三 悲しき女



琵琶湖を後に妖を求め旅を続ける笙明は、龍牙と澪と洛中に入った。

先に進ませた弦翠と篠の手柄のせいか、妖には会わずにやってきた龍牙は妻子に会えると喜びを隠せずにいた。


「娘は大きくなったであろう。会うのが楽しみじゃ」

「何度同じ話をするのだ。聞き飽きたわ」

「それだけ楽しみなのですよ。奥さんも娘さんも、そうでしょうね」


そういう笙明も機嫌が良かった。都人である笙明。ここまでの田舎道の旅から解放された彼もまた心躍らせていた。これを寂しく思う澪は華やかな洛中に目を細めていた。

そんな彼女は、道にある茶屋に目を止めた。


「笙明様。あれは船で一緒だった薬売りではありませんか」

「そうかもな。ここで商いでもするのであろうか」


この話に龍牙は茶屋に向かい声を掛けた。


「もし。お主は船で一緒であった薬屋ではないか」

「はて。知らぬ顔です」

「いや?そなたは確かに」


見覚えのある白い着物、結んだ髪。龍牙を見て確かに動揺した男は人違いといい、龍牙に背を向けた。これを店前で見ていた笙明は澪に指示をし、龍牙を戻させた。


「ほら。龍牙」

「でも、確かにあれは」

「良いのだ。さあ。参るぞ」


見れば女客が相手。邪魔であったと笙明は制した。そしてこの夜は寺社で休みをとった。この寺社には数日前に弦翠達が泊まったと僧侶は話した。


「お二人はただならぬ妖気が彷徨っているとおっしゃいまして。探しに出かけたのですぞ」

「ただならぬ妖気。澪は感じるか」


いいえ、と彼女は首を横にふった。笙明も感じぬと話し、三人は夜の時を過ごしていた。

しかし。翌朝の食事の粥の時。澪は妙な気配を感じたと汁の碗を出した。


「一瞬でしたが、強い念のようなものですね」

「わしは知らぬぞ」

「そうであったか。どれ。鏡でも見るか」


雨の天気を理由に一行は寺に留まることにした。時間がある龍牙は妻子への土産を買うというので澪は買い物に付き合い出かけていった。

笙明は一人、雨の縁側で水鏡の占いに勤しんでいた。


……何もない。あ。これは、女か。


揺れる水鏡。そこには高貴な身なりの女がもがき苦しむ姿が見えた。顔は見えぬが女は髪を乱し、爪を立て床を這っていた。笙明が見えたのは女の口から溢れる鮮血であった。


……これが兄者の話すただならぬ気配か。


そう見当をつけた笙明は、弦翠達が退治をする可能性を思い鏡を観るのをやめたのだった。



◇◇◇


「澪。この髪飾りはどうじゃ」

「良いのではないですか」

「娘にはこれ。この簪は流行りのものとか」

「良いのではないですか」

「……澪よ。先ほどから。話を聞いておるのか」


華やかな店先。興奮していた龍牙に隣の澪はうん、と素直にうなづいた。


「だって。龍牙に会えることが家族は一番嬉しいから。澪なら土産はどうでもいいもの」

「澪よ……そうじゃ!お前にも買ってやろう」


要らないと話す澪をよそに龍牙がまだ買い物に夢中であった。呆れた澪は店の外で待っていた。


「娘さん。娘さん」

「放っておいて。私は連れがいるの」

「欲しいものなら俺が買って、って。お前さん……」


改めて澪を見た男は彼女の色の白さに息を飲んだ。その黒髪、佇まい。質素な着物であるが品のある澪に男は見惚れてしまった。


「綺麗なもんだ……年は幾つだい?」

「離して!触らないで」


強引な男。手首を掴まれて嫌がる澪。これを黙って見ている人々の中、一人の声がした。


「嫌がっているんですよ。手を離しなさい」

「なんだって?」


毅然とした態度の女は、まっすぐ男を睨みつけていた。そして怯まず男に向かった。


「お金なら。ほら、くれてやります。あなたは、こっちに」

「はい」

「なんだと。う」

「……わしの連れに何をしておるのだ」


背後から龍牙に掴まれた男は逃げるように去っていった。


「あなた。大丈夫?」

「はい。どなたが知りませぬが、ありがとうございました」


見れば背後に侍女がいる女は、澪の礼に一瞥して去っていった。

彼女の振る舞いに頬染める澪に龍牙は頭をかいて謝った。こうして二人は笙明の元に戻ってきた。


「二人とも、先ほど、妖の気配が取れたぞ」


笙明は二人に説明をした。この妖力は不思議なもので力が大きくなったり、小さくなったりするということであった。

すると白湯を持ってきた僧侶が噂話を始めた。


「若い娘の髪を切る事件がありまして。当番で夜回りをしておりますが、まだ

捕まっておりませぬ」

「これは妖であろうか」

「笙明様の見立ては?」

「さあ。まあ、まずはこの妖を追うとしよう」


話し合しの後、龍牙は妖探し称し買い物に出かけてしまった。

