9時5分

妻高 あきひと

9時5分

 アパートの自分の部屋。

土曜の午後7時、京子はこない。

切ないな、昨日ケンカしたからな、朝電話したときも出てくれなかった。

おまけにケンカの原因が俺の意地っ張りな性格なんだからどうしようもない。

この悪い癖を治さなきゃいけないのだが、中々そうはいかない。


もう一度電話してみるか。

スマホを手に取り画面をと見ると真っ黒、じゃないか。

フリーズでも電源でもない、普通の状態ではない。

どうしたのか、再起動もできないし、何の反応もしない。


ううん、黒の中から何かボヤ~と浮かんできた。

人の顔、それも女の子、ハイスクールくらいか、白人の子だ。

華奢で金髪で目が青く、続いて全身が現れた。

つば広帽をかぶり、ピンクのセーターにGパンに赤のスニーカーか、アンタ誰よ。

こりゃなんだ、なんでこんなのが出てくるのよ。


スマホの中から俺を見て笑っている。

カワイイな、名前がわからないから、とりあえずマリーにしておこう。

マリーはなんで俺が見えるの。

すると、おいでおいでと手招きを始めた。


画面の外に誰かいて、その人を呼んでいるのか。

それにしてもスマホの中でな、どういうことだろう、わからない。

待ったが、誰かが画面に入ってくる気配はない。

まさか俺を呼んでるんじゃないよな。


マリーは俺を見ながらこっちへ近づいてくる。

そしてまたニコニコしながら”おいでおいで”と手招きを始めた。

完全に俺を誘っている。

何で、何でそうなるの。


マリーはスマホの中で、俺は外だ。

そもそも二人の間が通じるわけがない。

しかしどう見ても俺を誘っている、ようにしか思えない。

マリーは手を下ろした。


金髪がきらきら光る。

何なのだこれは。

マリーは俺をじっと見ている。

するとこっちに右腕を伸ばした。


おおっとのけぞると、スマホの画面からその手が出てきた。

「エッ!?」

一瞬何が何やらわからず、頭が混乱した。

白い手首にはうぶ毛が生え、爪には赤いマニキュアが見えた。

かすかにミルクのような匂いもした。


スマホの画面から飛び出してきた手は、あっという間にオレの左腕をひっつかみ、そして俺を画面の中に引っ張り込んだ。

ものすごい力だった。

女の子の力とは思えない。


引っ張り込まれたはずみで俺は地面に転がった。

アタタ、見ると右の肘に血が滲んでいる。

マリーはそれを見ても何とも言わずにニコニコ笑っている

「いきなり何すんだよ」


笑いながらも黙って返事しない。

結局俺はスマホの中に入ってしまった。

そんなことあるか、夢かと思ったが夢じゃない。

それにしても俺の後ろがやけに明るい。


振り返ると、上は天まで届きそうで横は視野いっぱいに広がるとてつもなく大きな画面があった。

一体何の画面だ。

よくよく見ると、そこに映っているのは、なんと俺の部屋だ。


天井も窓もカーテンも壁に貼ったカレンダーもそうだ。

そうか、俺は俺のスマホの中から俺の部屋を見ていた。

これは現実ではない、絶対に夢だ。

マリーは後ろのほうで、こっちに来いと手招きしている。

なるほど大画面から離れると、全体がよくわかるようになった。


マリーは足元を指差しながらいった。

「シッ ダウン!」

この英語はわかった。

ここに座れ、子どもに命令された。


日本人はいないのか、というとそっぽを向いた。

「カワイイけど、小生意気なガキだな」

マリーは少し笑いながら俺を上目でにらんだ。

俺のいったことはわかるのか、あそう、気をつけよう。


でも、そもそもなんで俺はスマホの中に引っ張り込まれたのよ。

頭がクラクラする。

なんなのこれは、夢だと思うけど現実でもあるような気がしないでもない。

すると大画面から声が聞こえてきた。

「いるぅ~」

あ、あの声は・・


大画面に大きな影が動き、何か巨大なものが入ってきた。

大きな・・・・影が、京子だ。

「トイレにもベランダにもいないし、ラーメンは食べかけだし。でもサンダルはあるしスニーカーもある。裸足で出るわけないし、スマホもあるし」


俺を探している。

いるはずなのにいない、おかしいというような顔でテーブルの上の俺のスマホ手に取った。

こっちを見ている。

スマホの大画面いっぱいに京子の顔が広がっている。


京子とは婚約もしていて泊まりにもくるが、これほど京子の顔を間近に見たことはない。

何だかアリになった気分だ。

ふ~ん 首のあの小さな黒子がよく見えるわ。


京子は俺のスマホをさわっている。

「オイっ俺が見えるか、オイったら」

「このスマホ、フリーズして再起動もできないじゃない。どうしちゃったのよ」

心配そうにこっちを見ているが、俺は見えないのだろう。


ドアーにも目をやってはまたスマホを見ている。

「何もかもそのままだし、どこに行ったのよ」

京子のひとり言が聞こえる。

ばたばたと動き始めた。


何かしてないと気のすまない女だからな、画面の向こうを行ったり来たり、片づけをしてくれている。

スマホをつかんでテーブルの端に置いた。

テーブルを拭いている。


カップラーメンは捨てにいくようだ。

もう伸びてるもんな。

後ろを振り向くとマリーはすぐそこに座り込んでニコニコしながら俺を見ている。

俺はまた画面を見た。


俺がほうかった上着も靴下も片付けているのがわかる。

「何もかもそのまんま、何かあったのかしら、大丈夫かな」

京子はテーブルに座り、自分のスマホで電話をかけ始めた。

どこにかけるんだろう。


「もしもし、あのちょつとお尋ねしますけど、ここは港町の電停の近くなんですが、この辺りで事故か事件かありませんでしたか。知り合いの者が部屋から姿を消しているものですから・・スミマセン」


