悲しき女 後編

一夜明けた朝。仲間には菊子と知らせぬまま八田兄弟は白銀神社を見張らせた。篠が神社の下男に話を聞き出し、やはり菊子が滞在していると聞き出した。


その間。笙明と澪は龍牙とともに被害にあった女に様子を訪ねに行った。家の主は品良い陰陽師の彼に娘達に会わせてくれた。髪を切られた女達は死にたいと嘆いていた。


「娘御。髪はまた生えてくる。命を経つなど惜しいことです」

「しかし。こんな髪では私は嫁にも行けませぬ」


嘆き悲しむ娘。話を聞いていた澪はそっと彼にささやいた。


「……笙明様。澪の髪を分けてあげたいです」

「な、何を急に言い出すのじゃ」

「澪よ。お主はどうなるのだ」


すると彼女は笙明に耳打ちした。彼は笑みを浮かべた。


「左様か。では娘御。澪の申す通り、髪をやろう」

「いいのですか?」


本髪が伸びるまで鬘にせよと笙明は微笑んだ。彼は妖刀を取り出し、澪の美髪を絶った。


「これでどうだ」

「これだけ長ければ。でも、あなたはどうなるの」

「良いのです。気にせずとも」


朗らかに笑う短髪の澪はすっと頭巾をかぶった。涙で喜ぶ娘は、犯人の情報を話した。そして何度も礼を言われながら一行は屋敷を後にした。


「しかしながら、良いのか。自慢の黒髪を」

「あら?何のこと?」

「あ」


龍牙が驚く顔を笙明が笑った。澪の髪は元の長さになっていた。


「これくらいなら平気よ。まだまだ切っても伸びますもの」

「心強いことだ」

「わしはすっかり薄いと言うのに」

「はっはは。次の娘に会うとしよう」


嘆く龍牙であったが、彼らは被害者の娘に話を聞いて回った。その度に澪は自慢の黒髪を分けてやった。嫁入り前の娘達は泣いて喜んでいた。

そのうちの一人は、貴重な情報を話し出した。


「私の髪を切ったのは女です。すごい力でしたが」

「まさか。犯人は娘たちの髪を片手で掴んで持ち上げて切ったはずじゃが」

「そうです。でも女でした」


気丈な娘ははっきり覚えていると言った。


「あの女は髪を切った後、匂いを嗅ぎました。そして持って行きました」

「その時、何か言っておらぬのか」


笙明の問いに、娘は必死に思いを巡らせていた。


「そういえば、切られる前に声をかけられました」

「それはなんと」

「確か……『鷺娘さぎむすめって』

「鷺娘。誠か、それは」

「そうだと、思います」


不思議そうな顔の澪の横の龍牙は顔面蒼白であった。しかし笙明は遠くを見つめていた。

こんな調査を終えた後。歩きながら笙明は話し出した。


「これはな。妖女が、澪を探しておるようじゃの」


呑気な彼に澪は素直に答えた。


「そうですか。澪ならここにいますが」

「ならぬ!澪を狙っておるのだ。危険じゃ」

「そう興奮するな。わかっておる……」


策を立てると彼は押し黙ってしまった。そして寺にて弦翠と篠と合流した笙明は、策を話した。これに仲間は賛同したが、龍牙だけは犯人について聞いてきた。


「それは捕まえてからじゃ。なので決して殺すな。相手は人間なのだから」

「わかった。では、今夜だね」


うんとうなづく篠と澪の無邪気さに、一同は安堵していた。そして策は決行された。




仕掛けの夜の辻。誰もいない川辺。そこに頭巾をかぶった髪の長い娘が一人、たたずんでいた。そこに侍女を連れた女が近寄ってきた。


「もし。娘さんや」

「はい」

「夜、一人では危ないですよ。お供はどうしたのじゃ」


品良い女に、娘は月を見上げた。


「供はあれに。鷺でございます」


「鷺?あ、あの、奥様。これは」


袖を引く老婆の手を女は振り払った。


「お退き。娘。今、なんと申した」


じりじりとにじみ寄る女。娘はゆっくり下がって行った。女の目は血走っていた。


「鷺、と言ったのです。ほら?あそこに」


月の雲。そこからは白い鳥が舞っていた。美しい姿に娘はうっとりしていたが、女は上着を捨て去った。


「さてはお前も鷺娘だな?髪を寄越せ!」


怒りに狂った女は娘の髪を引いた。するとそれは手応えなく抜けてしまった。


「これは。なんと」

「奥様。もうおやめください。屋敷に帰りましょう」

「離せ!」

「残念だけど。逃げられないよ」


頭巾を外した篠はそう言って女に向かった。爪が伸び牙の生えた女は、驚きの顔で怯んでいた。これを仲間が囲んでいた。


「菊子殿。私は弦翠だ」

「さあ。観念してくだされ」

「……弦翠様?それに、あなた……」


月夜。菊子は笙明を夫と思ったのか、袂を掴み膝をついた。そして涙を流し出した。


「ああ……許してください……。あなたを思うあまり」

「どう言うことじゃ」

「水鏡を、私も見たのです」


