第4話 魔砲と夢

 いきなりシャンバルに行けと言われても、はいそうですか、と簡単に承諾出来る話ではない。そもそもヴィドノからシャンバルまで、馬車で早くても一週間は掛かる距離だし、移動中も過酷な寒さに見舞われるのは必至なため、防寒具や暖を取る為の装備品も必要になる。何よりシャンバルに入ったら最後、いつ凶暴な魔法生物に襲われてもおかしくない、死と隣り合わせとなる。


 シャンバルへ行くというのは正しく命がけだ。それを10歳の、ひ弱な私に行かせようとは、どういうことだ。帰宅後、そう言って、何度も親父を説得するが、聞き入れてくれない。おい、娘が可愛くないのかよ。それどころか、その日の夕方、エルドグリース家からの使者が、ご丁寧にも私宛でシャンバル行きに関する書類を持って来た。


「そちらに目を通して頂いた後、こちらへ契約の印をお願い致します。」


 使者がそう言って、机に契約書と契約内容の書かれた書類を私に差し出す。


 …成程、行きは護衛の騎士団がついてくれるのか。しかも第六騎士団が全員って、滅茶苦茶厳重な警護じゃん。それなら確かに安全かもしれない。少し不安が解消される。まあ、少しなんだけどね。そもそも、届け物がある以上、それを喪失するわけにはいかないということなんだろうけど、そんなに大切な用事なら、べールナルド様とは言わないけど、フェリクス様あたりが行けばいいのに…


 続く文言に、思わず驚愕の声が漏れる。


「えっ!契約金が金貨50枚!?」


 命がけとはいえ、騎士団の護衛も、馬車の手配もエルドグリース家持ちなのに、更に金貨50枚の報酬。しかも、そのうち20枚は前金で貰えるという。


「べールナルド様からの言付けですが、その契約金は魔導学園の入学金に充ててくれと仰せでした。」


 忘れてたけど、そういや入学金いるんだった。そもそも入学金っていくらいるのだろう?


「因みに入学金っていくらなんですか?」


「金貨60枚です。」


 頭がくらりとする。金貨60枚って…ヴァルラムさんの所で働かせてもらった時に貰った一月分の賃金の約3倍じゃん。


「入学時の学用品や制服代、寮費を合計すると四年間で金貨120枚程必要となりますよ。」


 は…?えっ、学園ってそんなにお金掛かるの!?我が家の経済状況だと絶対無理じゃん。


「そういう意味でも、今回のシャンバル行きは大きな意味があるとべールナルド様が仰せでしたが…いかがいたしますか?」


 大きな意味というのは分からないけど、行かなきゃ詰んでるよね。行っても詰んでるけどまだ可能性がある。


「行きます…行かせてください…」


 泣きそうな声でそう答え、契約書に印を押す。


「ありがとうございます。では、三日後の朝6時に馬車と騎士団が参りますので、よろしくお願いします。」


 契約書を鞄にしまうと、そう言って、使者の男は我が家を後にした。


 明日からシャンバル行きの準備しなきゃ…それと、普段お世話になってる人にも挨拶しておこう。生きて帰って来れたとしても、最短でも二週間以上ヴィドノからいなくなるわけだし、最悪死ぬからなぁ。




 翌日の早朝、シャンバル行きの準備を始める。防寒具は必須として、替えの下着や服も同様だ。そういえば、ご飯とかってどうするんだろう?パンとか普通に持って行っても、凍って食べれないよね。水も凍るだろうし、そりゃあ人が生きていけない場所って言われるわけだ。


 しかしまいったなぁ…準備しようにも衣類くらいしか持って行けそうな物が無いぞ。しかもこれだけの服や下着、防寒具を詰め込めるカバンなんて無いし、移動中にカバンを広げて、中を漁るのも危険だろう。


 そういえば貰った書類、ちゃんと読んでなかったな。4枚の書類の内、最初の一枚に目を通した段階で印を押したので、それ以降の書類に契約内容以外の指示が書いてあるかもしれないし、ちゃんと読んどこう。


「えっと―」


 昨日読んだ一枚目を捲り、二枚目の書類から目を通す。絶対に必要な所持品は、お届けする魔導具と防寒具、華印。華印は貴族である以上、常に携帯しなければならないらしい。知らなかったよ。ペチェノ家に来た日に親父に貰ったけど、大切な物って言われたから仕舞い込んでいたけど、駄目だったのか…


 とりあえず、食事や水はあちらで用意してくれるらしいので一安心だ。しかし、この衣類はどうしたものか…ボロい鞄にパンパンに詰め込んでも、精々二、三日分。道中洗濯とか出来るのかも分からないし、出来たとしても干す場所や天候によっては乾かないだろう。そもそも北へ行くほど気温は下がるし乾くどころか凍ってしまうだろう。


