『この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません』

@ikune-tensui

壁ジャン

「送ってくよ」


ネオン煌めく繁華街。この、欲望にまみれた大人の社交場において、二人の男女がいま、その一歩を踏み出した。


「さっきも言ったけどさ、あんま気にしなくていいって。10-0で向こうが悪いんだから。ダメでしょ。なんでも否定から入る奴なんて」


この男、つい先日成人したばかりのルーキーであるにもかかわらず、これまでの経験から、慰めは相手の心を開く、という真理に到達していた。さすが、学部の女友達からは「聞き上手」、男友達からは「百戦錬磨」と称されるだけのことはある。こうしている間にも、彼の携帯は他の「ターゲット」から、「会いたい」や「いま何してる?」といったメッセージを受信しているのだった。無論、受信通知が画面に表示されぬよう、設定は変更されている。そういった手間を惜しんで、目の前にあるチャンスをみすみす逃すような人種ではない。


「ありがと、そうだよね。うーん、でもメンヘラだから気にしちゃうなぁ」


「じゃあ、今日はとことん聞くよ」


男が言ったちょうどその瞬間、女が住むアパート前に二人は到着した。言うまでもなく、タイミングの一致は偶然生まれたのではなく、この男によって周到に計画された代物である。三国時代に活躍した知将、諸葛亮孔明の遺伝子は、時空を超えこの若者へと受け継がれたのかもしれない。


「うん。きいて」


そこから先は男の目論見通り、愛のメシアが降臨し、二人の営みに祝福をもたらす格好となった。「雑煮を食う」なんて俗な言い方もあるがともかく、女が月6万5千円でその使用権を得た水洗便器へ向け、この男はいま精液の入り混じった小便を放出している。この、平時よりもやや粘度を増した小水に対し、男は愛と尊敬の念でもって「ポタージュ」と名付けているわけだが、その事実を知る者は誰もいない。それだけでなく、この状況下にあってなお、ダイニングテーブルに置かれたポタージュの粉末を、明日の朝食として頂く算段をつけているのだから、この男はたくましい。


「明日さ、授業サボんない?」


リビングへ戻り女からこのような誘いを受けた男は、本日初めて追い込まれた。というのも、前述した通り、男の携帯には今なお多くの「ターゲット」からメッセージが届き続けているわけで、明日にはまた別の相手とともに、メシアの雑煮を食わねばならない。しかし、授業が始まるのは午後の4時半。つまり、それまでは目の前にいるこの女と行動を共にしなければならないというわけだ。


「うん、いいよ」


男は意に反して、このような返答をせざるを得ない。ただし、間違っても明日の雑煮を諦めたのだと合点してはいけない。繰り返しになるが、男は令和の諸葛亮。明日はきっと我々が思いもよらぬ手段でもって、この窮地を脱してくれるに違いない。そう思っていたのだが。


突如発せられた隣人からの音(サウンド)によって、この予想は大きな修正を迫られる。スピーカーから流れ出るメロディと、雑煮の咀嚼音とが、隣人より発せられる音(サウンド)の紋切型として、その地位を確立しているわけだが、今宵はそのどちらにも属さぬ第三項が、名乗りを上げた。


話は逸れるが、全く咀嚼音を漏らすことなく、雑煮を平らげてしまう者をして、「マグロ」と称するカルチャーに対し、意を唱える原理主義者達がいる。主張としては「我々はあら汁を食っているのではない」というわけだ。言われてみれば、なるほど筋が通っている。言葉の運用に関して、人間は多かれ少なかれ、思想信条を抱えているわけだが、そのエクストリームなサンプルとして、紹介に値する。


話を戻そう。我々が耳を傾けるべき音(サウンド)は、床を踏み鳴らす規則的なリズムと、時折思い出したように繰り出される、なんとも形容し難い掛け声によって構成されている。無理を承知でこの掛け声を喜怒哀楽に当てはめてみるならば、喜と楽の混合とでも言おうか。要するに、隣人はおそらく踊っているらしい。


