第49話

「イオさん、起きて下さい。イオさん!」

「ん……ああ……えっと……?」


 テントの向こう側から聞こえてきた声に、眠っていたイオの意識は急速に覚醒していく。

 そうして起きたイオだったが、最初自分がどこにいるのかが全く分からなかった。

 それでも十秒くらいが経過すると、何となく自分がどこにいるのかを理解する。


(あ、そっか。そう言えば餓狼の牙の討伐に……)


 昨夜は食事を終えて軽く話をしたあとで、すぐに眠った。

 一昨日は英雄の宴亭という高級宿で寝ただけに、テントで眠れるのか? と若干疑問に思ったのだが、気が付けばぐっすりと眠っていた。

 それこそ夜中に一度も起きるようなことがなかったのだから、どれだけ深く眠っていたのかは明らかだろう。


「イオさん、起きてますか? 出来るだけ早く準備をお願いします!」

「あ、ああ。分かった、ちょっと待っててくれ!」


 テントの向こう側から聞こえてきたレックスの声に、イオはそう言って急いで準備をする。

 なお、普通ならテントは数人で使うのが普通なのだが……イオの場合は客人ということもあってか、一人で使うことを許された。

 実際にイオが他の者たちと一緒に眠っていた場合、他人の存在が気になって眠れなかったか、あるいは他人の存在を全く気にせずに眠れるのか。

 その辺りについては、正直なところイオは自分でも分からなかった。

 とにかく身支度を調えて外に出ると……


「ん? 何だか騒がしいな。もしかして、寝坊しすぎたとか?」


 野営地の中を何人もの傭兵たちが歩き回っているのを見て、イオは戸惑ったように言う。

 とはいえ、イオもそこまで自分が寝坊をするとは思っていない。

 そんなイオの予想を裏付けるように、レックスが口を開く。


「いえ、寝坊はしてませんよ。もう皆が起きてますが、本来ならもう少し眠っていてもいいはずでした」

「なら、この騒ぎは?」

「ルダイナさんからの命令で、餓狼の牙のアジトを偵察に行っていた人たちが戻ってきたんです」

「それで、何でここまで騒動になるんだ? ……って、もしかして、もういなくなっていたとか?」


 イオが昨日ギルドで聞いた話によれば、餓狼の牙という盗賊団はかなり用心深いらしい。

 傭兵や冒険者が多数で攻め込もうとすると、すぐに逃げ出すといった話を聞いている。

 そうである以上、もしかしたら黎明の覇者から派遣されたこの部隊が危険だと判断して逃げ出したという可能性もあるのではないか。

 そうイオが判断するのも当然の話だろう。

 しかし、イオのそんな予想はレックスが首を横に振ったことによって否定される。


「どうやらそういう感じじゃないみたいなんです。聞いた話によると、もっと違う感じのようです」

「……どういう意味だ?」

「分かりません。僕が聞いてるのもその程度の話ですし。ただ、ルダイナさんが全員に事情を説明するらしいので」


 それでまだ眠っているイオを起こしたということなのだろう。

 レックスの言葉からそう理解し、だからといってこの状況でどうしろと? という思いがあるのも事実。

 それでもルダイナからの事情の説明のときに眠っていたままでは色々と不味かったので、レックスが起こしてくれたことには感謝する。


「盗賊の討伐についてくるのも初めてなのに、そこでまた何か別の問題が起きるとか、やめて欲しいんだけど」

「僕も今回が本当の意味での傭兵としての初陣だったので、ちょっと不安ですね」


 イオとレックスはそんな風に会話を行い、そうしている間に馬車でイオと一緒だった者たち……自然と同じグループという扱いになっていた者たちが集まってくる。


「よう、イオ。随分と遅いお目覚めだったな。……で、今回の一件は何だと思う?」

「俺に聞かれても困る。俺は傭兵じゃないんだから。そういうのは、それこそ本職の傭兵であるそっちの方が詳しいじゃないのか? 今までこういうのはなかったのか?」


 起きるのが遅いというのは流し、イオはそんな風に尋ねる。

 自分は傭兵についてあまり知らないし、レックスも黒き蛇では雑用係でしかなかった。

 しかし以前から黎明の覇者に所属していた者たちなら、今日このような状況になっている理由が予想出来るのではないかと思っての質問だったが……


「そうだな。実際いくつか予想出来るようなことがあるのは間違いない。ただ、問題なのはそれくらいはルダイナさんも予想出来るはずで、それを予想している以上はこんな状況にはならないと思えることなんだよな。なぁ、お前は何か何か予想出来るか?」

「あのね、私は偵察部隊として動いていた訳じゃないんだから、その辺について分かる訳がないでしょ?」

「だよなぁ」


 そんな言葉が返ってくるのは、尋ねた男も理解していたのだろう。

 何も知らないと言われても、特に落ち込んだ様子はない。


「とにかく、何かが起こったのは間違いないし、その何かが俺達にとって予想出来ないような事態なのも間違いない。そうである以上、今は大人しく……」


 待っていた方がいい。

 そう言おうとした男だったが、その声を遮るように周囲に声が響き渡った。


「全員、集まってくれ! 事情を説明する!」

「お、説明があるみたいだ。行ってみようぜ」


 その言葉に従い、イオは他の面々と共にルダイナのいる場所に向かう。

 当然ながら多くの者が集まってきており、昨日に引き続きその人数がそれなりに多いのを感じたイオは、やはり人数が多くて餓狼の牙が逃げ出してしまったのではないか? と思う。

