第162話

 イオたちが森の中を進み始め、やがて少し時間が経過する。

 その最中であっても、先頭を進む女は森の中を歩く注意点をイオやレックスに説明していた。

 これが普通の森ならそこまで注意する必要がないのだが、今回の場合は森の中に敵が潜んでいる。

 その際の注意は、普通の森とは大きく異なるのだ。

 そうして、やがて最初の罠が仕掛けてある茂みのある場所に到着すると、女は足を止める。


「ほら、いい? ここ。糸があるのが分かるわよね?」

「え? ……あ、本当だ」

「これ、よく気が付きましたね」


 イオはそこに間違いなく糸があるのを見て驚き、レックスは女が糸を見つけられたことに感心する。

 イオの声はともかく、レックスの称賛の声は女にとっても嬉しかったのだろう。

 口元が緩められそうになるのを我慢しながら、素っ気ない風を装う。


「いいから、しっかりと見ておきなさい。この糸はそこにある茂みに繋がってるでしょう? なら、この糸に触れたり切ったりした場合、それは茂みに隠れている何かがこちらに襲ってくる可能性が高いわ」

「……なるほど。じゃあ、そっちの茂みを掻き分けて罠を解除するというのが正しいんですか?」


 イオの言葉に、女は首を横に振る。


「いいえ。相応に技術を持ってるならともかく、イオやレックスのように罠について詳しくない場合は、それが致命傷になってもおかしくはないわ」

「それは……」


 自分が罠を解除しようとした場合、恐らくそのようになると理解したのだろう。

 イオは困った様子で女に視線を向ける。


「じゃあ、どうすればいいんですか?」

「罠を解除するんじゃなくて、別の場所を進むとかでしょうか?」


 イオの言葉に応えたのは、女ではなくレックス。

 その言葉に女はよく出来ましたといったように頷く。


「そうね。もしレックスやイオだったら、それが最善の選択肢よ。罠によっては、解除したのが相手に知らされるという可能性もあるし」


 その言葉に、話を聞いていたイオとレックスはなるほどと頷く。

 罠を解除したのがどうやって相手に伝わるかというのは、生憎とイオにも分からない。

 ただ、専門知識を持っている者がそう言うのなら、それは間違いなく事実なのだろうとも思う。


「じゃあ、この罠もそういう罠なんですか?」

「いえ、この罠はそこまで高度な罠じゃないと思うわ。私が見た限りでは、あの洞窟にいるのはそんなに腕の立つ兵士じゃないでしょうし。考えられるとすれば盗賊の方だけど、その盗賊も力で強引に従わされていて、嫌々従っているといった感じだったし」


 もし盗賊が力で従ったのではなく、兵士たちに恩を感じていた、あるいは度量に惚れたといったような形であれば、盗賊たちもやる気を発していたかもしれない。

 ……それでも高度な罠を作れるかどうかは、分からなかったが。

 しかし、兵士たちは力で盗賊を従えた。

 もっとも、傭兵をしている者としてはその兵士たちの気持ちも分からないではないのだが。

 盗賊というのは、真っ当な傭兵たちにとって討伐の対象だ。

 中には盗賊をやりながら傭兵をやるといった者たちもいるが、それは少数だろう。

 傭兵ですらそのような態度なのだ。

 領主に仕えている兵士にしてみれば、盗賊というのは傭兵以上に唾棄すべき存在だろう。

 それがたとえ自分たちの領地にいる盗賊ではなく、戦争になる相手だとしても。

 ……いや、そのような相手の領地の盗賊であるからこそ、余計に面白くないと思ってもおかしくはない。


「盗賊については置いておくとして、いい? これから罠を解除するからしっかりと見てるのよ」


 そう言い、女は素早く罠を解除していく。

 偵察に来た時は万が一にも相手に知られるということを考えて、罠を解除するような真似は出来なかった。

 しかし、今のこの状況においてはそのような真似をしても問題はない。

 罠の解除が成功すればそれでいいし、失敗しても致命的な被害を受けないようにすれば、それで問題はないのだ。

 だからこそ、イオとレックスにしっかりと見えるようにしながら罠を解除していく。

 ただし、罠の解除を始めてからゆっくりと進めた場合、罠によってはそれが理由で作動することも珍しくはない。

 そのようにしない為には、素早く罠を解除する必要がある。

 ただし、イオやレックスに罠を解除する光景を見せる必要もあるため、全速力で罠を解除するといったことをする訳にもいかない。

 イオやレックスがしっかりと見ることが出来て、それでいながら罠が妙な風に作動したりしないようにしながら女は罠を解除していく。


(凄い)


 それが罠を解除する女の様子を見たイオの正直な気持ちだった。

 女が罠を解除する手順を完全に把握している訳ではない。

 しかしそれでも、現在目の前で行われている光景は凄いのだと、そう理解するには十分だった。

 少なくても、イオには同じような真似をしろと言われて出来る気はしない。

 いずれ……本当にいずれではあるが、将来的に出来るようになる可能性はある。

 しかし、それでも今のイオの目から見ればとてもではないが目の前のような光景をどうにか出来るは思えなかった。


「こっちの糸はこっちに繋がっていて……あら、この茂みも利用して固定してるのね。細かいとは思うけど、これだと強い風が吹いたり、動物がこの茂みに触れたりしたら罠が作動するんじゃない? ……いえ、特に作動した様子がないということは……あ、こっちで力を殺してるのね」


