「第2章 ココアケーキ」
横断歩道を先に渡った陽菜はグリーンドアの前に立ち、店名の由来となっている木製の緑色のドアを開けず、スッと中に入って行った。まさに幽霊だ。信号がようやく青になり、青信号限定の独特の音楽を背景に僕も横断歩道を渡りグリーンドアの前に立つ。勿論、人間である僕はドアに手をかけて普通に入った。
「いらっしゃいっ!」
オレンジ色の程良い照明に包まれて、コーヒーの豆の香りが鼻一杯に飛び込んでくる。外観から見るより店内は広く、僕より歳上で年季の入ったソファー席とカウンターが行儀良く並んでいる。
一番奥のカウンター席に座りニコニコ顔でこっちこっちと手招きをする陽菜。僕は彼女に隣に腰を下ろす。
「どうも、山科さん」
席に着くと、先程いらっしゃいと言った山科さんに挨拶をした。黒い短髪と優しい笑顔を見せる彼は「おうっ」っと言って、カウンター向かい側の調理スペースから傍に来る。
「今日は何にする?」
「私、ココアケーキセット!」
勢い良く手を突き上げて答える陽菜。どうせ食べれないのに。っと思いつつ(実際に口に出すと拗ねるので言わない)僕も自分の分を注文する。
「僕はカフェ・ラテ」
「かしこまりました」
注文を聞いた山科さんは調理スペースに戻って行った。隣にいる陽菜はココアケーキを楽しみにしていて、まだかまだかとソワソワしている。彼女が犬なら尻尾を左右に振っているに違いない。しかし、急に何かを思い出したように両肩をピクッとさせて、僕の方を向いた。
「あれ? 悠君もココアケーキ食べたいんじゃないの?」
「あー」
その事か。店内に入ったら言おうと思ってたんだ。誤解だと伝えようと口が開いた所で、陽菜は「分かったっ!」っと自分の両手のパーをパンっと合わせる。
「私の分を貰おうとしているんでしょう~。あげませんよ? ……一口なら良いけどさ」
「大丈夫、全くいらないから。うん、本当に」
「何~!?」
僕の言葉に反応したのは、陽菜ではなく山科さん。僕達の注文を銀色のトレンチに乗せている。
「ウチのココアケーキを全くいらない? 言うようになったなあ悠坊?」
「なったな~悠君」
注文した僕達の物を並べながら、文句を言う。それに便乗する陽菜。もっとも、彼女の顔は僕を見ておらず、ココアケーキに夢中であった。
誤解は凄い勢いで上昇中である事に変わりない。大気圏を突き抜ける前に阻止しなければ。
「ココアケーキは小さい頃に何度も食べたからいらないって意味で。味が不味いとかそういうのじゃないからっ!」
二人に向けて強く言うと二人は声を揃えて「「はいはい」」っと笑顔で答える。この二人にはいつもこんな感じでからかわれてばかりだ。小さなため息が出たので、手元にあるカフェ・ラテを冷ますのに有効利用する。
陽菜は、目の前に置かれたココアケーキをじっと見つめている。
彼女は幽霊なので直接的に飲食が出来ない。だから代わりに見るのだ、それはもうひたすらに。時々、口がモグモグと咀嚼しているように動くが実物に変化はない。ただ、口を動かす陽菜は笑顔である。前に聞いた事があるのだが、食べ物を見て口を動かすだけで、生前と同じように味が口内に広がるらしい。しかも、いくらでも食べる事が出来て満腹感がないと言う。
本人曰く、豪華ホテルのバイキングにはきっと幽霊が沢山いて、多種多様な料理を堪能しているでしょう、との事。
店内には僕達の他に、自習する大学生? の男性が一人だけ。ゆったりした時間が流れている。きっと、推定大学生の目にはカウンターで高校生が二人分のメニューを食べている姿が映っている事だろう。これが恥ずかしくないのは、グリーンドアだからだ。初めて行く店だったら恥ずかしくて頭から蒸気が出ている。
幸い、推定大学生から特別不審な視線は感じない。
唯一の救いは視線の先でニコニコしながら携帯電話を弄る山科さんだ。指の動きからきっとメールしていて、相手は娘の香夏子ちゃんだろう。
小学四年生の香夏子ちゃんに最近、携帯電話を買ってあげたらしく、彼女からメールが届くと決まって御機嫌になっている。本当に娘が大好きなんだから。典型的な親バカなのだ。将来、僕くらいの歳になった、思春期の彼女に冷たくされる哀れな山科さんが目に浮かぶ。
さて、話は変わるが、山科さんに陽菜の姿が見えるのは霊感があるかららしい。