 本当にどうしよう…新しく鞄を買う?お金足りるかなぁ…




「朝っぱらから何ゴソゴソやってんだ?」


 声の方へ振り向くと、目覚めたらしい親父が、私の部屋の扉を開け、寝起きと分かるボサボサの頭を掻いてる。


「ちょっと、勝手に開けないでよ!」


 ベットの上には旅支度の為に箪笥から引っ張り出した下着なんかもある。いかに養父とはいえ見られたくはない。そういうお年頃なのだ。


「ったく、ガキがなに言ってんだ。さっさと朝飯用意しろよ。」


 この糞親父、私がいなくなったらどうやって生きていくのだろう…まあ、私が来る前でも一人で生きてきたのだからなんとかなるんだろうが、不安と心配しかないなぁ。


「朝御飯って水一杯じゃん。それくらい自分でしてよ。それよりも、大きな鞄とかある?私のだと入りきれないんだけど。」


 持っているなら親父のを借りて行こう。少しでも節約したいし。


「んなもん飯の後だ。さっさと支度しろ。」


 横暴だな。まあ、このままだと状況は変わらないし仕方ないか。


「はいはい、分かりましたよ。」


 ベットの上に広げていた衣服を纏めながらそう言った。




 食事と言うには余りにもお粗末な朝食(水一杯)を済ませた後、私たちは必要のない食休みとしてボケッとしていた。


 そうだ、親父の鞄でも借りるか。そんなことを思いついた。持っているかどうかも怪しいが、仮に持っているとしたら買う手間もお金も浮く。


「親父、鞄って持ってる?借りたいんだけど。」


「鞄?おめぇ、持ってただろ?」


 頬杖をついたまま、ぶっきらぼうに答える親父。


「持ってるけどさ、入りきらなかったの。買うのは勿体無いしさ、どうせ使わないなら貸してよ。」


「二、三日着替えなくても死にゃぁしねぇよ。」


 噓だろ、この糞親父。年頃の乙女になんてことを言うのだ。


「信じらんない…年頃の娘によくそんなこと言えるね!」


「ちんちくりんのナリで乙女だぁ?十年早ぇよ。」


「ちんちくりんなのは栄養が足りてないから!…多分。きっと、私だってちゃんと適切な食事にありつけていれば、同い年の子たちと同じくらいにはなっている筈だもん。そして、栄養が足りていない原因はお前だ、糞親父!」


 バンッ!と机を叩き、怒りをぶちまける。この貧相な身体も、金欠で四苦八苦しているのも全部糞親父のせいだ。それをなんとかしようと艱難辛苦に耐えているというのに…


「ったく、面倒くせぇガキだな…」


 親父は、そんな私の怒りを無視し、そう言って立ち上がり、失敗作が大量に投棄された物置の方へと歩いていく。


 そして、怒りに震える私に、


「おい、なにぼさっとしてんだ。手伝え。」


 とこれまたぶっきらぼうに言い放つ。手伝え?今から物置の整理でも始めるというのだろうか?もしかしたら、この投棄された魔導具たちを売ることにしてくれたのだろうか。仮にそうだとしたら、借金や資金の面でも大いに助かるのだが…この親父に限ってそれは有り得ないだろう。


「手伝うって、何を?」


 物置の方へ向かいながらも、ムスッとしたまま、そう尋ねる。私の怒りはまだ冷めていないし、許す気もさらさらないとアピールする。


「おめぇが言ったんじゃねぇか。要るんだろ、鞄。だったら探すぞ。」


 探す?この魔導具の山の中から?こんなとこに鞄を放り込んだのか…つくづく片付けが出来ない男だな。




 親父とふたりで、物置に無造作に積まれた魔導具たちをガチャガチャと音を立てながら動かしたり、持ち上げたりしていた。


 手に取る魔導具たちのどれもが、一流の品だとまだ未熟な私でも分かる。そんな一流品たちが日の目を見ることなく、ゴミの様に無造作に積まれている様に、思わず溜息が漏れる。


 これだけの品を、私が作れるようになるのは何年、いや、何十年後になるのだろう?もしかしたら一生掛かっても辿り着けないかもしれない。それだけの品だというのに、製作者たる親父が納得出来ないと理由だけでこの様な扱いをされていることに、憤りを感じる。


 それは、我が家の家計を預かる身としてのものではなく、職人の端くれとしての憤りだった。これらが無価値だというのなら、私がやろうとしていることは何なのか?親父に近づく為に努力はしている。それでも、ふと不安になる時がある。その背中が余りにも遠い、遠すぎる。私が全力で走り続けても追いつけない。そんな風に感じて、どうしようもない不安に駆られる時がある。


