V-Nightmare Syndrome.

銀壱

一章 陽光の城

00▼白銀の世界で


 凍る様な色をした月は満ちて皓々とし、それに照らし出される銀世界はまさに幽遠の境地と呼ぶに相応しい。

 背の高く葉の無い木々は幹の黒と雪の白とで斑に染まり、それが不規則に点々と、あるいは密集し、助けを希うかの様に皆一様に枝先を天上に伸ばしている。

 そんな中、これ程明るい月夜でなければ総てが闇に紛れてしまう様な――無機質で冷たく、荘重な雰囲気を醸し出すその孤城は、ただ静かにその城壁を月光に晒す。


 硝子の向こうに何処までも続く銀を、男は城の窓からひっそりと見つめていた。

 彼は窓の外に広がる雪を彷彿とさせる長い銀髪を背に流し、長身痩躯のその身には黒のロングコートを纏っている。その裾は男が動く度に微かに衣擦れの音を立て、優雅にドレープの形を変化させる。

 さらさらと流れる長い前髪から覗く紅玉の瞳は何処か愉しげな色を漂わせ、血の気を感じられない薄い唇の間からはちらりと鋭い牙が覗いた。


「……ハイド様」


 背後からの呼び掛けに、ハイドと呼ばれたその男は緩慢な動作で振り返る。

 視線の先には、黒の軍服をきっちりと着込んだ若い男が立っていた。その男もまた瞳に紅玉の色を宿し、病的なまでに白い手には二つのワイングラスが乗ったトレーを掲げている。


「ああ……有難う」


 グラスを渡されたハイドは表情を緩めると、それに注がれていた赤黒い液体を一口含む。そうすれば、口腔には濃厚な鉄錆の味がじわりと広がった。

 軍服の男は再びグラスに口付けたハイドから数歩下がると、ほんの一瞬だけ躊躇う様な仕草を見せた後自らもグラスに口を付ける。暗い城内に白く浮かぶ男の喉が液体を嚥下したのを確認してから、ハイドは口を開いた。


「彼らも、もう程良く成長した頃だと思うが?」

「ええ……あれから七年ですからね」

「七年、か。……早いものだ」


 瞬きの間だな、と独り言ちて窓に向き直ったハイドの脳裏に、ふとある情景が蘇る。

 燃え盛る炎、蠢く黒い異形達と逃げ惑う人々。転がる屍の山の中で、涙を流し、必死に私を呼んでいるその――

 ふっとハイドの唇が緩んだ。

 同時に、何処からともなく、暗く低い鐘の音が空気を震わせた。ゴォン、と重い余韻を残しながら複数回に渡って鳴り響いたその音を最後まで聴き終えると、軍服の男が静かにハイドに訊ねる。


「……そろそろ行かせても?」


 勿論だ、と頷くハイドに一礼し、男は「ロムルス、レムス」と低く囁いた。すると、月光の届かない部屋の奥の暗がりから、二人の青年が音も無く姿を現す。

 無言のまま二人に跪くその青年達は、揃いの赤い首輪を嵌め、揃いの濃紺のベストに白いシャツ、赤いジャボで胸元を飾り、まるで同じ身形をしていた。違うところといえば、よく似た顔立ちを包む鳶色の髪の型と、それぞれ紫と緑に光る瞳だけだ。


「時間だ……行っておいで」


 ハイドは広がる雪原を見つめたまま、振り向かずに優しい声音で囁く。ロムルスとレムスはその言葉に妖しく瞳を光らせると、次の瞬間には其処から姿を消していた。

 何処か遠くから獣の遠吠えが響いてくる。二人はそれを心地の良い音楽の様に聴きながら、赤黒い液体を喉の奥に流し込んだ。


「――私も、そろそろ出発しますね」


 空になったグラスを自らの傍らに佇む白いクロスで覆われたテーブルに置きながら、男はきっちりと締められた赤いネクタイの位置を正す。


「ああ。上手くいく事を願っている」

「……失礼します」


 恭しく右手で左胸を押さえながら礼をした男は、かつかつと硬い靴底の音を反響させてこの場を後にした。

 黒く塗られた扉の向こうから響く足音が聞こえなくなると、ハイドは身の丈の倍以上もある、天井に向かって先細りになっている格子窓をゆっくりと開け放つ。肌を刺す冷たい風が室内に吹き込み、元々涼しさを感じさせていた部屋は一瞬にしてその温度を失った。

 煌めく雪を踏みしめテラスへ出ると、銀の長髪は月影に反射して白みを帯びる。

 見下ろした大雪原には、二頭分の獣の足跡が細雪舞う中ずうっと遠くに見える森厳たる城門まで続いているのが確認出来た。


「……総ての夜の為に」


 その言葉の後に、聞き取れない程小さな声でハイドは誰かの名前を呟く。

 そして悪戯を思い付いた子供の様な表情でにまりと笑むと、赤黒い液体に映り込んだ円い月を喰らうかの如く、手にしたワイングラスを大きく傾けた。



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