第9話
午後までセルフィルトが仕事だというので、タグヤにリッカは屋敷内を案内されていた。
長い長い廊下を上に行ったりくねくね曲がったりしていると、メイドがテキパキと動き回っている姿が見える。
その姿を見る限り、手伝いなんて必要なさそうだ。
広い庭も綺麗に手入れがされていて、確かにリッカがなにかする余地はないように見える。
「だ、だんなさま、はお金持ち、なの?」
きょろきょろと広い廊下をタグヤについて行きながらおずおずと尋ねると、タグヤが立ち止まってリッカへ向き直った。
おもわずぴゃっと肩を跳ねさせるが、睨まれたり冷たい目で見られたわけではないので怖くはない。
「代々富豪の実業家ですが、旦那様の代で事業をかなり拡大しました」
「ふ、ふごう?」
よくわからない説明にこてんと首を傾げる。
「とりあえず金は持ってるってこと」
後ろからの声に振り向けば、セルフィルトが仕事を終えたのか悪戯気に笑っていた。
「旦那様、その表現は下品ですよ」
「リッカにはこの方がわかりやすいだろ」
タグヤの言葉にセルフィルトが肩をすくめる。
「お、おし、おしごと、は?」
「区切りがついた。タグヤ、午後からキッケルとメリッサが来るから」
「かしこまりました」
後半はタグヤに声をかけると、執事は恭しく頭を下げる。
「昼食にするぞ」
食堂に向かって歩き出したセルフィルトに慌ててついて行く。
食堂で定位置になった席に座ると、さっと料理が手際よく並べられていく。
セルフィルトの前には魚料理が置かれたが、リッカの前には白にミモザの花の絵が描かれた深皿におかゆが入っている。
けれど、ほかほかと湯気をたてる真っ白なそれは、リッカにとってはハンバーグと同じくらい魅力的だ。
しかしリッカはスプーンをなかなか取ろうとしないので、セルフィルトが苦笑した。
「食べがいがないだろうけど我慢な」
「う、ううん、おいし、そう」
食べていいのかなとちらちらセルフィルトを見ると、唇に弧を描いて食べなと言われたのでリッカはそっとスプーンを手に取った。
ふわりと柔らかいおかゆを掬って、おそるおそる口に運ぶ。
「あふっ!」
ぱくりと口に含んだ瞬間、熱さが舌に乗ってビリリと痛みが走った。
「あふっあふふ!」
じわりと涙目になると、はふはふと息を吐きながらなんとか飲み込む。
あまりの熱さに味などわからなかった。
「いきなり食べるから。ほら貸して」
スプーンを渡すように言われてその骨ばった大きな手に、リッカには大きいスプーンを渡すとおかゆを掬い上げて、ふーっとセルフィルトが息を何度か吹きかけた。
「ほらあーん」
「あー」
スプーンを口元に運ばれ、言われたとおりに口を開けると今度は適温のおかゆが舌の上に乗った。
もむもむと咀嚼すると、優しい米の味に少しの塩辛さがあり口の中に幸せが広がっていく。
「美味い?」
ぱっと目を輝かせたリッカに、ふっと面白そうにセルフィルトは笑みを浮かべた。
こくこくと頷くリッカにスプーンを渡してやると。
「覚ましながら食べな」
セルフィルトもナイフとフォークを手に取り、綺麗に魚を切り分けて行く。
リッカは言われたとおりにふーふー息を吹きかけながら、もともと量を少なめに盛ってあったお粥を完食した。
「おなか、あ、あったか、い」
ぽかぽかとする腹を両手でおさえると。
「そりゃよかった」
セルフィルトも食事を終わらせてナプキンで口元を拭っていた。
「昼は客が来るから広間に行くぞ」
椅子から立ち上がったセルフィルトに頷いて、よじよじと座っていた椅子からぎこちなく降りる。
この家の家具はリッカにはまだ背丈が足りなくて大きいのだ。
扉をメイドが開けて食堂を出ると、また長い廊下を歩き出す。
すると、前方からタグヤが歩いてきた。
二人の前まで来ると一礼する。
「キッケル様とメリッサ様が到着されました」
うんとセルフィルトが頷くと、リッカの手を取ってゆっくり歩き出す。
