開かずの金庫

鳩藍@2023/12/28デビュー作発売

開かずの金庫


「死んだおじいちゃんの金庫を開けて欲しいの」

「……業者、呼べばいいんじゃないかな?」


 夏休みに入る少し前。同じ大学に通う恋人の秋穂から、妙な事を頼まれた。二年の時にゼミで知り合い、付き合って一年と少しが経っている。


「開かないのよ。開いている筈なのに、開かないの」


 一か月前、秋穂の父方のおじいさんが亡くなった。おじいさん地元では知られた大地主で、昔ながらの日本家屋に住み、土地を貸して得られる収入で生計を立てていたらしい。


 その土地の権利書は、おじいさんの家にある古い大きな金庫の中に入っているのだが、おじいさんは開け方を生前誰にも教えず、開け方の覚書おぼえがきもないので、仕方なく業者に依頼した。


 金庫には0~9までの数字が入ったダイヤルが二つと鍵穴が一つ。ダイヤルの番号の判明と、解錠までは順調だったらしい。


「でも、肝心の扉が開かなかったの。引っ張ってもビクともしなくて」


 業者は『扉自体が何らかの理由で歪んでいるのではないか』と推測し、工具を使って扉を取り外そうとした。


「そうしたら、突然工具が折れ曲がったの」

「折れ曲がった」


 秋穂は至って真面目な顔で頷いた。こんな冗談を言える人間じゃないのは良く知っている。


「それで業者さんが替えの工具を持ってきたら、立っていられないくらい部屋が揺れたの」

「揺れた」

「後からニュースを見たけど、その日は地震なんてどこでも起きてなかった」

「……もうそれ、お焚き上げ一択じゃないかな」

「中の書類が燃えちゃったら、相続が出来ないって、お父さんが」


 お願い、彼方かなたくん。と秋穂は泣きそうな顔で俺を見てくる。


「彼方くん、お寺の生まれでんだよね? 開かない原因を視てほしいの」

「……視るだけ視て、無理だったらお焚き上げ。これでいい?」

「うん。彼方くんがダメって言うならダメだろうから。頑張ってお父さんを説得してみる」


 そして現在。俺は秋穂のおじいさんの家で、くだんの金庫とご対面である。


「……おわあ」

「やっぱり、そういう感じ?」

「うん……おじいさんの霊で間違いないかな」


 金庫は、おじいさんが生前使っていた部屋の中央に鎮座していた。ただし。


「……何をどうしてこうなったんだ……」


 金庫の上に、鼻の半ばから頭頂部まで、おじいさんの顔が生えている。金庫と顔の接合面はケロイド状。目玉は血走って常に周囲を警戒するように、左右バラバラに動いている。金庫の両側面から生えている干からびた腕が、扉を抱きかかえるように交差しており、決して誰にも開けさせないというこれ以上ない意志表示をしていた。


「秋穂ちゃん。秋穂ちゃんはおじいさんとこの家で一緒に暮らしてたんだよね?」

「うん、下宿代節約になるからさ」

「おじいさんって、どんな人だった?」

「うーん。優しくて、静かな人だったよ」


 秋穂はおとがいに人差し指を当てながら言う。俺は彼女の言葉を聞きながら、持ってきた荷物から紙垂つきのしめ縄を出し、床に人が三人くらい入れそうな円を作る。小さな正方形の紙の上にお塩を盛って、しめ縄の四隅に設置。我流の魔除け結界だ。


「小さい頃から私のこと気に掛けてくれたんだ。両親が共働きだから、夏休みとか冬休みはずっとこっちで過ごしてたの。おばあちゃんが生きてた頃は三人でよく庭の花の世話をしたんだよ」

