「第9章 今度も得意気に」

「第9章 今度も得意気に」 (1)

(1)


 春がすぐそこまで来て、段々と空気が暖かみを持つようになった。


 そんなとある日の出来事である。




 いつものように彼は文庫本を読みながら、緑色のドアが目印の喫茶店いた。座っている窓際の席はすっかり、指定席と化しており、赤い窓枠から見える外の風景も見慣れていた。


 ビジネス街であるこの辺りを歩く人々はサラリーマンが多く、この間までは皆スーツ上から重たそうなコートを羽織っていた。最近では、春物のコートが少しずつ増えている。


 全く知らない人々を一つの景色として、この窓から眺めるのが好きな自分は、今日も小説の章と章の間に外を眺めていた。


 そんな中、スーツとは違う服装の女子高生の姿を見つける。


 学校指定の紺のダッフルコートの前を止めずに羽織っている彼女は、おぼつかない足取りだった。


 風にふわりと浮いた髪から見える横顔で彼女がクラスメイトだと分かった。


 澄んだ声のクラスの中心人物。


 朝、教室に入るだけでクラスメイトは自然と彼女に注目する。


 対して彼は教室内で空気のような存在だった。特別、注目されるような事をしない為、誰からも注目もされない。


 一つの部屋で正反対の二人は、当然会話などした事がない。


 大体、向こうが自分を知っているかすら疑問だ。


 こちらは空気のように教室を漂っているに過ぎないのだから。


 自虐的な事を思いつつ、彼は窓に映る彼女を目で追っていた。彼女はまだ怪しさが残る足取りで信号のない横断歩道に立った。




 ふいに彼の耳に届いていた全ての音が聞こえなくなった。




 続いて、何かに上から引っ張られるようにして立ち上がる。


 大きな音を立てたのだろう。


 仲の良い女性店員が驚いた様子でこちらを見ている。だが今は彼女に構っている余裕はない。


 店名にもなっている緑色のドアへと駆け出した。


 鳴っているはずのカウベルの音が耳に聞こえない。


 外に出ると春混じりの自由な風に歓迎された。


 一身に風を受けながら、その自由を突き破る勢いで信号のない横断歩道へと走り出す。


 頭の中は余計な疑問が一切なく、ミネラルウォーターのように透明だった。ただ、何かに突き動かされている感覚だけが伝わってくる。


 自分を後押しする何かに身を任せて彼女の手を掴んだ。


「っ!?」


 両肩を跳ねて振り返る彼女。シャンプーの甘い香りが鼻に届く。


 先程まで店内にいた彼と比べて彼女の手は春風に弄ばれて冷えていた。


 途端、今まで耳に届かなかった数々の音が到着し始める。


 どうやら世界が元に戻ったらしい。それを認識して顔を上げる。


 未だ驚いた表情で固まっている彼女がそこにいた。何かを言えばいいのに何も言えず固まっている彼女。次第にその顔は赤く染まっていく。


 その様子に愛しいと感じる自分がいた。


 そして、彼女に向かって得意気に口を開く。




「また、俺の勝ち」






                      イエローブースター(了)

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