第二章 燻る炎
一 西の国
「何故じゃ。何故まだ帝は死なぬ。これでは話が違うではないか」
「どうか、お静まりを」
「西念。都の鬼門の守護寺は焼失し、妖が参ったのであろう?なぜ帝は呪詛で死なぬのだ」
「……」
都から遠き西国に流された先代帝の弟は、海の見える屋敷にて苛立ちを隠さず嘆いた。
「申せ!」
「はい。これは天満宮の八田の結界によるものかと」
「八田とな?あやつのせいか。天代がゆるゆるしておるからこのようなことになるのだ」
弟帝の側近、天代宗の西念は首を垂れた。西念とて都の大火の混乱を、天代宗が収束を担うものだと企んでいたが、朝廷から任じられたのは意外にも天満宮の八田夕水であった。
「まさか八田に任せるとは、我らもしてやられました」
「そちの右大臣への貢が足りなかったのだ。愚か者め」
「……」
八田家が任されたのは帝の心眼によるもの。謀反を企む天代宗は結界の任務を得られず、策を失っていた。
「さらに。八田の末息子が東国にて妖を退治をしていると言うではないか。これは如何致す」
「どうぞ、お怒りをおしずめ賜りますよう」
興奮している弟帝に謝り通りた西念はようやく解放され、自室に戻ってきた。そこに都より使者が入ってきた。
「西念様。ただいま京より参りました」
「おお、待っておった。して、どうじゃ、守護寺は」
火事で焼失させ新家屋。建設中なのは想定内であったが、新社殿の建築素材や大工、石工の不足もあり、工事は難航するはずであった。
「現在は仮社殿の仮社殿ができておりまする」
「なんと」
使者の僧侶は、八田晴臣の策で石の社ができたと話した。
「これは兵によって守られておりますので。破壊はもちろん、近づくこともできませぬ」
「石の社?晴臣が」
「はい。さらに現在は新社殿が建築されておりまする」
「己、八田め」
憎々し気に唇を噛む西念。使者は続けた。
それは東国にて八田笙明らが妖を滅していると言うものだった。
「わが天代宗の妖隊はどうした?少しは退治せねば格好がつかぬぞ」
「それが……」
彼が都を出た時はまだ朗報はなかったと話した。
「……もう良い、そうか」
西念は立ち上がると外を見ていた。
「敵は帝にあらず。まずは足下を掬え、か」
西念は庭の紫陽花を見ながらそう呟いた。
◇◇◇
「父上。大工の数が揃ったようです」
「重畳じゃ。天気も良いの」
夕水は晴臣の言葉に笑みを見せた。心労が絶えない父の久しぶりの笑顔。普段笑わない晴臣も白い歯を見せた。
「晴臣よ。私は右大臣に報告に参る。ここは頼むぞ」
「承知しました」
長男で後継者の彼は、天満宮大社の職と父が行っている新社屋の建築を担っていた。父は他の息子の手も借り任務を遂行させていたのだった。
八田夕水は帝の側近に呼び出されていた。
「面をあげよ。実は面倒なことになった」
「如何されたのでしょう」
右大臣は苦し気に話し出した。それは帝の状態であった。
「結界は維持され都はひとまず無事であるが。帝はまだお苦しみじゃ」
「それも早急に対策を。さらに妖を倒せば」
「……天代宗の者が、呪詛を祓うと申してきたのじゃ」
八田のやり方では帝は持たないと良い、天代宗が異議を申しており、右大臣もこれを拒むことができずにいると話した。
「私とてそち達が尽力しているのはわかっておる。しかし。これを拒むこともできぬのだ」
「では受け入れるのですね。わかり申した」
こんな土産話をもって夕水は帰って来た。最近は仕事のため実家に暮らしている晴臣は父の話を聞いた。
「そうですか。天台も多少なりとも力を誇示したいのでしょう」
「しかしだな。我らにできなかったのに。天代ではどうだろう」
「それは私が考えます。父上はお休み下さいませ」
この夜。夕水を早く休ませた晴臣は一人、香を焚きながら考えていた。
「晴臣。酒は」
「母上。戴きまする」
実家住まいの彼の身の回りを老母は嬉しく世話していたが、ふと真顔を向けた。
「お前はその。家の方は良いのですか」
「妻に任せておりますので」
「そう、ですか」
神社の娘と結婚していた晴臣は、家の事は妻に任せていた。本来は実家に皆で住まうのであるが両親は引退しており、本家に晴臣が住んでいる形であった。しかし最近の彼は妻のもとに帰っていないことを母は気にしていた。
「それでは子も出来ませぬ」
「……此度の役までです。心配召さるな」
「でも」
口うるさい母を追い出した晴臣は考え込んでいた。
……帝のあの呪詛。解けぬと言うのに。向こうも必死だな。
人の良い父とは異なり、聡い晴臣には権力争いが見えていた。これは先の帝の弟帝の触手と彼はわかっていた。
……呪詛祓いを理由に。帝に接近、か。
これを想定していた晴臣は、特に動かなかった。そして毎夜の占いを始めた。
現在の八田家では晴臣が最高実力者である。妻にした娘も家を任せるには
ふさわしい美しい才女であった。何もかも手中にある彼は今宵も、弟の様子を覗いていた。占いの盆に水を張り、呪文を唱えた。
……なんだ。相撲か。
水鏡に映った光景は、夜の庭で大男と小僧が相撲を取っているものであった。
……なんと呑気な。こちらは苦労しておると言うのに。ん?
晴臣の目には、弟の隣で朗らかに笑う娘の姿が映っていた。
「女子とは?全く。修行の身でありながら」
その娘は実に楽しそうに笑っていた。白い肌。桃色の唇。黒髪に美しい白地の着物を着ていた。あまりにも清らかな笑みに一瞬、晴臣は心奪われ黙って見ていた。しかし、画像は消えてしまった。
胸の鼓動が激しかった。
このような衝撃は初めてだった晴臣は恨むように月を睨んでいた。そして布団に入った。
◇◇◇
「天代の者よ。帝の御前ぞ。失礼のなきよう」
「は」
「さて、八田の弦翠よ。頼んだぞ」
「こ、これは」
帝の呪詛を祓うためにやってきた天代宗の僧侶の前に、八田弦翠は頭を下げた。
これを見た天代僧侶は右大臣を見た。
「なぜここに天満宮が?」
「それは私が説明致しましょう」
大柄な彼は床に坐し、僧侶を見つめた。
「帝はこれ以上呪詛にならぬよう我らで結界を張っております。故にこれから私が一旦、結界を解きまする」
「それではそなたもここにおるのか」
「はい」
そして祓いが済んだらまた結界を張ると言い出した。
「私は決して邪魔だていましませぬ。さあ、今から結界を一時解き放つので、帝の祓いを頼みまする」
これは今、帝を裸にすると等しい事であった。払いが成功すれば良いが、このすきに妖に襲われて帝の命が危うい可能性もあった。
「行きますぞ」
「いや?まて」
事の大きさに天代の僧侶は怖気だした。そして準備不足を言い訳にこの日は中止となり彼らは帰って行った。
「そうか。まあ、そうだろうな」
「冷や冷やだったぞ。ところで兄者は何をしているのだ。あ。これは笙明か」
またしも占いをしていた晴臣の水鏡を弦翠は覗き込んでいた。
「誰だ。この美しい娘は」
「勝手に見るな」
「それは兄者も同じ。兄者、この娘は」
知らないと言い晴臣は奥部屋に引っ込んでしまった。
都は申すぐ梅雨を迎える時期であった。
続
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