第7話
再び今度はジュアーに手を引かれながら、長い廊下を歩いた。
ひとつの扉の前に来ると、コンコンとジュアーがノックする。
「旦那様、リッカ様をお連れしました」
「入れ」
内側からの声に、扉をジュアーが開いてそっとリッカの背中を押して室内へと促した。
「うん、こざっぱりしたな」
室内に入るとセルフィルトがリッカを見てひとつ頷いた。
リッカのいた娼館が軽々と入るような広さの室内は、クリーム色の壁に廊下と同じように絵画が飾ってあったり豪奢な葉ぶりの花が生けられていたりしている。
猫足の焦げ茶色のテーブルにえんじ色のソファーがある上品な印象の部屋だった。
ソファーから立ち上がったセルフィルトがリッカの前まで来ると、おかしそうに頬を一撫でされた。
「頬もリンゴ色になったな。よく温まったか?」
「う、うん、すごく気持ち、よかった、よ」
「そうか」
両手を握りしめて一生懸命に言うと、セルフィルトがくしゃりと頭を撫でた。
それが胸をほっこりさせてカカーッとリッカは耳まで赤くなった。
「服は、今日は俺のでガマンしてくれ」
「だんな、様の、服、なの?」
自分の体を見下ろすと、確かにふくらはぎまで隠れる大きさはセルフィルトのものだと言われても納得できるが。
「き、着てていい、の?」
まさか自分のご主人様の服を着せられているとは思わなくて、リッカは目を丸くしてセルフィルトを見上げた。
「旦那様、ね。まあいいや。着てていいよ、子供服なんてないからな」
そうかと思いこくりと頷く。
「それより食事にしよう。腹も減っただろ」
「ごはん……」
先ほどの風呂場でもお腹がなったように空腹ではあるが、そもそも万年飢餓状態のリッカはまともな食事なんてしたことがない。
けれどウジが沸いていたり腐っていたりしているものが出てくるとも思えず、食事はないのだろうと思っていたので驚いた。
「なに、腹減ってない?」
「う、ううん」
お腹ならつねに空いている。
けれど。
「ぼ、ぼく、食べていい、の?」
その一言が、リッカの食事事情と棒きれのような体の理由を教えていて、思わずセルフィルトが眉根を寄せた。
それに怒られると思ったが。
「当たり前。ここにいるあいだはお腹いっぱい食べな」
言われてリッカはぱちくりと目を丸くした。
小さな手を大きく長い指の手が包み、セルフィルトが廊下へと歩き出す。
慌てて足を動かすと、エスコートされるがままに別の部屋へと連れて行かれた。
そこは食堂で、大理石のタイルが敷き詰められていて、大きなテーブルが真ん中にある。
上座のすぐ隣にリッカを座らせると、セルフィルトもその上座の椅子へと腰を落とした。
テーブルには何本も磨かれた銀色のナイフやフォークがあり、リッカは驚いた。
すると、部屋に控えていたタグヤがワインボトルを持って近づいてきてセルフィルトの前にあるグラスへと白ワインを注ぐ。
「本日のメインは子供でも食べやすいように、ハンバーグにさせていただきました」
タグヤの言葉にセルフィルトがひとつ頷くと、ジュアーともうひとりのメイドが皿を持って食堂に入ってきた。
その途端、肉の焼けた重厚な香りがして思わずリッカの口内は唾液で溢れた。
目の前に置かれたハンバーグの乗った皿には付け合わせに蒸かしたニンジンやブロッコリー。
マッシュポテトなどが乗っている。
他にもふかふかの美味しそうな白パンに瑞々しい野菜のサラダ。
優しい匂いのするスープなどが並べられる。
そして、ちらりと見たセルフィルトの皿と違って、リッカの分の丸々としたハンバーグの上には艶々に輝く目玉焼きが乗っていた。
鼻孔を刺激する匂いと眼前の光景に、はわわとリッカは皿とセルフィルトを交互に見つめた。
「こ、これ、なあに」
「ハンバーグ、知らない?」
セルフィルトの問いかけにこくりと頷くと、彼はそうかと呟いた。
「美味いよ、食べてみな」
言われてそわそわとリッカはハンバーグを再び見つめる。
「で、でも」
「それはリッカのぶん」
「ぼ、僕の」
セルフィルトの言葉に胸をほかほかとさせながら、とりあえず手近なフォークを取るとハンバーグを切ろうとしてみた。
プツリと目玉焼きは簡単に切れて、爛々とした黄身がとろりと溢れてハンバーグを黄色に染めて行く。
けれど湯気を上げるハンバーグは切れなくて四苦八苦していると。
「ナイフを持ってフォークで押さえながら切ってみな」
お手本を見せるようにセルフィルトの長い指がフォークとナイフを取り、流れるような動作でハンバーグを一口大に切って見せる。
それを見てナイフを手に取ると、不器用に構えて肘を上げながらハンバーグにおそるおそるナイフを通す。
するとじゅわりと肉汁が溢れた。
一口にはだいぶ大きいが、卵で濡れたハンバーグをおそるおそる口へ運ぶ。
「んんー!」
あまりの美味しさに、一瞬で目が輝いた。
