第135話
捕虜にかんしての扱いは、結局のところ棚上げとなった。
ソフィアにしてみれば、捕虜にした際の追加報酬が安い以上、わざわざ危険を冒す必要はないと思っている。
当然の話だが、敵を殺すのと生かして捕らえて捕虜にするのとでは、断然後者の方が難しい。
黎明の覇者は腕の立つ傭兵が揃っているものの、意味もなく危険な真似をするといったようなことは、ソフィアにとっても本意ではない。
それなら最初から捕虜にするということは全く考えず、全滅させるつもりで戦った方がいい。
幸いなことに、ソフィアにはイオという協力者がいる。
客人という扱いではあったが、黎明の覇者のために力を貸して欲しいと言えば、問題はないと思っていた。
「では、戦争についての話はこれで終わりと考えてもいいのかしら?」
尋ねるソフィアに、騎士団長のサーゼスは素直に頷く。
「そうだな。グルタス伯爵との戦いに協力して貰えるのは感謝している。……それで、ドレミナから出た戦力は、いつになったら戻ってくる? グルタス伯爵との戦いは今日明日すぐにという訳ではないが、それでもそう遠くないうちに行われるのは確実だ」
「そちらの希望は理解するけど、だからといってこちらもすぐにはいそうですかとは言えないのよ」
「和平はもうなったはずだが?」
「あら、正確にはマジックバッグを貰って初めて和平は成立するのよ? そういう意味では、まだ今の状況では和平はなっていないと思うのだけど? それに……もうそちらも知ってるでしょうけど、私たちはベヒモスを倒したの。その素材をどうするのかということも考えないと」
「ドレミナに持ってきて売ればいいだけではないか?」
サーゼスにしてみれば、役人のようなことを言うのは遠慮したい。
しかし、ドレミナの税収が少なくなって困るのは自分たちも同じなのだ。
もし税収を確保出来ないということになれば、騎士団としても動くような真似は出来なくなる。
あるいは動く際に何らかの制約が必要なる可能性も高い。
マジックバッグの件のように、報酬を渋るといったような真似をするつもりはないものの、それでもどうにか資金はあまり使わないようにする必要はあると思っていた。
「和平交渉が結ばれた直後はそのつもりだったのだけど、ドレミナは色々と私たちに思うところがあるようだし、そう簡単には頷けないわね。そもそも私たちに支払う報酬ですら困ってるのに、ここで私たちがベヒモスの素材を売ったりした場合、支払える金額があるのかしら?」
「ドレミナを侮らないで貰いたい。金がないというのは、そちらの思い違いだ。捕虜にした際の追加報酬の件からそのように思ったのかもしれないが、こちらには十分に余裕はある。捕虜の件はあくまでもこちらの常識で考えた場合、そちらの主張する追加報酬は出せないというものだ」
「そう。なら安心してもいかもしれないわね。こちらとしてはあとで報酬を支払えないといったように言われるのはごめんだもの」
「そのような心配はいらないので、安心して欲しい」
サーゼスとソフィアの会話が険悪な方向に向かいそうだ。
そう判断したグラストは、慌てて会話に割り込む。
「しかし、ベヒモスの素材は骨しか見ていませんが、かなり迫力がありました。私は錬金術に詳しくないので、あれを具体的にどのように使うのかというのは分かりませんが。騎士団としては、ベヒモスの素材を使った防具を購入出来れば面白いかもしれませんね」
「ほう、それほどか?」
険悪になりそうだった空気は、グラストのその言葉ですぐに消えた。
元々そこまで粘着質という訳でもないサーゼスだけに、ベヒモスの素材を使った防具というグラストの言葉に興味を持ったのだろう。
騎士団長という立場から、ベヒモスのような高ランクモンスターの素材を使った防具に強い興味を抱くのも当然だったかもしれないが。
「ベヒモスの骨を遠くから見ただけですが、何かこう……目を惹かれるようなものがあったのは間違いありません。商人も必死になって商談をしていたようですし」
グラストは騎士として武器や防具を見ればそれがいい武器や防具なのかというのは理解出来る。
だがそれでも、素材を見てそれがいい武器や防具になるのかと言われれば……正直なところ、難しい。
たとえば間違いなく上質な素材があっても、それを加工する鍛冶師によっては素材の持ち味を殺すといったようなことになってもおかしくはない。
そういう意味では、素材を見ただけで高品質な武器や防具になるかは分からないのだが……それでもベヒモスの骨を見たグラストは、これを使えば強力な武器や防具になると理解出来た。
「そこまでか」
サーゼスは自分の部下のグラストを信頼している。
今までにも色々と難しい命令をこなしてきたのだから、目をかけるのは当然だろう。
……上司の方は、グラストをあまり評価していないようだったが。
そんなグラストがここまで言うのだ。
騎士団長がベヒモスの素材に興味を抱くのは自然なことだ。
いや、ベヒモスの素材に興味を抱いているのは騎士団長だけではない。
