ログアウトはお忘れなく

酒井カサ

第『罠』話:独裁者が失脚する日

「グッドニュースだ、後輩くんっ!」


 去ったゴールデンウイークに思いをはせる5月中旬。

 校舎が夕暮れに飲み込まれていく放課後。

 立て付けの悪い扉を勢いよく蹴り飛ばして、生徒会室にエントリーしてきたのは、我らが義極高校生徒会会長、硯川アヤノだった。相変わらず元気な先輩だ。生徒会予算に関する帳簿を付けていた僕はため息交じりにこう聞き返す。


「はあ、それはどんなバッドニュースの前振りですか?」

「なぬ、心外だな。生徒会長に対する態度がなってないぞ?」

「普段の活動を振り返っても、まだ同じことがいえますか?」


 これまで、生徒会長がやらかしたことをいちいち羅列していると時間がいくらあっても足りない。なので、代表例をひとつ。それはバレンタインを利用した信じがたい試みだった。生徒会長はバレンタインデーに学内に持ち込まれたチョコレートを校則違反としてすべて没収した。そうして生徒会に集まったチョコをすべて湯煎し、生徒全員分へ再形成。生徒会として全生徒に義理チョコを配布した。

 ――バレンタインの平等化である。立案者は「革新的なアイデアだろう」と鼻をならしていたが、ロシア革命的の間違いであろう。バレンタインが商業と自由主義の象徴と踏まえるとなおさら。いまだに書記長と呼ばれるのも無理がない。全国クリスマス中止決起会の委員を務める僕ですら、開いた口が塞がらない。その後、ホワイトデーに「3倍返し」を生徒に要求したことも含めて。なぜ事の推移も含めて真っ赤なのだろうか。義極高校からレッドパージされる日はくる、といいなー。

 そんな独裁者が反省するはずもない。

 先輩は胸を張り、自信満々にこう答えた。


「全生徒が憧れるカリスマ指導者。それが私だ。恥じるべきことなど、なんにもない。そばにいる君が一番わかっているのではないのかい?」

「あー、そうでした。それでグッドニュースとは?」

「喜べ、後輩くん。生徒会業務の効率化を図るべく、スマートフォンが支給される運びとなった。これで帳簿をつけるのも楽になるだろう」


 先輩は手に持っていたスマートフォンをなげる。慌ててキャッチ。

 投げるにしたって、事前に言ってくれればよいのに。まあ、それが叶わない人のもとで働いているわけだけど。受け取ったスマホは現行機種より画面が小さく、重い。SIMカードは入っておらず、ベンチマークの結果はもう一声ほしい。でないと、今のソシャゲで遊ぶのは難しい。おおよそ二年前の機種とみた。


「なぜ、古いものを? いえ、たとえ中古でも生徒会の備品として使えるのはかなりありがたいんですけど」


 旧態依然な義極高校において、校舎内でのスマートフォンの利用は固く禁じられている。それは生徒会であっても同じだ。また、「ないほうがマシ」と生徒会長の独断で備品だったパソコン(Microsoft Windows Vista)は処分された。そのため、資料作成は手書きで行われていた。21世紀の高校だというのに。しかし、なぜにわざわざ古いものを。予算も余っているのだから新しいスマホを買ってほしいものだが。


「それは教師陣が難色を示してね。『硯川に道具を与えるとろくなことにならない』と。まったく、心外だな。というわけで私の以前使っていたスマホを備品として、納入することにしたんだ」

「……承認されなかったから、私物を備品にして自分は新しい機種に乗り換えようという腹づもりですか。職権乱用もここまで堂々としていると指摘しにくいものがありますよ」

「な、そんなつもりじゃないぞ。たまたま携帯機種代が完済したとか、他キャリアに乗り換えたほうがお得になるとか、関係ないからな。それより喜びたまえ。女子高生が肌身離さず持っていたスマホだぞ。なんなら太ももで温めていたのだぞ。こう、もう少し興奮したまえ」

「……興奮したまえって。それにエロスは見出すから美しいのであって、押し付ければそれは下品に転じるんですよ。たとえ僕が無類の太もも好きであっても、線引きは存在するんですよ」

「むう……。期待していた反応と違う……」


 会長はボソリとつぶやくと頬を膨らませてそっぽを向いてしまった。天上天下唯我独尊と思いきや、急にしおらしくなるのだから乙女はズルい。しかし、ここで会長の機嫌をとってはならない。この態度はチョウチンアンコウの提灯だ。油断して近づくとガブリと丸かじりにされる。あるいは番犬ガオガオか。いずれにせよ、こういう時は話題を変えるのが一番だ。