 そんな風にイオが疑問を抱いていると、全員が集まったと判断したのかルダイナが口を開く。


「まず結果から言う。餓狼の牙はいなくなった。恐らくは逃げ出したものと思われる」


 やっぱり、と。

 ルダイナの言葉にそう思うイオだったが、その説明は続く。


「だが、それはどうやら俺たちが見つかったからという訳ではないらしい。どうやら餓狼の牙は、俺たち以外の何らかの理由でそこから退避したのだと思う」

「ちょっと待ってくれ、ルダイナさん! それってつまり、俺たち以外の別の傭兵や冒険者が餓狼の牙を攻撃しようとしたのか!?」


 話を聞いていた一人が叫ぶ。

 その声には、強い苛立ちが混ざっていた。

 当然だろう。餓狼の牙の討伐は、ギルドを通して正式に黎明の覇者が受けたのだ。

 それを知った上で餓狼の牙を倒そうする者が出たのなら、それは完全に黎明の覇者に喧嘩を売っている。


「いや、違う」


 だが……ルダイナはそんな意見に対し、首を横に振る。

 え? と。それを見ていた者たちは、ルダイナの言葉の意味が分からず、戸惑いの表情を浮かべた。


「まだこれは確定ではないが、偵察隊が持ってきた情報が正しい場合、敵は俺たち以外の傭兵や冒険者ではなく……モンスターの可能性が高い」

『モンスター!?』


 ルダイナの口から出た言葉は予想外だったのか、話を聞いていた者たちは揃って驚きの声を露わにする。

 イオはゴブリンの軍勢の件があったので、別にモンスターが現れても不思議はないのでは? と感じていたものの、そのように思っているのはあくまでもイオだけだ。


「なぁ、どういうことだ?」


 そんな自分の様子が気になったイオは、隣のレックスに小声で尋ねる。

 レックスはそんなイオの疑問に、こちらもまた小声で答える。


「元々ドレミナ周辺にはそこまでモンスターは多くないんですよ。もちろん全く出ないという訳じゃないですし、ゴブリンの件がそれを証明してますが」

「つまり、それは……本来なら起きてはいけないことが起きていると、そういうことか?」

「そうなります。そして往々にしてこのようなときは、強力なモンスターがいることが多いんです」


 それは……厄介だな。

 そう心の中で呟いたイオは、話を続けているルダイナに改めて視線を向ける。


「一体何が起きたのかは、分からない。これは不測の事態なのだから。だが……だからこそ、何があったのかを調べる必要がある」

「ちょっと待ってくれ、ルダイナさん。それじゃあ餓狼の牙がいないってのに、アジトのあった山に行くってのか?」


 傭兵の一人が思わずといった様子でそう尋ねる。


「そのつもりだ」

「何でだよ! もうその山に餓狼の牙はいないんだろう!? なら、わざわざ行かなくても……」

「それでいいのか?」


 傭兵の一人がもう標的の餓狼の牙が山にいないというのを聞いて、なら山に行きたくないと言おうとしたのを遮るようにルダイナが告げる。

 その言葉に当然といった様子で頷こうとし……だが、ルダイナからの視線に何も言えなくなってしまう。

 ルダイナの視線にはそれだけの迫力があったのだ。

 自分の視線に黙ったのを見て、今度は特定の一人ではなく全員に向かってルダイナは話しかける。


「たしかに俺たちが倒すべき餓狼の牙はもういないのかもしれない。だが、それは本当にそうなのか? もちろん、偵察に行った者たちが調べた話を俺は嘘だとは思わない。だが、もしかしたら見逃している可能性もある。餓狼の牙は、かなり悪知恵が働くと言われているからな」

「つまり……何らかの理由で逃げたりしたんじゃなくて、見つからないように隠れているってことか?」


 ルダイナの説明を聞いていた者の一人が、そのように尋ねるとルダイナは頷く。


「そうだ。もう山に餓狼の牙がいない可能性の方が強い。しかし、それをしっかりと確認するためにも念には念を入れた方がいい。ここで俺達が戻って、その結果としてまたあとで餓狼の牙が出て来たら、黎明の覇者という名前に泥を塗ることになる」


 ルダイナの言葉に反対する者はいない。

 それぞれ事情は様々だったが、それでも黎明の覇者という傭兵団に誇りを持ってるのは間違いない。

 そうである以上、黎明の覇者の看板に泥を塗るといった真似は絶対に避けたかった。


「これでも反対する者がいるのなら、その者はドレミナに戻ってもいい。……どうする? この言葉に反対する者はいるか?」


 改めて尋ねるルダイナだったが、その言葉に反対をするような者は誰一人いない。

 イオもまた、今のこの状況を考えれば自分だけがここで反対するのもどうかと思い、何より自分はあくまでも客人という扱いである以上、ルダイナの言葉に反対するような真似はしなかった。

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