 イオやレックスに聞かせるように、それでいながら自分の行動に意識を集中しながら作業を続けていく。

 その言葉はイオやレックスにとって非常にためになるものなのは間違いないだろう。

 しかし、その言葉を完全に理解しているかと言われれば、イオは素直に頷くことは出来ない。

 女が口にしている言葉の中には、前提条件としてその辺りを理解しているお約束といったものがあるのが明らかだからだ。

 だからこそ、その前提条件を理解してないイオは完全に話を理解出来なかった。

 それはイオだけではなく、レックスもまた同様だ。

 しかし、それでも二人は集中し、女の手の動きを見逃すことがないようにしながら、罠の解除を見ていた。

 五分ほどが経過し……


「はい、終わり」


 笑みを浮かべ、そう告げる女。

 その手には罠の残骸があり、罠の解除に成功したのは間違いなかった。


(いや、この場合は罠の解除じゃなくて、罠の分解って表現の方がいいのか?)


 罠の解除に驚くイオの視線に気が付いたのだろう。

 女は自慢げに笑みを浮かべる。


「いい? こんな感じで罠は解除するの。今度罠の解除のやり方を教えてあげるからね」

「ありがとうございます」


 罠の解除を教えてくれるというのなら、イオとしては素直に嬉しい。

 その技術をイオが役立てられるかどうかは、正直なところ分からない。

 だが、モンスターや盗賊が普通にいるようなこの世界で生きていく以上、その手の技術はあって損はないだろう。

 それはイオだけではなくレックスも同様の意見だったのか、イオの隣でレックスもお願いしますと頭を下げていた。


「ふ……ふふっ。そこまで言われたら仕方がないわ。私がしっかりと教えてあげるから、ありがたく思いなさい」


 最初はいわゆるリップサービスのつもりで言ったことだったのだが、ここまで真面目に受け取られると、女としてもしっかりと教えるつもりになる。


「じゃあ、先に進むわよ」


 そう言いつつ、ソフィアに視線を向ける女。

 このまま自分が先頭を進んでもいいのかと。そう視線で尋ねたのだ。

 その視線を向けられたソフィアは、それで構わないと頷く。

 ソフィアも今回の一件はあくまでもイオとレックスの育成のための行動という認識があったのだ。

 もっとも、それだけではないとソフィアの勘は教えていたのだが。

 その勘が具体的に何を意味してるのかは、今のところ分からない。

 ソフィアが見たところ、ここに何らかの危険があるとは思えない。

 しかし、それでもソフィアの勘は自分も一緒に行った方がいいと言ってるのだ。


(本当に何なのかしら? 私がわざわざ出るとなると、実は洞窟の中にいるのはただの兵士ではなく、高い戦闘能力を持った傭兵とか?)


 森の中を進みながら、ソフィアはそんな疑問を抱く。

 特に何か確証がある訳ではないが、今のところ一番可能性が高いのはやはりそれだった。

 そのような相手との戦いにおいて、自分が前に出るべきなのか。

 それともイオやレックスに経験を積ませるためには、最初は手を出さない方がいいのか。

 その辺りはソフィアにもどうするべきか迷う。

 ただし、経験を積ませるのが目的であっても、決してイオやレックスを殺させるようなつもりはなかった。

 もし何か危険なことが……本当に危険なことがあった場合、すぐにでも自分が前に出てそれに対処するつもりだった。


「じゃあ、行きましょうか。ここからはまだ偵察してないから、どこに罠があるのか分からないわ。何があってもいいように、十分気を付けながら進むわよ」

「分かりました」

「気を付けます」


 女の言葉に、イオとレックスはすぐにそう返事をする。

 もし何か罠があった場合、自分が見つけてみせるといった気合いを込めて。

 実際に先頭と進んでいる女がいる以上、イオとレックスの方が先に罠を見つけるといった可能性はない……訳ではないが、限りなく低い。

 地面を踏み締め、風によって揺れる木々に目を凝らし、少しでも音がすればそちらに視線を向ける。

 そんなイオやレックスに対し、女が浮かべるのはどこか懐かしげな視線だ。

 自分も最初は何かあったら即座に対応出来るようにと、こんな風に。

 だが、当然ながらこんな風にしながら移動を続けると疲れる。

 これはあくまでも移動である以上、その移動に必要以上に緊張し、精神的な疲労をするとうのは自殺行為に近い。


「ほら、今からそんなに緊張してると、すぐに疲れるわよ。リラックスした状態で、周囲に何か異常があるかどうかを見るの。そして感じるのよ。分かる?」


 女の言葉に、イオは思わずそんなことが出来るかと突っ込みたくなったが……実際に目の前でそのような真似をされてしまえば、反論も出来なかった。

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