大切なもの

牧田ダイ

恋人

 僕の彼女は最近スマホばかり触っている。食事中も、お風呂でも、寝る前も。僕が話をしても視線はスマホにくぎ付け。返事もほとんどが曖昧だ。

 付き合い始めの頃はそんなにスマホに夢中って感じじゃなかった。ちゃんと目を見て話してくれたし、よく笑っていた。

 この間試しに「スマホか俺、どっちが好きなの?」と聞いた。すると彼女は「うーん……、わかんない」と答えた。曖昧な返事に俺は何も言えなかった。

 付き合って5年、同棲を始めて2年……、そろそろ潮時なのかな。



 私は今スマホが手放せない。寝る時以外はスマホに触れている。

 彼氏がこれを良く思ってないのはわかっている。でも触らずにはいられない。これには自分でも引いている。

 スマホで何をしているかと聞かれると上手く答えることができない。もっと詳しく言うと何のためにスマホを触っているかわからない。SNSをチェックしたり動画を見たりすると、笑い、感動、驚き、怒りなどの一時的な感情を得られるが、心が満たされることはない。

 彼にスマホと自分ならどっちが好きかと聞かれたとき、もちろんあなたと答えるべきなのはわかっていたが、本当の答えはわからなかった。

 "好き"がわからなくなっていた。それがわからなければどっちが好きかなんてわかるはずもない。

 SNSに投稿してみる。


 "好き"って何だろう?


 しばらくするといくつかの返信がある。


 ずっと一緒にいたいとかじゃない?

 気づいたら求めてる

 それのことばっか考えてる


 これらの返信に当てはまっているのはスマホだ。つまり私はスマホの方が"好き"ということになる。何だか釈然としない。

 なぜ釈然としないのか、今の気分が何なのか、私にはやはりわからない。



 彼女との関係が良くなる兆しは全くない。やっぱり終わらせた方がいいのか。でも終わらせる勇気は俺にはない。

 悩みが頭を駆け巡り、仕事が全く手に付かない状態でモニターの前にずっと座っている。

 ふとモニター横の卓上カレンダーに目がいく。1つ赤い数字があり、その下に海の日と書かれている。

 海か……。しばらく行ってないな。

 スマホを引き出しから出し、彼女にメッセージを送って、またしまった。

 何か変化が欲しかった。



 太陽がぎらぎらと照りつける。暑い。

 レンタルしたビーチパラソルで作った影の中でそう思いながら、私はスマホを触る手を止めない。

 海にいかない?と彼からメッセージが来た時にはびっくりした。こんな私を誘うのか。

 普段なら断っていたが、今回は行かないとダメな気がした。

 そうして来てみたものの、私は変わらずスマホを触り続けている。何がしたいんだろう、私は。

 彼が海の家で買った食べ物を持って戻ってきた。

「おまたせ、ポテトで良かった?」

「うん、ありがと」

 ポテトを受け取るためにスマホから目を離し、受け取るとまた戻す。

 買ったものを2人で食べる。会話はほぼない。

 食べ終わると完全に沈黙となる。

 しばらくの沈黙の後、彼が口を開いた。

「あのさ……、俺のこと、好き?」

 突然の質問に困惑した。

 この前の質問に似ているが少し違う。この前は私が彼を好きという前提があった。しかし今回はその前提を問いなおしている。

 私は考える。彼とずっと一緒にいたい?わからない。気づいたら彼を求めてる?いや、残念ながらそれはない。彼のことばっか考えてる?これもそうとは言えない。確かに最近は彼との仲も悩みの1つだったが、考えていたのはもっと根本の部分だった。

 私は恐る恐る口を開く。

「好きじゃ……ない……かも」

 それを聞いて彼は大きく息を吐いた。そして「そっか……」と言った。

 悲しみと諦めが混ざった声だった。

「じゃあ……、俺たち今日で終わりにしよっか……」

 それを聞いた瞬間、心臓がトクンと跳ねた。

 ついに言われてしまった。今までもこうなる予感はもちろんあった。遅すぎたくらいだ。でも心のどこかでこうなることはないと思っていたのかもしれない。じゃないとこの痛んでいる心は説明できない。

 私は彼と別れたくないのか?わからない。またわからない。

 でも、彼をこれ以上私に縛り付けてはいけないということだけはわかった。

「……わかっ……た」

 それを聞いた彼は、1呼吸置いて「1つだけお願いしていい?」と聞いてきた。私はうなずく。

「今日だけはさ、スマホじゃなくて俺のことみてくれないかな?」

 彼の声は優しかった。

 彼の最後のお願いに答えてあげたかった。すぐにでもスマホをしまって彼と向かい合いたかった。でもできなかった。体が拒んだ。自分がスマホを触っていないことを想像するだけでダメだった。

「……ごめん」

 彼はまた「そっか……」と言った。さっきより強い悲しみがこもっていた。

 彼は今どんな顔をしているんだろう。悲しい顔に間違いないが、気になった。しかし怖くて私はスマホから視線を外せなかった。



「せっかく来たし、俺泳いでくるね」

 明るい声が出るように努めた。彼女はスマホを見ている。

 熱い砂浜から海に足を入れ、少し深さのある所で、仰向けに浮かび上がる。

 別れを切り出した時の彼女の顔を思い出す。暗い顔をしていた。

 ちょっとでも俺と別れる事嫌って思ってくれたんじゃないかな。それなら俺たちまだやり直せるんじゃないかな。次々と浮かぶ考えを慌てて振り払う。

 もう決めたことだ。お互いのためにもこれが良かったんだ。

 気づくと少し岸から離れていた。

 戻ろうと思い体勢を変えた瞬間、太ももの裏に痛みが走った。

 足をつってしまった。

 動けない内にますます岸から遠のく。まずい。

 焦りが体を強張らせる。

 体が沈み始める。その瞬間今までの記憶が走馬灯のようによぎった。

 数々の記憶の半分ほどが彼女だった。

 やっぱり別れたくない。

 だって俺は……、君が大好きなんだ。



 日が傾き、空がオレンジ色になっている。

 彼はまだ帰ってきていない。

 遅いなーとは思っていたがさすがにおかしい。

 彼の荷物はここにあるから連絡もとれない。

 近くにいたライフセーバーらしき人に声をかける。

「あの……、か……友人が泳ぎに行ってから帰ってこないんですけど」

 言い直したことに悲しくなる。私と彼はもう恋人ではないのだ。


 最初はライフセーバーと私だけの捜索だったが、全く見つからず、警察やレスキュー隊まで動員された。

 大がかりな捜索の末彼は発見された。息絶えた状態で。

 水に濡れて冷たくなった彼を見た時、涙があふれ出た。

 動かなくなった彼にすがりついた。

 釈然としなかった気分、別れ話を聞いた時の心の痛み、それらの理由が一気にわかった。

 私は彼が好きだった。

 SNSの好きには当てはまらなくても私は彼が好きだった。

 もっと彼を見るべきだった。もっと向き合うべきだった。

 私がスマホばかり見ていても、彼はいつも私を見ていてくれたのに。

 遅すぎた――。何もかも。















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大切なもの 牧田ダイ @ta-keshima

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