副騎士団長の二人もまた、ベヒモスの素材を使った武器や防具はどれだけの性能になるのかと、興味津々だった。
「ドレミナの対応次第では、ベヒモスの素材をこちらの市場に流してもいいのだけどね」
「それは事実か?」
ベヒモスの素材を流してもいいというソフィアに、サーゼスは尋ねる。
ベヒモスの素材が市場に流れるということを知れば、今は足が遠のいている商人たちもドレミナに戻ってくるだろう。
いや、それどころか以前より多くの商人がやってきてもおかしくはない。
だからこそ、サーゼスにしてみれば騎士団の武器や防具云々よりも、そちらの方が重要に思える。
「ええ。とはいえ、あくまでもドレミナの対応次第だけどね」
「具体的には?」
繰り返しドレミナの対応次第と言うソフィアだったが、サーゼスにしてみればその対応というのが具体的にどのようなことを意味してるのかが分からない。
もっとも、その辺については実際にはサーゼスではなく役人が対応すべきことなのだが。
しかし、生憎なことに今この場にドレミナの役人はいない。
和平交渉の件で一方的に自分たちが譲歩した形になったが、それだけ面白くなかったのだろう。
それならそれで構わないが、せめて部下なりなんなりはここにいて欲しかったのが、サーゼスの正直な気持ちだ。
そもそも一方的にドレミナ側が譲歩したという話だが、実際に非があったのはドレミナ側というのも大きい。
ダーロットが部下の動きを完全に把握していなかったために、黎明の覇者に攻撃をすることになった。
そうである以上、ドレミナ側が譲歩するのは仕方がない。
「それで……」
サーゼスが何かを言おうとしたそのとき、不意に部屋の扉がノックされる。
グラストが立ち上がり、扉の方に向かう。
そして扉を開くと、すぐに頭を下げる。
そんなグラストの様子を見て、イオは誰が来たのかを理解した。
イオがソフィアに視線を向けると、予想通りそこではソフィアが不愉快そうな表情を浮かべている。
ただ、それは数秒程度の話で、すぐにその表情は笑みに変わる。
ソフィアがやって来た人物をどのように思っていたのか知っているからこそ、新たに浮かべた笑みが本心とは違うものだと理解出来たものの、もしそれを知らなければソフィアの笑みは心からのものだろうと、そう思えてしまう。
そんな笑みをソフィアは浮かべていたのだ。
この辺り、ダーロットの扱い……あるいは男の扱いに慣れているということなのだろう。
イオに対して向ける笑みは取り繕ったような笑みではなく、普通の……ソフィア本来の笑みなのだが。
(これは、俺にとって悪いことじゃない……よな? うん、多分。きっと、恐らく)
ソフィアほどの美女に本物の笑みを向けられるというのは、間違いなく幸運なことだろう。
イオもそれは分かってはいる。
流星魔法を持っているからという前提条件があるのは間違いないが、それでもイオを保護し、常識について色々と教えてくれたり、素材の買い取りをしてくれたりと、かなり助かったのは間違いない。
そういう意味では、やはりイオにとってソフィアというのは特別な相手なのだ。
それだけではなく、日本にいたときにはTVでも……国際的な映画コンクールで表彰されたりする女優よりも明らかな美貌。
その美貌は現在、取り繕っているとは思えない。
女というのは恐ろしい。
昔から数え切れない男たちが思っていることにイオが同意していると、ようやく扉の向こうにいた人物が姿を現す。
三十代ほどの男で、こちらも顔立ちは整っている。
そんな男は、部屋の中にいるソフィアを見ると満面の笑みを浮かべて口を開く。
「やあ、ソフィア。今回は色々と悪かったね。こちらの不手際だったが、迷惑をかけてしまったらしい」
「いえ、お気になさらず。ダーロッド殿のことですから、最終的に問題はないと思っていました。……と、そう言うことが出来ればよかったのですが」
作った笑みとは思えないような、そんな自然に浮かべた笑みでソフィアは告げる。
ダーロットがそんなソフィアの様子に気が付いているのかどうかは、生憎とイオには分からない。
あるいはソフィアほどの美人が浮かべている笑みなので、ダーロットはそれだけで満足している……といった可能性もあるのだが。
「おや、どうやらご機嫌斜めのようだね。そちらに被害はほとんどなかったと聞いてるが」
ソフィアの笑みを見てそのような言葉が出て来る辺り、ダーロットが人を見抜く目がある証なのだろう。
もしイオが何も知らない状況でソフィアの笑みを見ていれば、恐らく……いや、ほぼ間違いなく、それが作られた笑みだとは理解出来なかったはずだ。
「被害がなければいいというものではないと思いますか? ……まぁ、和平交渉が結ばれた以上、ここで何かを言ったりするつもりはありませんが。それで、マジックバッグは持ってきてもらえたのですよね?」
「ああ、ほら」
そう言い、ダーロットは二つのマジックバッグをソフィアに見せるのだった。
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