先輩と後輩

葉山さん

第1話

 雨が降りしきる放課後。

 図書委員である俺は読書をしていた。

 日ごろから使われていない図書室ではあるが、雨の日ぐらいは時間を潰すために他の生徒が図書室を利用するものだと思っていたのに、誰も来ない。

 静かな時間が流れる。


 「先輩、暇なので何か面白い話をしてください」


 そんな声が俺の背後から聞こえてくる。

 俺と同じ図書委員であり一つ下の女子生徒――鈴原すずはらだ。

 本の出し入れの作業から解放された彼女は、俺の隣の席に座る。


 「暇って。なら、来なければよかっただろ?今日は俺一人でも十分だったんだから」


 俺が本に視線を落として指摘すれば、となりから突き刺さるような眼差しを感じる。

 冷ややかなジト目。美人ではあるが、クールな性格であるため人を寄せ付けないオーラが出ている。怖いからやめて欲しいのだが。

 俺はため息を吐く。


 「面白い話ねぇ。日々の生活のなかで他人を笑わせるほどの現象にはそうそう遭わないもんだぞ?」


 「いいから、何か話してくださいよ」


 「困った後輩だ。……ええと、ああ、それじゃ、先週の話でもしようかな。その日も今日みたいに誰もいない放課後を過ごしていたんだけどな。俺と同じ当番だったある後輩が本を読みながら居眠りしてたんだ。それはもう、気持ちよさそうにな。無防備な奴だな、と思いながらある事を思いついたんだ」


 その時のことを思い出して俺は小さく笑う。


 「おもむろに筆箱から水性ペンを取り出して、その後輩の額に『肉』と書いたんだ。そしたらさ、そいつ全然気づかないでそのまま家に帰っちゃって。……いやぁ、本当悪いことしたな、俺……」


 あはは、と一人笑えば、ただでさえ雨のせいで肌寒い室内が一気に寒くなったのを感じ取ってしまった。

 視線は自然と隣へ。

 セミロングの黒髪が大きく揺れ、性格を表したかのような瞳が俺を射抜く。

 ガダッと椅子を後方に倒しながら立ち上がる鈴原。

 鈴原は俺に掴みかかろうとしてくるが、俺は何とか寸前で止める。

 お怒りのようだ。


 「やっぱり、先輩でしたか!私、家に帰って自分の部屋で気づいたんですからね!帰り道、妙に視線が突き刺さるなと思ってたんですよ!私がどれだけ家で悶絶したか分かります!?土下座してください、先輩!謝ってください!そして腹切ってください‼」


 俺の首根っこに掴みかかろうと躍起になる鈴原。

 俺も負けじと応戦する。


 「ははーん、ざまぁみろ!この前、俺にやったことのお返しだ!というか、お前は油性ペンで肉以上の事を顔に書いただろ。水性で!しかも一文字しか書いていない俺に感謝すべきだね!」


 「何ですかその言い分!先輩は車で帰っていたからいいじゃないですか。私は家までの道のりでどれだけの人に見られたと思ってるんですか!もう、お嫁にいけないんですけど!」


 互いに腕を掴みあいながら睨みあう。

 拮抗状態が続く中、俺は冗談交じりに口を開いた。


 「なら俺がもらってやるよ」


 「へ………?」


 そんな普段では信じられないような間の抜けた声が後輩から漏れた。

 嘘のようにちからが抜けた腕。数瞬見詰めあう。一気に紅潮する鈴原の表情。


 「な、ななななな、何を言っているんですか!?いきなり!馬鹿じゃないですか!?」


 そんなことを顔を伏せながら言うもんだから、下から様子を窺えば顔真っ赤な頭突きを食らう。


 「……っ!何すんだよ」


 「先輩が変なこと言うからですよ!」


 「悪かったよ。変なこと言って……」


 体勢を直し、本に手を掛ける。


 「でも……当番でもないのに手伝ってくれるし、休み時間に話しかけたり、一緒に帰ったり、無防備な姿を晒すし……俺でも変に勘違いしちゃうよ……」


 小声でそんな言葉が出てしまう。いくら小声でも誰もいない図書室であれば、鈴原の耳朶に届くわけで。


 「別に勘違いじゃないですよ……」


 椅子を立て直し、俺の隣で本を開いた鈴原がそんなことを言ってくる。ちらちらと俺を見ながら。


 「―――――‼」


 「な、なんですか。その顔は。あと、恥ずかしいのでこっちを見ないでください」


 本で顔を隠す色白の鈴原の耳は真っ赤に染まっていた。


 「そ、そうか。えっと…それってつまり……」


 「先輩のことが好きってことです。……言わせないでくださいよ……」



 穏やかな時間が流れる放課後。

 いつのまにか室温が上がっているのは、きっと雨があがったせいだろう。

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先輩と後輩 葉山さん @anukor

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