第131話

 最初グラストは役人に言われた言葉の意味が理解出来なかった。

 和平交渉の結果としてマジックバッグを渡すのは了解したのに、そのマジックバッグを渡す条件としてグルタス伯爵と戦って貰うというのでは、明らかにおかしいだろう。

 そう判断したグラストは、役人に向かって憤りを込めて口を開く。


「一体何を言っているのだ分かってるのか!? それはつまり、せっかく結んだ黎明の覇者との和平交渉を破棄するということだぞ!」


 興奮のあまりだろう。口調も上司に対するようなものではなく、普段の口調に変わっている。

 そんなグラストの口調に、マジックバッグを渡すためにグルタス伯爵の軍と戦ってもらうと行った役人は不愉快そうな表情を浮かべる。

 役人にしてみれば、自分よりも格下の存在であるグラストがこのような口調で自分に反抗してくるのは面白くないのだろう。

 だが、今はそんな不愉快そうな表情をすぐに消し、改めて口を開く。


「マジックバッグの価値を考えれば、そのくらいは向こうも引き受けていいと思わないか?」

「それは……」


 グラストが一瞬言葉に詰まったのは、役人の言葉に多少は理解出来るものがあったからだ。

 普通に考えて、傭兵団と領主が和平を結ぶ際にマジックバッグを二つ渡すというのは破格なのは間違いない。

 しかし、それはあくまでも普通の傭兵団の話だ。

 ランクA傭兵団、そして流星魔法を使うイオのことを考えると、それは破格ではない。

 そのような真似をすれば、グラストが口にしたように和平交渉を破棄することになるというのは間違いないだろう。


「もしそれで向こうが交渉の破棄と見なして攻撃してきたらどうするのです?」


 多少は落ち着いたのだろう。その口調は目上の者に対してのものに戻っていた。

 グラストの口調を気にした様子もなく、役人は口を開く。


「マジックバッグだぞ? それを入手する機会を向こうが見逃すと思うか?」

「あるいは受け入れることが不可能な条件をつけるのならともかく、今回の条件は傭兵団の仕事として考えれば、向こうにとってもそこまで不満は抱かないだろう」


 今までグラストと話していた役人の隣に座っていた別の役人がそう告げる。

 その説明は、一応納得出来るところではある。

 あるのだが……だからといって、それを黎明の覇者が受け入れるかと聞かれれば、グラストは素直に頷くことは出来なかった。

 実際に黎明の覇者と交渉をしたグラストにしてみれば、そのような真似をすれば即座にドレミナに隕石を落とされてもおかしくはないと思えてしまう。

 だが、それはあくまでも黎明の覇者……中でもソフィアやローザ、ギュンターといった面々と直接会ったことのあるグラストだからこそ、そのように思うだけだ。

 直接そのような者たちに会っておらず、説明だけを聞いた役人にそれを理解しろという方が難しいだろう。

 それでもこのままだと不味いと思ったグラストは、何とか役人を行動を阻止しようとする。

 もし実際に黎明の覇者と戦うようなことになったとき、その前面に出ることになる騎士団たちはと視線を向けると、そこには苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべつつ、何も言えないでいる姿がある。

 何故そのようなことになってるのか、グラストには分からない。

 しかし、騎士団長たちが反論する様子を見せないということを考えると、そこには何かあるのだろうと考えるしかない。

 自分と一緒にこの部屋に来た上司も頼りにならない……と、隣にいる上司に視線を向けたグラストは、次の瞬間意外な表情を浮かべることになる。

 何故なら、グラストが直接何かを言うよりも前に上司が口を開いたからだ。


「傭兵団である以上、黎明の覇者が戦争に参加して貰うというのは悪くない考えだと思います。実際、話を聞いた限りでは腕利きが揃っているようですし。ですが、そうなった場合はマジックバッグとは別の報酬を何か用意する必要があるかと」

「……ほう。それはマジックバッグだけでは報酬として足りないと?」


 役人の一人が不愉快そうに尋ねる。

 役人にしてみれば、ドレミナの……そしてダーロットの治める領土を自分たちでどうにかする必要がある以上、無駄遣いは極力避けたいという目的があった。

 ただでさえゴブリンの軍勢の一件で無駄金を使ったのだ。

 ……実際には前金を出して雇った傭兵団に対して支払っただけで、ゴブリンの軍勢と戦った報酬を支払う必要がなくなった分だけ、支払いそのものは減っているのだが。

 役人たちにしてみれば、その辺りの事情は知った上で、無駄な金を使ってしまったという認識なのだろう。

 そんな状況で、敵対している貴族が攻めてくるのだ。

 それを迎撃するにも、相応の金額が必要となる。

 そのような状況で黎明の覇者との一件があったのだから、役人としてはその戦力を有効活用しないという選択肢はない。

 とはいえ、それはあくまでも役人の認識だ。

 実際に戦場に出る黎明の覇者にしてみれば、賠償金としてマジックバッグを渡すという契約を結んだ以上、それを違えるようなことがあった場合にどうするかは考えるまでもないだろう。