 だからなのか、この認められなかったモノたちが、妙に愛おしく感じ、それに触れる手が、無意識のうちに優しく、そして丁寧になっていた。




「お、あった。」


 私が動かした魔導具たちの埃を払っていた時、親父の声が聞こえた。見つかったのか…それは良かったけど、もう少しここの掃除続けようかな。なんか、この物置をこのまま放置しておいては、気が落ち着かないや。


「ほれ、持ってけ。」


 親父にしては珍しく、手渡しで(基本投げ渡しが多い)皮製のショルダーバッグを渡してくる。


「小さっ!これじゃなくて、親父が島に来てた時に持ってた鞄のこと言ってたんだけど…」


 親父から渡されたショルダーバッグは、小洒落たお出掛け用って感じの物で、旅行用ではない。


「いいから持ってけ。」


 親父がそう言って、無理矢理私の手にそれを握らせる。それが手に触れると同時に、魔力の流れを感じる。


「これ、魔導具…?」


 一見ただのショルダーバッグにしか見えないが、確かに魔力を感じる。そもそも、魔導具ばかりの物置にあるのだから、そういうことなんだろうけど…


「この家の中が全部埋まるくらいの量が入る。不満か?」


 親父の言葉にクラリとくる。不満はない。不満はないが、言いたいことは大いにある。収納魔法を織り込んだ魔導具は、最低でも通常の魔導具の数倍、親父が言った通りの収納量だとすれば、借金の完済に学園の入学費だけでなく、家の立替をしても尚半額程度が手元に残る金額になる。


 何故そんなにも高価なのかというと、そもそも、魔導具を作るということ自体に高度な技術が必要であり、どんな魔導具であっても高価になる。それに加え、収納魔法という魔法は普通の魔法とは異なり、特殊な魔法で、それを織り込むどころか、使える人間が数える程しかいない。そんな魔法を、通常の魔石の加工の数十倍の難易度と時間を掛けて丁寧に糸や毛の一本一本に織り込んでいき、作り上げることになる。故に非常に利便性が高く、需要は多いのに対し、流通量は非常に少なく、相場は跳ね上がる。


 そんなとんでもない高級品を、ハンカチを差し出すくらいの感覚でを渡されたら、頭がパンクしそうになるのも無理もないことだと思う。だってこれを売れば、我が家の抱える問題は一瞬で解決するのだから。


「これのどこがダメだったの?」


 親父がこれをどういう経緯で作ったのかは分からない。分からないが、それがここに未だにあるということは、親父としてはこれは失敗作であるということだろう。私は、今までにも何度か失敗作としてこの物置に投げ込まれる魔導具を見ては、どこが失敗なのか問いただしていたが、どれもが些細なことであり、品質に問題は無かった。そんな廃棄品扱いとなった魔導具を、今は私の練習用に使っている。しかし、可能なら売ってお金にしたい私としては、何度も説得したが、全て回答は断固とした拒否であった。


 だから、この収納魔法が織り込まれた魔導具が売られることは、親父が生きている限り有り得ないのは分かっている。しかし、先のことを考えておかなければならない私としては、これが親父の死後、借金問題を解決する糸口となるのかを知っておく必要がある。


 なので、私の問いへの親父の回答を待っていた。


「さぁな、忘れっちまった。普通に使う分にゃ問題ねぇから、おめぇにはどうでもいいだろ。」


 ボリボリと頭を搔きながらそう答える親父。その回答にあっけにとられる。今まで何度か失敗作について尋ねた時とは全く違う答えだった。


 チラリと見ただけでその魔導具の、どこが気に食わなかったのか、即答し、聞いてもない美学を語る親父が常のことだったというのに、これに対する感想は、なにかを避けようとしている様に感じた。でも、あの魔導具に対して一切の妥協を許さない親父の意思が折れたのか、それとも反したのかは分からない。しかし、親父にとっては触れて欲しくないし、思い出したくないということなのだろう。


 戸籍上は親子となっているが、私は親父について知らないことの方が多い。何処で、誰の元で、何処で修行したのか、私を娘に迎えるまでに何があったのか…今までそれに関して興味が無かったわけではないが、それ以上に目の前の問題が多く、何よりも、聞いても絶対に教えてくれないのが原因なのだけど、このままでいるのもいいのだろうかという思いもある。