警察に電話してんのか。

「ああそうですか、わかりました。近所のコンビニにでも行ってるのかと思って待っていたんですけど中々帰ってこないものですから。履物があるのでおかしいなとは思ったんですけど、スミマセンお騒がせしました。ありがとうございました」

電話を置いた。

「書置きくらいしておいてよ」


 京子はキッチンに行ったようだ。

水の音が聞こえる。

洗いものか、洗濯機の音もかすかに聞こえてきた。

テーブルに戻ると机の上のメモ帳をもってきて何か書いている。


「ホントにもう、スマホも置いたままで、どうしたのよ」

まいっちゃったな、涙ぐんでるじゃないか、泣くなよ、俺はここにいるんだから。

愛おしくなっちゃったな。

昨日のケンカも俺のせいだし、反省してるよ。


京子はメモをスマホの下に敷いたようだ。

そして立ち上がりドアーが開く音と鍵をかける音がして出て行った。

照明はそのままだ。

カバンを持って出た気配はないし、洗濯機も回っているから俺を探しに出たんだろう。

追いかけなきゃ、でもどうやって。


 マリーが俺の背中をつつき、画面の前まで押した。

どうするのかと思っていると背中越しにいった。

「意地っ張りはダメよ、彼女を大事にしなさい」

「年上の女みたいなことをいうなよ」

というと、こういった。

「それと、わたしはマリーじゃなくてナオミです」

「ナオミ・・・俺の思っていたことも知ってるのか」

と俺がいったとたん、マリーいやナオミは思いっきり俺の背中を押した。


背骨が折れるかと思ったくらい猛烈な力で押されて一瞬気が遠くなった。

気づくと天井が見える。

自分の部屋に転がっている。

ああ、戻ってきたのか。


 テーブルの上の俺のスマホを見ると、ナオミは俺を見ながら手を振っている。

そしてだんだん小さくなり、スーッと消えた。

スマホをのけて、京子のメモを読んだ。

「姿が見えないので、そこらあたりまでいってみます。9時5分 京子」


まだ車も多いし、ここら辺りはビルも路地も入り組んで角を曲がっただけで景色が変わる。

すれ違いになるといけないので俺もメモを書いてテーブルの上に置き、スニーカー履いて鍵をかけ、外へ出た。


 どこへ行ったのか、見当もつかない。

暗い所や危なそうなところには行かないだろうから、表通りに出てみることにした。

いない。

遠くには行かないはずだし、コンビニのほうに歩いてみることにした。


車も人も多い。

人波をよけながら歩く。

いつものコンビニが見える。

いるかも、と思って入ったがいない。


だんだん焦ってきた。

ときたま窃盗や強盗事件も起きる。

困った、どこにいるんだろう。

昨日ケンカしてなきゃ何でもなかったのにと思う。


すると人ごみの中からひょぃと出てきた。

目が合った。

京子のあの嬉しそうな顔、忘れられなくなりそうだ。

惚れ直した。

コンビニの袋を提げている。

俺を探しがてら何か買ったのだろう。


袋を振り笑いながら小走りにかけてくる。

こっちもつい足が早くなった。

「どこに行ってたのよ、何もかもほったらかしてたから心配しちゃった」

人目があったけど、俺は思わず京子の肩を抱いていた。


 ふと見ると人込みにすき間ができて交差点のそばに立っている女の子が見えた。

つば広帽をかぶり、ピンクのセーター、赤いスニーカー。

なんでここに、ナオミだ。

青信号に変わるとさっさと歩いて交差点を渡っていった。


道路の向こう側から一瞬俺を見た気がした。

気のせいだろうか。

ナオミの姿はすぐに人込みに消えた。

「どうしたの」

「いや知り合いかと思って。袋をかしな、俺がもっていくから」


京子が俺の腕をつかむと肘に痛みが走った。

ああそうか、ならあれは現実か、まさか。

なら、この肘の痛みはなんだ。


  その後、家も移り来週は結婚式だ。

二人が写った写真の額が壁にかけてある。

額の中にはあのメモが二枚とも入れてある。

何となく捨てたくなかった。

 

 ナオミは俺の意地っ張りを戒める神様の使いだったのか、まさかな。

いつか機会があったら京子に話してやろうと思うが、信じないだろうな。

それに今もあれが現実とは思えないし。


ボーとしながら、なんとなくスマホを見た。

今度は画面が紅白の幕になっていた・・・・



















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9時5分 妻高 あきひと @kuromame2010

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