セルフィルトはお客とやらに会うのではないだろうかと、リッカはことりと首を傾げた。
「ぼ、ぼく、も?」
「ああ。というかおまえが主役だ」
セルフィルトの言葉に、訳が分からなくて灰褐色の目をパチクリさせる。
セルフィルトの手に引かれるままに廊下を歩き、着いた部屋の扉をタグヤが開く。
扉をくぐると、その部屋は衝立がある以外は、家具という家具はなくただただ広い部屋だった。
そしてたくさんの大小さまざまな箱が中央に置いてあり、二人の見知らぬ男女が二人。
「まったく、急に子供服を用意しろなんて言うから何だと思ったぞ」
男の方が腰に手を当てて口を開いた。
二十歳すぎくらいの、長身でがっしりとした体が服の上からでもわかる男だった。
黒髪に黒目の顔は、どことなくセルフィルトに似ている。
その隣にいる女性は十代後半くらいだろうか。
動きやすそうな桃色シャツにズボン姿で、ゆるく巻いてある淡い金髪がよく似合っていてたおやかな雰囲気だ。
「その子か?」
「ひゃっ」
ちらりと見降ろされて、思わず声が出てしまう。
太い眉と男らしい顔立ちに思わずリッカはセルフィルトの後ろに隠れた。
「お前顔怖いんだから、もうちょっと優しく話しかけな」
「顔は仕方ないだろう」
セルフィルトの言葉に男が苦虫を噛み潰したような顔をする。
「リッカ、こいつは俺の弟のキッケル」
そっと背中を押されて前に出された。
おそるおそるとキッケルを見上げれば。
「キッケルだ。君の服を持ってきたぞ」
案外と優しく笑みを浮かべた。
気性は外見より穏やかな雰囲気だった。
「お、おとう、と?」
「そうだ。こっちはうちの従業員」
ひとつ頷くとキッケルは隣の女に目線を向けた。
「メリッサよ、よろしくね」
腰を折って顔を近づけにっこりと笑みを浮かべたメリッサに。
「リ、リッカだ、よ」
精一杯、リッカは自己紹介した。
「しかし、拾ったなんて犬猫じゃないんだぞ」
呆れたようなキッケルの言葉に。
「そんなつもりはないって」
セルフィルトが肩をすくめる。
「リッカ、キッケルは服飾店をやってるんだ。お前の服を持ってきてもらったから」
「ふ、ふく?」
セルフィルトを見上げれば、そうと頷かれる。
そのままキッケルが箱のひとつから白いシャツと黒い膝丈のズボンを取り出した。
それを受け取ったメリッサが、二人の近くに立てられていた衝立の裏へとリッカの手を引いていく。
セルフィルトのシャツを脱がされそれらを着つけられてから衝立から出ると。
「思ったより小さいし細っこいな。持ってきた服じゃ大きすぎるぞ」
「んじゃ仕立てるから採寸してくれる」
「了解」
セルフィルトとキッケルの会話に、リッカはあ、あの、とおずおず声を上げた。
二人の視線が集中し、びくっと肩が跳ねるが言わなくてはと手をぎゅうと握る。
「こ、これ、すごくたか、たかいんじゃ……」
サラサラとした気持ちのいい肌触りに、リッカがこんなの貰えないと言えば。
「その服は大きすぎるから、もう少し背が伸びてからだな。今のリッカが着れる服はこれから仕立てる」
セルフィルトの言葉に、あわわと唇が震える。
「も、もらえ、ない」
重ねてもう一度訴えたけれど、メリッサが巻き尺を体に当て始めたので口を閉じることになってしまった。
「はい、これ履いてね」
ピカピカの黒い靴を裸足の足元に出されてしまう。
戸惑っていると、メリッサがリッカの手を自分の肩に導いて足を上げさせると、さっさと靴を履かせてしまった。
それはリッカの足にピッタリで、メリッサがそれを伝えるとキッケルがひとつ頷いた。
「靴は多めに持ってきて正解だったな。同じサイズがあと三足あるから、とりあえずしばらくはそれを使ってくれ」
紙に色々と書きつけていたキッケルが、万年筆をくるりと指で一回りさせてセルフィルトを見やった。
「それでこの子どうするんだ?」
「しばらくうちに置いておくよ」
さらりと即答したセルフィルトに、キッケルが何とも言えない表情を浮かべたけれど、セルフィルトは気にせずにリッカへ視線を向けた。