部屋の主、要するにこの場における一番の事情通である女は、まるでちり紙をポケットに入れたまま洗濯機を回してしまった時に漏らすような、慣れを含んだため息とともに、天を仰いだ。


「よりによって今日かぁ。ヤバくない?隣の人たまに踊るんだよ」

「えーマジで?てかなんで?」

「いやホント謎。てか会ったことない。意味わかんないよね。マジで迷惑なんだけど」

「うん、マジで迷惑だね。やっばぁ、苦情とか入れた?」

「言ったけどさ、無駄だったよね。苦情ってさ、言われる側が聴く気ないと意味ないんだよね。てか大家も全然動かんし。詰んだわ。もう向こうは無敵だから、なんかずっと居座ってるらしいよ。不動産屋に騙されたわ。マジムカつかない?」

「うん、マジムカつくねそりゃ」


「今どきの若者は侘び寂びを忘れちゃって、残ったのはマジだけですよね」と、とある知識人が思想誌で述べていたが、その対談を思い起こさせるようなやりとりだ。対談からは、明らかに「今どきの若者」を揶揄するような意図を感じた。しかし、仮にあの知識人が述べた、「マジしかない若者」という前提が正しいとしても、個人的に絶望を覚えることはない。マジしか残されてないということは、それだけで現実(リアル)に立ち向かっていることを意味するからだ。


その証拠に、現在を生きるこの女は、誰からも助けを得られぬと悟るやいなや、自ら現実(リアル)と対峙する方針を打ち出したのだ。女は押し入れから小さなジャンベを取り出した。


「アフ研の先輩が貸してくれたんだよね。だったら対抗しちゃいなよって言ってくれて」


アフ研とはアフリカ研究会の略称で、ジャンベとはアフリカにおいてポピュラーな打楽器の名称だ。情報技術が発達した現代に於いて、検索すればその形状を秒で把握できるわけだが、その労力すら惜しいと撥ねつける向きには、とりあえず小型の、手で叩く太鼓を想像してもらえば良い。


女は、ダイニングテーブルの椅子を壁に向け、そこに座ると両脚でジャンベを挟んだ。服装はピーチ・ジョンのキャミパンツセットのみである。


この時すでに、男の諸葛亮は遥か彼方へと退散していた。人間とは面白いもので、先にたずねるべき事柄は無数にあるはずなのに、男がした質問は、「その格好でやんの?」という至極凡庸なものであった。


「うん、シャワー浴びる前で良かった」


小説というメディアの性質上、この時の演奏を聴かせること叶わず、誠に残念でならない。かろうじて届けられる視覚情報をまとめると、「驚愕」の一言に尽きる。額に汗しながら、前傾姿勢で一心不乱に打面を叩き続けるその手つきから、女がどれだけの夜を、ジャンベとともに乗り越えて来たのかが窺える。


男は演奏を聴きながら、身体中に鳥肌を立てるとともに、これまで味わったことのない嫉妬心を芽生えさせた。考えてもみてほしい。当然ながら女は夜な夜なたった一人でジャンベを叩き続けているわけではないのだ。壁ひとつ越えた向こうには踊り続ける相手がいて、しかも二人は音(サウンド)によって繋がっている。


今や隣室で床を踏み鳴らすリズムと、合間の掛け声、そしてこちらのジャンベとは互いに呼応し、三位一体とでも呼ぶべき構図を作り出していた。一方の男はただ外野にいて、自然と身体が揺れるのを甘んじて受け入れるしかなかった。


そうこうしているうちに演奏は徐々にテンポを上げていき、気づけば絶頂に達していたのである。隣人にとっても、女にとっても、人体の構造からしてこれ以上のテンポアップは望めない。そういう状況になると、あとは根性の問題である。身体中の隅という隅に残されたエネルギーを掬い取ろうとでもいうのだろうか、女は絶叫しながらなおもジャンベを叩き続ける。