「……何かに執着するような人ではない?」

「少なくとも、お金に執着してる所は見た事ないなあ」


 話すうちに我流の結界が完成したので、秋穂に外に出て貰う。閉じた障子を背に、一人で金庫と対峙する。


 古来より、言葉には魂が宿ると言われる。言霊、と呼ばれるものだ。実体のない死者に触れる事はできないが、魂の籠った言葉なら、魂だけになった死者にも届く。


 俺はゆっくりと、一音一音ハッキリ聞き取れるように口を開く。


「おじいさん、秋穂のおじいさん、俺の言葉が聞こえますか」


 忙しなく動いていた眼球が俺の顔に向けて固定された。


「俺は秋穂に頼まれて、あなたとお話をしに来ました。もしお話をしていただけるなら、そのまま目を開けていてください。お話をしたくないなら目を閉じてください」


 眼球は開いたまま。俺は話を続けた。

「ありがとうございます。ではこちらを使ってお話していきますね」


 俺は荷物からあいうえお表を取り出した。


「話したい言葉を指さしていただけますか?」


 俺の顔に固定されていた眼球が、あいうえお表に向き、再び俺の顔に向けられる。それを何度か繰り返した後、金庫の扉を抱えていた両腕がゆっくりと動き――


 カチカチカチカチ……


 金庫についている二つのダイヤルを回し出した。


「???」


 前例のない事態に少し動揺したが、会話の意思は最初に確認したので、まずは様子を見る。


 少しして、ダイヤルが一定の数字を繰り返しているのに気づいた。


「13」「32」「95」「03」「72」「93」「51」


 最後の数字を回し終えたら、俺の顔を見る。通じていないのを確認すると、あいうえお表に目を落として、再び同じ数字を回す。


 それを三回繰り返し、俺はようやく、おじいさんの言いたい事を理解した。


「……おじいさん、なぜですか?」

「11」「22」「65」「21」「72」「44」「93」


 平音だけでのやりとりだが、意味は通じる。


「おじいさんはそれだと困るのですね。なぜですか?」

「11」「22」「65」「52」「25」「95」「31」「94」「41」


 さわさわと、庭の木を風が揺らす音がした。夏の日差しに照らされた木の陰が、障子の上半分を覆っている。


「……それは、金庫を開けさせない理由と関係があるのですか」

「32」「85」「13」「25」「55」「52」「43」「22」


「それを誰にも見られたくないから、金庫を開けさせないのですか」

「35」「13」「41」

「32」「85」「63」「05」「32」「44」「23」「94」


 障子の外から、カアカアと鴉のけたたましい鳴き声と、羽音。気が付けば、掌がじっとりと汗ばんでいる。


「今すぐは難しいかと。本格的なお焚き上げは、俺の実家の寺に持っていく必要がありますからね。秋穂が、あなたの息子さんを説得出来たらの話になるでしょう」

「35」「94」「44」「12」「12」


「他に、何か伝えたい事はありますか?」

「22」「05」「25」「61」「11」「24」「44」「15」「23」

「11」「45」「61」「71」「21」「34」「31」


 それを最後に、おじいさんは目を閉じてしまった。





 後日、俺の寺に持ち込まれた金庫は丁重なお祓いをした後、無事に開けることが出来た。空になった金庫は、そのままこちらで処分する事になった。


 相続は無事に終わり、秋穂のお父さんからは金庫の処分費用と共に、多大な謝礼金がもたらされた。秋穂からも何度もお礼を言われ、交際も順調に続いている。


「ありがとうね、彼方くん。おじいちゃん、ずっと私のこと心配して残ってたなんて……」


 大学の敷地内にあるベンチで、俺と秋穂は並んで座っている。どこかの木で、蝉がジィジィ鳴いていた。


「うん。秋穂のこと、本当に愛していたんだと思うよ」


 そうじゃなきゃ、あんな頼み事俺にしてくる訳がない。


「彼方くんは……私のこと、好き?」

「おじいさんと同じくらいには。いや、負けるかな……?」


 もし将来、おじいさんと同じ状況になったとき、果たして俺は同じことを言えるんだろうか。


「ねえ、おじいちゃん最期に何て言ってたの?」


 秋穂はおじいさんの話題の度にこう聞いて来る。そうして俺は決まってこう返すのだ。


「『秋穂を愛してる』、ってさ」

「……そっか」


 俺も秋穂も、何も言わない。ジィジィ、ジィジィと。蝉の声だけが辺りに響いていた。



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