「それで、このスマホですが、初期化は済んでいるんですか? さっそく帳簿をExcelで作っちゃいたいんですが」

「初期化? ああ、君に見られて困るものは消去したよ。というか、機種変更プログラムでデータはおニューのスマホに移行させたはずだ。よって存分に使いたまえ」

「……たしかに。データは消えているみたいですね」


 ストレージを確認するが、その空き容量からみるに大半のアプリが削除されているようだ。また、残っていたアプリを起動しても、利用規約への同意がうながされることから、データは消えているのだろう。たぶん。しかし、独裁者のプライベートなど敢えて見ようとは思わない。広報資料から僕が消えていてもおかしくない。当時と違って今はPhotoshopなるアプリがあるからね。トロツキーよりもよっぽど早く消えるだろうさ。


「ホントに使っちゃっていいんですね?」

「もちろん。そのためにわざわざ教師陣に許諾をもらったのだから」


 ならば遠慮なく使わせてもらおう。帳簿をわざわざ紙でつける趣味はない。デジタルネイティブとしては業務のIT化は望ましいものだ。

 ……と作業を始めようとしたところで問題発生。Excelがインストールされていないのである。ならば、ダウンロードするかと思ったが、このスマホは僕の個人用携帯とデザリングして、ネットにつないでいるのだ。そのため、アプリのインストールはご法度。あっという間に速度制限にひっかかる。

 ならば、Googleスプレッドシートで代用するか。こっちはインストールされたままのようだし。それに共有設定さえすれば、自宅でも作業できるし。……いや、別に生徒会業務を持ち帰ってまでするべきじゃないけど。自分に染みついた社畜精神には驚かされるね。まったく。


「会長、帳簿をExcelではなく、Googleスプレッドシートに……」

「その作業は君に一任するさ。だから、都合のよいほうを使いたまえ」

「へいへい、了解しました。あいあいさー」


 適当に返事をする。あ、でも、スプレッドシートに帳簿を記す前に定期報告でも書くべきか。ならドキュメントが手っ取り早いか。そう思い、Googleドキュメントを起動する。そして、僕はフリーズした。


『副会長観察記録226:あるいは如何にして私に好意を抱かせ、行為へと至る道筋を示した機密文書』

『副会長くんのここがエロい!2021(うなじ)』

『副会長くんがデレる方法を思案する機密文書』

『来るバレンタインデー。本命チョコをさりげなく渡す方法を考察する機密文書』

『恋愛補完作戦:全ての本命チョコを湯煎し、生徒会からの義理チョコにすることで、威厳を保ちながら副会長くんにチョコをあげられる画期的な計画』

『Googleドキュメントの共有設定を全体公開にしてしまい、新聞部に脅されている件を早急に解決する、たったひとつの冴えたやり方』

『新聞部長を埋めた場所(非公開)』

『業務のIT化により、副会長くんの好意を明確化する画期的なアイデア』


 ホーム画面に表示された文章のタイトルに驚いた。それは生徒会長、硯川アヤノが『個人的』に記したであろう、僕への偏愛が感じられるものだった。

 まさか。有り得ない。あの生徒会長が、硯川アヤノがこんな初歩的な間違いをするわけがない。Googleアカウントをログアウトしておくことを忘れるなんていう、極めて初歩的で恥ずかしいミスを。

 これは罠だ。僕が動揺しているさまを4Kカメラ搭載の新型スマホで撮影し、次の生徒集会で公開処刑するつもりだ。その証拠に後ろを振り返ると悪い笑みを浮かべた生徒会長の姿が……ない、だと……!

 そこにいたのは頬を真っ赤に染めあげ、眉をひそめ、目尻に涙を貯めながら、それでも虚勢を張ろうとして失敗している大変可愛らしいポンコツだった。ポンコツは小さく、震える声でこう尋ねてきた。


「……副会長くん、見た?」

「あ、っと。え、っと。あは……」

「忘れて、お願いだから。ほら、生徒会長の席だぞ、君にあげても構わないぞ。だから今みた文書を閉じて、わすれて、今まで通り、私を尊敬しながら、その、職務よりも色恋を優先する、哀れな会長のことなんて、わすれて、わすれてよ」

「……Googleフォトも見てみよう」

「この鬼畜メガネええええええっ!」

「あ~、これは僕のスナップショットがいっぱい……。あ、このツーショット写真、Photoshopで加工したやつですよね。なんなら僕の顔、歪んでいるんですが」

「ぎゃあああああああああ」


 勢いよく発狂する生徒会長。その勢いはマンドラゴラを遥かに凌駕する。しかし、まさか生徒会長が、ねえ。てっきり嫌われているから僕に厳しく、横暴なのかと思ったら。男子小学生的な思考とはおもわなんだ。


「わ、わたしの負け。負けたから、お願いだから、スマホ、返して、データ消すから、君の記憶も、消すから、なんでも言うこと聞くから、お願い、返して、お兄ちゃん」


 な、僕が妹属性好きということまで知られているとは。しかも、取り乱している生徒会長は可愛い。自分のスマホでパシャリ。宝物にしよう、そうしよう。

 もちろん、そのデータは細心の注意を払って保管する。


 ――大好きな硯川アヤノの二の舞にはなりたくないから。

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