QRコードと彼女と僕

千石綾子

QRコードと彼女と僕

 QRコードを見ると、つい読み込みたくなるのは僕だけだろうか。ジュースのラベル、コンビニのレシート、スーパーのポスター。僕にとっては何かお得な情報が詰まっている魔法のコードなのだ。

 僕は結構運が良い方で、クジでスイーツがタダでもらえたり、ポイントが貯まったりとお得な体験も多い。


 QRコードってのは結構面白くて、木陰や猫の模様、洋服の柄なんかにもカメラが反応することがある。もちろんそんなものを読み込んでも何も起きないんだけれど、何か面白い事が起きるんじゃないかと思って、ついついカメラが反応した画面をタップしてしまう。



 今日は彼女と待ち合わせで、渋谷のハチ公前で時間を潰していた。遅刻にはうるさい彼女なので、僕は30分は余裕を持って待ち合わせ場所に行くことにしている。ずっと好きで、片思いだった彼女とようやく付き合うことができたのだ。遅刻でフラれたりなんかしたら目も当てられない。


 とはいえ、今日は1時間も早く着いてしまった。僕はスマホのアプリゲームをやったりSNSを覗いたりして時間を持て余していた。そして、何気なくハチ公に目をやると、僕は違和感を覚えた。

 

 何だろう。何か違う。ハチ公は相変わらずハチ公だ。片耳を下げてちょこんと座っている。しかし──。


「マジかよ」


 僕は思わず呟いてしまった。近くに立っていた女の人が気味悪そうにこちらを見た。いや、あんたに言ったわけじゃないから。

 よく見ると、ハチ公の鼻のところに傷がついている。ただの傷じゃない。QRコードだ。ハチ公の鼻にQRコードが彫ってあるのだ。いたずらにしては酷い。

 でも、僕は内心ワクワクしていた。一体なんのコードなんだろう。僕の悪い癖が出てしまった。QRコードを見ると読み込まずにいられない、癖が。


 僕はスマホをハチ公の鼻に向けて、パシャリとコードを読み込んだ。すると……。ブラウザが立ち上がり、見たことのない文字が大量に羅列されていった。そしてスマホの画面が眩しいくらいに輝き始めた。僕は眩しさにぎゅっと目をつぶった。



 目を開けると、そこは砂浜だった。白い砂がまぶしく、空は青い。辺りを見回しても人の姿は見えない。こんなに綺麗な砂浜なのに、人っ子一人遊びに来ていないなんて。

 いやいや、そんなことよりどうして僕はこんなところにいるのだ。さっきまで確かに渋谷の雑踏の中にいたのに。


 時計代わりのスマホを見た。さっき表示されていたブラウザは閉じられている。時間は全く経っていない。浦島太郎になったわけではないらしい。

 それよりも、嫌な予感は的中。電波は全く入っていない。圏外ってやつだ。どこだ。ここは一体どこなんだ。

 頬を叩いてみたが、悪い夢でもないらしい。こんな状況だけれど、僕がまず一番に心配したのは、彼女を待たせてしまう事だった。次にハチ公前に帰る方法、帰れなかった場合に食料や水をどうしようかという事。僕は自分が意外と冷静なことに驚いた。


 ダメ元で、彼女へのメッセンジャーを立ち上げて文字を打った。


『変な砂浜にワープしたみたい。嘘じゃないよ。戻れるかどうかも分からない。ごめんね』


 送信はエラー。ため息をついた僕のスマホが、また光り出した。僕は眩しくてまた目を閉じる。


 聞こえてくるざわめきに歓喜しながら目を開けると、僕はハチ公の前に立っていた。やった。戻って来たんだ。ほっとため息をついた時、僕のスマホがぴろりん、と音を立てた。彼女からのメッセージだ。


『早めに着いたよ。今ハチ公前。何か変なQRコード見つけちゃった。ユウトくん好きそうだから来てみて』


 僕は蒼ざめた。僕の悪い癖が彼女にもうつって、彼女もQRコードを見ると読み取ってしまうんだった。僕の勘が正しければ、今頃は彼女もあの砂浜に飛ばされているはずだ。僕は彼女にメッセージを残した。


『ミカちゃん、今から行くからそこ動かないでね』


 僕はまた例のコードを読み取る。スマホが光ってまたあの浜辺に戻って来た。


「ミカちゃん!」


 叫んだけれど、彼女の姿はない。でも、彼女のものらしきパンプスの足あとが浜辺に残っている。どういうことだろう。

 暫く考えた後、僕は昔読んだ話を思い出していた。


 小瓶に閉じ込められていた男を助けたら、助けた男が今度は瓶に閉じ込められる。他の誰かが身代わりに入らないと一生瓶から出られない。


 僕とミカちゃんは今まさにその状態なんじゃないだろうか。どちらかがこの砂浜に置き去りにされればどちらかは助かる。ならば僕がここに残って──。


 再び賑やかな音を聞きながら僕は絶望していた。きっと今頃彼女はあの砂浜で……。


「ユウトくん、大丈夫?」


 へ? と僕は彼女に向かって思い切り間抜けな顔を見せていた。


「だ、大丈夫だけど……どうして戻ってこれたんだろう?」


 さっきの仮説は間違いだったのか、と胸をなでおろしていたら、彼女がにっこりと微笑んだ。


「どうしようかと思ってたら、しつこいナンパ男がいてね。これ、私の連絡先だから、って教えてあげたの」


 彼女が指差していたのは、もちろんハチ公の鼻のコードだった。


「今日も遅刻はしなかったわね。ギリギリだったけど、事情が事情だから許してあげる」


 彼女はあの砂浜の太陽のように、にっこりと笑った。僕は彼女を怒らせるようなことは決してしない、と心に誓った。


 そして、一生QRコードを読み込むこともしないだろう。



               了


(お題:スマホ)

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