「第5章 どうしようもない事」 (3)
(3)
この時期の夕焼けはどこか寂しさを内包している。
きっと風の冷たさがそうさせるのだ。頬を触る風は何かを訴えるようで積極的に熱を奪ってくる。今日一日をワープして疲労が溜まっていた巧にとってこの風は辛いものだった。
「……さむ」
マフラーに埋もれた口が、小さく苦痛を漏らす。
今日の授業の記憶はない。休んだのと一緒だ。ちゃんとノートは書けているだろうか。いや、それ以前に今日は何の課題が出されたのだろうか。二年になって課題は毎日出ていた。金曜日でも月曜日でも祝日前でも課題は出た。
二年なっていつも通学カバンにはノートが入り、そのせいで重たかった。しかし、今日は嘘みたいに軽い。
「あー」
明日に不安を感じて声が出るが、それだけだった。今から学校に戻ってノートを確認する。そんな行動力はどこを探しても見当たらない。
今も自分の中に得体の知れないガスが溜まっている。
どうやら今日一日の学校生活中もずっと溜まり続けていたらしい。
まだ頭は霞がかかって、ぼんやりしている。こうして地下鉄を待っているだけでも良くやっている方だと、自分自身に感心する。
トンネルの奥から、黄色いライトを光らせて、地下鉄がやって来た。開いたドアの温もりに吸い込まれるように足を踏み入れてシートへ腰を下ろす。
どこまでも抵抗感なく自分の体重を預ける事が出来たシートは、巧に深い安心を与える。これが今日一番嬉しい事だった。
喜びと疲れから巧の意識は自然と落ちていき、目が覚めた時は丁度降りる駅の一つ前の駅だった。
ドアが開いた時、ぼんやりとした頭でふとある事を考える。
もしかしたらこの地下鉄のどこかにあの二人が乗っているかも知れないな。なら、こちらから話しかけようか。いっそ、とことんまで嫌われた方が互いの利益になる気がする。
眠気に任せておかしな事を考えた。いくらそんな事を考えても、実際出来ないのは自分が誰よりも理解している。まだドアは開いていた。それが巧にはとても長い時間に感じる。
その開いたドアの向こうから吹く風は温かかった。巧は立ち上がり、ホームへ降りる。そのまま改札を通り、一番近い出口から地上へ出た。
この地下鉄の路線は駅毎の区間はそこまで離れていない。それもあって、外の景色には見覚えがあった。どこに向かえばいいのか見当が付く。
しばらく歩いて横断歩道を三本渡れると繁華街へと出る。ホームで地下鉄を待っていた時は、まだ夕焼けだったのにもう殆ど残っておらず、空の大部分が夜になっていた。
夕焼けと夜。
二色が奇妙に混ざり合う空の下、巧は歩き続ける。
いつもならつい立ち寄ってしまうアーケード。その中にある書店も今日は横目で捉えるだけだった。
更に南下していき、やがてとある横断歩道へ着いた。
そこは信号のない片側一車線の細い道。すぐ近くに高速道路のインターチェンジがあるので、幹線道路の流れは速く、側道であるこの道もそれを受け継いでいる。そして、周囲に巧以外の人間はいなかった。
元々、この道を通る人間は暗くなる程減少する。わざわざ通らなくても駅に直結している地下道があるからだ。
だから走る車のスピードは、時間が遅くなるにつれて乱暴になっていく。
巧は、それを何故か知っていた。
横断歩道に立ち反対側を見つめる。距離にして僅か五、六メートル。まるで、海岸から見える遠くの山々のように果ての果てに感じた。
既に街灯が点き始めたこの通りに人の気配はない。一つ向こうの幹線道路からの車の走行音が絶えず聞こえるだけだった。
横断歩道の海岸の中心へ立ち、目を瞑った。
『——神様とのちょっとしたゲーム。自分の命を希薄にする行動は、終わった時に代え難い充実感を得る。それをやると溜まっていたガスが消えているんだ』
ふいに誰かの声が頭の中に響いた。誰の声なのか思い出せない。おぼろげな女性の声。それも少し寂しさを内包していた。
溜まっていたガスが消える。巧が今、最も欲しい情報だった。
消せるなら、神様とのゲームだって何だってやってやるさ。
