第5話
「ぜぇっ、ぜえっ、ぜえっ……」
息を切らせながらも、井尾は山の中を走り続ける。
何度か後ろを見たが、先程遭遇した二匹のゴブリンが追ってくる様子はない。
また、何気に重かった肉を捨て、その代わりに軽い杖を手に入れたことも走り続ける上で以前よりもかなり楽になっていた。
そうして十分にゴブリンたちから離れたところで、井尾は大きめの木を見つけると、その陰に隠れる。
「ふぅ……よし、よし、よし。何とか杖を手に入れたぞ」
息を整えつつ、井尾は自分が右手に握っている杖を見る。
流星魔法を使えるからだろう。井尾は手に持っている杖が魔法発動体だというのを知識でも何でもなく、本能で認識出来た。
「とはいえ……ゴブリンの持っていた杖だしな。杖として考えた場合、そこまで高性能って訳じゃないか」
杖を手にしながら、魔法を使えるかどうかを試す。
当然ながら、井尾には本来なら魔力を感じるといったような能力はなかった。
そもそも日本にいたときは魔力などという存在はなかったのだから。
あるいは日本の東北に住んでいる井尾は知らないだけで、世界の裏側には本当の魔法使いという存在もいた可能性はあるが。
「杖を入手出来たのは大きい。……ただ、肉を失ったのは痛いよな」
生肉ではあっても、食料なのは間違いない。
この山の中でどうにかして生き延び、下山するためには、やはり食料の類が必須となる。
「結局どうにかしてまた食料を見つけるしかない訳か」
呟き、体力の回復も十分だと判断すると、立ち上がる。
今はまだ夕方にもなっていない時間だが、山の夜ともなれば甘く見るような真似は出来ないだろう。
であれば、まずは安全に休める場所を探す必要があった。
そして出来れば、先程の鹿のモンスターの肉に代わる何らかの食料も。
山の中で育った者であればまだしも、井尾はそのようなタイプではない。
そうである以上、本来なら山の中に存在するだろう食料の類を見つけるのも難しい。
それでもこの山の中で生き残り、下山してどこかの村や街に到着するまでは、無理にでもどうにかする必要があった。
(流星魔法を使うか? いや、けど……流星魔法って、どう考えても範囲攻撃だろ? さっきのゴブリンメイジのように、火の矢で単体攻撃をするのは難しい。いや、慣れればどうにかなるかもしれないけど、今はまだ流星魔法が使えるのを知ってるだけだし)
実際に流星魔法を使わないと、知識ではなく実感としてそれがどういうものなのかを知ることは出来ない。
だが、流星魔法というのはその名の通り流星……隕石を地上に落とすといったような魔法だ。
都合よく隕石が宇宙に存在するのかとか、そんな疑問も井尾にはない訳ではなかったが、その辺はもう魔法であるからと納得するしかない。
「あ、そう言えば……今更、本当に今更の話だけど……」
流星魔法について考えていた井尾は、改めて自分が異世界にいるのだということを思い出し、そして漫画や小説ではお約束のことについて思い当たる。
「ステータスオープン!」
そう叫んでみるものの、ステータス画面は表示されない。
「システムオン、能力値表示……」
呟きつつ、そのまま数分くらい続けて何とか自分の能力値を表示させようと頑張る井尾だったが、やがてどうやっても自分の望み通りにはならないと判断し、うなだれる。
とはいえ、ステータス表示は以前にもやっていたので、そこまでショックを受けることはなかったが。
「やっぱり駄目か。杖を入手したんだし、ゴブリンも倒したんだからもしかしたらと思ったんだけど。なら……アイテムボックス」
次のお約束を口にする井尾だったが、こちらも当然のように反応はしない。
そもそもの話、もしアイテムボックスがあるのなら流星魔法と一緒に自分の才能として入手出来ていたはずだ。
それを思えば、アイテムボックスというのは自分に才能がないか……あるいは、この世界にそもそもアイテムボックスという概念そのものがないか、ということになるだろう。
そう予想出来ただけに、素早く諦めることが出来た。
出来たのだが……ステータスオープンやらアイテムボックスやらといったようなことを言っていれば、当然のように周囲に声が響く。
そして声が響けば、それを聞いてやって来る者もおり……
「ギャギャギャ!」
「うおっ!」
井尾のいた場所から少し離れた場所から姿を現したゴブリンは、悪意に満ちた笑みを浮かべながら茂みから出て来る。
その手には棍棒……それも井尾が使ったような木の枝を適当に折って作ったような棍棒ではなく、きちんと武器屋に売っていてもおかしくないような、しっかりとした棍棒が握られていた。
ゴブリンが持つ棍棒なので、一般的な棍棒に比べればかなり小型なのは間違いなかったが。
それでも相手が一匹である以上、井尾は倒すべきだと考える。
錆びた短剣は一応ズボンにしまうことも出来る。……下手をすると腰の辺りが傷つく可能性があるが。
ともあれ、ゴブリンの持っている棍棒はしっかりとした棍棒である以上、出来ればその棍棒は奪いたかった。
そう思ったのだが……そんな井尾の計画はあっさりと瓦解する。
「ギャギャ」
「ギョギャ」
「ギャギョギャオ」