 きっと、長期戦になるのだろうから、シャンバルへの旅が終わってからになるけど、今度、しつこく問いただしてみようと決意した。




 とんでもないプレゼントのお礼を言おうと思った時には、物置に親父の姿は無かった。探してみると、仕事を始めたらしく、眉間に皺を寄せながら、仕事場の机で何かしている。


 こうなった親父に何を言っても聞こえていないし、仮に聞こえていた場合は、邪魔するなと怒鳴られ、最悪、拳骨をお見舞いされる。


 旅支度をして、音を立てるのも憚れるので、仕方無く家を出て、挨拶回りでもするとしよう。明確な所要時間は分からないけど、この仕事を終える(生きて帰れるかも分からないけど)には、二週間以上の期間は最低でも掛かってしまう。


 その間に普段修理のお仕事を頂いている人々に、お世話になっているバザロフ家や教会の神父ソンズさん、贔屓にしてくれているポリーナさんには特にしっかりと挨拶しておく方がいいだろう。突然長期間いなくなってしまったら心配してくれる人たちだし、信頼というものもある。


 そういうわけで、親父から貰ったショルダーバッグを提げ、家を後にした。




 まずは、一番伝えておく必要のある、お得意様たるグルース商会へと向かう。ポリーナさんはこの街で一番お世話になっている人だし恩人だから、その恩に背く様なことはしたくはない。


 とはいえ、そこまで急ぐ必要があるわけでもなく、街を眺めながら、のんびりと道を歩いてた。街区画の中央辺りに差し掛かると、広場に出る。この広場には露店が出たり、催物の会場になったりするだけでなく、早朝は市場となり、昼は子供たちの遊び場となる市民憩いの場だ。


 今日は露店も催物も無いので、元気な子供たちの声が響いている。声の方向へ目を向けると、男の子たちがボロ布を巻付けた木の棒を手にしてチャンバラに興じている。英雄に憧れ、英雄を夢見る彼らにとっては、それは遊びでもあり、鍛錬のつもりでもあるのだろう。


 よくもまあ、ああいう荒っぽい遊びを出来るなぁ。絶対怪我するじゃん、絶対嫌だなぁ。そもそも、ヴィドノに来て以来、仕事と家事、修行に追われ、遊ぶ時間など無かった為、遊んだことはおろか、友達さえいないから誘われることもなく無縁なんだけどね。


 遊んでいる子供たちを見ていると、ヴィドノに来る以前のコペイク島での生活を思い出す。人も少ないから子どもの数も少なく、大人は皆仕事しているから、年長者の子どもが子供たちの面倒を見てくれていた。場所が小島ということもあり海が近く、泳ぎを教えて貰ったり、釣りや食べれる植物を教えてくれた。なので、みんなが友達というより兄弟のような感じだった。


 懐かしいなぁ…毎日畑仕事の手伝いをして、その後はクタクタになるまで遊んでいたんだよね。あの頃は同じことの繰り返しの日々のせいで島の外へ憧れを感じていたけど、今思えばあのままコぺイク島にいたら、退屈でも幸せな日々を送っていれたのだろう。今は退屈する暇もないくらいやる事がいっぱいだし、生活も困窮している。どっちが幸せなのか分からないけど、お腹いっぱいに食べれる分、島での生活の方が身体には優しかったのは間違いないな。




 そんなことを考えていたら、一人の少年と目が合った。彼の名はキリル。同い年なのでお互いに知った仲ではあるが、友達ではない。というより、あまり気にしていないが、会うたびに私をからかってくるから仲も良くないのだろう。


「おい、貧乏貴族。何してんだ?」


 いつものように私を見つけるなりそう言いながら、近づいてくる。以前聞いたことがあるのだが、彼の父親は平民ではあるがエルドグリース家の騎士団に所属しており、魔力を持っており、その息子である彼もその魔力を継承しており、父親と同じ騎士団を目指しているらしい。騎士団の息子で騎士団を目指すなら、一応貴族である私に敬意くらいあってもよさそうなものだが…まあ、彼が言った通りの貧乏貴族で威厳もなにもあったものじゃないので仕方ないね。


「何って…」


 挨拶回りだけども、これはどう説明すればいいのだろう?うーん…面倒くさいから適当に答えるとするか。私は、彼のこの手の質問に対して、毎度同じ回答をする。


「仕事。貧乏貴族だからね。貧乏暇無しなんだよ。」


 まあ、実際仕事で関わりのある所へ挨拶しに行くんだからこれも仕事と言えるだろう。


「いっつもそれだな。」


 私の回答が不服だったのか、ムスッとした表情で彼が返してくる。しかし、そんな彼に構っているよりかは、自分の用事に戻りたいというのが本心だ。なので、


「そういう訳だから、じゃあねっ!」


 軽く手を振って走り出す。


「あっ!おい、待てよ!」


 私を呼び止めるキリルの声が後ろから聞こえた。振り返らずに走る私には彼の表情は分からない。だけど、そんなに大切な話があるとは思えないし、彼自身も、私に構っているよりかは彼の友達と遊んでいる方がきっと、有意義な時間となるだろう。そう思ったから立ち止まりも、振り返りもしなかった。