そこからどれだけ絶叫は続いたであろうか。少しの間を置き、まるで互いに示し合わせたかの様に演奏は終止を迎えたのである。箱根駅伝を走り終えた走者のように、女は酸欠状態になりながら床へ倒れ込んだ。


間髪を入れず男が携帯に「このトークルームを削除します。よろしいですか?」と表示させたのは、無理からぬことである。


数週間後、都内某所雑居ビルの一室では、定例のレッスンが開かれていた。部屋の中央へ向かい車座になって座る講師と受講生達は、各々持ち寄った打楽器でもって、グルーヴを生み出していた。教室の信条として、受講生にテキストを買わせ、理論を教えるようなことはしない。もっとも、講師のンシア・ンクルマはほとんど日本語を話せないので、土台無理な話ではあるのだが。


ンシアはレッスンの30分前には教室にたどり着き、ひとりでにジャンベを叩き始める。それを合図としてか、徐々に受講生達が顔を見せ始めた。だが、部屋に足を踏み入れたとて、誰も挨拶や雑談を交わすことはない。受講生達はそれぞれのタイミングで、ンシアのリズムへ寄りそい、楽器を叩きだすのだ。


レッスンが始まって数時間が経過した頃であろうか。ンシアは突如として雄叫びをあげる。とあるアパートにてカップルが経験したセッションを読み進めた者であれば、この叫びが何を意図しているのか、容易に想像がつくはずだ。


そしてもし、あの日のアパートと今日の雑居ビル、どちらにも居合わせた者ならば、ンシアに続けと言わんばかりに巻き起こる叫声のなか、聴き覚えのある声色に気を向けるはずである。


そこまで行ってしまえば、狙いの女声がする方向へ視線を送り、見覚えのある男女が、半ば錯乱しながら掌をスナップさせる様を認めるまで、あともう少しである。


あの日の女がそうであったように、言葉など交わしていないにも関わらず、まるで示し合わせたかの様に演奏は終止し、ただ、床に倒れ込む人々の荒い息遣いがきこえるだけとなる。


「お互いさまですね」


レッスンが終わり、三々五々退散する受講生から謝礼を受け取る際、ンシアは決まってそうつぶやく。彼はそれだけ言うと、後はもう何も喋らないので、日本語が不自由なため「ありがとう」という単語を間違えて覚えたのか、それとも意味を十分理解して口に出しているのか、真相を知る者は誰もいない。


話は逸れるが、やはりレッスンの性質上、受講生が持ち寄る楽器は圧倒的にジャンベが多数を占める。中には和太鼓を持参する猛者もいるにはいるが、無論少数派である。ともかく、動物愛護の観点からか、それともコストパフォーマンスの観点からか、昨今は昔ながらのヤギ革ではなく、合成プラスチックを打面に貼り付けたジャンベが勢力を増しつつある。そのためだろうか、両者を区別するため、昔ながらのジャンベをして、界隈では「革ジャン」と呼ばれていることに留意されたい。


話を戻そう。何に戻るかと言えば、他ならぬ男女の関係についてである。あの日以来、男の携帯からバイブレーションは消失し、代わりに自らの身体を振動させることによって、この世と関わりを持つようになった。


そのあまりの変わりように、学友たちは男がドラッグを始めたのではないかと訝しんだほどである。無理もない、授業中のみならず学食の末席でさえ、男は身を揺らしリズムを取り続けていたのだから。しかし、当然ながら男は如何なる薬物にも手を出してはいなかった。なぜなら女と雑煮を食った後、全裸で横並びに座り、壁に向かって執り行われる「シメの壁ジャン」に代わる快楽など、この世のどこにも見つけること叶わなかったのだから。よだれを垂らし、恍惚の表情で朝を迎えた男は、ずっとこのままでいたいと心から願った。