「いいのですか? もし本当にそのようなことをした場合、黎明の覇者はこちらにつくどろか、敵に……グルタス伯爵側につくかもしれませんが」

「マジックバッグを手に入れる機会を逃してもか?」

「本来の約束を守らず、あとから条件を付けるのです。黎明の覇者にしてみれば、こちらが約束を守る気はないと思われてもおかしくはないかと。そうなった場合、グラスト伯爵に協力し、ドレミナを落としてからマジックバッグを探す……といいった真似をしてもおかしくはないと思いますが?」


 ある意味では最悪の結果ではあるが、同時に最悪でないのは……もしマジックバッグを欲していた場合、それを消滅させるような真似はしたくないので、流星魔法を使われる心配はないといったところか。

 それでもドレミナにとって大きな損失になるのは間違いないが。


「それは本気で言ってるのか?」


 理解出来ないといった様子で尋ねる役人に、グラストは一切の躊躇なく頷く。

 黎明の覇者の力を知っていれば、とてもではないがそんな相手に対して今回のような下らない駆け引きをするとは思えない。

 しかし、グラストの視線の先にいる役人たちは、イオたちの言葉を本当の意味で信じるような真似は出来なかった。

 しょせんは傭兵。自分たちのような頭のいい者なら、思い通りに操ることも難しくはないだろうと。


「黎明の覇者を戦力に組み込みたいのなら、マジックバッグとは別にきちんと報酬を用意する方がいいかと」

「具体的には? 追加でマジックバッグを渡す……などと言われるのではないか?」


 役人の一人が、嫌みったらしく告げる。

 しかしグラストはそんな役人の様子を気にした様子もなく、首を横に振る。


「いえ、そんなことはないでしょう。黎明の覇者は道理を弁えていますから」


 貴方たちと違って。

 グラストから暗にそう言われたのを理解したのだろう。

 役人たちの顔に苛立ちが浮かぶ。

 しかし、役人たちが何かを言うよりも前に、グラストは再び口を開く。


「マジックバッグは、あくまでもこちらから理不尽に攻撃を仕掛けたからこその賠償金……いえ、賠償品とでも呼ぶべきでしょうか。とにかくそのような理由からのものです。ですが、グルタス伯爵との戦いに参加して貰うのなら、それは普通の依頼です。報酬もそれに準じればいいかと」

「ふむ。話は分かった。だが……黎明の覇者はランクA傭兵団だ。当然、その報酬は高いのではないか?」

「かもしれませんが、その報酬分の力は発揮してくれると思います」

「……だが、それではこちらの資金を消費することになると思うが?」

「そうかもしれませんね。ですが黎明の覇者を雇うのですから、それは無駄金とはならないでしょう。黎明の覇者が持つ戦力は、それだけ強力かと。それに黎明の覇者に丁寧な扱い……いえ、そこまでいかずとも普通の扱いをした場合、ドレミナにおいてベヒモスの素材の売買も行われるかと」


 ベヒモスの素材の売買と聞き、役人達は興味深そうな様子を見せる。

 もしドレミナでベヒモスの素材の売買が行われれば、税金として相応の金額が入ってくる。

 それ以外にも、ドレミナでベヒモスの素材が売買されたというのは噂となって周辺に広がるだろう。

 そうなれば、これから先のドレミナにおいて利益となる可能性は非常に高い。

 また、役人だけではなく……


「ベヒモスの素材だと?」


 今までは役人達の話を黙って聞いていた騎士団長や副騎士団長までもが興味深そうな様子を見せた。

 ベヒモスの素材があれば、それを使った武器や防具によって騎士団を強化するといった真似も難しい話ではない。

 それはこれからグルタス伯爵の軍勢と戦わなければならない騎士団にとっても、非常にありがたい。


「はい。流星魔法によってベヒモスが倒され、既にそれが解体されて骨だけとなっているのは交渉のときに見ています。黎明の覇者にしてみれば、自分たちに不義理な相手に利益を与えるような真似はしないかと」


 それこそ、ぼったくられるのでは? と思われてもおかしくはない。

 最悪の場合、依頼が終わったあとで報酬を惜しみ、殺されるといったことになる可能性まで考えられる。

 そのようなことにならない以上、今はとにかく黎明の覇者に対してきちんと話を通す必要があるのは間違いなかった。


「ベヒモスの件もあります。ここは大人しくマジックバッグを引き渡し、グルタス伯爵の件については改めて依頼をした方がいいかと」


 繰り返すようにそう言われた役人たちは、不愉快そうな表情を浮かべつつも視線を交わす。

 ここでグラストの言葉に頷くのは、少し思うところがある。

 だが、ここで話を蹴って自分たちの予想通りの動きをした場合、それでドレミナに大きな被害あったら自分たちが処分されてしまう。

 領主であるダーロットの性格から考えて、今はこれ以上突っ込むのは危険。

 そう判断した役人たちは、やがてグラストの言葉に不承不承といった様子ではあるが頷くのだった。

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