「第8章 奇跡の重さについて」 (2)
(2)
悠木が発した言葉は、ここ数日で一番の衝撃だった。
あまりの衝撃に巧は右手を上げたまま止まってしまう。空気が完全に姿を変える。その間に地下鉄はやって来て先程までこちらを見ていた乗客達はいなくなり、地下鉄も自分達を置いて発車した。
地下鉄が乗客を持って行った事で右手を下ろせた巧だったが、未だに驚きは隠せない。今、彼の頭の中には疑問しかなかった。
何で知っているんだ? まさか、榎本さんと悠木が繋がっている? いや、だったら、彼女は絶対にその事を話してくれる。では、どうして?
無限に湧き上がる疑問を言葉に変換して聞こうとするが、衝撃のせいで喉が掠れて上手く声が作れない。
そんな巧の様子に悠木は「やっぱりな」っと小さく呟いた。
「ベンチに戻ってくれ。まだ、話は終わってない」
「分かった」
事情が変わった巧は素直に受け入れて、再びベンチへと腰を下ろす。
先程まで座っていたので、ベンチはまだ温もりを保っていた。隣に座った悠木が腕を組んで、何かを考えている。やがて、「そうだな……、どこから話そうか」っと声を出した。
「全部話してくれ。これに関しては聞かなきゃいけない」
「よし、じゃあ一から話そう。まず、どうしてイエローブースターを知っているのか。その説明をする為には俺の中学時代まで遡る必要がある」
「中学時代?」
巧が聞き返すと「そうだ」っと悠木は頷く。
「中学時代、俺とお前は会っている。それだけじゃなく、会話もしている」
「悠木と会ってる? 会話も? いや、でも……」
巧は自身の中学時代を回想する。何度も転校したが、どこの学校にも悠木の姿はなかった。会話までしているなら、流石に覚えている。覚えていないのは、会っていないかクラスで話した事ない生徒のどちらかしかない。
覚えている。
そう考えた時、一つの仮説が生まれた。
会話をしていて、覚えていない人物。それは今現在、巧には一人しかいない。背筋から汗が流れた、頭がジンとする。
「まさか……」
ルーズリーフに書かれていた××という名前。そして、それを読む事で頭に流れる映像には、全てノイズがかかっていた。巧はその人物が誰なのか分かっていない。しかも当人をイエローブースターで消している。
生きているか死んでいるかも分からないと榎本に言われた。それは四回目の本来とは異なる使用方法でイエローブースターを使ったからだと。
だから、巧はもういないのだと思っていた。探す手段がない以上、どうしようもない事だと自分に言い聞かせて。
それなのに悠木が、イエローブースターで消した××だった?
とてもじゃないが、信じられない。
「悪いけど、急に言われても信じられない。大体、あの時にイエローブースターの話はしてない。もし仮に悠木があの時のヤツだったとしても、知る事は出来なかったはずだ」
「確かに、それはそうかもな」
巧の疑問を受けて割とあっさりと悠木は納得する。その軽さにやはり違うのではないかと疑いの目を強くしていく。
「よく一緒に帰って俺の中にある不快感を香月に消してもらっていた。あの時はイエローブースターを使っている事を教えてくれなかったもんな」
「そうだ。言ってない、知ってる訳がないんだ」
悠木の話で話していない事実が具体的に形を作っていく。同時に一緒に帰った事、不快感を消していたのがイエローブースターだと教えてなかった事を言われて、本人なのではと気持ちも形が明確になっていった。
「仮に本当に悠木が××だとして……。どうしてイエローブースターを知っているのか。そこを聞きたい」
慎重にそう尋ねると「勿論」っと悠木は頷く。
「香月は俺に対してイエローブースターと叫んだ時が一回だけある。俺がトラックに轢かれそうになった時だ」
「あっ、」
確かにあの時だけは悠木に向かって叫んだ。そうか、それでイエローブースターの名前を知ったのか。