 私は、それがお互いにとっては一番良い事だと思っていた。




「そう、領主様からの命令なら仕方ないわね…でも、心配だわ。リリーちゃんはまだ小さいのに…」


 シャンバルへ行くことになりました。とポリーナさんへ伝えると、そんな風な言葉を貰った。小さいって歳の事だよね…?と疑問も残るが、心配してくれることはとても嬉しい。私の保護者たるアホ親父は、心配のしの字さえ無いのだから。


「大丈夫ですよ。騎士団も一緒なので。」


 そう返してみるが、正直私が一番不安を感じているのは間違いないだろう。なんせシャンバルは騎士団でさえ逃げるしか無い程、強力な魔法生物がいるなんて噂もある場所だ。そんな場所に行くことへの不安が無いという方が有り得ないのだ。


「変なことに巻き込まれてなければいいのだけどねぇ…」


「不安になるようなこと言わないで下さいよ…」


 心配そうに頬に手を当てながらそんなことを言うポリーナさんに、少し笑いながらそう返し、グリース邸を後にする。しかし、ポリーナさんがそう言う理由は分かる。魔法生物以外にもシャンバルが恐れられる理由があるからだ。


 シャンバルは氷に閉ざされた、強力な魔法生物が跋扈する地である。その一方で世界一の魔石の埋蔵地でもある。魔石は大量に埋まっているのにそれを採掘するのは困難を極める。魔石が埋まっていると分かった当時のエルドグリース家は領内刑法の改革を行った。それまで行われていた死刑を廃止、既存の刑務所も取壊し、領内全ての犯罪者はシャンバルに新たに建設された刑務所へ送られ、刑期を終えるまでシャンバルで魔石採掘の労働を科されることになった。当然受刑者だけでなく、一攫千金を狙った出稼ぎ労働者もいるが、一般人の認識では完全に流刑地だ。


 なので、ポリーナさんもそういうイメージがあるからこその発言なんだろうけど、私の不安は余計搔き立てられた。




 次の目的地たるバザロフ家へと向かう道、石畳を見つめながら少し俯き歩いていると、ポリーナさんの言葉が脳内で何度も反芻される。『変なことに巻き込まれて…』


 今回の仕事自体がそもそも、怪しい。魔力を吸い取る様な危険な魔導具を届けるということ自体で既に碌な仕事ではない気がするのに、その届け先は流刑地でもあるシャンバル。直接的ではなくとも、なにか間接的に黒い仕事をさせられるのではないかという不安もある。


「はぁ…」


 溜息が思わず漏れる。私は幸せになれるのだろうか…そもそも、幸せとはなんだろう?と哲学的思考の迷路に入り込もうとし始めてしまっていた。


 だからなのか、完全に自分の世界に入り込んでしまっており、さっきまで見えていた世界が見えなくなっていた。


「危ないっ!」


 突然聞こえてきた声、その声によって現実に引き戻された。


「えっ?―――痛っ!」


 ゴチンと鈍い音と痛みが頭に響いた。ぐわんと視界が暗転した。




 パチリと目を開けると同時にズキッと頭が痛む。誰かが治療してくれたのだろう、ぶつけた所に冷たいタオルが置かれていた。そっか、頭ぶつけて、それから…ダメだ、思い出せない。それよりもここは何処で、今何時何だろう?タオルを掴み、ゆっくりと頭を動かすと、誰かの背中が見えた。エルドグリース家の騎士団、その軍服を纏ったその背中に見覚えはない。


「あのっ…」


 恐る恐る、その背中に声を掛ける。


「お、起きましたかい、お嬢さん。」


 私の声に振り向きながら、そんなことを言う。お嬢さん…初めて言われたよ。そうやって見えた顔は…立派な髭を蓄えた、騎士というよりかは歴戦の戦士って感じの人。うん、やっぱり知らない人だ。しかし、何故騎士団の人がいるのだろう。倒れてるところを助けてくれたのだろうか?


