第132話

 ドレミナに入ったソフィアたちの馬車は、以前も泊まった英雄の宴亭に向かう……のではなく、そのまま領主の館に向かう。

 ドレミナにやって来たのは、あくまでもダーロットからマジックバッグを受け取るためだ。

 マジックバッグを受け取って和平が正式に成立すれば、ベヒモスの素材の件もあるのでそう遠くないうちにドレミナに戻ってくることになるだろう。

 しかし、今はまずマジックバッグを受け取るのが最優先だった。


「妙ね」


 領主の館に移動している最中、窓の外を見ていたソフィアが不意に呟く。

 その美しく整った眉を顰めて告げたその言葉に最初に反応したのは、イオだった。


「妙って何がですか?」

「警備兵もそうだけど、傭兵が少し殺気立ってるように見えるわ」

「それは……」


 ソフィアの言葉に嫌な予感を覚えるイオ。

 前回ドレミナから脱出したときのことを思い出したのだろう。

 前回脱出したときは、警備兵が全て敵に回った訳ではない。

 中には露骨にソフィアたちに味方するような者はいなかったが、敵の協力要請に消極的な態度をとり、間接的にイオたちを助けるといったようなことをした者もいた。

 今回もまた前回のように面倒なことになるのか?

 そう思うが、仮にも和平交渉が結ばれている以上、そのような真似をするとは思えない。

 だとすれば、もっと別の何かがあるということになる。


「もしかして、今になってマジックバッグを渡すのが嫌になって……僕たちを捕らえようとか、そんな風にはならないですよね?」


 レックスが心配そうな様子で告げる。

 レックスはまだ正式な傭兵となってから、そんなに時間は経っていない。

 それでも黎明の覇者に所属してからの短時間で、多数の濃い経験をしてきたのも事実。

 そんなレックスにとっても、ドレミナで騒動が起きるというのは遠慮して欲しいというのが正直なところなのだろう。


「どうかしら。グラストの性格を考えると、そんな馬鹿な真似をするとは思えないけど」

「でも、ソフィア様。グラストがそうであっても、上司も賢明とは限りませんよ?」


 そう言ったのは、ソフィアの横に座っている女の傭兵。

 今まで多数の傭兵として活動してきた経験があり、現場に出て来る人物は有能であっても、その上司が無能であるということは頻繁にとまではいかないが、それなりにあった。

 今回は要求している物が物である以上、向こうが妙なことを考えてもおかしくはなかった。


「そうね。マジックバッグを惜しんで私たちに敵対してくるのなら……それはそれで、こちらも別の手段を選ぶだけだよ。そのときは、イオにも手伝ってもらうかもしれないわよ。それは構わない?」

「問題はありません。ただ……出来れば流星魔法を使わないようにしたいとは思いますけどね。向こうが一体どのような手を打ってくるのかは分かりませんが」


 イオも敵対する相手に流星魔法を使うのは躊躇するつもりはない。

 だが、それによって無関係の者たちが巻き込まれてしまうというのは、やはり可能な限り避けたいと思う。

 よけいな被害を増やすのはどうかと思うのもあるし、何よりやはり後味が悪い。

 それこそ場合によっては、何の罪もない子供や母親といった者たちを殺してしまう可能性もあるのだ。

 そのようなことにならないためには、やはり何かあったときであってももっと別の手段でどうにかしたいと思うのは当然だった。

 そして……それは当然ながらソフィアも同じだ。


「そうね。そのようなことにならないのが最善なのは間違いないでしょうね。……いえ、本当の意味で最善となると、それはやはりしっかりとこちらのマジックバッグを渡すという選択をすることかしら」