知らない誰かの声を心強いアドバイスに変えて目を瞑ったままどこか満足気に口を緩ませる。
閉じた暗い視界に街灯のオレンジの明かりが瞼の裏から透過される視界で、巧は右足を一歩前に踏み出した。
最後に見た景色から今いる場所を想像する。そこは横断歩道の白線の上。まだ、右足しか出ておらず、左足は歩道にある。だけど、それだけでガスが消えていくのを感じた。
凄い、朝の時とは比較にならない。
命を無造作にするという感覚。普段、何気なく出している一歩の重み。
それらが心を極限まで薄くする。
ああ、これ程とは。
目を瞑ったまま、味わう独特の感覚に高揚感を得た巧は、全身を震わせて堪能してから、次の足である左足を前に出した。
目を瞑っているせいか、足を動かすだけなのに体のバランスが思うように取れず崩れそうになる。
「おっと、危ない危ない」
何も見えないので人の目を気にしなくなった事、高揚感が残っている事もあって、陽気にそう口にした。
あの二人は今の自分を見てもまだ、ボランティア活動が出来るだろうか。
聞けるものなら是非聞きたい。だが、残念だがココには自分しかいない。
しょうがない。そんな事をより、邪魔なガスを消してこの高揚感を噛み締める方が大事だ。優先順位を切り換える。
「あ〜」
思わず声が出る。右足の高揚感を持続させるばかりか、相乗効果となり増幅させる左足の高揚感。
もっと味わいたい、失いたくない。
その欲求はとても素直だった。巧は迷う事なく次の右足を前に出す。
一歩、また一歩とどこまでも増幅する高揚感は足を前に進めさせる。
今、何歩目の足を出しているのか。一体、あと何歩で向こうに着いてしまうのか。もう分からない。
とにかくまだ着かないでほしい。ずっと味わっていたい。
それだけを願っていた。
だが、高揚感を生み出す特別なガス抜きが終わったのは、ゴールに到着してからではなかった。
心臓を掴んで揺さぶるような轟音が全身を叩いた。
現実へ強制的に引き戻された巧は目を開ける。
振り返ると横断歩道全体の半分以上も歩いていた。
そしてすぐ横、手を伸ばせば確実に届く距離に黒のセダンが一台、停車している。巧を現実へ引き戻した轟音の正体が、この車のクラクションだと気付いたのは、すぐだった。
何故か走行音は聞こえなかったのは耳が無意識に消していたからだろう。
流石にクラクションはどうにも出来なかったらしい。その場に立ち尽くして巧は、冷静に自己分析をしていた。
完全に夜になった空の下、車はヘッドライトを点けて、夜道を照らしている。地下鉄とは出力は違うものの、眩しさに手をかざす。
運転席のドアが開き、運転手が降りてきた。
車の色から運転しているのは、男性だと勝手にイメージしていたが、それに反して降りてきたのは、女性だった。
顔立ちは若いが綺麗で清潔感がある。着ているグレーのスーツも合わさり、落ち着いた印象も持っていた。少なくとも自分の周りにはいないタイプの人間である。茶色が混ざったストレートの髪は軽そうで夜風に揺れていた。
彼女が運転席のドアを開けたまま、こちらに足を向ける。
怒られる。
全身を走る緊張が警告してくる。
それなのに抗う事が出来ない。
ついさっきまで高揚感を与えていた足も今は完全に石になってしまった。動けないまま、彼女が来るのを待つ事しか出来ない巧。彼女が一歩近付く度に脳内でアラートが鳴り響く。
動けない事に苦しんでいる間に彼女は、巧の目の前までやって来た。
「大丈夫?」
「えっ、……はい」
てっきり怒られると思っていた巧にとって、心配されるのは予想外だった。そのせいで気が抜けた返事をしてしまう。
彼女は巧の体をぐるりと回ってどこも怪我をしていないのを確認すると「よしっ」っと笑顔で頷く。その笑顔で緊張が解けて石になっていた足の神経が繋がった。
「すいませんでした」
学校の時よりも丁寧に頭を下げて謝罪した。
そして、この場にいればいるほど、良い事がない事を分かっている巧は、急いでその場から離れようと体を反転した。そのまま一歩を踏み出した時、腕を後方にグイッと引っ張られる。
