ナチュラルに失礼だが、事実を盾に言うじゃ無いか。

 だが、俺が何の対策も無しに一人暮らしを始めようとしたわけがない。きちんと自分が満足できる程度には作れる。


「そこまで言うなら今日振る舞ってやるから、それでダメなら仕方ない」

「上から目線に『振る舞ってやる』だなんて、私以外の女の子にモテないぞ〜」

「……その通りだ。是非食べて頂きたいです」

「ふふん、よろしい」


 自分が上からなのは良いのか、ご満悦の様子だった。


「洗濯物は、私のも洗いたいの?」

「あー、問題か。そういった事気にする年頃だよなぁ~」

「ちょい待った。なんか言い方が経験者っぽい!」

「経験者だよ。妹の……を洗った事がある」


 俺には妹がいる。乱暴ですぐ兄に対して蹴ってくる無愛想な妹が。そう、以前俺は腹いせに洗い物を干してやったのだ。


 そのあと滅茶苦茶蹴られたが、正直女子の下着にだって何も思わない。

 あれは家族のものだったから、そうなのかもしれないが、あの時の傷は俺の自信になった。


「……シスコン!!」


 滅茶苦茶ドン引きされた。

 誤解だけど、もしかしたら誤解のままにしておく方が良さそうだ。俺は訂正しなかった。


「……もしかして気にしていたの? 妹の洗ったこと」

「なっ!?」


 どうしてバレたんだ。俺のパーフェクトポーカーフェイスは見破られていたらしい。


「何故わかった。エスパーか」

「嘘吐く事下手でしょ〜。でも、わかった。本当に洗濯物は私一人でやった方がいいよ。意識しちゃうでしょ」

「意識されたかったのだろ?」


 妙な結論だ。感情がチグハグしていて真意が伝わってこない。それと、俺は自分で言うのもなんだが、嘘が得意な方だ。見くびらないでもらいたい。


「ごめん、やっぱり恥ずかしい!」


 そうだろうなあ! 幾ら堂々と俺のことを好きと言ってきても、口先だけでは限界が出てくる。

 まあそうでなければ、他人に下着を見せたい痴女なので少し安心もした。


「わかった、洗濯物は譲ろう。代わりに掃除は引き受ける。任せろ」

「もう、しょうがないにゃ〜」


 どうぞと譲ってくれるのは、率先して家事をして身を粉にしたいとかそういった理由ではなく、本当にやりたくなかったのかもしれない。

 妥当な判断だろう。元々、女子に汚い部分を掃除させたくないという、義務感があった。


 断じて、下心ではないと断っておこう。小さい頃、色々あったのだ。

 彼女も、お嬢様であるならそういった家事に不慣れだろう。ん? 料理大丈夫だろうか。俺の方が心配になってきてしまった。


「それじゃあ早速、行こっか」

「何処へ? いや待て、買い物なら俺一人で行く」

「料理は出来上がってからのお楽しみ?」

「そういうことだ」

「なら、仕方ないね。楽しみにして待っているね」


 妙にハードルが上がったが、素直に従ってくれるのはありがたい。


「じゃあ行ってくる。あっ、お金……」


 生計は分担だし、お金も別々だよな。


「あっ、先に伝えるべきこと忘れていた。共通資金あるからこれ使って」


 そう言ってクレジットカードを渡された。凄く使いにくい。

 しかし、やけに急かすが何か理由があるのだろうか。行こうとして彼女の顔を見ると、視線が俺の部屋へ向いていた。


「ああそうだ。部屋の鍵閉めるのを忘れていたね」


 態とらしくそう言って俺は部屋の鍵を閉めた。

 俺がいないうちに部屋を漁るつもりだったな。排他的不可侵領域とはなんだったのか。


 彼女の顔色を一瞬伺うと、目をうるうるっと涙ぐませていた。目薬か?

 そんな甘え方で素直に言うこと訊いてくれるのは年取ったおじいちゃんだけだぞ。

 それはおじいちゃんに失礼だっただろうか、俺は彼女のおじいちゃんなんて知らないのだし。


「じゃあ行ってきます」


 表情だけで物言いたげな彼女を残して俺は出かけた。

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