第31話
イオとソフィアの乗った馬車は、英雄の宴亭に到着する。
イオにとって少し意外だったのは、戻ってきたソフィアを出迎える者たちがいなかったことだ。
これはソフィアが黎明の覇者の者たちに好かれていないから……という訳ではない。
そもそもの話、ソフィアはその美貌と実力、そしてカリスマ性によって黎明の覇者に所属する傭兵たちから好かれている。
ある意味では信奉していると言ってもいいだろう。
不幸中の幸いなのは、ウルフィを信奉していた男のように自分が気にくわないからという理由で他人に危害を加えるといったことがないことだろう。
「どうしたの?」
馬車から降りて驚きの表情を浮かべているイオに、ソフィアが不思議そうに尋ねる。
ソフィアの様子がいつも通りということは、この状況は特に不思議なことでもなく普通であるということだ。
「いえ、ソフィアさんが戻ってきたんですし、てっきり黎明の覇者の傭兵全員……とまではいかなくても、何人かは出迎えにくるんじゃないかと思っていたので」
「ああ、なるほど。そういうのはあまり好きじゃないから、しないように言ってるのよ。戦場であれば話は別だけど、ここは街中でしょう? ……ゴブリンの軍勢が攻めて来ていれば、もしかしたら街中でも戦場になっていたかもしれないけど」
そう言い、笑みを浮かべるソフィア。
イオもソフィアが口にしているのが質の悪い冗談だというのは理解出来た。
ソフィアの様子からは、もしゴブリンの軍勢がドレミナにやって来たらドレミナに被害を出さないように殲滅してやるといったような雰囲気を感じられる。
(あれ、でも何でそんな雰囲気を感じられるんだ? 空気を読むとか……いや、これはそういうのじゃないか)
高校生として生活していた以上、イオもそれなりに空気を読むといったようなことは出来るつもりだ。
だが、ソフィアの雰囲気からゴブリンの軍勢との戦いのことを感じたのは、そういうのではないように思えた。
明確に理由がある訳ではなく、何となくそんな風に感じたというのが正しい。
「どうしたの?」
自分の状況に疑問を抱いたイオを不思議に思ったのかソフィアが尋ねるが、その声で我に返ったイオは慌てて首を横に振る。
「いえ、何でもありません。ただ、ソフィアさんでもそういう冗談を口にするんだなと思って。それでちょっと驚いただけです」
「あのね、私を一体何だと思ってるのかしら? 私は傭兵なんだから、冗談を言うくらいはするわよ。……とにかく、領主への報告の件を他の人にも話す必要があるし、イオも行きましょう」
「馬車はいいんですか?」
「宿の方できちんとしてくれるわよ。……それより、商品の代金はまだ受け取ってないのよね?」
確認するように尋ねてくるソフィアは、イオは素直に頷く。
「はい。一度英雄の宴亭に戻ってきましたけど、そのときは街中で絡まれていた傭兵をギュンターさんに紹介しただけでしたし」
「街中で? ……イオ、貴方が巻き込まれた面倒は馬車の中で聞いたウルフィの件だけじゃないなの?」
「あ、あははは。その、実はそうだったりします」
呆れたように言ってくるソフィアから照れ隠しに視線を外したイオは、自分たちをここまで乗せてきた馬車が遠ざかっていくのを眺める。
とはいえ、今ここで何も言わないのはレックスのためにも少し不味いと判断し、改めて事情を説明する。
街中でも人目につかないような路地裏でレックスが一方的に暴行されているのを見て、それを助けたところ、殴っていたのが黒き蛇という傭兵団の傭兵で、レックスそこに所属していた件。
その後、レックスを助けて話を聞いたイオが半ば成り行きで英雄の宴亭に連れてきたのだが、ギュンターがレックスをそれなりに気に入って、黒き蛇からの脱退と黎明の覇者に所属するのを歓迎……とまではいかないが、それでも友好的に受け入れた件。
そう話すと、ソフィアは納得しつつも若干呆れた様子を見せる。
「一応言っておくけど、黎明の覇者は傭兵団の中でもかなり有名なのよ? 他にもランクA傭兵団はあるから唯一無二という訳ではないけど、それでもランクA傭兵団の数が少ないのも事実。そんな私たちの傭兵団に、そう簡単に入団するのは……いえ、ギュンターが認めたのなら、問題はないんだけど」
ソフィアは自分の副官的な存在であるギュンターが判断したのならと、納得してしまう一面がある。
実際、何故ギュンターがレックスを気に入ったのかを聞けば、恐らく自分は納得するだろうというのがソフィアの予想だった。
「勝手なことをしてすいません。ただ、レックスを放っておけなかったので」
「はぁ、もういいわ。……けど、覚えておきなさい。もしイオが目立つようなことがあった場合、最悪その身柄は私たち以外に確保される可能性が高いのよ。そうなったら、それこそイオにとっては最悪の出来事でしょう? もちろん、それは私たちにとっても最悪の出来事だけど」
ソフィアにしてみれば、レックスの件でイオの存在が他人に知られるというのは許容出来ない。
それだけに、イオから聞いた限りでは迂闊に口を滑らせてしまったウルフィに対しても手を回しておく必要があるのは間違いなかった。