菊子の夫、晴臣は笙明の旅を案じ、水鏡で旅を見ていた。これを知っていた菊子は覗いてしまったと涙した。神社の娘の菊子。多少の念力がある彼女は必死で弁解していた。


「それが何故、髪切りなど」

「あなたさまが思う、鷺娘。あれが憎くて憎くて……」


絶叫の菊子に代わり、老婆は話し出した。それは家庭を顧みない晴臣との暮らしであった。


「お子様が欲しい菊子様は寂しさでつい、ご実家に戻っておいででした。そこで薬師に薬をもらうようになりました」

「もしや。それは船の薬売りか」

「そう申しておりました」


船で一緒であった薬売り。彼の薬は麻薬。これで合点が入った笙明であったが、弦翠は泣き崩れる菊子に尋ねた。


「して。髪など切って。それはどうしておったのじゃ」

「鷺娘の髪をつければ、鷺娘になって。晴臣様のお気持ちを頂けるかと、ううう」


晴臣が鷺娘の澪を知っている事実。これに笙明は驚いていたが、兄の心を知る弦翠はともかく菊子をおとなしくさせようとした。しかし。彼女は急変した。翻した彼女は暴れ出した。


「皆様。これが薬のせいです!菊子様は薬が切れると」


声を抗える老婆。暴れる菊子に男どもは離れるだけであった。


「離れよ。兄者、如何致す」

「いいよ。俺がやる、どいて」

「篠」


少年はまっすぐ暴れる菊子に向かっていた。そして優しく声かけた。


「奥さんは、寂しかったんだね」

「うるさい!お前に何がわかる」

「あのさ。今の奥さんの姿。旦那さんが見たら、なんて言うかな」

「……お、お前」


肩で息する菊子。乱れた着物の足には血が滲んでいた。この菊子に篠は優しく歩み寄った。


「全部、薬のせいだよ。さあ、落ち着いて……」

「来るな!来るな」

「目をつぶって。ほら、力を抜いて。そうだよ」


篠の言霊に酔うように、菊子は崩れて蹲った。そして篠の腕の中で静かに眠っていた。


「なんと。見事に」

「大したものじゃ」

「この人……多分、ずっと眠れてなかったんじゃないのかな」


すやすやと眠る菊子。その顔の小傷に乳母は涙を流した。月夜の川は静かに紋を描いていたのだった。



◇◇


一夜明けた寺。奥の座敷では菊子がまだ眠っていた。付き添いは篠に任せた彼らは老婆から更なる話を聞いた。


息抜きでやってきた実家であるが、そこで麻薬の味を覚えたため、薬をもらうために通っていたと老婆は疲れた顔で話した。彼女はこれをやめさせようと何度も制したが、誘惑に勝てない菊子に負けたとこぼした。


「あの薬が切れると、おかしくなるのです」

「さて、困ったものだな、笙明よ」

「そうですな。しかし。薬を絶っても。原因がある限りまた同じことが起きまする」


考え込む中、龍牙が薬屋に直す手立てを尋ねに向かった。こうして兄弟になった時、弦翠は自分に言い聞かせるように話し出した。それは澪の話であった。


「兄者は旅の様子を見たまで。確かに澪は美しい娘だが、兄者は妖の力を見ていたまでのこと。あの厳格者が想いを寄せることは無い」


弦翠は立ち上がると庭を見た。


「それに。兄者は結界の責務の責任者。お家を留守にするのは忍びないが、菊子殿に想いがないとは言い切れぬ」

「左様でございますか」

「ああ。私からも兄者にそう申す」

「……失礼します。菊子さんがお目覚めになりました」


現れた澪に一同はああ、とうなづいた。その時、老婆は笙明に澪のことを尋ねた。


「あれが鷺娘じゃ」

「あの娘さんが?まあ、なんと品のある」


男をたぶらかすふ女と思い込んでいた侍女は、清らかな澪に目を奪われていた。

何も知らぬ澪は伝言を残して出て行ってしまった。

目を覚ました菊子は龍牙と篠に送られて実家である神社に戻って行った。龍牙は薬の抜き方を教わり老婆に告げた。


「お待ちください。この髪をどうかお持ちくだされ」

「女から奪った髪か」

「まあ、受け取りますか」


必死の老婆から受け取った二人は、寺に戻りこれを八田兄弟に渡した。


女の長い髪。これを弦翠は見つめていた。


「笙明。これはわしが預かろう」

「兄上。如何するのです」

「晴臣兄者に渡す」


そう言って弦翠はこれをまとめた。その背は、笙明が見たことないほどの怒りに満ちていた。


「菊子にこれほどの思いをさせるとは……。兄者のせいで菊子殿は妖になるところであった」

「兄者。どこに行くのです」

「私は菊子殿の大事を待って天満宮まで送る。そしてそのまま京都に戻る」


独身の弦翠の怒り。これを帯びた兄に彼はかける言葉がなかった。

都はそばにあった。

妖の塊を携えた彼らの目的地。そこに行きたいはずの笙明に秋風が吹き付けているのだった。



続く










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