第99話
イオたちを乗せた馬車は、ダイラスに向かって進む。
幸いなことに、遭遇した盗賊たち以外には特にそのような存在と遭遇するようなことはなく、イオにとってそんな相手との接触を考える必要がないのは嬉しいことだった。
「今夜の野営はどうするんですか?」
もしここにいるのが、イオとレックス、ギュンターの三人……あるいは御者を含めて四人だけなら、全員が馬車で寝るといったような真似をしても構わないだろう。
しかし、この場にいるのはイオたちだけではなく、ソフィアもいる。
もちろん、ソフィアも女である以前に傭兵であるのは間違いない。
間違いないが……それでも、女なのだ。それも歴史上稀に見る美女と表現してもいいほどの。
そのようなつもりはないが、その美貌に血迷うという可能性を考えれば、一つ屋根の下――馬車だが――というのは、イオとしては出来れば遠慮したかった。
ソフィアも当然ながら自分の美貌については十分に理解しているのだろうから、ここでイオの言っている意味は理解出来ていた。
なお、ベヒモスの骨がある場所に移動しているときも当然のように途中で野営をしたのだが、そのときはソフィアと一緒に馬車の中で眠ったのは同じ女の傭兵たちだけだった。
そういう意味で、今回の野営をどうするのかというのは大きな問題であるのは間違いない。
「そうね。テントはあるから、一応問題ないと思うけど。……ふふっ、何ならイオは私と一緒に馬車で寝る?」
ソフィアの口から出た言葉が本気で言ってる訳ではなく、あくまでも冗談だというのはイオにも理解出来た。
しかしそれでも……たとえ冗談であっても、イオの顔を赤く染めるには十分な破壊力を持っている言葉だった。
ソフィアのような美女からそのようなことを言われたのだ。それも女とのそういう行為の経験がないイオには、刺激が強すぎる。
「え? いや、その、あの……じょ、冗談ですよね?」
「あら、冗談だと思った? もしかしたら本気かもしれないじゃない? 今の状況で冗談を言ってるように思えるの?」
今のような状況だからこそ、ソフィアの口から出たのは冗談なのは間違いない。
そうイオは思うのだが、ソフィアの様子を見る限りではそう断言出来ない。
状況的には間違いなく冗談だと思うのだが。
そうして悩んでいたイオに対し、やがてイオを見ていたソフィアは笑みを浮かべる。
「ふふっ、冗談に決まってるでしょう? もちろん、私も傭兵である以上は男と一つ屋根の下というのは考えないでもないけど、必要でなければわざわざそんな真似はしないわよ」
ほう、と。
ソフィアの口から種明かしをされたイオは、からかわれたことに怒るというよりは、安堵した。
これがその辺の女にこのようなことを言われたのなら、正直なところそこまで怒るといったようなことはなかっただろう。
だが、今回は相手が違う。
正直なところ、まさかソフィアの口からそんな言葉が出て来るとは全く思ってもいなかったのだ。
そういう意味では、イオにとっては良かったのか悪かったのか。
「それで、野営だけど……まぁ、そうね。一応テントは積んできてるから、イオたちはそっちを使ってちょうだい。ただし、そこまで大きなテントじゃないから、少し狭いかもしれないけど」
テントがあるのなら、最初からそう言ってくれればよかったのに。
そう思うイオだったが、実際にそれを口にすることはなかった。
もしそれを口にした場合、また何かからかわれそうだと思ったためだ。
それに今の状況を思うと、ソフィアも別に完全に自分をからかうつもりだけで、そのようなことを言っていた訳ではないと理解出来たのが大きい。
実際、そんなイオとソフィアのやり取りで馬車の中の雰囲気は少し落ち着いた様子を見せたのだから。
具体的には、場慣れしていないイオとレックスの二人が完全ではないにしろ、リラックス出来たのが大きい。
イオはこの世界に来てからの短時間でそれなりに修羅場を潜ってきた。
……実際、普通の傭兵ならゴブリンの軍勢やベヒモスといった存在と遭遇するなどということは、そうあるものではない。
そういう意味では、まだこの世界にきてから一ヶ月……どころか半月も経っていないイオがこの短時間でそのような目に遭うというのは、普通ならまず考えられないことなのは間違いなかった。
そんな修羅場を潜ってきたイオだったが、ゴブリンの軍勢は遠く離れた場所からメテオを使った程度でしかない。
ベヒモスのときは、馬車に乗って逃げ回っていたが。
そういう意味では、イオは修羅場を経験したのは間違いないものの、本当の意味での修羅場はそう多くないのだろう。
もっともベヒモスやその後の戦いだけで十分修羅場だと思っても間違いはないのだろうが。
「食事は保存食があるから、問題ないわね。水もある程度は余裕があるし。……ローザがいれば何か獲ることが出来て食事も豪華に出来るんだけど。それが出来ないのは残念よね」
残念そうに言うソフィア。
そんなソフィアの言葉にギュンターも同意するように頷いていた。
