第18話

「ん……え……あ……」


 イオが助けた男の目が開いたのは、道の端まで男を運んでから三十分ほど経過してからだった。


「目が覚めたか」

「えっと……だ、誰ですか?」


 恐る恐るといった様子で男がイオに向かって尋ねてくる。

 イオにしてみれば、そう尋ねられても答えるべき内容はそう多くない。


「イオだ。ちょっとその辺を通りかかったらお前が男に一方的に殴られていたからな。それを見て、止めに入ったんだ。幸い……って言い方はどうか分からないが、お前を殴っていた奴は俺に見つかったらすぐにいなくなった」


 実際にはイオの存在を不気味だと感じたのだが、そこまで言わなくてもいいだろうと判断する。

 自分の外見が強そうに見えないというのはイオも理解していた。

 だからこそ、イオがここでそのように言った場合は信じられないかもしれない。

 それなら最初から向こうが殴るのに飽きて立ち去ったということにしておいた方が、色々と面倒が少ない。

 そんなイオの考えに、男は見事に引っかかる。


「あ、そうなんですね。痛っ!」


 喋った瞬間、口の中の切れた部分が痛んだのか、男は痛みに呻く。

 それでもイオが見た感じでは、男は特に大きな怪我をしているようには見えない。

 派手に怪我をしているようには思えるものの、骨折といったような怪我の類は存在しない。

 いや、骨折していても外から見ただけで分かれという方が無理なのかもしれないが。

 取りあえず男が問題なく身体を動かしているので、骨折の類はないだろと判断した。


「大丈夫か? ポーションとか持ってたら使った方がいいぞ」

「はい。その、ありがとうございます。ポーションは今ちょっと持ってないので、宿に戻ったら使おうかと」

「そうか。……ちなみに、何であんな風になってたのか、聞いてもいいか?」

「面白い話じゃないですよ?」

「せっかく助けたんだ。何でそういう風になったのか、聞いてもいいだろ?」

「あの人は、僕と同じ傭兵団に所属してる人なんですよ。で、僕はいろいろとどんくさくて……」

「傭兵団だったのか」


 それは意外だった、といった表情を浮かべるイオ。

 イオの知っている傭兵団は、今のところ黎明の覇者だけだ。

 そして黎明の覇者にはあのような性格の者はいなかった。

 もっとも、ソフィアと親しく接するイオを気にくわないと思っている者はいる。

 それでもあのように一方的に殴るといったようなことはなかった。


(そう考えると、やっぱり黎明の覇者が特殊な傭兵団だってことなんだろうな。……名前からして、かなり大げさだし)


 黎明の覇者。

 その名前の最初に来る黎明というのは、明け方や夜明けといったような意味を持つ。

 あるいは困難な時期が終わり、明るい未来を迎える時間という意味もある。

 そして覇者というのは、そのままの意味だ。

 つまり、夜明け……明日に続く時間の覇者であると、そう名乗っているのだ。

 もちろん、傭兵団というのは大袈裟な名前……イオにしてみれば、一種の厨二病に近い感じの名前を使う者が多い。

 そういう意味では、黎明の覇者というのもそこまで珍しい名前ではないのかもしれないが、その辺の有象無象と違うのは、ランクA傭兵団というのが示しているように、名前負けしないだけの実力を持っていることだろう。


「はい、黒き蛇というランクD傭兵団の雑用をしています」


 ランクDということは、当然ながらランクAの黎明の覇者よりも格下だ。

 だが、傭兵団のランクが具体的にどのような意味を持つのかということまでは、イオも知らない。

 男が少しだけ誇らしげな様子をしているのを見る限り、ランクDというのは一般的に考えて誇れるだけの規模を持つのは間違いなかった。


「そうか。黒き蛇か。生憎と俺はこの辺の事情については詳しくないから、その名前を知らないけど。今ここにいるということは、やっぱりゴブリンの軍勢との戦いを目当てにしてきたのか?」

「ええ。ゴブリンの軍勢なら、僕たちも十分戦力になりますから」


 本当か? と聞き返したいイオだったが、それはやめておく。

 イオが思い浮かべたのは、ゴブリンとは思えないほどの巨体を持つ上位種の存在であったり、それ以外にも何種類か確認出来た上位種の存在だった。

 しかし、当然の話だが上位種というのは普通のゴブリンと比べても数は少ない。

 そして普通のゴブリンは弱い。それこそ特に身体能力を強化された訳でもないイオであっても殺せるくらいには。

 イオですら殺せるのだから、傭兵としてそれなりの実力を持つと思しき黒き蛇の傭兵なら、普通のゴブリンを倒すというのはそう難しくないのだろうとイオには思えた。


(けど、それも俺の流星魔法で駄目になった、か。……もしかして俺の魔法で稼ぐ予定を潰してしまったのか? そうなると、他にも同じような理由で稼ぐ予定がなくなってしまった連中って多そうだな。黎明の覇者はゴブリンの魔石や素材、武器とかで儲けは出るだろうけど)


 黎明の覇者がイオとの間で行った取引により、具体的にどのくらいの儲けが出るのかはイオにも分からない。分からないが、それでも話した感覚からすると相応の儲けになるのは間違いないはずだった。