「そういえばリッカは読み書きできる?」
問われたリッカはそんなこと出来る訳もなく、ふるりと首を振った。
「だよなあ」
さもありなんと頷かれ、カアアッと頬に血がのぼる。
娼館では読み書きなんて使うことがなかった。
けれどそれではいけないらしい。
「まずは読み書きからだな」
呟いたセルフィルトの言葉は、リッカには聞こえなかった。
結局キッケルが持ってきたものは靴以外は大きすぎたので持ち帰ることになり、リッカは再びセルフィルトのシャツ姿に戻った。
二人が帰る頃には窓の外が夕焼けで赤く染まっていて、リッカのお腹がくぅと鳴ったことでセルフィルトに食堂へと連れて行かれた。
テーブルに置かれた本日の夕食はうどんだった。
初めて食べる形状のものに、初めて使う箸を握りしめて挑んだけれどうまく食べられない。
掬ってはつるんとお椀に落としを繰り返していると。
「ふはっ」
思わずというようにセルフィルトが笑った。
「ひ、必死すぎ」
下手くそだなあと目をしんなりとする。
「ご、ごめん、な、さい」
怒られるのかと箸を握りしめたまま震える声で謝れば。
「ああ、違う違う、怒ってるわけじゃないから」
くくくと喉の奥で笑いながら、セルフィルトがひらひらと手を振る。
じゃあ何なんだろうと小首を傾げると。
「旦那様、笑うのは失礼ですよ。リッカ様気にしないでください、ツボに入っただけですから」
タグヤの言葉にますます意味がわからないリッカだ。
「悪い悪い、ほらこっち来な」
ちょいちょいと手招かれて椅子から降りて近づくと。
「わあっ」
ひょいとセルフィルトの膝の上に乗せられた。
そして、タグヤがリッカの席から取り上げたお椀を受け取り箸でうどんを一本つまむ。
それを口元に持ってこられたので、ちらりとセルフィルトの顔を見上げると。
「食べな」
うながされて、はむはむとうどんを食べた。
「はは、小動物みたいだな」
「動物に例えるのはいかがかと思いますよ」
二人の大人の会話など聞こえていないリッカは、出汁のふんわり効いたもちもちとしたうどんに幸せを感じていた。
夕食が終わると前日同様にジュアーにお風呂に入れられて、お風呂は毎日入るものだというカルチャーショックを受けたリッカは、セルフィルトに湯冷ましを貰ったりと少しの時間まったりして、あてがわれている部屋へと連れて行かれた。
部屋の前でセルフィルトと別れて室内に入ると、ドキリと思わず足を止める。
ルクルがしかめっ面でベッドメイキングをしていたからだ。
といっても、適当にシーツと上掛けをベッドに乗せて広げただけのお粗末なものだったが。
リッカが入ってくるのを見て眉をしかめると、用は終わったとばかりに扉の方へと歩いてくる。
「ああ、やだやだ、ノミとかいないだろうね。まったく旦那様も何を考えているんだか。あんた、つけ上がるんじゃないよ」
ぎろりと睨み下ろされ、リッカの肩が震える。
うどんとお風呂でぽかぽかしていた体と心が一気に冷えていくような錯覚を感じさせた。
バタンと閉まった扉の音に、我知らずほうと息が口から洩れる。
セルフィルト達が優しくしてくれるから忘れそうになるけれど、リッカは本来の扱いはこうだと思っている。
だから、今は夢の中にいるのだ。
「さめなきゃいいな」
ぽつりと呟いて、寝なくちゃとベッドの方を見たけれど、今朝のことを思い出した。
吐いてベッドを汚しルクルに怒られた。
セルフィルトは何も言わなかったけれど、汚したことを本当は怒っていたかもしれない。
リッカはこくんとひとつ頷くと、部屋の隅っこへと歩いていき壁に向かってころんと寝転んだ。
そしていつものように、身を守るかのように膝を抱えて丸くなる。
床を汚すのもよくないと思うが、立派なベッドを汚すよりはマシだろうと思いリッカは目を閉じた。
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