だから二人は当たり前に会話している。陽菜が幽霊となってから僕以外に話をしているのは山科さんだけ。
陽菜本人が言っていたから、本当なんだろう。
「陽菜はさ、寂しくないの?」
「何が~?」
ココアケーキを見つめたまま聞き返す御機嫌な陽菜に聞いてみる。
「陽菜は僕と山科さんにしか見えないんだろ? 家族には見えないんだよね、辛くない? 僕がおじさんとおばさんに話をしてもいいけど……」
「ありがとう、悠君は優しいね。確かに辛くないと言えば嘘になるけど、最悪じゃないから大丈夫」
瞳の照準をココアケーキから僕にする陽菜。
「最悪じゃない?」
「うん。だって世界で一番大好きな人には見てもらえるから」
「……んが」
一点の迷いも曇りもない陽菜の笑顔は、彼女の言う世界で一番大好きな人へと向けられた。向けられた僕は照れてしまって上手く声が出ない。
「照れてる~。悠君可愛い~」
ニコニコしながら頭を撫でる陽菜に僕はされるがままだった。僕の頭をしばらく撫で続け、やがて満足したのか。
「はい、お終い」
っと手を離した。離れた瞬間、少しだけ寂しい気持ちになったのは秘密だ。
「すげえイチャイチャしてるよ、頭とか撫でてるし。あそこの高校生カップル」
自分は普段、香夏子ちゃんの頭を撫でまくってる癖に良く言う。
「いいだろー。この可愛い悠君は私のだぞ~」
「へいへい」
自慢する陽菜に呆れ顔の山科さん。そして完全に陽菜の所有物になってしまった僕。不満はないけどね。
「ココアケーキ御馳走様でした。では、日課の幽霊散歩に行ってきますっ!」
ココアケーキを堪能した陽菜はそう言って椅子から立ち上がった。足を床から離してフワフワと気球の如く浮き始める。
「行ってきます悠君」
「行ってらっしゃい」
タンポポの綿毛より軽い印象を持たせる陽菜は、天井まで上がり、それすらも通り抜けて行ってしまった。彼女が座っていたカウンターには綺麗な状態のココアケーキがあった。
「幽霊散歩か……」
陽菜は自分が幽霊となった事を苦に感じていないらしい。それどころか、この環境を最大限楽しむとかで“幽霊散歩”と称して浮き上がり、ああやって散歩に出かける。
陽菜が纏う雰囲気は生前と何も変わらない。なので、食べ物を食べなかったり、ドアや天井を通り抜けたりと言った幽霊的行動をすると改めて思う。
彼女はもう死んでしまっているだなと。
隣にいた陽菜がいなくなり、一人になった僕はカフェ・ラテを見つめる。最近は僕も彼女の影響を受けてよく飲食物を見つめるようになった。
恋人の仕草や癖は伝染するって、どこかの雑誌に書いてあったのを思い出す。どうやら本当らしい。
「揃いも揃って熱心に見つめちゃってまあ……」
そう口にしながら、山科さんがコーヒーを飲んでいた。
「しょうがない。最近は一緒にいる事が本当に増えたから。もしかしたら、生きている時よりも」
「一緒にねぇ。まさに憑りつかれてるな」
「っと言っても毎日毎日一緒じゃなくて、いない日もあるけど」
陽菜が死んでいる事実は勿論悲しい。その悲しい気持ちに包まれて涙を流し続けるのは簡単だ。けど、それよりも少しでも現状のメリットを考えてポジティブになる方が良いに決まってる。
僕は再び、カフェ・ラテを見つめた。こうしていると、僕も口内に味が広がっていく気がした。喉を伝わる苦さと甘さ。現物が減らずに味わえるのは中々に便利である。
「…………」
山科さんが何かを言いたそうにこちらを真っ直ぐ見て黙っている。僕を捕えて離さない彼の黒い二つの瞳。この目を向けてくる時は、どういう時か知っている。今までに何回かあった。最近だと中学三年の時の大雨の日。
僕は山科さんがその目をする時が苦手である。
「何?」
向こうが次に何を言うか。分かっているのに知らないフリをして聞いてしまう。心が深く沈んでいく。
「悠坊、一体何を隠しているんだ?」
「別に、何も隠してない」
小さい頃から知られているので、自分の心の内がいとも簡単にバレてしまう。山科さんには、これまでどれだけ隠しても何度も見抜かれてきた。
「俺は君達二人が大好きだ。それに長い付き合いでもある。それこそまだ、今悠坊が座っている椅子に足が届かない内からのな」
「うん」
逃げるようにカフェ・ラテに目を落とす。今度は味が広がらなかった。