繋がった事実に巧の腕には鳥肌が立っていた。
「トラックのクラクションの方が大きかったのは、間違いない。それなのに俺の耳にハッキリとその言葉は届いた。当然だけど意味は分からない。それもあって、つい反射的に振り返ったんだ」
遠い昔をゆっくりと思い出しながら話す悠木。彼の口ぶりに巧もまたあの日に戻っていた。
「振り返った直後だった。俺の視界は一瞬で暗くなった。咄嗟に死んだって思ったけど、体はどこも痛くなかった。そして暗さが取れた時、俺がいたのはどこかの病院のベッドの上ではなく、自分の部屋のベッドの上だったよ」
「ベッドの上?」
悠木の言葉に巧は目を細める。イエローブースターが発動した時点で悠木のマンションからは彼の部屋は失くなっているはずだ。他ならぬ自分自身が確認している。
そう考える巧を見て、悠木は小さて笑って頷いた。
「香月の言いたい事は分かってる。あの時に住んでいたマンションを探したけどウチの表札は失かったんだろう? 俺が目を覚ました部屋は、間取りこそ同じだったが、違うマンションだったよ」
「違うマンション?」
「ああ。それに時間も朝だった。今でも鮮明に覚えてる。見慣れたカーテンを開けると、外の景色が全然違ったんだから。ああ、俺は死んで夢を見てるんだって本気で思ったよ。でもそうじゃなかった」
「夢じゃなかった。じゃあ、どこに行った? かつて住んでいた都会?」
巧はメールに書かれていた悠木の望みを思い出して、そう尋ねた。また、それなら彼に対してかけたイエローブースターは成功したとも言える。
こちらの問いに悠木は「いーや」っと首を左右に振って否定した。
「都会ではある。雪は降ってなかったし。山じゃなくてビルが見えてた。だけど、そこは俺が今まで行った事のない場所の景色だった」
「行った事のない場所の景色……」
悠木の言った事を復唱して、どうしてそうなったのか原因を考える。
あの時、悠木のメールに書かれていたのは、ココとは違う場所へ行きたい。
助けたいという気持ちで使用した四回目のイエローブースター。
その二つが絡まって、今回の結果が生まれた? 不完全な状態での奇跡が発動したという事か。
巧が経緯を考えていると、悠木が言い辛そうに頬をポリポリと掻く。
「あと、付け加えると知らない場所に行ったのは、俺一人だった」
「はっ? 一人?」
意味が分からず首を傾げる。それに悠木は「ああ」っと頷く。
「知らない場所へワープしてしまった俺の部屋。とにかく状況を確認しようとおそるおそる部屋を出た。自分の部屋以外は知らない間取りで、廊下を辿ってリビングの前まで来た。緊張しながらドアを開ける。すると、そこには二人の大人がいた」
「二人の大人って両親の事だろ?」
なんだ、家族がちゃんといるじゃないか。話に両親が出て来て安堵する。
ところがその安堵はすぐに消えた。
「リビングにいた大人は両親じゃない。俺の知らない人達だった。だが、彼らは俺を息子のように接した。当然のように名前で呼んでくる。今度こそ夢なんだと思った。だがそうなると、夢は覚めずに今も続いている事になる。それから約三年、本当の両親ではないと言っても、もう俺には前の両親の方が思い出せない。少しずつ体から流れ落ちたらしい」
「そんな……」
知らない大人が自分の事を子供として扱い、その生活を続けて本当の両親を忘れる。悠木の話した事はとてもじゃないが、すぐには受け入れられない。あの時のイエローブースターは、こんな事になってしまったのか。
だったら自分を悠木は絶対に恨んでいる。いや、恨まれて当然の事をしている。一人の人間を別人にしてしまったのだ。
巧がそう考えていると、何かを思い付いたように「あっ」っと小さく声を漏らした悠木は、右手を左右に振った。
「勘違いしないでほしいんだけど、俺は香月を恨んでないから」
「どうして? 別人にされたのに? そんなのおかしいだろ」