 しかし、ここは何処だろう?騎士団の人がいるということは街に複数ある詰所のどれかか、エルドグリース邸の敷地内かのどちらかだと思うけど…


「すみません、ここは何処ですか?」


「衛門の詰所ですぜ。リリーヤ嬢。しかし、頭打って動かなくなったんで、死んだかと思いましたよ。」


 笑い話を話す様に愉快そうに笑いながらそう言う彼。いや、笑い事じゃないでしょう。


「すみません、考え事をしてて、前を見てませんでした…」


「いや、俺らも急いでたからって、注意を怠ったわけで、申し訳ねぇ。」


 さっきまで軽率な雰囲気が無くなり、真剣な表情で頭を下げる騎士。ということは、私は彼にぶつかったのだろうか?いや、この頭の痛みと記憶にある感覚からして、もっと重厚で硬い物だった気がする。 


「あ、頭を上げて下さい。ところで、私は何に…」


 ぶつかったんでしょうか?そこまで言い切る前に、頭を上げた騎士が部屋の隅を指差す。その先にあるのは、黒光りする巨大な鉄の筒。


「魔砲…」


 二百年程前に発明され、戦争を変えたと評される兵器。魔法を込めた魔導石を包んだ砲弾を飛ばすことで魔法による攻撃の射程距離が伸びただけでなく、その威力も上がった。これにより、野戦だけでなく、攻城戦においても絶大な威力を発揮し、従来の要塞や城の築城術にまで影響を与えた。


 利点は威力だけでは無い。魔力を持たない者であっても扱えるのだ。魔砲は改良を加え続け、今では軽量化や小型化され、運搬も比較容易になっており、野戦での戦術だけでなく、隊列やそもそもの兵の運用にも急激な変化を必要とすることとなった。


 そして、そんな魔砲の改良の中で魔銃が誕生した。魔銃は魔砲程の威力どころか、一般的な魔法兵の最低出力の魔法程度のモノしか放つことは出来ないが、当たれば一般兵なら容易に無力化出来る。魔銃の利点は従来の一般的な装備品たる剣や槍、弓といった武器と大差ないサイズと重量であり、携行可能であること、そして何よりも、魔法を使えない一般兵でも魔法を放てることであろう。


 魔砲も魔銃も、間違いなく戦争を、戦術を変えた代物だった。しかし、それだけの兵器でありながら、それ程普及していない。理由は二つ。一つはとんでもない金食い虫だということだ。本体が高価なのは勿論のこと、使われる弾も『魔導具を買って壊す』なんて言われるくらいの値段となる。そんな物を何十、何百と保有し、その砲数に応じた弾を何百発と用意するのは、如何なる富豪や権力者であっても不可能だろう。


 もう一つの理由は、故障が多いことだ。弾が飛ばない、とかならまだいいが、暴発し、打ち手(打ち手だけでなく、周囲の味方や防壁までも)の方が吹き飛ぶなんてことも多い。お金を湯水の如く使った挙句、味方を殺してしまう様な兵器、しかし、その威力と利便性は絶大と、扱いに大変困る代物なのだ。


 当然、このヴィドノの街を囲む高い壁にも魔砲は設置されている。しかし、それを見たことは無かった。私はその人を殺す為だけに作られたそれを見つめ、身震いし、視線を逸らす。


「先の戦争で鹵獲した物だ。」


 騎士とは違う声がそう言う。誰だろう?そう思い振り向くと、騎士はビシッと不動の姿勢で敬礼している。彼のその姿勢で、その人物がそれなりの立場であることが分かる。


「グスタ―ルだ。初めまして…になるのだな、リリーヤ・ペチェノ嬢。」


 背の高い、スッキリとした長さの金髪の男性がそう言う。グスタール、その名で理解した。グスタール・クニャージ・エルドグリース、エルドグリース家の六男であり、先の戦争の終結後にエルドグリース家の軍政長官となった人だ。


「リ、リリーヤ・ペチェノです。」


 慌てて一礼する。


「噂には聞いていたが、ローディと同じ瞳の色なのだな。いや、少しこちらのほうが暗い色か。」


 私の目を見つめながら、グスタール様がそう言う。ローディって誰?


「あ、あの…」


 しかし、まじまじと見つめられると、なんだかこそばゆい。目を逸らしたくて声を掛ける。


「ああ、済まない。赤い瞳など、妹以外にはいないと思っていたのでな。無礼を許してくれ。」


「い、いえ、大丈夫です。」


 グスタール様は、私の言葉に一つ頷くと、くるりと背を向け、魔砲へと近づいていく。エルドグリース家の兄弟に女性は末子のアプロディタ様しかいない。ローディって、アプロディタ様の愛称か…確かに、そう言われてみると私と同じ様な赤い瞳の人に会ったことはない。そんなに珍しいのかな?