しかしながら、現代資本主義社会が生み出した就職活動という名の呪いは、二人の仲を否応もなく引き裂いた。


「どっか説明会とか行った?」

「いや、どこも行ってない」

「マジで?どうすんの」

「いやなんかやる気がさ」


考えてみれば、女が壁ジャンに対して持つ能動性は、最初から薄かったのである。そもそもの目的からして、はた迷惑な隣人のリズムを受けたリアクションでしかなかった。さらにはその手段であるジャンベさえ、自ら考案したのではなく、他人から与えられたに過ぎない。


無論、壁ジャンやレッスンの最中、女が何ら心を掻き回されなかったのだと言えば嘘になる。しかし、所詮は小さな世界で起きたコミュニケーション。貨幣価値の流れによって万事が(理論上)決定される現代において、就職戦線への招聘が備える強制力は、並大抵のものではない。


なかにはこの女を蔑み、「つまらない」の一言で片付ける向きもあろうかと思う。しかし、それは思慮が浅すぎると言わざるを得ない。女は現実(リアル)だけを見て、マジしかないと述べたこと、よもや忘れたとでも言うまいな。


ピーチ・ジョンにスーツを加え、履歴書を抱えて街中を闊歩する様は、一言痛快である。女は現実(リアル)との闘争者として、アパートを引き払うことにした。


当然とも呼ぶべき帰結として、アパートの借主は男へと交代された。それ以降、男女が顔を見合わせることは、ついぞなかった。


「ごめんね、うちに連れて来なきゃ良かったね」

「謝んないでよ。全然そんなことないって。むしろありがと」

「そっかそっか。うん。じゃあ、もう行かなきゃだから」


部屋に取り残されてから、数分と経たず、男がジャンベを打ち鳴らし始めたのは言うまでもない。もうひとりの奏者が不在であるからだろうか、隣人のステップには初め戸惑いが感じられた。しかし、それもすぐさま雲散霧消し、2人は音(サウンド)で繋がりあったまま、寝食を忘れた。


男が忘れたのは寝食だけではない。学友や保護者、大学事務局、日本学生支援機構等による再三の呼び出しに対し、なんら反応を示さなかった男は孤独死を疑われ、事態は行政が動き出すまでに発展した。


問題のアパートを訪問した職員の証言によれば、異臭を放ちながら無精髭を蓄えた男は、ジャンベを叩き、泣きながら笑っていたという。


それからどれだけの月日が流れたであろうか。東京は港区にあるオフィス街で、女はトレンチコートを着こなしながら、上司からの問い合わせに返答していた。


「あ、はい。報告書なら今日の昼ごろメールで送ってますよ。反応良かったです。結構喜んでもらえたみたいで。イケそうですよ。はい。じゃあ今日はこちらで失礼させてもらいます」


そう言って満足げに通話を切ると、女は待ち合わせの居酒屋へと歩を進めた。そこは下北沢にあるアフリカンバーで、当時ジャンベを貸与してくれた先輩が待っている。


2人は程よく談笑すると店を出て、下北の街を散策した。そして、まるで吸い寄せられるかのように、ディスクユニオンの前で立ち止まったのである。


「懐かしいねぇ。昔はよくディグってたもんねぇ。ちょっと寄ってかない?」


入店した2人が向かったのは言うまでもなく、ワールドミュージックのコーナーである。当時の血が蘇ったか、視野を狭くしてレコードを睨み出した先輩を横目に、女は新譜の棚になんとなく目を向けた。


もし、そこにある一枚が仮に、現地では絶大な支持を誇るパーカッションチームによるものだとしたら、どうだろう。それだけではなく、ケニアの平原にて全編フィールドレコーディングした際に撮られた、集合写真ジャケットの片隅に、見覚えのあるアジア人が見切れていたら、女はいったいどんな反応を見せるだろうか。


いずれにせよ、マジでディグする5秒前。


劇終

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