とはいえ、この場合の手を回すというのはウルフィの口封じをするといった物騒な話ではない。
ウルフィはソロでランクBという高ランクの傭兵なのだ。
もちろん黎明の覇者が本気で戦った場合はウルフィを殺すといった真似も出来るだろう。
しかし、その場合は黎明の覇者もまた相応の被害を受けるのは間違いなかった。
(腕利きでソロの傭兵。……出来れば黎明の覇者に引き込むことが出来ればいいんでしょうけど。ウルフィの噂を聞く限りでは、恐らく難しいでしょうね)
そうなると、考えられる可能性としてはウルフィの信奉者がイオに危害を加えようとした対価として、イオについての秘密を決して他に漏らさないように口止めしておくといったところか。
多少の口止め料が必要になるかもしれないが、やはりここは穏便に対処した方がいいだろうと判断する。
「それより、宿に行きましょう。うちの経理を担当している子にもイオは会わせておいた方がいいでしょうし。……本当なら今日ドレミナに戻ってきたときに紹介しておけばよかったんでしょうけど」
ソフィアの言葉に、イオは困った様子を見せる。
ドレミナに来て、すぐにでも街中を見て回ろうと思ったのはイオなのだから当然だろう。
もしソフィアが前払いとして多少の金額でも渡していなかった場合、それこそイオは街中で何を買うにも金がなくて困っていただろう。
そういう意味では、イオはソフィアに感謝こそすれ、不満を口にするようなつもりはない。
二人は宿の中に入る。
英雄の宴亭は高級宿だけあって、入ってすぐの場所にはレックスをギュンターに紹介してたときのように、ソファやテーブルの類がいくつか置かれている。
そのソファにはイオが見たことがない者たち……つまりメテオを使ってゴブリンの軍勢が消滅した場所には来なかった傭兵たちが座っていた。
ソフィアを出迎えるようなことはしないが、それでも宿に戻ってきたソフィアを見つけると即座に男女二人の傭兵が口を開く。
「おかえりなさい、団長。その様子だと無事に報告が終わったみたいですね」
「いつもなら疲れた顔をしてるの、今日は嬉しそうですけど……何かあったんですか? っていうか、そっちの子は誰です? 初めて見ますけど」
ソファに座っていた者たちが、イオに不思議そうな視線を向ける。
何故このような人物がソフィアと一緒に? と純粋に疑問を抱いての質問だろう。
「この子はイオよ。話は聞いていない?」
「ああ、例の……って、この子がですか!?」
イオの名前に驚き、叫ぶ女。
当然の話だが、黎明の覇者にはイオの一件は知らされていた。
情報が漏れるのでは? と実際にイオの流星魔法でどのような被害があったのかを見た者の何人かは心配したのだが、ソフィアは黎明の覇者の中にこの情報を売るような者はいないと考えている。
何よりも実際にゴブリンの軍勢が消滅している以上、隠しようがないというのが大ききい。
とはいえ、それでも万が一ということがある以上、当然ながら全てを情報を開示している訳ではなく、使い捨てのマジックアイテムによってゴブリンの軍勢を倒したということになっていた。
そういう意味では、実際にゴブリンの軍勢のいた場所まで移動した精鋭たちと、この二人のように表向きの話――それでも十分荒唐無稽だが――を聞いた者では、イオに対する印象は異なる。
もちろん、ゴブリンの軍勢のいた場所に行かなかった全員がそのようなカバーストーリーを話された訳ではなく、黎明の覇者の幹部たちは素直に事情を話されていたが。
「えっと、初めまして。イオといいます。ちょっと色々とあって、現在は黎明の覇者に面倒を見て貰っています」
そう言い、二人に頭を下げるイオ。
横柄な態度ではなく、お世話になりますと頭を下げるイオに二人は好印象を抱いたのだろう。
全員がという訳ではないが、傭兵の中には横柄な態度の者も多い。
相応の実力があっての態度ならともかく、中には実力もないのに態度だけは大きい者もそれなりにいる。
そのような者たちと比べると、イオはかなり好印象なのは間違いない。
「うんうん。いい子ですね。団長、この子はいつまでうちにいるんです?」
「さて、どうなるのかしらね。その辺は話の流れ次第だと思うわ。ただ、私としてはイオには黎明の覇者に傭兵として所属して欲しいと思ってるけど」
「え……?」
イオのことを気に入っていた女の傭兵だったが、それはあくまでも黎明の覇者が保護する相手としてだ。
そのような状況で、まさかソフィアがイオを黎明の覇者にスカウトしたいといったようなことを言うとは思っていなかった。
一体何故そこまで? と疑問に思い……イオの姿を改めて確認する。
それは女の傭兵だけではなく一緒にいた男の傭兵も……いや、それだけではなく、話を聞いていたイオの真実を知らない者全員が同じ気持ちであり、イオには先程までとは違う視線が向けられる。
そんな中、イオの真実を知っている者は知らない者たちがそのような態度になるのも仕方がないと何かを誤魔化すように笑みを浮かべるのだった。
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