 そんな私の疑問をグスタール様に問いかける勇気はない。如何せん身分が違い過ぎる。名ばかり貴族の養女と超名門貴族の子弟、こちらから彼にとって不要な質問をぶつけるというのは礼儀に反する。


「しかし、何の利も無い戦争であったが、大量の兵器を鹵獲出来たのは有り難い。魔砲十四門、魔銃137丁、実に素晴らしい収穫だ。」


 グスタール様は、愛おしそうに魔砲を撫でながらそう言うと、またくるりと私の方を向き、


「戦争は変わった。そして、これからも変わっていくだろう。魔、騎、歩兵、魔法を扱える兵が最も重視される時代は終わる。今後間違いなく歩兵の価値は高まる。故に私が提唱する軍政改革案では―」


 突然、熱弁を振るうグスタール様。あー、これ、歴史を語り始めたロジオンさんと目をしてる。完全に自分の世界に入って、私の事なんか見えて無いな。成程、グスタール様は軍事マニアなのか、軍政長官の仕事は天職ですね。




「―べールナルド兄上からは反対され予算が下りなかったが、なんとか騎士団の改革には漕ぎ着けた。ここから試験的運用し、この改革が成功した時、戦術の歴史を塗り替えることとなるだろう。」


 長々と、本当に長々と話し続けていたグスタール様の言葉が止まった。ようやく終わったらしい。難しい言葉が多く、軍事に明るくない私が理解できることは少ないのだけれども、簡単に纏めると、従来の兵科運用を諸兵科連合化し、各兵科の密接な援護火力を高めるということで、そのためにこれまでは重要度の低かった歩兵の練度を上げる必要があり、常備歩兵の増強をしようとしたけど、予算をあまり貰えず、騎士団の改革のみにとどまっているということらしい。


 そんな軍事的にも重要そうなことをペラペラと私に話して良いのだろうか?後で口止めされたりしないよね?


「わー、凄いですね。」


 私は軍事に全く興味が無い。なので、正直グスタール様がどんなに熱弁を振るおうと、全く心を刺激することもなければ、正直どうでも良かった。だけど、あんまりにも熱を持って語られた為、とりあえず適当な相槌を打っておいた。


「メリットの方が大きいと思うのだ。常備兵化によって、雇用も増えるのだが…現実は中々に上手くいかないものだな。」


 さっきまでの熱気はどこへやら、急にトーンダウンしたグスタール様がそう言って溜息をつく。戦争は多くのモノを浪費する。戦費、食料、資材、そして命。だから、本来戦争が頻発するのは、治世者にとって好ましいものではない筈だ。好んで戦争をする治世者で偉大と呼ばれるのは、圧倒的な才能を持ち、勝ち続けた者だけで、大多数は国家を疲弊させ、暗君と呼ばれる。


 なので、定期的な戦争を想定している様に感じる常備兵化へ、すんなりと賛同出来ないべールナルド様の気持ちは理解出来る。そして、グスタール様が言う通り戦闘における火力が上昇している今、エルドグリース領の各都市の城郭の拡張と改造が行われている。そちらに予算が優先的に回されている為、グスタール様の案は採用されなかったのだろう。


「ようやく軍政長官となれたというのに…」


 グスタール様が溜息を再び漏らす。グスタール様以前の軍政長官はエルドグリース家の三男、ヴコール・クニャージ・エルドグリース様、彼は勇猛果敢な人物で、先の戦争では軍政長官の立場でありながら最前線に立ち続けた。しかし、勇猛果敢な性格が仇となり、ドドル王国軍の大攻勢の際に戦死。それによって当時副長官であったグスタール様が代理指揮官となり、戦後正式に長官に就任した。


 そもそも、エルドグリース家の兄弟たちの継承順位や立場が物凄くややこしい。現当主であるサムイル様は、稀代の好色家であった。正妻と別に、側室だけでも八人、それ以外にも愛人は年々増えていたらしい。そのせいで子の数は多い。子が多いということは後継者の問題が必ず浮上する。しかもよりによって子どもたちは全て男で、余計にその後継者問題が加熱したというのに、当の本人はまた別の女性を愛人にしている始末だったらしい。兄弟の中で唯一の女性で末子のアプロディタ様が生まれてからその好色っぷりはすっかり鳴りを潜めたらしいが、今度はアプロディタ様に継がせると言い出したらしい。


 当然家中は大反対で、あわや内乱寸前まで行ったが、アプロディタ様自身が家督を継承する気が無い事を宣誓し、一番反発の出ない長兄で正妻の子であるべールナルド様が正統な後継者と決定された。


 グスタール様は六男という立場ではあるが、母の地位や本人の魔力量等で継承順位はあまり高くないからこそ、今の軍政長官という地位は幸運なのだろう。彼の溜息は、そんな幸運でその地位に辿り着いたというのに、予想以上に思い通りに行かないことへの憤りもあるのだろう。


 私も思い通りに行かないことが多く、そんな風に溜息をつきながら考え事をしていたら魔砲にぶつかったんだよね。高い地位にいる人でも、私みたいに悩んでいるんだと思うと、ほんの少し不安が軽くなった。