ローザがいれば絶対に鹿なりウサギなり鳥なり……何らかの獲物は獲れると確信しているかのような様子だった。
黎明の覇者に所属する者が、ローザの弓の腕にかんしてはそこまで絶対的な信頼をしている。
そのことにイオは驚く。
もちろん、ローザがそこまでの技量を持っているという話は聞いていた。
だが、イオにしてみればローザはゴブリンの軍勢の素材や魔石、武器、防具……諸々を買い取って貰った相手という認識の方が強い相手なのだ。
それだけに、こうして実際に弓を使う者としての腕が評価されているというのは、少し意外に思う点があるのは間違いなかった。
それはイオだけではなく、レックスも同様だ。
レックスもローザとは会ったことがある。
具体的には、黎明の覇者に所属する傭兵となったときの契約で。
しかしそのときの話ではあくまでもイオと同じく補給や報酬の支払いを行う事務員としての印象が強かったのだろう。
だからこそ、レックスもイオと同じくローザがそこまでの強さを持っているというのは驚くべきことだったらしい。
「その、僕はローザさんとはまだ一度しか会ったことがないんですけど、そんなに腕の立つ方なんですか?」
レックスのその疑問に、ソフィアとギュンターは当然といった様子で頷く。
この二人にしてみれば、ローザほどに腕の立つ弓の使い手となると、すぐに思い浮かべることが出来る者はそう多くはない。
ローザ以上の弓の使い手がいない……とまでは思っていなかったが、同時にローザ以上の弓の使い手がそこら中にいるといったようなことでもないのだ。
そんな二人の様子を見て、言葉で雄弁に説明されずとも、ローザがそれだけの腕を持つというのはレックスにもすぐに理解出来た。
……そんなレックスとは裏腹に、イオはあっさりとローザの件については納得していたが。
元々が戦いについては素人同然のイオだ。
そんなイオだけに、ローザがそのように腕利きなのだと言われれば、素直にそういうことなのかと納得するしかない。
……あるいは、ソフィアのような存在がいたからこそ、ローザの件も受け入れやすかったのかもしれないが。
ソフィアのような美人がそこまでの技量を持つのだから、当然ながらローザのような美人であっても同じように圧倒的な実力を持っていてもおかしくはないだろうと。
(けど、レックスは傭兵について詳しいんだよな? なら。ローザさんの件を知っていてもおかしくはないと思うんだが。あれだけの美人なんだし)
そんな疑問を抱くイオだったが、レックスがローザについて知ってる様子がなかったことから、そちらについては知らなかったのだろうと思う。
「野営をするときに獲物を獲ることが出来ると、食事が豪華になりそうですね。もちろん、ドレミナで黎明の覇者が泊まっているような宿の食事には及びませんけど」
「ふふ、そうでしょうね。ああいう宿で出る料理がいつでも食べられるのなら、それこそ士気が高くなるのは間違いないでしょうけど……それでも、そう簡単にいかないのは間違いないのよね」
「マジックバッグとか使っても無理なんですか?」
ふと思いついたイオの疑問だったが、ソフィアは当然のように首を横に振る。
「私たちが使っているマジックバッグは、物は入るけど内部で時間の流れは普通にあるわ。……ダンジョンとかで入手出来る、アーティファクト級のマジックバッグなら時間が流れないのもあるらしいけど、そういうのはそう簡単に入手出来るものではないしね」
「ダンジョン……ですか」
イオにしてみれば、ダンジョンというのは非常に興味深い。
日本にいた頃に呼んでいたファンタジー漫画でダンジョンが描かれることが多かったのも、その辺には多少なりとも影響しているのだろう。
イオがダンジョンに興味を持っている様子なのを、ソフィアは理解したのだろう。
笑みを浮かべて口を開く。
「イオもダンジョンに興味があるの? まぁ、ダンジョンは上手くいけばアーティファクトとか入手出来るしね。……とはいえ、ダンジョンは危険もあるから、気を付けないといけないけど」
この場合の危険というのは、ダンジョンに出没するモンスター……だけではない。
ダンジョンにある罠もあるし、あるいはダンジョンに潜っている者が襲ってきたりといったこともある。
そのような危険を潜り抜けることにより、ダンジョンに眠るお宝を入手出来るのだ。
とはいえ、そのように危険な場所でも多くの者がダンジョンに向かうのは、それだ価値のあるお宝を入手出来るからだろう。
実際、ソフィアが使っている氷の魔槍のようなアーティファクトを入手した場合、それを売れば一生遊んで暮らせるのだから。
あるいは先程話題になったように、時間の流れが停まっているマジックバックを入手しようものなら……一生遊んで暮らせるどころか、数回生まれ変わっても遊んで暮らせるだけの稼ぎになるのは間違いない。
だからこそ、多くの者は一攫千金を狙ってダンジョンに入るのだ。
……イオもダンジョンに入ってみたいと、そう思うのだった。
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