五 大蛇

いよいよ京都入りした笙明一行は、宿泊先の寺で奇妙な話を聞いた。


「ほお。その屋敷に奉公に行った娘は帰って来ぬと」

「そうなんです。俺のあね様も帰って来ないんです」


彼らを妖退治と聞いた近所の少年は彼らに必死に訴えた。


「……お願いします。姉様を助けてください」

「そうは申してもな。まだ妖と決まったわけではないだろう」


渋る笙明に龍牙は真っ赤になって吠えた。


「笙明殿が参らねば私が参る。姉思いの健気な弟ではないか」

「そうだよ!俺も助けるよ」

「そう大きな声を出すな」


彼らの意見に折れた笙明は龍牙と篠に調べに行かせた。

冬の匂いの都。各々の家からは炊き付けの煙が上がる都の黄昏の中。笙明は愛しき澪と寺にて待機していた。

その時、澪の耳が何かを捉えた。


「笙明様。誰かが呼んでいます」

「私も聞こえてきた。静かに致せ」


その音はどんどん近づいてきた。


『八田の出来損ない。哀れな息子よ……。都に入りてもお主の居場所などない。即刻、出てゆけ……』


声だけの呪い。二人の耳にしっかり聞こえてきた。澪は辺りを警戒し、彼を背にしていた。彼は空を見つめ、そして声を発した。


「お主は誰だ。姿を見せろ」

『苦しめ。苦しめ……。お前は要らぬ者。よって妖の旅に選ばれたのだ。都はお前の住む処ではない』


笙明はすまし顔でじっと話を聞いていた。それを庇うように澪はそばで耐えていたが、とうとう我慢できなくなり腰刀を手にした。


「澪?」

「笙明様を侮辱するなんて。澪は耐えられません」

『死ね。死ね。笙明。父親のように惨めに』

「なんてことを、あ」


一瞬。声を待たずして笙明が先に刀で暗闇を斬った。すると断末魔の叫び声を響いた。


「澪。本体を捉えよ」

「これです。まあ?狐」


血を流していたのは白い狐であった。その様子から歳を得た妖狐と彼は呟いた。


「なぜ、こんなことを」

「どうやら私に都に帰って欲しくないものがおる様だ」


白い狐は死んだ。この骸は寺の住職が片付けた。


「お騒がせをしました。最近のおかしな出来事は多分、この狐でしょう。これで治りますわい」


そういうと部屋を変えてもらった二人は別室で夕餉を食べて、夜を過ごしていた。

笙明の腕の中。一緒に星を見ていた澪は優しくその黒髪を撫でてもらっていた。



「ねえ。笙明様。先程の白い狐なんですけど」

「あれがどうした」

「どうして笙明様に京都に戻って欲しくないの」

「それはだな。私はたくさん妖を退治しただろう」


そのため妖達に疎まれていると彼は笑った。


「それが理由……」

「何か気になるのか」


澪はじっと考え込んでいたが、その顔を彼は間近で見つめた。


「気になるのか」

「ふふふ。近すぎです。ふふ」

「澪よ。愛しき私の娘」


彼は優しく口づけをした。白い肌の娘。唇は桜桃のように赤く染まっていた。吐息を白くした二人はその寒さにじっと抱き合っているのだった。




翌朝。篠と龍牙が帰って来た。


「ただいま。色々分かったよ」

「それよりも腹が減った」

「朝粥をどうぞ。笙明様も」


澪が作った粥を三人は食べた。篠は噂は本当であり、屋敷から妖の匂いがしたと慌てて話をした。これに龍牙もうなずいた。


「ああ。間違いなく何かおる。そこで澪に囮になってもらおうと思っての」

「私?私が何かをするの?」

「はあ。お前達はすぐこれだ」


しかし。これが一番早い策となり、澪は噂の屋敷に女奉公として挨拶に出向いた。






「もし。どなたかおいでになりませぬか」


声をかけると奥から使いの若い男が顔を出した。


「あなたは」

「こちらで屋敷の手伝いを求めていると伺ったので、こうしてやって来ました」

「……しばし。ここで待て」


彼はそういうと屋敷の奥に消えていった。よく見ればこじんまりとした屋敷。待つ間、澪は池の鯉などを見ていた。


「お待たせしました。主人が会いたいそうです」


こちらへどうぞ、という年少の男に澪は付いて行った。

屋敷は静まり返っており床の音がギイギイと煩かった。


「ところで、あなた様は。どうしてこの屋敷の仕事を?」


尋ねられた澪は指示された通り話した。


「前の屋敷が火事になり仕事がなくなりました。私は身寄りがないので。住み込みの仕事を探していました」


「そうですか、どうぞ、この部屋でお待ちください」


澪は部屋で座って待っていた。外は冷たい冬の雨。雪に変わりそうな寒さだった。

すると戸がすうと開いた。



「待たせたな……」


主人は冷たい声で話しかけて来た。この声をどこかで聞いたような気がした澪であったが、彼女は手をつき、頭を下げていた。


「澪と申します。お初にお目目にかかります。此度、こちらで仕事をさせていただけないか、と参った次第です」