「こういうのはお節介だ。俺自身、他人から言われるのは大嫌いでもある」
前置きを話す山科さんにコクンと頷く。
「いいか、君達二人は恵まれているんだ。普通、恋人が幽霊なんてあり得ない。こんな事を言って悠坊が嫌な気持ちになってしまうのは重々承知している。けれど、これだけは言わせてくれ。後悔だけはするな」
「後悔……」
山科さんの後悔と言う単語が耳に残り、口から勝手に漏れ出してしまう。
「後悔と言うのは大抵終わってから気付く。あの時こうしておけばとな。悠坊だって経験がない訳ではないだろう? ただ、後悔ってのはすぐに忘れてしまうし、中々思い出せない。その為に人の言葉がある」
山科さんの話は抵抗なく頭に入ってきた。
確かに、今の状況は常識的じゃない。世間と比べたら大変恵まれている。それが分からない程、もう子供じゃない。
僕は視線をカフェ・ラテから天井に移す。陽菜が通り抜けた天井に。
「誰だって隠し事の一つや二つあるだろう。俺だってある。でもな、今の陽菜ちゃんに隠し続けるのは絶対止めておけ。俺がお節介出来るのはここまで。嫌な気持ちにさせてすまなかった……」
「ありがとう、もうちょっと自分で考えるよ」
「おう、考えろ考えろ。沢山考えて自分の中で納得出来る正解を見つけたら、それでいいんだ」
笑顔の山科さんに少しずつ勇気が湧いてきた。言える日もそう遠くないかも知れない。
「たっだいまーっ!」
音もなく風もなく、スっと陽菜が天井から帰ってきた。まさに幽霊だと感心しつつ、さっきのが聞かれていないか不安になる。彼女の最初の一言を聞き逃すまいと、身構えるとキョトン顔で彼女は首を傾げた。
「どしたの? お腹痛い?」
どうやら大丈夫のようだ。小さくため息をつき、口を開こうとする。しかし、僕よりも先に山科さんの口が開いた。
「いやあ悠坊は、陽菜ちゃんがちょっとでもいなくなるのが耐えられないんだなー。すぐこうやって寂しそうな顔をする。さっきだってずっと天井ばかり見てたんだぜ?」
「なっ!?」
どうやら山科さんなりのフォローしているつもりのようだが、恥ずかしい濡れ衣を着せられただけだった。案の定、陽菜はキョトン顔からパアっと明るい顔へと進化してしまう。
「そっか~。そんなに私が好きなのか~。大丈夫大丈夫。私も悠君が大好きだよ。まっ、お互いの好きを数字に変換したら私が勝っちゃうけどねっ!」
それはない。すぐに否定出来る。僕が陽菜をどれだけ大切に想っているか。彼女は知らないから、そんな事が言えるのだ。告白だって僕からしている。相手を好きな気持ちはこっちが上に決まっているじゃないか。
しかし、現状彼女に隠し事をしている。
だから今なら、もしかしたら、僅差で負けてしまうかも知れないな……。
「ありがとう陽菜」
こんなどうしようもない自分を好きだと言ってくれる陽菜に心から感謝した。これも、さっきの話に出た後悔しないに含まれるのだろう。
好きと言える内に言えばいい。
僕が急に真面目に返したものだから陽菜は恥ずかしくなったらしく「お、おう……っ!」っと顔を赤くしていた。
「仲良いねぇ~」
やりとりを見ていた山科さんが腕を組み、ウンウンと頷く。
「そうでしょ、そうでしょ~」
横からギュっと僕に抱きつきながら自慢する陽菜。
うわ、幽霊なのに良い匂いするっ! 優しくて甘い匂いが僕の鼻をくすぐった。
「さて、そろそろ帰りますか?」
パっと僕から離れる陽菜が提案する。匂いの残滓が微かに空中に漂っていた。
「そうだね」
気付けば、店内にある アンティークの壁掛け時計は短針が二周目に突入しようとしていた。そろそろ帰らないといけない、明日も学校だ。
「ちぇ。もうちょっといればいいのによぉ」
ブツブツ文句を言いながら、時計を恨めしそうに見る山科さん。
「また来るよ」
「そうそう」
彼を宥めつつ僕達はグリーンドアを出る。
出る直前、振り返ると山科さんが僕に何かを言いたそうな顔をしていたが、ちゃんと伝わっていた。
陽菜に気付かれないように、片手を上げて合図を送る。
僕は後悔しない、ちゃんと陽菜に「ゴメン」って言ってみせる。
たとえ、彼女が覚えていなくても。
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