部屋には澪と笙明だけとなった。


「いかがした。顔色が優れぬ」

「疲れただけです。笙明様こそお休み下さいませ」

「澪。こちらにおいで」


彼は膝の上に娘を座らせた。澪は彼の香に澪はうっとりを身を委ねてた。

景色は秋の雨。紅葉を落とす午後。そんな澪に笙明は耳元に囁いた。


「都は嫌か」

「そうではありませぬ。でも、怖いわ」

「怖い、か」


彼は彼女を優しく抱きしめた。静かな時だった。


「そうだな……すまぬ。私のわがままでお前をこんなところまで連れてきてしまった」


「笙明様」


己の髪を優しく解く彼の長い指。澪は目をつぶっていた。


「良いのです。澪だって笙明様のおそばにいたい」

「おお、澪……」


彼はそっと彼女を押し倒した。雨の音が一層大きくなった。


「私の心はそなただけのものだ。いつ、いかなる時も、私が愛しいと思うのは、そなただけ……」


雨の音の世界。二人は深まっていくのだった。



◇◇◇


その夕刻。疲れて眠っている澪を休ませた笙明は、龍牙と夕餉を食べていたが、僧侶から髪切りが現れたと報告が入った。

二人は夜の街に出かけて行った。


「あそこで起きたそうじゃ。まだ人がおります。もし、何があったのじゃ」


雨の上がった夜。龍牙はそばにいた白髪の婆に尋ねた。明らかに動揺している女は知らぬと言う。そこで笙明が改めて聞いて見た。


「我らは妖退治。もしご存知のことあれば、教えてくださらぬか」

「妖退治?」

「左様。私は陰陽師でござります」

「陰陽師……ひょっとして、八田様であられますか」

「我を知っておるのか」


瑞々しい面。若き美麗の彼の顔を見た老婆は、驚きで口に手を当てた。


「いえ。存じませぬ。私はこれで」

「あ。待て」

「……龍牙、待て」


追いかけようとした龍牙を制した笙明の目線の先には、仲間が見えた。

彼は篠に目配せをし、老婆を追わせた。


「ということは。兄者が追っておる証拠。我らは髪切りを調べよう」


笙明達はそばにいた町人に尋ねた。事件の詳細を掴んだ彼らは寺社に戻って来た。そこには澪と一緒に夕餉を食べている弦翠がいた。


篠に探索を任せた彼らは知っている話を打ち明けた。


「髪切りであるが。犯人は女のようだ」

「左様。被害に遭った女の髪を持って行ったそうだ」

「怖いわ」

「笙明。その被害に遭った女に何か決まり事はないのか」

「さすが兄上。それは僧侶から聞いておりまする」


笙明の調べでは、女達はどれも若く、美しい娘が狙われていると言うことだった。

犯人は髪を小刀で切った後、髪の匂いを嗅いでいると言うことであった。


「妖の仕業か。匂いを嗅ぎ、誰かを探しておるやもしれぬ」

「私もそう思います」

「ところで。切った髪はどうしたのじゃ」


龍牙の問い。笙明は持ち去っていると白湯を飲んだ。


「恐らく妖の仕業。だが、どうしたものか」

「篠の帰りを待つか、あ、来たぞ」


話の中。疲れた顔の篠が入ってきた。彼は澪から夕餉を受け取った。

腹が空いているといい、食べながら話出した。


「あの婆はね。あの後、神社に入ったよ」

「神社。何処のだ」

「町の外れ。白銀神社ってところ」

「白銀、どこかで聞いたことがあるな」

「笙明。それは私が後で調べよう。それよりも」


弦翠は立ち上がり弟を別室に誘った。そこで驚くべき話をした。


「良いか。心してきけ。白銀神社は、兄者の嫁の里じゃ」

「兄者の嫁……奥方様ですか」

「そうじゃ!あれは菊子だ!」


兄上、晴臣の妻。なぜ彼女がここにいるのか弦翠も困惑していた。


「ではあの老婆は」

「お付きの乳母だ。嫁に来る時に一緒に来ておる」

「そうか。なので私のことを知っておったのか」



晴臣、弦翠とは従兄弟同士の笙明。しかし、面立ちや佇まいはよく似ており、特に笙明は若い頃の晴臣に似ていた。彼は自分を見た時の老婆の困惑した顔を思い出していた。


「どう言うことだ?菊子殿は兄者に代わり天満宮を守っておるはずなのに」


弦翠の言葉に笙明はやっと様子を知った。


「晴臣兄は父上の代わりに都守りの責任者。お家のことが菊子様がやっておるのですね。これは何故に」


驚きの二人は秋の空を見上げた。月の近くに星が二つ輝いていた。


「……これは兄者に伝えるべきであろうな」

「はい。しかし。真相を探らねば。菊子様はここで一体何をしておるのでしょうか」


兄弟はため息をついた。秋の風に庭の木々は揺れているのだった。




後半へ続く








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