「ですけど、正直なところ吹っかけすぎだと思いますよ? ローザさんのことだから、ちょっとやりすぎくらいがいいと、そんな風に思ってるのかもしれませんけど」

「そうね。ローザのことだから、全てを承知の上でそのような真似をした可能性は十分にあるわ」


 ソフィアも何だかんだとローザとの付き合いは長い。

 長いからこそ、あのような状況でローザがどのような行動をするのかは十分に理解出来た。


「でも、そうね。その辺りの答えがどうなるのかは……もうすぐ分かるわよ?」


 そう言いつつ、ソフィアは馬車の窓に視線を向ける。

 するとそこには、領主の館の姿がすぐ近くにまで迫ってきていた。

 領主の館の前には、当然のように門番がいる。

 最初、門番は領主の館に近付いてくる馬車を警戒していた。

 今日この時間に誰か客人が来るという話は聞いていないし、何より今のドレミナはグルタス伯爵との戦い間近に迫っている。

 この状況で特に何の連絡もなくやってくる存在を怪しむなという方が無理だった。

 ……あるいは、ソフィアたちが今日こうして来るというのを理解していれば、グラストも前もって連絡をしていたかもしれないが。

 しかし、ソフィアたちが出来するよりも前にグラストたちはドレミナに向かい、その上でさらに休憩もほとんどせず、ひたすらに夜の道を進んだ。

 だからこそ、今日ソフィアが来るというのは、予想外だったのだろう。

 とはいえ、最初こそ門番も馬車を警戒したものの、この馬車が黎明の覇者の所属であると知れば、迂闊な真似も出来ない。

 幸いだったのは、門番の中に冷静な者がいたことだろう。

 数日前に街中で行われた、黎明の覇者とドレミナの騎士団の戦いについて知っていても、ここで黎明の覇者の馬車を確保しようなどとは思っていなかったのだ。

 もし短気な者や頭に血が上りやすい者がいた場合、最悪の結果になっていた可能性もある。

 そうなると、最悪の場合はドレミナに隕石が降ってきたかもしれないのだ。

 門番たちが大人しく馬車を通す。

 当然だが、門番は馬車を通すよりも前……黎明の覇者の馬車が来たという時点で上司に知らせている。

 そして上司はさらに自分の上司に……といったように報告が届き、その報告は領主のダーロットに届く。

 もちろん、その報告を聞いたのはダーロットだけではなく、騎士団長や副騎士団長、役人たちにも届いている。

 黎明の覇者との交渉をした人物ということで、グラストにも報告は届いていた。

 その報告を聞いたグラストは、その素早さに驚く。


「もう来たのか!? いくらなんでも、早すぎるだろう!」


 グラストにしてみれば、もう少し自分たちに余裕があると思っていた。

 一応黎明の覇者にどう対応するのかというのは、話し合いで決まっている。

 幸いなことに……本当に幸いなことに、役人たちが主張したマジックバッグを渡す代わりにグルタス伯爵との戦いに参加してもらうというのは却下され、きちんとマジックバッグを渡し、グルタス伯爵との戦いに参加してもらうことになったら、別途報酬を支払うということになっている。

 ソフィアたちがのった馬車が案内されたのは、領主の館にやって来た馬車が停車する場所。


(もしかしたら、こっちを待ち伏せしてるんじゃないかと思ってたんだが……そんな様子はないな)


 窓から外の様子を見て、イオは安堵する。

 もちろん、堂々と表立って待ち伏せをするといったような真似をせず、どこかに隠れて馬車から降りてくるのを待っている……といった可能性もあるのだが。


「行きましょうか。どうやら迎えも来たみたいだし」


 ソフィアがそう言って見た方には、グラストの姿がある。


「あれは……」

「グラストね。私たち交渉をしたグラストだから、迎えに寄越されたんでしょうね」


 ソフィアの言葉には、どこかグラストが貧乏クジを引かされたといったようなニュアンスがある。

 実際、その話は間違っていないのだろうと、イオには思えた。

 黎明の覇者と和平交渉を行ったもののい、それで出された条件はマジックバッグが二つ。

 しかも片方は最近ダーロットが入手したという、非常に高性能なマジックバッグなのだ。

 そんな交渉をした相手を迎えに行けと言われれば、グラストにとって貧乏クジと言われても仕方がないだろう。

 ただでさえ、何故あのような交渉を纏めてきたのかと、そんな風に言われていてもおかしくはないのだから。

 とはいえ、ローザの態度を見る限りではマジックバッグ以外の何かを賠償品として和平交渉を妥結するのは、まず不可能だっただろうが。


「貧乏クジね」


 自分を迎えに来たグラストに、直接そう告げるソフィア。

 貧乏クジと言われたグラストは、一瞬どう反応していいのかに迷うも、すぐに口を開く。


「そうでもないさ。最終的に上手い具合に和平交渉は結べたのだからな」

「あら、その代わり上からは色々と言われたんじゃない?」

「それは否定出来ないが、全権委任されての交渉なのだ。認めて貰わないとな」


 全権委任。

 それは話を聞いていたイオにとっても、改めて驚く点の一つだ。

 全権を委任されているということは、和平交渉の条件としてドレミナという街そのものを引き渡したり、領主でドーラットの命で償わせる……といった真似も出来るのだ。

 もちろんそれは極端な例だし、グラストもそういう条件が出されれば絶対に受け入れるといったことはしなかっただろうが。


「じゃあ、行きましょうか。今日は誰と会うのかしら? やっぱり領主と?」

「そうだが、最初は他の面々となる。ダーロット様は現在忙しくてな。前もってこの時間に来ると連絡が来ていれば、ダーロット様もこの時間を開けるといった真似が出来ただろうが」

「あら、それは悪かったわね。けど、今の状況で悠長にしているような時間はないんでしょう? そっちも少しでも早く今回の件は終わらせた方がいいでしょうし」


 ピクリ、と。

 ソフィアの言葉にグラストは反応する。

 グルタス伯爵の軍がこの領地に攻めようとしているのは、まだそこまで広まっていない情報だ。

 騎士団や警備兵といった面々には知られているが、街中にはまだ流れていない情報のはずだった。

 だというのに、何故ソフィアはそれを知っているのかと疑問に思ったのだろう。

 しかし、そんなグラストの反応こそがソフィアに確信を抱かせることになる。

 ソフィアが街中で見た、警備兵や兵士、傭兵といった者たちの様子から予想したのが正しかったのだろうと。

 そんなグラストを見ながら、ソフィアは笑みを浮かべるのだった。

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