「顔を上げろ。お前はどこから来たのだ」


どこか冷たい顔の男。白い面の無表情。澪は構わず話をした。


「私は」


澪は必死に言われた通りの話をした。主人は黙って聞いていた。


「そうか。そしてこの家で働きたい、と」

「はい」


主人は立ち上がると澪の前にやって来た。彼はじっと彼女を見つめていた。


「……私にはその手は効かぬ」

「え」


すると彼は唱え出した。


「圧、苦、捕、縛、重、滅」

「う?ううう」


彼の祓いの言葉。澪は苦しみでもがき始めた。これに案内の男も唱え出し、澪は息も絶え絶えになって来た。


「本性を現せ。この妖が」

「違う?違います。澪は、澪は」

「……待て。加志目。この娘は」


彼がそう言った瞬間。部屋に笙明が押し入って来た。


「止めろ!澪を離せ!」

「お前は笙明?」


彼女を抱きしめる笙明に、男は唱えるのをやめた。


「なぜここに」

「晴臣兄者?そこにいるのは兄者でありますか」


苦しむ澪を抱きしめた彼は、ここにいるはずのない晴臣に驚きを隠せなかった。

それは兄も同じであった。


「何故ここに。そうか。その娘は鷺娘か」

「澪!しっかりいたせ。もう大丈夫だ」

「はあ、はあ」


苦しむ澪。ここをどけと払った晴臣は片腕に澪を抱きしめた。


「兄者?」

「静まれ」


そして耳元で優しくささやいた。澪は晴臣の腕の中ですっと眠ってしまった。晴臣は愛しそうに娘の顔を見ていた。


「これで良い。目覚めた頃は回復しているはずだ」

「それよりも兄上。ここで何を」


晴臣は澪の顔にかかった髪を払いながら呟いた。


「洛中に妖ありと聞き退治にきたまでだ。この屋敷には毎夜、妖女がやって来て、主人を殺そうとするということだ」


そのため、主人に成り代わっていたと晴臣は優しく澪を床に下ろした。


「おかしいですな兄上。私が聞いたのは娘を喰う、主人の話でした」

「これは。もしや嵌められたのでは、加志目!」


呼ばれた家臣の加志目はこの場に笙明がいたので驚きで後退りした。


「笙明様?これは一体」

「こやつも妖話に誘われたのじゃ。して、加志目。この話はどこから聞いて来

たのじゃ」


晴臣の冷静な声が一層恐ろしい家臣は、記憶を辿っていた。


「天領隊の方が、夕水様にお話をしていました。あの方は確か、西国から戻った僧侶です」

「西国とな。又、天代か」

「兄者。天代宗は帝に背くものですぞ」


地震も天代宗に襲われた笙明は瞬時にこの話の首謀者を察知した。しかし、敵の狙いがわからなかった。


「ここで我らを互いに戦わせようとしたのかもな」

「兄者と私を?それにしても手が混んでいるというか」


そしてこの場に篠と龍牙もやって来た。二人は笙明と面立ちが似ている晴臣に驚いたが、話を聞いて納得した。


「確かに似てるけど、お兄さんはちょっと怖そうだね」

「静かに。晴臣殿に聞こえるぞ」

「お主が天狗の篠か。ほう。利発そうな顔だ」


晴臣はじっと小柄な少年を見据えた。


「勇心が雄々しい。さらに、剣もできそうだ。なるほど、天狗の長がそなたを推すのがわかる」

「お兄さん?」


不思議そうな顔の篠を一瞥した晴臣は、龍牙に挨拶をした。


「僧兵のあなたがいて、我々も安堵しておりました」

「いいえ。笙明殿に世話になりっぱなしでございます」


謙遜する龍牙に笙明は兄を向いた。


「それよりも。如何いたします?我々は」

「そう吠えるな。そろそろ来るぞ」


彼らにそう話す晴臣は恐ろしいほど美しい笑みを浮かべた。

屋敷にはずるずると音が響いて来た。


「大変です!晴臣様。表に大蛇が」

「来たぞ、笙明」

「大蛇とな……」


晴臣はすっと澪を抱き上げた。


「ああ。天代は我らをあの大蛇で殺すつもりだ。だからお前にこの場は頼んだぞ」

「ええ?お兄さんは?」

「見ているだけですか。そんな」


篠と龍牙の声に、笙明は刀を抜いた。


「良いのだ。さっさとこの場を片付けるぞ。加志目。兄者と澪を頼む」


紅葉散る冬の庭。赤い目の大蛇に三名は立ち向かった。



◇◇◇


晴臣と加志目は澪をそばに見物の中、笙明達は大蛇に向かっていた。

まずは篠が斬り込むと大蛇は毒煙を吐き首を伸ばして来た。この首を龍牙が斬ろうとしたが交わされてしまった。ここで笙明は早々と笛を取り出し美しい調べを奏でた。

すると蛇の動きが散漫になって来た。


「俺が気を引くから。龍牙が首を切って!」

「ああ。しかしできるかの」


そういう篠は大蛇の背に乗りその体に剣を刺した。痛みで暴れる蛇の首。これを落とそうと龍牙は念を込めて太刀を振るった。しかし。奮わず、体を切りつけるだけで、致命傷を与えるまでには至らなかった。ここで笙明は笛を止めた。