「まあ、愚痴を言っても何も変わらぬのだがな。」


 グスタール様は、苦笑いしながら私の方へ歩み寄り、スッ、と私の額を隠していた前髪を持ち上げる。突然のことにビクッと反射的に身構える。


「まだ少し腫れているな。」


 ぶつけた箇所を見てそう言うと、グスタール様の手が温かい、ぼんやりとした光に覆われ、私の額に触れる。


「痛ッ…」


 手が触れた瞬間、小さな痛みがあり不意に声が出てしまったが、すぐに痛みが引く。


「これでよかろう。跡が残る様な怪我でなくて良かったな。これからはもう少し辺りに気を配りながら歩く様に。」


「凄い…!」


 腫れていた所を自分の手で触ってみても、完全に治っている。普通の治癒魔法は痛みを和らげて、自然治癒力を高めるもので、こんなにも簡単に怪我や傷を治すものではない。今起きたことはとんでもないことなのだ。先程の治癒魔法は、並外れた才能と研鑽でようやく辿り着ける境地、私は驚愕に目を丸くしていた。そんな凄い事を平然とやってのけたというのに、グスタール様の表情は何とも言えないものだった。


「あ、ありがとうございます。」


 礼を言う私に、


「構わんよ。私にはこれしかないからな。」


「それはどういう…」


 これしかない?もっと誇っていいと思うけど…?


「私は、本来軍政長官ではなく、軍団長になりたかったのだがな…私には戦うという能力が完全に欠落していた。」


「へ?」


 戦う能力が欠落?言っている意味が分からない。


「幼きころから騎士に憧れ、稽古にも励んだが、頭では理解出来ても身体がそれについていかない。どれだけ身体を鍛えようとそれは変わらない。挙句、戦う為の魔法は―」


 そう言って両手から炎をだし、炎の球体を創る、ちょっ、ここでそんな魔法放ったら大変なことになってしまう。


「わぁっ!何してるんですか!」


 驚いて止めようとする私の声を無視し、球体が放たれる。咄嗟に目を閉じる。…何秒か経ったというのに、何の音もしない。恐る恐る目を開けてみると、先程までと何も変わっていない。あれ?


「戦う為の魔法は何故か途中で消滅してしまうのだ。故に私の戦闘能力は皆無だ。私が出来るのは治癒魔法だけだ。これでは軍団長どころか、一般兵になることさえ夢のまた夢だ。神が私を戦いから遠ざけようとしているのかもしれぬな…」


「それならなんで…なんでそれでも軍に関わりたいと思えたんですか…」


 無礼だと分かりながらも、そう聞かずにはいれなかった。私なら絶対に諦めていると思う。だけど、私の意思など関係無しに養子入りしたことで決まってしまった未来。魔導具職人になるという将来に対し、今は不安しかない。このままでいいのだろうか、そう思い悩んでいたからこそ、今ここにいるのだから。


「何故?簡単だ。様々な戦術や作戦が湧き出てきて、それ以外には何も考えられぬ。それに、神に否定されようと、私の中で最も好いたもの、それは譲れん。」


「好き、ですか…」


「そうだ、お前はペチェノの養女となったが、職人仕事は好きか?」


 好きか嫌いか、嫌いではないかな。上手く出来たら達成感があるし、失敗しても試行錯誤しながら繰り返していくうちに、自分の腕が上がっているのも実感出来る。だから、


「好き、かどうかは分かりません。でも、少し楽しいです。」


 今の私はそれしか知らない、だけど楽しいとは思えている。世界にはもっと楽しいものがあるだろうし、もっとやりたいと思うことがあるかもしれない。だけど…


「そうか、お前はまだ子どもだ。これからもっと様々なものを見て、学んで、知識を得ていくことになる。そして、選択を迫られたその時に後悔が無い様にすればいい。」


「はい。…でも、借金が…」


 そう、根底にある問題が私を縛る。そんな私の言葉に、グスタール様は頭に疑問符を浮かべる。


「べールナルド兄上に聞いたぞ、その為にシャンバルへ行くのだろう?」


 なんだろう、会話が嚙み合ってない気がする。


「それは注文の品を届けるって仕事ですよね。」


「そうだが…誰に届けるのか、本当に何も知らないのか?」


 少しグスタール様が驚いた様子になる。逆に何の説明も無かったのに分かると思っているのだろうか?


「知らないです。誰も教えてくれないので…」


「兄上もペチェノも何をしておるのやら…」


 私の返答に、呆れた様に額に手を当て、溜息をつき、


「お前が会いに行くのは、私の妹、アプロディタだ。」


「え?ええぇーーっ!?」






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