13

チリンチリンとベルの音が店内に響く。

セルフィルトの開いたドアをくぐりながら音のした方を見上げると、扉の上部に黄金色の小さなカウベルがついていた。

そのまま視線を室内に目を向けると、焦げ茶色の壁紙にアイボリーの絨毯が敷かれた落ち着いた内装のなかで何人かが各々テーブルについてゆったりとくつろいでいる。

「いらっしゃいませ」

 微かに音楽の流れる落ち着いた店内にリッカは緊張感が背筋を上がってきた。

 声のした方を慌てて見れば、白い丸襟の紺色ワンピースにエプロンをつけた女性店員がにこりと笑みを浮かべている。

 ぴゃっと踵を上げてセルフィルトの後ろにさささっと隠れた。

 そしておそるおそる顔を覗かせてみると、店員は特に気分を害した風もなくお好きなテーブルへどうぞと手の平をひらめかせている。

 セルフィルトに背を押されると、リッカは窓際のソファーにまで進み持ち上げられてちょこんと座らされた。

 セルフィルトも向かいに座わるのを見ていると、店員はメニューをテーブルに置いた。

 けれどセルフィルトはメニューには手を伸ばさず。

「コーヒーとアイスを」

「アイスの味はバニラ、チョコレート、イチゴがありますがいかがしますか?」

「だってさ、どれがいい?」

 セルフィルトと女性の会話をぼんやり聞いていたら突然話を振られて、リッカはパチンと目を丸くした。

「ど、どれ、って?」

「アイスの味……って言ってもわかんないか。バニラはまあ、ミルクみたいなもんかな。イチゴはこのあいだ食べたやつ。チョコは……一番甘いやつ、かな」

 どう説明したものかと言ったように片眉を寄せるセルフィルトだ。

「ミ、ミルクは、わか、る。イチゴ、も、わかる、よ」

「じゃあチョコにするか?」

「ち、ちょ、ちょこ?」

 言いにくいそれが何なのかさっぱりわからず首を傾げると、肩までの髪がサラリと頬にかかった。

 灰褐色の瞳がくりくりと丸くなる。

「あまーいよ」

 くすりと口端を上げたセルフィルトの言葉に、思わずあま、あまい……と口の中で反芻したら、たらりとよだれが垂れた。

 慌てて手の甲で拭うと、くっとセルフィルトが喉の奥で笑って店員にチョコでと伝えると彼女も微笑ましそうにくすりと笑ってテーブルから離れていった。

「リッカ、コート脱ぎな」

「う、うん」

 言われてもたもたとコートを脱ぐと、セルフィルトも黒いコートを脱いでいた。

 スリーピースのスーツ姿になったセルフィルトの耳の赤いピアスが照明の光を反射して小さく光る。

 そっと周りを見やると、子供や若い年齢層はいない。

 そして身なりのいい人間しかいなくて、リッカは自分がこんなところにいて大丈夫かとソワソワしだした。

「どうした?アイスならまだだぞ」

 忙しなく周囲を見るリッカにセルフィルトが声をかけてくるが、リッカは違うとふりふりと首を振った。

「ぼ、ぼく、ここに、いて、だい、だいじょぶ?」

 その言葉にセルフィルトがビー玉のような目を向けて苦笑した。

「大丈夫だよ。リッカは今汚れてないし、お金も俺が持ってる。立派なお客さんだ」

「そ、そなの?」

「そう、わかった?」

 ぎこちなくリッカが頷いたとき。

「お待たせしました」

 店員がやってきて、セルフィルトの前には翡翠色のコーヒーカップを。

 リッカの前には繊細な彫を施したガラス製の器を置いた。

「ふわあ」

 思わず感嘆の声が漏れる。

 キラキラと柄の彫られた部分が光る器の上には丸く茶色いアイスが乗っている。

 まったく見たこともないものに、リッカは右から左からと何度も覗き込んだ。

「溶けるから食べちゃいな」

「と、とけ、る?」

 不思議そうに尋ねると、そうそうとセルフィルトが頷くのでリッカは金色のスプーンを手に取った。

 おそるおそるそうっとスプーンを刺し込むと、それを掬い上げた。

 ドキドキしながら口を開けてスプーンの上にあるアイスを口に入れると、ひんやりした感触の次に濃厚な甘さがついてきて一瞬で塊が消えた。

「あ、あ、きえ、きえた!」

 吃驚してはわわと驚いていると、ぶふっと目の前から吹き出す声がした。

 そちらを見ると、セルフィルトがくっくっと楽しそうに笑っている。

「だん、だんな、さま?」

 何故笑われているかわからないリッカが小首を傾げると、笑みを抑えるようにセルフィルトは口元を手で隠した。

「消えたんじゃなくて、溶けたんだよ、くくっ」

「とけ、とけた」

「そう、味は?美味い?」

 笑いをかみ殺しながらセルフィルトが問いかければ、リッカはスプーンを握った反対の手も握りしめてぶんぶんと大きく頷いた。

 飴とも苺タルトとも違う濃厚な甘さは、子供の味覚を虜にするなど造作もない。

「ほっといたらドロドロになるから早く食べちゃいな」

「はわ」

 セルフィルトの言葉に、それはいけないと小さな口に二口目、三口目を入れる。

 そのたびにジーンと味に感動している姿がセルフィルトにはおかしかった。

 最後の一口になって、リッカはじっとスプーンを見たあとセルフィルトに視線を移す。

「どうした?」

 不思議そうに飲んでいたコーヒーのカップをセルフィルトがソーサーに戻すと。

「だ、だんな、さま、たべ、たべて、ない」

 夢中になって食べ過ぎたと、この世の終わりのようにリッカがどんよりとした雰囲気をまとわせる。

 それに藍色の瞳をセルフィルトがキョトンとさせた。

「それはリッカのだから全部食べていいんだよ」

 怒らずに柔らかな声で瞳をしんなりさせるセルフィルトに、リッカは安堵したように小さく息を吐いた。

 そして再び最後の一口が乗ったスプーンを見たあと、ぎゅっと一瞬目を閉じると。

「だ、だんな、さまも」

 はい、とセルフィルトにスプーンを差し出した。

 驚いてセルフィルトがマジマジとリッカを見ると。

「ど、どろどろ、に、なる、から」

 先ほどのセルフィルトと同じことを言って、ずいとさらに身を乗り出す。

 それに口元に拳を当ててセルフィルトは笑いをこらえた。

「リッカは面白いな」

 セルフィルトの言葉に不思議そうに小首を傾げながら、必死にスプーンを差し出すリッカにセルフィルトは笑みをたたえたままそのスプーンを口内に招いた。

 セルフィルトには少し甘すぎるチョコレートの濃厚さが舌上に広がる。

「ん、ごちそうさん」

 唇を親指で拭って礼を言うと、リッカはえへへと満足そうに控えめに笑った。

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