「滅、死、苦、消、痛……」


ここで苦しみ出した蛇。この時、体に上っていた篠が、目に太刀を指した。これを逃さず、笙明は妖刀にて首をさっと落とした。


「龍牙、妖の塊を」

「おお。どこだ、どこにある」


蛇の屍。これを見た晴臣は嬉々とした笑みを浮かべた。


「見事であった、弟よ」

「笙明様。さすがにございます」

「兄者。加志目よ。これは話がうますぎまする」


あまりにも手応えがない、と話す笙明に二人も顔色を変えた。


「では敵の狙いはなんとする」

「蛇を倒せば済む話ではありませぬか」

「う、ううう」


ここで澪は目を覚ました。目の前の晴臣に逃げるように彼女は笙明に縋り付いた。


「この方達は?」

「澪よ。私の兄者だ。こちらは家臣の加志目」


彼女はようやくじっと晴臣を見た。いつか水鏡越しに見た男に、彼女は胸の鼓動を抑えていた。


「そうですか。あなた様は笙明様のお兄様……」

「晴臣だ。お主が鷺娘の澪か」


彼女を見つめる兄に違和感を抱きつつ、笙明は思いを巡らした。


「我らをここにまとめて、何を一体」

「天代の考えることだ。我が八田家の画策であるのは間違いない」


その時。加志目があっと声をあげた。


「見てください城の方が何やら明るいです」

「明るい……」

「もしかして。兄者」


城がある方向はまるで日が沈むような明るさだった。


「火の手?」

「城が?まさかそんな」


篠と龍牙が目を丸くしている時、晴臣は目を閉じて念じていた。


「……どうやらこれが敵の目的のようだな」

「え?何がどうしたっていうの」


篠の問いに加志目が答えた。


「何者かが城に火を放ったのです。城以外に妖がいると言い、晴臣様や夕水様を城外に向かわせ、その手薄の時に火を放ったのでしょう」

「誰か、とは天代じゃな。そして、父上は今?」


八田家はそれぞれ妖退治に出向き、城の外だと語った。


「俺たちを足止めする気だったんだな」

「そして城に火を、せっかく結界が蘇ったのというのに」

「はい。そして結界を張るのに必要な八田家陰陽師を追い出したかったのでしょうね」

「こうしてはおられぬ。皆で城に戻るのじゃ」

「そうですね。篠、龍牙。澪。参るぞ」


はい、と澪は晴臣の腕を離れ、笙明の胸にすがった。これを晴臣が見ていたのを笙明はまだ知らずにいた。




支度を整えた彼らは急ぎ城へ戻ると話した。晴臣を加志目は馬で先に帰ると話した。


「笙明。その娘に先に城に飛び、弦翠に子細を伝えられぬか」

「澪は確かに弦翠を知っておりますが」


兄の申し出であるが、彼は澪を心配そうに見つめた。澪はよく分からぬまま支度をしていた。


「澪よ。こちらにおいで。お前は、先に行き、弦翠兄者に話が出来るか」

「笙明様がそうおっしゃるなら。澪は何でも致します」

「そうか。澪。決して無理をするなよ」


そのため澪は晴臣達と一緒に先に行くことになった。三人は加志目の馬に乗る澪に手を振り見送ったのだった。



小柄な加志目であったが、その背に娘を置き静かに馬を進めていた。主人の晴臣は無言で先へ進んでいった。行き交う人々は城方面から逃げるように彼らとすれ違っていた。澪は加自目の耳に声をかけた。


「加志目様。どこまで行くのですか」

「ここのようです。どうどう」


道中の橋の前。晴臣が馬を止めたので、加志目もそれに習った。晴臣はすっと天を見上げた。


「お澪。あの方角に弦翠がいる。弟には今回のは天代宗の仕業という話と、我らが城に向かっていると伝えてくれ」

「はい」

「そしてお前は。城にいてくれ。我らの到着を待て」

「はい」


馬を降りた澪はくるりと回転したかと思うと鷺になっていた。そして大きな翼を広げ天に舞っていた。


「お綺麗ですね……人間の姿もお美しいですが、鳥の時はまた気品があって」


見惚れている加志目を無視するかのように晴臣は馬の腹を蹴った。


「行くぞ。我らも早く城に戻るのだ」

「はい」


炎立つ帝都。陰陽師晴臣は、鬼神の如く馬を走らせていくのだった。


続く








  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る