紙媒体

キザなRye

全編

スマホで書ける・読めるネット小説というのが私は嫌いだ。


時は21世紀の中頃、紙ベースでの小説や漫画などはほとんど姿を消してネットで読めるものがメジャーとなった。

その中にはアマチュア作家が書いた作品からプロの売れっ子作家の作品まである。

紙の小説を好む人は極わずかの高齢者が中心だった。

紙の小説の書き手はネット小説の書き方を熟知していないような高齢の作家や断じてネットよりも紙の方が良いと思ってやまない作家だった。

とは言ってもプロの作家の中でも1%にも満たない数である。


その1%に満たない作家のうちの一人が私だ。

私は高齢の作家ではない。

どちらかと言えば“若い”に分類される年齢だと思う。

それでも紙での小説にこだわるのは小さい頃の私のある経験からである。



小学校に入学した頃、まだネット小説がそこまで台頭していなかった。寧ろ受け入れられていなかった。


親の影響もあって寝る前の日課して絵本を読んでもらっていつしか自分でも読みたいと思うようになっていた。


小学三年生になって児童書と呼ばれる少し厚めの本を一人で読むようになっていた。

誰か友達と外に出て鬼ごっこをしたりかくれんぼをしたりするよりも一人で自分の世界に入り込んでいる本を読むという行為の方が断然楽しかった。

親は自分が楽しければ良いんじゃないかと楽観的で放任主義だったので自由にしてもらえていてそれが嬉しかった。


小学六年生になると児童書の枠を越えて大人が読むような所謂“小説”も読むようになっていて色々な本との出会いは私を好奇心が強い人物に育てる手助けをしてくれた。

お父さんは私が児童書以外の本も読み始めたと知ると言葉には表れてこない喜びみたいなものが全身から溢れ出ているのを理解した。

それからはお父さんが自らこれは面白いと私の読む本を提供し続けてくれた。


中学校に上がる頃には人生で一度は読んでおくべきと言われるような夏目漱石や芥川龍之介などの明治・大正・昭和にかけて活躍した作家たちの本を好んで読んでいた。


ネット小説が台頭し出したのも大体この頃だったと思う。

最初の頃はあまりネット小説に手を出すことなく紙の小説を読んでいたが、中学に入ってから半年もした頃には徐々にネット小説にも手を出すようになっていた。


それを見ていたお父さんは良い顔をしなかった。

“古い人間”とまでは言わないとは思うが、堅い人であったのは間違いなくて大正とか生きづらい世を生き抜いて書いたものだから面白いのだと最近の小説はあまり良いとしていなかった。

そんな中でのプロですらない小説を読んでいるとなるとそう簡単に受け入れられるものではないのも頷ける。


そこからの私とお父さんの関係性はあまり良くなかった。

お父さんにとってのネット小説は“邪道”なのであっての小説は紙である。

お父さんとの関係性が良くないので『旧い』物語を紹介してくれることはなくなり、自分が自らで面白いなと思った『新しい』物語を読むようになっていた。


ただ、学校で読むとなるとそうもいかない。

学校に電子機器の持ち込みは禁止されていて小説を読みたいなら紙を読むしかない。

私は思春期真っ盛りで親と対立しているのに親の言いなりになってどうする、という思いがあって学校で小説を読むことは無くなり家に帰っても対立を煽りたくない、と思いネット小説をも読まなくなった。



時代は流れてネット小説の方がマジョリティー、紙の小説がマイノリティーとなった。

お父さんとの関係の修復は未だ実現されていないが、まだ紙の小説を読んでいるのだと思う。

私が作家デビューをしたときに少しでもお父さんに気に入ってもらえるように、とネット小説ではなく紙媒体の小説を選んで書いているのだ。

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