もむもむと咀嚼するたびに卵でマイルドになった肉厚なハンバーグからじゅわじゅわと口内に肉の味が広がる。
大きく切ったハンバーグに齧り付いたせいで口の周りが肉汁と卵でベタベタに汚れた。
それを吐息でセルフィルトが笑い、ナプキンで拭ってくれる。
それを二度繰り返すと、四分の一を食べたところでリッカの手が止まった。
自分も食事をしていたセルフィルトが気づいて、どうしたと尋ねてもリッカはもじもじと居心地悪そうに俯いていた。
セルフィルトが小首を傾げると、セルフィルトの後ろに控えていたタグヤが口を開いた。
「もしや満腹になられたのではないですか?」
タグヤの言葉にきょとんとしてセルフィルトはリッカに向き直った。
「そうなのか?」
リッカはうろうろとどう答えたらいいかわからず、視線を動かしている。
「正直に言っていい」
セルフィルトの言葉に促されて、リッカは小さくこくんと頷いた。
その様子に、セルフィルトが片眉を上げる。
「それっぽっちでいいのか?」
「ご、ごめんな、さい」
食事を残すなんて贅沢なことはしたくないけれど、喉までみっちりハンバーグが詰まっている感覚にリッカはしょぼんと俯いた。
「謝らなくていい。けど、子供とはいえ食べる量が少なすぎないか」
不思議そうにしているセルフィルトにタグヤが口を開いた。
「リッカさまは劣悪な環境にいたのでしょうか?」
「ああ、とてもまともな食事を出されているとは思えない環境だったな」
「でしたら胃が縮んでいるのでしょう。少しずつ量を増やしていくのが得策かと思います」
タグヤの説明に、そういうものかと思うと縮こまっているリッカに目線を向けた。
「お前はあまり食事を取れる体じゃないようだから、食べられるぶんだけ食べな。あとは残していい」
セルフィルトの言葉にリッカは弾かれたように頭を上げた。
ドキドキと心臓の鼓動を鳴らしながら、おそるおそる。
「お、おこら、ない、の?」
「怒らない。安心しろ、あの場所や店長と俺は違う」
それはもう十分にわかっているので、リッカはこくんと頷いた。
食事を終えたそのあとはセルフィルトに案内されて、また別の部屋へと移動した。
いったい何部屋あるのだろうと通り過ぎていく扉の数をリッカは、ほええと関心していた。
新たな扉を開けられて、リッカは背中を押されて室内に入った。
そこは水色の壁に、深い青色の天蓋のついた白いシーツのベッド。
大きな窓の傍にはテーブルと凝った意匠の飾り彫りされた椅子が二脚。
他にも扉がある。
テーブルセット以外の家具も飾り彫りがふんだんに施されていて、一目でお金がかかっているとリッカでもわかった。
「そっちは衣裳部屋、そのうち一式揃えよう」
「ひえっ」
リッカを抱き上げると、セルフィルトはベッドまで歩きそっと少年を降ろして座らせた。
「今日からここがお前の部屋だ」
ふかふかとしたベッドの上にはノリのきいたお日様の匂いがするシーツが皺一つない。
「ここは客間だから、そのうちリッカの居心地のいいように改装しよう」
「えっ!」
驚いたリッカに。
「旦那様、こんな子供にそこまでする必要は……」
二人につき従っていた水差しを持ったメイドが眉をしかめて声を出した。
焦げ茶色の髪をひっつめた細い糸の目の四十代くらいのメイドだった。
「俺のすることに不満か?ルクル」
するとビー玉のような眼差しを向けられて、ルクルがびくりと体をすくめた。
それに興味がなさそうにリッカに向き直ると、セルフィルトはオロオロしている子供の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「ぼ、ぼく、外でもへい、き」
ルクルの苦言に、リッカはじっとセルフィルトを見上げたが。
「遠慮するなよ、恩人なんだから。さて、寝よう」
お風呂で体温が上がりお腹もくちくなったせいで、本格的に瞼がくっつきそうなリッカに苦笑すると。
「おやすみ」
「お、おやすみ、なさい」
セルフィルトが部屋の外へと去っていくのを目で追っていく。
ルクルがサイドチェストに水差しを置くと、ギロリと睨み下ろされてリッカはびくりと身をすくませた。
どう見ても友好的ではない眼差しは、見慣れたものだった。
怖いことに変わりはないけれど。
ギリと一度唇を噛むと、セルフィルトを追いかけてルクルも部屋を出て行った。
それを見送って、改めてベッドに座ったまま室内を見回す。
「ここにいても、いい、のかな」
ことりと首を傾げたが、セルフィルトに買われたのなら彼に従うしかない。
ただ、その扱いにとまどってはいるけれど。
ごそごそとベッドのシーツの中に潜り込むと、ふわふわの枕に頭を乗せる。
横を向いて、ふにと右頬を枕に押し付けるとふわりとお日様の匂いがした。
そのままとろとろと誘われるままに、リッカは目を閉じた。
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