「ちょ、ちょっと待ってよ。そんなに急がなくてもいいじゃない」
「いや、」
やはり、今度こそ怒られる。このまま警察や学校に連絡されたら全て終わり。どうしよう、両親になんて言えばいいんだ。
一気に悲観的な未来が想像を駆け巡る。自然と鼓動が激しくなった。
そんな心境を知ってか知らずか、彼女は手を離してクスッと笑った。
「大丈夫、別に誰にも言わないから。ほら、車に乗りなさい。駅まで送ってあげる」
「でも、駅すぐそこですから」
歩いて十五分、しかも一本道。わざわざ車で送ってもらう距離ではない。大体、駅前が繁華街なのだ。きっと、車側の方が面倒なはず。
「いいから乗りなさい。言う事聞かないと、警察に言っちゃうぞ〜?」
「うっ、分かりました」
それを言われると逆らえない。弱々しく頷く。
「よしよし、素直でよろしい。じゃあ行こうか」
満足気な彼女はスタスタと歩き車へと戻る。巧はその後ろをついて行った。
「助手席にどーぞ」
ドアを開けて座るよう促す彼女。巧は会釈をして静かに車へと乗る。
彼女の車は、自分の家の車とは全然違う匂いがして、とても緊張した。不用意にどこかを触って汚したり、傷を付けてはいけない。巧は借りて来た猫のように静かになり、高級だとひと目で分かる革張りのシートに腰を沈めた。
巧を助手席に乗せた後、彼女は運転席へ乗り車を緩やかに発進させる。一時停止していた横断歩道前を超えて右折、幹線道路へ出た。
「すっかり大人しくなっちゃって。そんなに緊張してるの? あっ、ひょっとしてお腹でも痛い?」
「す、すいません、大丈夫です」
体調を聞かれて慌てて問題ないと返す。彼女はまたクスッと笑った。
「別に謝らなくてもいいよ。それともさっきの警察に言うって本気にしてる? だったらごめんね。初めから言う気なんてないよ」
「そうなんですか?」
思わずそう聞いた巧に「そりゃそうだよ」っと彼女は続ける。
「そもそも事故じゃないもの。車だってぶつかってないし、怪我もしてない。なら、警察に言う必要なんてないじゃない? 向こうだってそんなに暇じゃないよ」
「あっ」
事故じゃない。単に横断歩道の真ん中に立って注意されただけ。確かに彼女の言う通りだった。
衝撃的な事が重なって冷静な思考を失っていた。つまり、この車に乗る必要も最初からなかったのだ。失敗した、無理矢理走ってでもあの場から逃げれば良かった。巧がそう後悔していると、車は丁度赤信号で止まった。彼女が顔をこちらに向ける。
「今、逃げれば良かったって、後悔してるでしょ」
「そんな事は、ありません」
まさに考えていた事を言い当てられて巧は目線を反らして否定する。
だが、そんな事をしても無意味なのは明らかだった。
彼女は小さく息を吐く。
「こうしておけば良かった。人生なんてそれの繰り返し。だけど、それはどれだけ思っても二度と元に戻せない。結局、その瞬間を精一杯生きるしかない。分かった?」
「はい」
「ほらやっぱり、後悔してたんだ」
「……いやっ! 今のはそういう意味ではっ」
乗せられてつい口が滑ってしまった。すぐさま否定するが、既に遅い。
赤から青になった信号に合わせて再び彼女は前を向く。
「あ〜あ。お姉さんショックだなぁ。まさか逃げるつもりだったなんて」
「す、すいません。勝手なのは自覚してるんですけど……」
声が少しずつ弱くなり、下を向いて答える。
「本当に君がそう思ってるなら、少し付き合ってもらおうかな」
「えっ? それってどういう——」
意味ですか。そう尋ねようとした巧だったが、彼が聞くよりも早く、車は右折専用ラインに入った。このままでは交差点を右に曲がり、正面に見える駅を通り過ぎてしまう。
「ちょ、ちょっと!」
「あれ? 逆方向だった?」
「いえ、方向は合ってます。そうじゃなくて右に曲がると駅を通り過ぎちゃいますよ」
「いいじゃない。大丈夫、家まで送るなんて事はしないから。せめて次の駅までは送らせて」
「次の駅ですか、まあそれなら」
