12
「リッカ、出かけるよ」
朝食中。
セルフィルトのその言葉にリッカははぐはぐと食べていた、柔らかくふかふかでバターの風味たっぷりのクロワッサンから目線を上げた。
「ぼ、ぼく、も?」
「そう。むしろリッカがいなきゃ」
セルフィルトが笑う向こうでタグヤが一瞬、主人に視線を向けたが特になにかを口にする様子はない。
「食べ終わったらジュアーと準備してきな」
どこに行くのだろうと思いながら、リッカはこくりと頷いた。
ジュアーが用意した服は緑の石を中心に飾ったリボンを襟に結び、空色のコート。
膝丈のズボンにソックスガーターで止めた黒い靴下とピカピカの靴だった。
そして出かけた先は、ツンとする独特の刺激臭がする真っ白な建物だった。
セルフィルトに手を引かれながら無機質な建物内を歩くと、廊下にある長椅子に並んで腰かける。
きょろきょろと周りを見渡して、リッカは隣に座っている黒いコート姿のセルフィルトを見上げた。
「こ、ここ、は?」
「病院だよ」
にこりと笑ったセルフィルトに、リッカは首を傾げた。
サラリと茶色の髪が流れる。
「ぼ、ぼく、げん、げんきだ、よ」
病院は元気じゃない人が行くところだ。
もちろんリッカは行った事などない。
熱が出ようが怪我をしようが放置されていたからだ。
「今日は予防接種」
「よ、よぼう、せっしゅ?」
聞いたことのない言葉だ。
セルフィルトに続きを求めるように灰褐色の瞳が丸くなったときだ。
廊下の先にある扉から妙齢の女性とリッカより年上の少年が出てきた。
目の前を通りすぎて行く二人を見ると、少年は右腕を押さえながらぐしぐしと泣いていた。
女性の方が苦笑しながら宥めている。
一気にリッカは不安が胸に押し寄せてきた。
「次の方どうぞ」
扉の向こうから促す声に、セルフィルトが立ち上がった。
「行くぞリッカ」
「ふえ?」
立ち上がったセルフィルトがリッカの手を取る。
それに引っ張られて立ち上がると、リッカは扉の向こうへとひやひやしながら連れて行かれた。
室内はさらに独特な臭いがしてなんだか不安を煽る。
「じゃあコート脱いでください」
白い服を着た女性の指示に従ってセルフィルトがコートを脱ぐように言ったので、もたもたと脱ぐと丸い椅子に座らせられた。
そして右腕のシャツの袖をセルフィルトにまくられる。
「はい腕出して」
目の前に座っている、やはり白い服を着た初老の男がにこにこと笑っていたので、リッカは安心して腕を出した。
けれど男が手にしていた注射器に気付き、一気にびくびくと体を震わせる。
針のような細いものが先端にあるが、あれをどうするのだろうと不安になりセルフィルトの方へ振り返ろうとしたが、逆に右腕を固定するようにしっかりと掴まれた。
「ひぎっ」
ブスリと針が刺され薬液の注入される痛みにリッカは短い悲鳴を上げた。
「はい終わり」
針を抜かれると腕にシールを貼られてシャツの袖を直される。
「よし、頑張ったな」
セルフィルトのねぎらいの言葉に、リッカはいまだうっすら痛む腕と注射器を打たれたショックから。
「ひっ……ひっ」
じわじわと灰褐色の瞳の表面に涙が滲み、しゃくりあげだした。
殴られたりする痛みは慣れているが、針を刺された驚きと未知の痛みにリッカは今にも涙をぼろぼろと零しそうになっている。
「あー……大丈夫大丈夫、もう痛いのは終わったから」
コートを手早く着せられひょいと抱きかかえられて、宥められる。
軽く会釈して治療室からセルフィルトが出ると、そのまま出口へと歩き出した。
「うえ、ひっ」
「うーん」
いまだしゃくりあげるリッカに、セルフィルトが苦笑する。
自分は注射で泣くような可愛げはなかったなと思いながら、ぽんぽんとリッカの背中を叩いた。
「ほらリッカ、もう大丈夫だから。頑張ったご褒美にアイスを食べに行こう」
「あい、あい、す?」
また知らない単語だ。
さっきの予防接種の恐怖にリッカが身をすくめるが。
「そ、冷たくてあまーいもの」
甘いはわかるが冷たいとはどういうことだろう。
セルフィルトの説明に、とりあえずさっきのような痛い事はないらしい。
リッカはしゃくりあげるのをなんとかこらえて、小さく頷いた。
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