このスマホを拾った方へ
かきつばた
このスマホを拾った方へ
後期の時間割をくみ上げた結果、三限と五限の間にぽっかりと空白ができてしまった。
実際には、入れようと思えば講義はある。しかし、それはとても不可率の高いもの。徒に屍を積み上げるだけになるのは目に見えている。
ともかく、水曜日の四限はいつも暇を持て余していて――
「っと、すみません」
「いえ、こちらの方こそよそ見してて……すみません!」
階段を上がったところで、人とぶつかりそうになった。あわやのところで気が付いたので、何事もなかったが。
相手は小さく頭を下げて慌てた感じに去っていく。かなり急いだ様子で、それ以上声をかける暇はなかった。
「気を付けろよ、
「あのなぁ、もとはと言えばお前が変なこと言うから」
「人のせいにするな」
友人のしかめ面に、言い訳の言葉を飲み込む。
なんにせよ、こいつの話に夢中になったのは俺なのだ。そのせいで注意力散漫になったのも、また自分。
……正直な話、飛び込んできたのは相手の女子の方だったけど。
俺が閉口していると、我が友はあからさまに後方を気にし始めた。
「しかし向こうさん、かなり急いでたな」
「授業に遅れそうとかだろ」
「そうか? ――あの子、手ぶらだったぜ」
「よく見てんのな、お前」
「そりゃ、めちゃ美人だったから。声も可愛かったし」
爽やかに笑う友人に、思いっきりため息を浴びせる。実際に話しかける勇気はないくせに、こういうところは目ざとい。
気を取り直して歩き出す。まあ急いだところで、空白の時間はそう簡単に埋まるものでもないけれど。
――ピー。
何度か聞いたことのある電子音が鳴ってゲートが開く。道中とは違い、室内はとても静かだ。
「俺、先に行ってるわ」
「おうよ」
入り口で友人と別れて奥へと進んでいく。それなりに利用者は多いんだ、と妙に感心しながら。
――図書館に行く。
三限が一緒だった友人に予定を聞いたら、そんな答えが返ってきた。
当然、暇潰しに飢えていた俺はついていってみることに。
ひとりで過ごすより幾分かマシ……本音を言うと、少し仮眠を取ろうと思った。別の知り合いがそんなことを言っていたのを思い出して。
つくづくダメ大学生だな。我ながら、心の中で呆れ果てる。きゃんぱすらいふ――それはもう少し輝かしいものだと感じてたのに。
歩く時間に反比例して人気がどんどんなくなっていく。俺にとっては好都合。やや気を大きくして、腰を落ち着けるのに適当な場所を探す。
すると、奇妙なものが目に入った。
(忘れ物、か)
壁に面した閲覧机の上に、ポツンと黒い長方形の物体が置かれていた。
おそらくスマホ。シルエット的に。
さらに近づいて、ようやく自分の推論が確かだったとわかった。しかし、奇妙という感覚に終わりはない。
(斬新な忘れ方だな)
黒いスマホの下に、講義でよく見る紙が敷かれていた。裏面なのか、ぱっと見はただ白地が続くだけ。
それだけなら、そこまでおかしくないのかもしれない。だが、位置関係が気にかかった。
スマホと紙は机のど真ん中に置かれているのだ。
「波地、どした?」
考え込んでいるところに、後ろから友人の声が飛んできた。
よほど奴の探し物が簡単だったのか。それとも、意外と長い時間思案していたのか。
とりあえず、ゆっくりと振り返る。もちろん、目の前の机を指さしながら。
「いや、これ」
「……スマホ、だな。いわゆるスマートフォン。――お前のか?」
「なわけ」
的外れな指摘に、しっかりと自分のスマホを見せながら応じる。
「じゃあ誰かの忘れ物じゃん。係の人に言わないと」
「そうなんだけどさ。なんか不自然じゃね」
「……そうか?」
友人はあまりピンとは来てないらしい。
この場合、俺の方が考え過ぎなんだろうけど。
「お、おい、やめとけって」
やや気が引けながらも、思い切って敷かれた紙へと手を伸ばす。
「ほら、持ち主の手掛かりになるかも」
「俺たちはいつから警官になったんだ?」
聞き流し、俺はその紙をひっくり返した。
するとそこには――
『このスマホに気づいた方へ』
目に入った文字列にたちまち面喰う。
「……なにこれ?」
「俺に聞くなよ」
真っ先に反応した友人の言葉に顔をしかめる。
それは俺だって聞きたいことなんだから。
とにかく、何者かの意図に満ちた一文からその文章は始まっていた。
『急ぎ、俺に連絡してくれたまえ。
断っておくが、五分以内に連絡がない場合、大いなる呪いが降りかかる。
事実、文学部の田中君はこの間自転車を盗まれた。
だが連絡してくれれば、幸せになれるぞ。
教育学部の田中君は大金持ちになりました』
と、乱雑な筆跡で書き殴ってある。
とりあえず、連絡先の情報はなし。
昔流行ったチェーンメールみたいな内容だな。後半部分は、うさん臭い開運商材の宣伝文句。
どこからどう見てもただの怪文書。ありがとうのひとつも言いたくなるほどに。
果たして、誰がこんなものを真に受けるのか。
「お、おい、波地! やべえぞ、いったいどうしたら」