悠木の恨んでいないという発言がとても信じられない巧は思わず口から疑問が漏れ出た。
「ん〜。別人にされたっていうのは当たってるか。正直、悠木って名前すら前からなのか、それともあの朝からなのか分からないしな」
「じゃあ、尚更じゃないか」
「そりゃ最初から全く恨まなかったというのは無理がある。だけどな、大前提として香月は俺を助けてくれた。あの時、トラックに轢かれる寸前にイエローブースターと叫んでくれなかったら、俺はココにいない。どんな形でも生かしてくれた事に感謝するのは、当たり前だ。ありがとう」
ありがとう。
イエローブースターを他人に使って、初めて礼を言われた。
言葉そのものは人生で何度か聞いたが今のは、それまでとは一線を画す程の代物だった。自然と涙が溢れてくる。
重力に従って、真っ直ぐ頬を伝う涙。
「何泣いてんだよ。あっ、まさか俺の話に感動した?」
「うるさいな。勝手に流れたんだ」
悠木に指摘されて巧は両手で涙を拭う。だけど、まだ涙は止まらない。こんなに涙腺が活発なのは、小さい時以来だった。
「泣いてくれるのは嬉しいけどさ。そろそろ本題に入りたいんだけど」
「本題?」
「ああ。言ってしまえば今までの話は全部前置き。ココからが本題」
そう話して悠木が口を閉じる。彼の口が再び動くまでこちらは黙っているしかない。両者の間に沈黙が流れる。それを壊すようにホームに地下鉄が到着するアナウンスが鳴り響いた。
やがて、沈黙を守っていた悠木が口を開いた。
「今、香月が悩んでいる事に俺の存在が重荷になっているのなら遠慮しないでほしい。それを伝えたかったんだ」
遠くから勢い良く吹く風と共に地下鉄がホームに到着する。ドアが開き、乗客の乗り降りが行われた。その間、巧はずっと黙って何も話そうとしない。そのせいで両者の間には、また沈黙が流れていた。
二人の沈黙を埋める役目をしていた地下鉄が発車してホームに静寂が戻る。その時に巧は溜め込んでいた息を吐いた。
「でも……、そうなったら悠木がどうなるか分からない。今度こそ本当に消えてしまう可能性だってある」
前後の文脈を話さずに問題点だけを伝える。それで悠木には充分伝わった。
「構わない。既に一度助けてもらっている。本来ならあそこで死んでいた俺の人生。今日まで生きられただけでも充分過ぎる」
「でもっ!」
悠木の物言いに思わず大声が出た。彼の発言は捉え方によってはもうこの世に未練がないように言っているように聞こえたからだ。
「大声出すなんて珍しいじゃないか。平気だって。本人がそう言っているんだから。それに今の言い方だと、まだ完全に消えるとは決まってないんだろう? なら大丈夫。なんだかんだで今回も消えないと思うぞ。俺は」
根拠ゼロの未来を悠木は気楽に話す。彼は、イエローブースターについて何も知らない。奇跡を起こせるという事も出来ない事もあるという事も。
知っている側からすれば、悠木の言い方はあまりにも滑稽で馬鹿らしい。
それなのに、なぜか安心する力を持っている。この力は自分にはない。榎本にだってなかった。
そうか。これがイエローブースターをかける側とかけられた側の違いなのか。それを実感出来た時、巧の心がふっと軽くなった。
「本当に、良いんだな」
「ああ。その代わり消えなかったら、前にみたいに俺と話すように」
「分かった」
悠木との約束を交わした巧は、この駅に到着した三本目の地下鉄に乗った。勿論、隣には悠木がいる。三本目ともなると車内に同じ学生の姿は殆どなく、空いていた。二人は適当なシートに腰を下ろす。
車内では二人の間に特に話はなかった。二人共、さっきの時点で話したい事は言い切ったので、体力が完全に切れていた。
目的の駅に到着するまで二人は目を瞑って過ごしたのだった。
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