一駅分なら大した距離じゃない。具体的な到着地が明確になった事に安心した巧はシートに深く持たれる。
「そうそう。そうやって大人しくしてなさい」
車は右折専用ラインから幹線道路同士の大きな交差点へと入る。
時差式信号が青を表示して、車は交差点を右折した。窓の外から見える、降りるはずだった駅が遠ざかっていく。
車は線路沿いの幹線道路を走る。決してスピードを出し過ぎず、かと言って後続に迷惑をかける程遅くもない。まさに適切な速度だった。タクシーよりも快適な彼女の運転で緊張が次第に薄れて、眠気に襲われる。
運転中の彼女が話しかけなくなった事もあり、それは強くなっていった。
まぶたのシャッターが半分降りている状態の巧は、流れていくお店の看板や車のナンバー等の文字を読む事でどうにか意識を保っている。
そんな状態の時、これまで黙っていた彼女が口を開いた。
「眠い?」
「いえっ、」
彼女の声を耳が拾い首をガクッと動かして意識が再起動する。そのせいで首を少し痛めた。
「我慢させてごめんね。そのまま眠ってくれても構わないから」
「大丈夫です。もう目は覚めました」
「じゃあ、お姉さんから一つ質問があるんだけど、いい?」
「何ですか?」
巧が尋ねると車内に再度沈黙が流れる。どうしたのだろうと考えていると、沈黙の正体が、彼女が聞くのを躊躇っていたのだと次の言葉で知った。
「どうして、目を瞑って横断歩道を渡っていたの?」
「あっ……」
咄嗟に返せなかったのは巧の失態。嘘でもいいから何かを言えばいい。それを分かっているのに上手く返せなかった。
「言いたくない?」
「そういう訳じゃありません。ただ言っても変に思われるかも知れなくて。それに……」
冷たい言い方をすれば、彼女は所詮外の世界の人間。たまたま今日、あの横断歩道で会った繋がりに過ぎない。そんな相手に果たしてガス抜きの話をする意味があるのかと、話す事に言い淀んでしまう。
そう考えていると彼女は前を向いたまま、優しい声で応えた。
「私は君を絶対に変に思ったりしないよ。だから、安心して」
安心して。
その台詞は巧の体の中心へと沈み、心の中を底からじんわりと暖め
もう、余計な事を考えなくていい。巧は言われた通り、安心して口を開く。
「ありがとうございます。実は——」
巧は事の顛末を語り出す。
これまでの転校から得た他人との距離の取り方。
現在の学校生活。
地下鉄の車内で聞いた悠木と佐原の会話。
全てを帳消しにする高揚感を生む、目を瞑って横断歩道を渡るガス抜き。
余計な誇張や嘘は言わずに全部話した。
彼女に話す事は同時に自身の心の整理をする意味もあった。口を動かす度に浮いていた不安定な心は地に足を着けて落ち着いていく。
彼女は巧の話を聞いている間、相槌一つ打たずに聞き役に徹していた。それが話しやすい雰囲気を形成して、最後まで自分のペースで話せた。
「——以上です」
話終えた時、頬が赤くなり更に喋り続けた事で喉が乾いていた。
気付けば、予定していた駅は目前。
到着までに話終えて良かったと巧は安堵する。
話を聞いて彼女はどう思うだろうか。もしかしたら自分には考えも付かない全く新しい解決法を教えてくれるかも知れない。僅かな時間しか接していないが、彼女は自分よりも確実に頭が良い。
そう期待を持って、彼女の次の一言をじっと待つ。
こちらから返事を急かさないのは、彼女の考えを邪魔したくないから。
それでも動き続ける車は巧から待ち時間を徐々に奪っていく。
このスピードでは返事を聞く前に駅に着いてしまうのでは。
何か言ってくれると信じているが、未だに何も言わず前を向き、運転している彼女に焦りと不安がどうしても生まれる。
もう駅はすぐそこ、ココで降りても歩ける程の距離だ。流石に返事を急かすべきだ。そこまで考えていると、ようやく彼女の口がゆっくりと開いた。言葉を発する為にすうっと息を吸っている。自然と体が緊張した。
「君にイエローブースターを教えたのは失敗だったかも知れないね」
知らない国の言語かと思った。