と思ったら、少なくとも一人はいたようだ。
こいつと学び舎が同じことに、思わず頭を抱え込みたくなる。
「イタズラだろ、イタズラ。ったく、こんなもんまで用意して手が込んで――」
「……どした?」
「いや、このスマホ本物っぽい」
ついでに手にしてみたが、この質感と重量はおもちゃとかの類じゃない。
試しに電源ボタンに触れたら、普通に起動した。
しかもロックがかかってない。
「もうやめとこーぜ。普通に大学に通報してだな」
「そういや連絡しろって書いてたっけ」
「何するつもりだ、お前」
友人の言葉を聞き流して、適当に操作してみることに。
確かに、こいつの言うことにも一理ある。一人ならきっとそうしていた。
だが、友人と一緒というのがなんか変な勇気を与えてくれていた。
電話帳……あるいは発信履歴。
行動の理由は見えてこないが、目的はなんとなく想像がつく。とりあえず、このスマホの設置主は誰かに連絡してもらいたいらしい。
「ビンゴ!」
案の定、発信履歴が一件だけ残っていた。
誰か――おそらく仕掛け人の携帯の番号、だと思う。
もちろん、さらなるイタズラの可能性もあるが。
「これ、さすがにシムカードとかは入ってないか」
「波地、お前意外と肝が据わってんのな」
「なあ非通知ってどうやって掛けるんだっけ」
俺の質問に、友人は心底残念そうな顔をした。
やや緊張しながら、指定された場所へと向かう。大学から近いところにある喫茶店。今回初めて、その存在を知った。
店内は前面ガラス張りで、外からでも中の様子がよく見える。
一応確認してみたが、客は一人だけ。髪の長い人物が、こちらに背を向けて奥の席に座っていた。
入店するなり、ベルの音が鳴り響く。
店員が近づくと同時に、例の唯一の客が立ち上がってこちらの方を見た。
「あ、こっちです!」
やはり女性だったか。
先ほど電話で軽く話したときからわかっていたが。
確認できたのは、この意味不明な現象の仕掛け人も彼女だということ。
これは予想通りだが、その姿を見て俺はかなり驚いてしまった。
「さっきもお会いしましたね」
「図書室近くでぶつかりそうになった」
「そうです、そうです。その節は失礼しました」
急いでたのは、講義に遅れそうだったからじゃなく、現場から逃げるため、か。
思わぬ謎が解明したことに呆れつつ、注文を取りに来た店員にコーヒーを頼む。
あの時はちらりとしか見えなかったが、確かにあいつの言う通り目の引くような美人だ。
はっきりとした目鼻立ち、印象的な長い髪。服装も相まって、いいとこのお嬢様……とにかく、こんなことをするようには見えないが。
「一言で言うなら、退屈な日常をぶち壊したかったんです」
理由を尋ねると、物騒な言葉が返ってきた。
なるほど、見た目には似合わず過激な思想をお持ちのようだ。
「最近、同じような日常の繰り返しに飽きてきまして――ところで、ええとお名前を訊いても?」
「波地だ」
「なみち、さん。私は
完璧な偏見だが、苗字もまた金持ちっぽい。
「波地さんは何年生ですか?」
「二年だけど」
「あ、私と一緒!」
「じゃあ私の気持ち、わかりません?」
「まあほんの少しくらいは、な」
俺は小さく頷いた。実際、ここに赴いたのも退屈が理由なわけだし。
「でも、さすがに大がかり過ぎないか? わざわざこんなスマホまで用意して」
「最近買い替えまして。それでちょっとやってみようかなって。ほら、海にボトル流すアレみたいな」
ニコニコしながら、西園寺は別のスマホをポケットから取り出した。手帳ケースに入ったそれが、机の片隅にそっと置かれる。
「そう聞くとめちゃくちゃスケールダウンするんだが……しかしだな、たまたま思惑通りに行ったのはいいけど、もっと大事になってた可能性もあんだろ」
「その時はその時です。人生、些細なリスクはつきものですから」
「見かけによらず豪快だ……」
「まあ実際は、すぐに取りに戻ろうと思ったんですけど。だから、ああいう人気のない場所においたわけで。それなのに」
そこで言葉を切って、西園寺はこちらをぐっと見つめてきた。
ずいぶんと他意が含まれてそうな視線。キラキラと輝いているのは、とりあえず好奇心か。同類を見つけたというような。
考え過ぎだと思いたい。
「――っと、そろそろ私行かないと!」
「待て待て。これはどうすんだよ」
「そのスマホは差し上げます。お近づきの印です。――では、またいつか!」
満足したのか、彼女は去っていった。
机の片隅に、買い替えたばかりのスマホも置いて。
「……これ、なにか試されてんのかな」
呆然としていると、顔を赤らめた西園寺が帰ってきた。どうやら、これはいつかのうちには入らないようだ。
しかし、ヤバい女と知り合いになったかもしれない。
友人に対しての土産話を考えながら、ちょっと冷めたコーヒーに口を付けた。
このスマホを拾った方へ かきつばた @tubakikakitubata
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