第69話
イオが杖を構える。
その動作は若干わざとらしいものだったが、それでもイオが隕石を降らせる方法を知っていると理解していた中年の男にしてみれば、そんな相手の行動を自由にさせる訳にはいかない。
「ちぃっ! おじさんを相手にちょっとは労りの心を持ってもいいと思うんだけどね!」
今まではゾブンとアザラカの二人を相手に防御に徹し、相手が焦れてきたことによって動きが鈍くなったら反撃の一撃を放つつもりだったのだが、イオの様子を見る限りではそのような悠長な真似をしている余裕はない。
仲間二人がいる以上、そう簡単に隕石を降らせるといったような真似は出来ないだろう。
だが、それはあくまでも予想であり、もしかしたら自分を倒すために仲間を巻き込んで攻撃をするといったような真似をする可能性も、完全には否定出来ない。
そうである以上、やはりこの場からは出来るだけ早く退避した方がいいのは間違いなく……中年の男はゾブンの振るってきた長剣の一撃を短剣で受け流しつつ、その受け流す方向をアザラカに向けることによって二人を動揺させ、その隙に一気にその場から逃げ出した。
「……え?」
その判断の素早さは、実際に杖を構えたイオが驚くほどだ。
いや、イオだけではなく、先程まで中年の男と戦っていたゾブンとアザラカの二人もまた、いきなり逃げ出した相手に唖然とした様子を見せる。
まさかこの状況でここまで素早く逃げ出すとは、思ってもいなかったのだろう。
「これは……さすがイオさん?」
そんな風に呟くレックス。
実際にイオが杖を構えた瞬間に逃げ出したのだから、あの男はイオが追い払った……もしくは撃退したといったことになるのだろう。
それは間違いないものの、それでも褒められたイオとしては微妙に納得出来ない面がある。
自分の行動によって相手が逃げ出したのは間違いないのだが、それでも今の状況で素直に納得するのは難しい。
まるで自分が疫病神か何かのように思えるような行動に、納得しろという方が無理だろう。
……もっとも、実際にイオの流星魔法を見たことがある者にしてみれば、イオが敵にとっては疫病神か何かのように思えてしまうのはおかしな話ではなかったが。
「あー……まぁ、気にするな。強敵を撃退したのは間違いないんだ。そういう意味ではお手柄だよ。勿論、俺とアザラカの二人であの男を押さえていたからこそだが」
ゾブンのその言葉は、イオを慰めるという一面もあったが、それ以上に自分たちのおかげであの男を撃退したのだという主張だ。
とはいえ、イオもゾブンの言葉は決して間違っているようには思えないので、そういう意味では特に反論するようなこともなく、素直に頷く。
「そうですね。ゾブンさんたちが押さえてくれないと、多分俺が流星魔法を使おうとしてもあっさりと途中で潰されていたでしょうし」
「お、おう。分かればいいんだ、分かれば」
てっきり今回の一件は自分の手柄だと言うのかと思っていたのだが、あっさりとイオが認めたことにゾブンは少しだけ気まずい思いを抱く。
アザラカはそんなゾブンの肩を軽く叩き……そして口を開く。
「さっきの男がどこの勢力の者かは分からないが、強さからして恐らく暗黒のサソリに所属する者ではないだろう。だとすれば、いよいよ他の勢力も戦いに参加してきたということになる。……気を付ける必要があるな」
アザラカのその言葉は、特に真剣な表情で言ってる訳ではない。
それこそ、事実をそのまま口に出しているといったような言葉だった。
それだけに、話を聞いていたイオは真剣な表情にならざるをえない。
今のこの状況で気を抜くような真似をすれば、それこそ自分がいつの間にかいなくなっているという可能性も否定は出来ないのだから。
(いっそ、この杖がそういうマジックアイテムだと認識してくれればいいんだけどな。この杖があれば流星魔法を使えるという風に認識されれば……そうなれば、俺にとってもかなり楽になるのは間違いないし。というか、もしかしたら本当にこの杖は特別かもしれないんだよな)
イオの持つ杖は、流星魔法を使っても壊れなかった。
個人用にミニメテオだったからという可能性もあるが、もしかしたら普通のメテオを使っても壊れない可能性はある。
とはいえ、それを試してみたいとは到底思えなかったが。
「ともあれ、危険な奴を撃退出来たのは大きい。……問題なのは、他にどんな奴がやって来るかだな。アザラカ、どう思う?」
「さっきの男の様子を見ていた奴がいれば、戦力を分析した上で新たに攻めてくる可能性は否定出来ないだろう。取りあえずここからは移動した方がいい。ここにいれば、敵に見つかりやすいからな」
アザラカの言葉には誰も異論はなく、再びイオたちは移動することになる。
ただし、問題なのはどこに移動するかだろう。
この辺り一帯は暗黒のサソリとの戦いで戦場になっているのは間違いなく、それ以外にも先程の中年の男のような部外者……正確には漁夫の利を狙っている者が入り込んでいる可能性があった。
先程の中年の男はイオが杖を向けた瞬間に危険を察知して逃げ出したが、だからといって本当にこの戦場から姿を消した訳でもないだろう。
それこそ、今もまだどこかに潜んでイオを……あるいはイオの持っている杖をマジックアイテムだと認識して、それを奪おうとしている可能性もある。
本来なら、この場にいることそのものが非常に危険なのだが……それでも今のイオとしては、まさかここから逃げ出すといったようなことをする訳にいかないのも事実。
であれば、そんな状況であっても出来るだけ安心な場所に移動する必要があった。
「いっそ、危険だが前線に出るという選択肢もあると思うが。敵は多いが、味方も多いし」
「それは……さっきの男のように戦場に紛れてくる相手がいた場合、かなり面倒なことになるんじゃないか?」
ゾブンとアザラカの話し合いを、イオとレックスは黙って聞く。
何らかの意見があれば、それを口にしてもいいのだが……生憎と、特にこれといった意見がある訳ではない。
(誰もいない場所に向けてメテオを使ってしまうとか?)