どうして? 何故? だって、でも……。
疑問が際限なく湧いて止まらない。
どうしていいか本当に分からなくて、目を見開き口を中途半端に開けた状態の巧。そんな彼に彼女は小さくため息をついた。
「いい? この後君が家に帰ってする事は、まず部屋の椅子に座って深呼吸。そしてイエローブースターを二回使いなさい。一つ目は、もし例えば、あの時捨てたはずのルーズリーフが机の引き出しに入っていたら」
彼女の声は隣にいるはずなのにやけに遠くに感じた。気を抜くと聞き逃してしまいそうになる。
「分かりました、もう一つは?」
「もう一つは、そのルーズリーフに書かれている子を思い出す事。もし例えば、そのルーズリーフの子は、自分が忘れてしまった大切な人だったら」
彼女の話す二つのイエローブースターの使い道。
他人から指示された通りに使うのは初めてだが、不思議と抵抗はなかった。数分前は自分の知らない解決法を願っていた。直接の解決法になるのかは不明だが、一応当て嵌まっている。
早くイエローブースターを使いたい。
その気持ちが自分の中で急速に高まっていた。
車は交差点を左折して、駅のロータリーへと入る。カラスのように黒いタクシーが何台か待機して乗客を待っていた。
彼女はカラスの間を滑らかに走り、ハザードを点けて車を止めた。
「はい、到着」
ガコっと音がして、ドアロックが外れる。シートベルトを外した巧は鼻から息を吸って、短く口から吐いた。最早、乗る前とは完全に違っている。
ドアを開けると、しばらくの間忘れていた冬の匂いがした。冬の冷たい風につい、足が止まりそうになる。早く閉めないと車内が冷えてしまうと、冷たい風に触られながら外に出てすぐにドアを閉める。
だが、その巧の気遣いも彼女はお構いなしといった様子で巧が乗っていた側のパワーウインドを下げてしまった。
寒い風が入らないようにしたのに。
彼女の言動に巧は少し残念に思う。でも当然、向こうには伝わらない。相手は身をこちらに傾けて、大きめの声を出した。
「三つ目のイエローブースターだけど、その時になったら自然に分かるから」
「はい。あの、今日は色々とありがとうございました」
自然に分かるとはどういう意味なのか。気になりつつも巧は了承して頭を下げた。
巧の礼に彼女は笑顔で頷いた後、真剣な顔で口を開く。
「もうあんな事しちゃダメだよ。私だっていつでも助けてあげられる訳じゃないんだから」
彼女の真剣な瞳から本気で心配しているのが強く伝わってきた。それが、今の巧にはとても嬉しい。一瞬湧きかけた涙を抑えて「はい、ごめんなさい。もうしません」っと強く誓った。
「よろしい。それじゃもう行くよ。またね」
「はい、送ってもらって本当にありがとうございました」
巧の礼に彼女は手を振ってパワーウインドを上げた。上がっていくパワーウインドがとても高い壁に見えて、距離を感じる。
完全に窓が閉まり、後方を振り返ってから彼女は静かに車を発進させた。
車がロータリーを右回りで進むのを巧はじっと見る。運転席と視線が交差する時、彼女が運転席から手を振った。それに巧は頭を下げて返す。
ロータリーを出て見えなくなってからも巧はしばらくの間、そこに立っていた。すると突然、目を瞑ってしまう程の強い風が正面から吹いた。
その、まるで早く行きなさいと言われているような風を受けて、巧は改札を通る。
ホームで電車を待つ時間がもどかしかった。周囲を見回すと特急が止まらないのと、繁華街の駅がすぐ隣のせいか。人は殆どいなかった。それが余計に寒さを増大させる。巧は空いているベンチに腰を降ろした。
いっそ、イエローブースターで家にワープをしようかとも考えたが、三つ目はその時になったら自然に分かると言われたのを思い出し、それは今ではないと、欲求を抑える。
家に帰るまでにこの高鳴りが萎んでしまわないように。
自分自身にそう強く言い聞かせて「よしっ」っという小さく声を出した。
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