 何しろ、前払い金というだけで相応の金額をイオに渡してきたのだから。


「それで、ゴブリンを倒すためにやってきたのが、何であんな風に?」


 取りあえず流星魔法の一件はここで話さない方がいいだろうと判断し、イオは話の先を促す。

 そんなイオの言葉に、男は殴られた場所を痛そうに撫でながらも口を開く。


「それが……ゴブリンに軍勢のいる方に、何かが空から降ってきて……その影響で今は様子見ということになって、何が起きたのか分かるまでは待機になったんです」

「あー、うん。そうだよな」


 イオとしては、男の言葉に対してそんなことを言うことしか出来ない。

 何しろその原因を作ったのはイオなのだから。


「それで苛々していたさっきの奴が、お前にその苛立ちをぶつけてたのか?」

「あ、あはは。そんな感じですね」

「ふーん。……それでお前はそれに対して特に何も思っていない訳だ。俺なら自分が何の理由もなく、それこそ鬱憤晴らしというだけで殴られたりしたら、とてもじゃないけど我慢は出来ないけどな」


 あるいは日本にいたときなら、イオもそのようなことをされても文句が言えなかったかもしれない。

 だが、水晶によって精神が強化された今なら、理不尽なことに対してはすぐに指摘するだろう。

 ……そういう意味では、イオは自分の力だけで精神的に強くなった訳ではないので、今のようなことを言う資格はもしかしたらないのかもしれないが。

 ただ、精神的に強化されたイオにとっては、その辺りについては特に気にした様子もない。


「それは……だって、僕は黒き蛇の中でも戦力って訳じゃないし。雑用だから……」

「雑用だからって、鬱憤晴らしに殴られるってのはどうなんだ?」

「でも、僕は他にやれるようなことはないから。それに、こう見えて頑丈なんだよ。今も結構怪我をしているように見えるだろうけど、実際にはそこまで重傷って訳でもないし。それに怪我の治る速度も早いから、このくらいの怪我なら明日になれば治ってるし」

「それは……凄いな」


 そうイオが言ったのは、お世辞でも何でもなく、純粋な驚きからだ。

 気絶するほど一方的に殴られていたのに、そんな怪我が明日になれば治っている。

 それはある意味で生まれつきの特殊な能力といえるだろう。


「スキルなのか?」

「そこまで立派なものじゃないですけどね」


 スキルというのは、生まれつき持っている特殊能力とでも呼ぶべきもの。

 ある意味ではソフィアの持つカリスマ性も、一種のスキルと言えるのかもしれない。


(スキルか。そういう単語を聞けばゲームとか漫画みたいだと思うけど……当然ながら、ステータス表示とかそういうのはないんだよな。……俺にもスキルはないし)


 イオの場合は、あるいは流星魔法がスキルと言っていいのかもしれない。

 とはいえ、流星魔法はあくまでもイオの才能でしかない。

 実際に黎明の覇者には何人も魔法を使える者が存在するが、それはあくまでも魔法として認識されており、スキルとは認識されていない。


「スキルじゃないにしろ、そんなに高い回復能力があるのなら、雑用とかじゃなくても普通に戦いに便利だと思うんだけどな」

「そうだといいんですけどね」


 イオにしてみれば、多少の怪我はすぐに治るのだから傭兵として前衛で戦うなり、あるいはゲーム的な発想ではあるが盾職として防御に徹するといったような真似をすれば、十分戦力として数えられるのではないかと思う。

 しかし、男はイオの言葉を聞いても全くやる気を見せない。


(本人にやる気がないって訳じゃないと思うんだけど。でないと、傭兵団に所属したままで、しかも雑用係として傭兵団に不満を受け止める為に殴られるなんて真似は出来ないだろうし)


 そこまで黒き蛇という傭兵団で虐げられているのなら、普通は傭兵団を止めるなりなんなりするだろう。

 あるいは傭兵団を止めると言えば殴る蹴るといった暴行を受ける可能性もあり、それを怖れているのかもしれあいが。


「もし傭兵は続けたい、でも黒き蛇ではない別の傭兵団でも……ってことなら、一応俺が紹介出来る傭兵団はあるぞ」

「え……」


 イオの口から出てきたのは、男にとっても完全に予想外の言葉だったのだろう。

 男の口からは、間の抜けた声が出る。

 それでもすぐに我に返ると、改めてイオを見る。


「その……紹介される傭兵団というのは、どういうところなんでしょう? 僕の所属していた黒き蛇はそれなりにランクが高い傭兵団だったので……」

「ランクD傭兵だったんだったんだろ? なら、安心しろ。俺が紹介するのはランクA傭兵団、黎明の覇者だ」


 そう言った瞬間、男の理解を完全に超えてしまったのだろう。

 呆けた様子で動きを止め……イオが何度か揺すると、ようやく我に返る。


「黎明の覇者って……本当ですか!?」

「ああ。ただし、俺が出来るのはあくまでも紹介だけだ。その後、お前が採用されるかどうかは、それこそお前の実力次第となる」

「貴方……一体誰なんですか?」

「そう言えば自己紹介まだだったな。俺はイオ。色々とあって、現在黎明の覇者に厄介になっている。お前は?」

「あ。はい。僕はレックスです」


 そう言い、レックスはイオに向かって頭を下げるのだった。

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