ふとそんなことを思い浮かべたイオだったが、当然ながらそのような真似をすればかなりの騒動になる。
また、自分たち以外の勢力がどこに隠れているの分からない以上、ここで下手にメテオを使ったりすれば、大勢を纏めて殺してしまう可能性もあった。
水晶によって精神を強化され、人を殺してもそこまでショックを受けない自信がイオにはある。
だが、だからといって問答無用でメテオを使って敵を殺したいのかと言われれば、当然だがその答えは否なのだ。
別に好き好んで人を殺したい訳ではないのだから。
「その……ゾブンさん、アザラカさん、やはりこういうときは団長のソフィアさんの側にいた方が、いざというときに対処がしやすいのではないでしょうか?」
恐る恐るといった様子でそう言うレックス。
その言葉は、ゾブンたちに考えさせるには十分な説得力があったが……しかし、二人は揃って首を横に振る。
「止めておこう。団長に頼るのは最後にどうしようもなくなったときの手段にしたい」
「そうだな。俺もその意見には賛成だ。ソフィア様の手を煩わせるのは気が進まない。現在の俺たちの手に追えなくなったら、そうした方がいいと思う」
ゾブンとアザラカの二人が揃ってそう言うのなら、ソフィアのいる場所に行くのは不味いのだろうとレックスも納得した様子を見せる。
「取りあえず、先程のような敵に対処するためにも他に援軍を用意した方がいいかもしれないな。……出来れば、イオを狙っている相手同士がぶつかってくれると助かるんだが」
ゾブンの口から出たその言葉に、そういうことがあるのか? と疑問を抱くイオ。
イオにしてみれば、このような状況で敵同士がぶつかり合うというのは少し疑問だったのだが、改めて考えてみればそうおかしな話ではない。
暗黒のサソリを含めた敵がイオを狙っているのは間違いないが、同時に敵が全て手を組んでいる訳ではないのだから。
それどころか、敵は自分たちがイオを確保したいのであって、黎明の覇者はもちろん、他の勢力にもイオを取られたくはないのだ。
そういう意味では、イオを狙っている者たち同士がぶつかり合ってお互いに戦力を消耗する可能性というのは、十分にある。
ただし、問題なのはそれはあくまでも可能性であって、イオたちにとって好都合な流れにはそうそうならないということだろう。
特にイオを狙っている者たちも、自分たち以外がイオを――あるいは隕石を降らせる何かを――渡すというのは絶対に許容出来ないものの、だからといって他の勢力と自分たちが戦って戦力を消耗したいとは思わない。
自分たち以外の勢力同士がぶつかりあってくれるのなら歓迎するだろうが。
イオを狙っている勢力にとって最善なのは、自分たち以外の勢力が黎明の覇者とぶつかって、黎明の覇者の戦力を消耗させながら、他の勢力が消えていくことだろう。
とはいえ、そう簡単に目論見通りに話が進む訳でもない。
イオたちとしては、その方が助かるのだが。
まずはここにいるのは不味いということで移動を始め……そんな中、不意に歓声が聞こえてくる。
「っ!?」
その歓声に驚くイオとレックスだったが、ゾブンとアザラカの二人は特に驚いた様子はない。
それどこころか、どこか嬉しそうな表情すら浮かべていた。
「ゾブンさん、今の歓声ってもしかして……」
ゾブンとアザラカの二人が嬉しそうにしているということは、今の歓声は黎明の覇者が上げたものなのでは。
それも今のような状況でそんな歓声を上げるということは、考えられる可能性は多くはない。
だから、もしかしたら……そう思ったイオの言葉に、尋ねられたゾブンは満面の笑みを浮かべて口を開く。
「そうだ。あれは敵……暗黒のサソリを撃退したか、降伏させたか……もしくは全滅させたのか。そこまで詳しい理由は分からないが、とにかく黎明の覇者が勝利したのに間違いはない」
そう、告げるのだった。
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