最初に姿を現した棍棒を持ったゴブリンの後ろから、新たに三匹のゴブリンが姿を現したのだ。
「くそったれがあぁっ! 卑怯だぞぉっ!」
今の状況では数の差で勝てない。
そう判断した井尾は、即座に逃げ出す。
これがせめて二匹なら、立ち回り次第で勝ち目もあったかもしれない。
しかし、四匹のゴブリンを相手にするとなれば、今の井尾では到底勝ち目があるとは思わなかった。
だからこそ井尾は素早く逃げ出したのだ。
ゴブリンを相手に逃げ続けていることに、思うところはある。
あるのだが、今は生き残るのが最優先だった。
幸い、ゴブリンたちはいきなり逃げ出した井尾に意表を突かれ、さらには棍棒を持っていた先頭のゴブリンがそんな井尾の行動に驚いて茂みに足を引っかけて転んでしまった。
そのおかげで他のゴブリンたちも動きが遅くなり、結果として井尾はゴブリンから無事に逃げ切ることに成功するのだった。
「あー……もうこんな時間が」
山に生えている木々の間からも、空が茜色に染まっているのが分かる。
この世界に来て、初めての夜。
水も食料もない状況で、山で一晩すごすというのは、井尾にとってかなり厳しいものがあった。
「とにかく、どこかで無事に夜を越す場所を探さないといけないんだが……やっぱり第一候補は木の上だよな。蔦か何かで木と身体を結んでおけば、そう簡単に落ちるとは思えないし」
呟きながら、井尾は洞窟か何かがないかと探すも、そのような偶然はなく、夕日も沈みつつあった。
暗くなってから山の中を歩くのは危険だと判断し、木の葉が生い茂っており、下にいるモンスターや野生動物に見つからない木を探す。
(ゲームとかだと、夜になるとモンスターは強くなったり、全く別のモンスターが出たりするしな)
これはあくまでもゲームや漫画の知識だったが、この世界は魔法が存在するだけに、ある程度その知識を当てにしても構わない……というか、それしか当てになるものがないというのが、正直なところだった。
そうして見つけた木に登っていくと……この日、何度目かの幸運が井尾に訪れる。
何故なら、その木の枝の一つに鳥の雛が数羽いたのだ。
登っている最中に聞こえてきたピーピーという鳴き声から予想はしていたものの、この鳥の雛は井尾の目から見ても非常に愛らしい。愛らしいが……今の井尾にしてみれば、その愛らしさよりも自分が生き残る方が先決だった。
「ごめんな」
親鳥がいれば、あるいはそちらを食べたかもしれない。
しかし、今はとにかく自分が生き延びるのが最優先事項だ。
色々と思うところはあるのだが、井尾は鳥の雛を短剣で処理して、罪悪感を抱きつつも生で食べるのだった。
「今日で四日目か」
山を歩く井尾は、この世界に来てからのことを思い出す。
その顔や身体は、意外なほどに汚れていない。
もちろん綺麗といった訳ではないのだが。
山の中を歩いている最中に川を見つけたら、出来るだけ身体を洗うようにしていたためだ。
……その際はゴブリンが来たら即座に逃げるようにと怯えながらの行動ではあったが、それでもある程度清潔にすることは出来ていてる。
これは何も、井尾が綺麗好きだからといった訳ではなく、単純に臭いがしている場合はゴブリンや他のモンスター、獣に見つかりやすくなるといった問題だったり、場合によっては怪我をした場合に破傷風になったりするかもしれないからというのが大きい。
そんな中で驚いたのは、川に映った井尾の髪が何故か青くなっていたことだろう。
最初に川に到着したときは、水を飲んだり鹿のモンスターの解体であったり、ゴブリンとの戦いのあとで興奮してたりと、全くそんなことには気が付かなかったのだが。
顔立ちそのものは、日本にいたときと違わない。
中の中……贔屓目に見て中の上といったくらいの顔立ちだったが、純粋に髪の毛の色だけが青くなっているのだ。
一体何故そのようになっているのかは、井尾にも分からない。
分からないが、取り合えずこれは自分が異世界に来た影響か、もしくは水晶によって流星魔法の才能を引き出されたためなのか。
ともあれ、髪の色が黒から青に変わった程度で、それ以外は特に何らかの不具合がある訳でもない以上、井尾はこの件について深く考えるのはやめた。
そうして数日山の中を歩き、動物が食べている果実や木の実を見つけては食べ、あるいは鳥の雛を見つけては食べ……蛇は毒の問題もあるだろうし、危険だろうということで食べられなかったが、ともあれ数日をかけて山の中を歩き続け、ようやく山頂に近付いていた。
本来なら数日という時間があれば容易に山頂に到着し、あるいは下山に成功していてもおかしくはないのだが、そんな中でもここまで時間がかかったのは、単純にこの山には多数のゴブリンが棲息していたからというのが大きかった。
一匹や二匹ならともかく、三匹、四匹、五匹……といった数になれば、井尾では勝ち目がない。
そのため、ゴブリンに接触しては逃げてといった真似をしていたために、ここまでの時間がかかったのだ。
そうして山頂近くまでやってきた井尾は、そこにある崖の上で草原進むゴブリンの軍勢を目にしたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます