第4話 わたしの彼は左きき:麻丘めぐみ
焼却炉の細長い煙突から流れ出るグレーの煙で、周囲は独特の匂いがしていた。そこに遠くからでも分かる人影、制服を着た女子生徒の姿があった。一歩一歩近づくたびに胸が高鳴る。
いよいよ面と向かって話をする時がやってきた。気を配って言葉を選び、彼女に違和感を与えてはいけない。同級生を好きと言った彼女は、まだ本当の恋愛を知らない年齢だ。所詮は初恋に憧れる子供の恋愛だろうと考えることにした。
子育ての延長のように、中学生に接すればよいだろうと思っていたのだが、いざこうして対面するとなると、本当に14歳に戻ったようで、心臓が口から飛び出しそうな、激しい動悸に襲われる。
澤木ケイは、焼却炉を背に立っていた。
紺色のジャンパースカートと白いブラウス。膝丈のスカートからすらりと伸びた生足。白紐がついた紺色のデッキシューズ。ストレートの黒髪は、肩下のセミロング。
近寄るにつれて顔がよく見えてくる。丸みを帯びた頬はあどけなさが残っている。きりっとした眉と、輪郭がはっきりした唇。近寄ると、少し俯いてしまったので目の表情は見えない。
正面に立つと、身長は僕よりも高かったことを思い出す。卒業アルバムの集合写真ではいつも後列に並んでいた。いよいよ願っていた瞬間。ここからは気合を入れて彼女に告げなければならない。
「あぁーー。あのぉー」
気合いを入れたつもりなのに、緊張からか、へなちょこで腰砕けの声が出た。顔をあげた澤木ケイ。綺麗な二重瞼と長いまつ毛。白目と黒目の輪郭がはっきりした眼力の強い瞳が、正面から真っ直ぐに見つめてきた。昔ならその強い視線に
というよりも、そもそも正面を向いて彼女に話をした記憶すらない。でも今は違う。恋など知らない中学生が勇気を出して『あなたがすき』とメッセージを送ってきたのだ。それに対して47歳も年上の男は、彼女の勇気に応える振る舞いをするべき。そう思った瞬間に肝が座った。
「澤木さん、だよね」彼女は再び目を伏せ、コクンと頷いた。
「ありがとう、来てくれて」
「ユースケから聞いたよ。だから、ちゃんと返事するね」
と言うと再び顔あげ、正面から見つめてきた。彼女の瞳はどきりとするほど透明度が高い。
「嬉しいです。ありがとう、でも、ぼくは、ケイさん。じゃなくて澤木さんのことはあまり知らなくて、同じ部活なのに意識して見たことがなくてごめんなさい。でも、きのうユースケに聞いて、びっくりしたというか驚いて、さらに、なんというか、その『好き』なんて言われたのは、生まれて初めてでありまして、なんというか、その、今でも心臓がドキドキしておりまして。目の前にいるあなたのことをちゃんと見て、好きになったというか、頭の中がピカピカしていて、うまく言えないけど好きです。ぼくでよければ付き合ってください」と、45度に頭を下げた。
故意に中学生の話し方をしようと思ったが、後半は本気で、しどろもどろになっていた。まったく、もう少しマシに話せないのかと思いつつ、一気にプロポーズらしき言葉を吐いた。彼女は大きな目を見開いて僕を見ている。口角が下がり、何かを我慢しているような顔だ。気のせいか少し目が潤んでいるように見えた。
「でも、本当にぼくでいいのかな?」
と再び微笑んで問いかけてみる。彼女はさらに大きな目を丸く開いたが、再び目を伏せた。
「だって、わたしが好きになったんだよ」
と、聞き取れないような小声だが、確かに聞こえた。そして思い出した。彼女の声を。
記憶から消去されていた肉声を確認したこと。そしてケイの振る舞いや表情が、あまりに可憐だったことで、頭の中が沸騰して蒸発しそうだ。目の前の少女の完璧な存在に心が震え、次の言葉が出なくなった。あれだけ用意していた言葉が、全部削除されてしまったような感覚。何を喋っていいのか分からず、意識的に歯を見せてとびきりの笑顔を作った。
笑顔の作り方は60年の人生で鍛えたものだ。上司に怒鳴られても、クライアントに無理難題を言われても、生意気な年下の同僚にポンコツ呼ばわりされても、不動産屋や弁護士やサラ金業者に
そして、僕の笑顔に、彼女も微笑みで返してくれたことに、心の中で呟くつもりが反射的に「かわいい!」と口に出してしまった。
「うれしぃ」小さな声だが、そう言ってこっちを見た。ケイの笑顔が視界に入ると同時に、見覚えがある別の笑顔を思い出した。元の世界で一緒だったレイコの笑顔にとてもよく似ているのだ。口角が上がりニコリと笑う表情は、受け取るだけで幸せな気持ちになる。
張りつめた緊張が笑顔ひとつでこんなにも緩和されるのかと思った。そして笑うことによって、無音だった世界に急にシュワシュワと周囲の音が聞こえ始めてくる。
パチパチと焼却炉の中で燃えている音が大きくなり、緊張の糸が解れはじめ「部活休むって言ってきたけど、よかったら一緒に帰らない」と、自分でも思いがけないコトバがさらりと出てしまった。47年前なら言えなかったコトバ。「あ、はい」とケイは一瞬戸惑った顔を向けた。
「わたし、休むつもりじゃなかったから、みんなに言ってきます」
「じゃあ、ここで待っているよ」
「はい。待っていてください。ごめんなさい」
と軽く頭を下げて、小走りに走り出した。嘆かわしいことに今の今まで、僕は澤木ケイの笑顔を忘れていた。それは彼女が、とても無口で、どちらかというと表情豊かでなく、手元に残っていた僅かな写真や、卒業アルバムの集合写真にも笑顔が写っていなかったからだと思う。
それゆえにケイの笑顔がとても新鮮に感じ、その笑顔を独り占めしていることに、身体中の細胞が歓喜しているのが実感できた。
彼女の後を追うように校舎の方に歩き、そのまま角を曲がるとユースケが立っていた。
「なんだ、見てたのか」
「モチのロン。オレには見届ける権利がある」
「なに言ってやがる」
「澤木いま、走ってったぞ」心配そうなユースケの顔。
「とりあえず、今日は一緒に帰ることにしたよ」
「うわー、ほんとかよー。すげーな、おい!」
ユースケは、まるで自分のことのように喜んで、小躍りでステップを踏んだりしている。「よかったなー、じゃ、がんばれよー」と言い残すと、テニスラケットをぶんぶん振り回しながら、校庭に向かって走って行った。
ユースケの後ろ姿を見て、もう一度溜息が漏れた。きっと今日の帰り道、同じ方向に帰るササイやカメやヤマタに見ていたこと伝えるはずだ。そうなると、明日はきっと大騒ぎになるに違いない。
できるだけ目立たないように、周囲に気を配っていたのに、明日からは多くの話題を提供する立場になってしまう。奴らは絶対に興味本位で話しかけてくるに違いない。そう考えると、めんどくさい陰鬱が襲ってきた。
教室に戻り、四階から校庭を見下ろす。彼女の周りにユニフォーム姿のヤマデラ、キタニ、ナカザワたちが集まり、大声を出して肩を叩いたり、ぴょんぴょん跳ねたりしている。
そっと、その様子を見ていたら、ヤマデラが僕を発見して手を振ってきた。それに釣られて他の女子も、四階を見上げた。制服姿のケイだけが少し恥ずかしそうに俯いている。
窓を少し開けると「森園くーん」とか「よかったねー」とか「頑張ってねー」なんて声が聞こえた。「あー、こりゃ明日は大騒ぎ間違いなしやな」と呟いて窓を閉じた。
アディダスを手にして裏庭に戻り、積み上げられている材木の上に腰かけて、彼女が来るのを待つ。新設されたこの学校には、いまも工事の廃材や砂利が裏庭にたくさん残っている。
こんなときはタバコの一本でも吸いながら、スマホで時間をつぶしていたことを思い出す。そういえばこの世界にきて一本のタバコも吸ってない。禁煙外来でも止められなかった喫煙が、あっさり止められたことが嬉しい。
目を瞑り五月の風の薫りを感じてみる。校舎の反対側で、部活の中学生の掛け声が聞こえてくる。スマホが存在しない世界は、音や、匂いや、風や、温度や、湿度や、景色に敏感になれる。
裏山の天照大神宮の樹木を眺めると、
雲の動きを目で追っていると、次々にクジラや
ジャリジャリという小石を踏む音が徐々に大きくなり、振り向くと澤木ケイが早足でこっちに向かってきた。
「ごめんね、待ったでしょう」
「みんな大騒ぎしていたね」
「しつこく聞かれちゃって」
マディソン・スクエア・ガーデンのバッグと、濃紺のブレザー。記憶の中の彼女よりも背の高さが印象的で、大人っぽい雰囲気の中学生が今日から恋人になるのだと思うと、なんとも言えないワクワクした気持ちが身体中を支配する。
無意識に足が裏門のほうに向かう。なぜなら彼女の自宅がこの方向だと覚えていたからだ。
「森園くんのおうちは、どこなの?」
「汐見台だよ」
「だったら逆じゃない?」
「いや、澤木さんを送っていくから、こっちでいいよ」
「え、どうして、わたしの家(うち)がこっちだって知っているの?」
「あー、なんとなく、いつも通学で見かけないし」
やばかった。僕たちは今日はじめて話をしたのだ。この時点で彼女についての情報は、何も持っていないことを前提に会話をするべきだと、イエローカードを受け取った。
「澤木さんって、兄弟いるの」
「うん、姉と弟がいます。森園君は?」
「ぼくも三人兄弟で、弟と妹がいるよ」
などと他愛のない話をしながら坂を下り、昭和の街並みを港に向かって歩く。実は彼女の家族構成はよく知っていた。
なぜなら、昔は毎日のように長電話や交換日記をしていたからだ。小学生の弟のために、漫画の模写を書いてあげたり、一緒に『
こうして一緒に歩いても、昔なら何も話せなかっただろう。しかし経験豊富な還暦男にとって、女性との会話は特別なことではない。60年の人生経験はたいしたものである。
とはいえ、中学生で女の子の扱いに慣れていると思われるのも嫌だし、さらに既に知っていることを口走ってしまうのが怖かったので、意識的に言葉少なく歩き続けた。本当は記憶の大部分が消えていたので、聞いてみたいことは山のようにあるのだが、少しずつの会話は、過去の記憶と、現在の出来事を丁寧に接続させ、ゆっくりと情報を染み込ませることができる。
「もうすぐ、おうちに着いちゃうよ」と彼女が言った。
「もう少し話したいけど、だめかな」
「ちょっと歩くと公園があるのよ」
「じゃ、そこ行こう。せっかく部活休んだことだし」
「うん!」
ケイが、今日一番の笑顔をくれた。口角が上がり、白い歯が見えている。
彼女の家から歩いて数分のブランコや鉄棒や砂場のある児童公園。小さな子供たちが猿のような奇声をあげて無邪気に走り回っている。僕たちは大きな象さんの形をしたコンクリートの滑り台の正面にあるベンチに並んで腰かけた。
「ずっと横浜に住んでいるの?」
「ずっとここで育ったの。ここで弟といつも遊んでいたわ」
「そうなんだ」
「森園くんは、転校生だもんね」
「あ、うん。よく知っているね」
「ふふ…」少し嬉しそうに笑っている。
「だって、好きな人のことは何でも知りたいじゃない」
一言一言に頭がクラクラする。思い出してみれば小学校の頃は、男子も女子も幼い会話だが、中学になると急速に言葉遣いが変化する。男子はまだ小学校の続きで乱暴で幼稚だが、女子は急に大人びた言葉を選ぶようになる。そして中学三年になるころには、言葉と一緒に女性らしい仕草も身につけていく。
「名古屋から転校してきたマンガの好きの男の子」
独り言のように、遠くを眺めて懐かしそうに言う。
「え、ぼくのこと? それ。一年生の時。しかも三学期」
「憶えてないでしょ。わたし同じクラスだったのよ」
「えー、全然憶えていないよ」
「だよね。三学期だけで、ほんの少しの間だったもの」
「わたし、すごく髪の毛が長くて、おさげだったのよ」
「ごめん、全然憶えてない」
「いいのよ、怒っているんじゃないから」
「あと、足が速くて左利き。これは部活を見ていてわかったこと」
少女は何かを思い出しているようで、嬉しそうに遠くを見つめ、時おり足を前に伸ばし、パタパタと交差させて、柔らかな微笑みを浮かべていた。その横顔は凹凸がはっきりしており、下唇から顎に向けての鋭角なラインが美しい。柔らかそうな髪が耳の横で綺麗な曲線を作っている。
「やっと会えた。やっと話ができて、わたし、嬉しい」
そう言って僕の顔を正面から見た。
気のせいか彼女の瞳がまた少し潤んでいる。
「もしかして泣いてる? ぼく、変なこと言った?」
「違うの、嬉しくて涙がでちゃったの。わたし、テレビでムーミンを見ていても泣いちゃうことがあるんです」とハンカチを取り出して目頭を押さえる。「澤木さんは泣き虫なのかな」と笑うと、彼女も少し笑ってくれた。
僕らは好きなテレビ番組や、マンガなどの他愛のない話をした。彼女は女子なのに毎週『少年マガジン』を買っていることを恥ずかしそうに白状し、僕も『りぼん』を買っていることを伝え、一緒に笑った。
既に彼女の好みや趣味は知っていたが、その会話は初めて聞くように全てが新鮮だった。そして不思議なことに他の同級生とのやりとりとは違い、次々に会話が成立しており、まったく緊張していない自分を不思議に思った。
会話が進むにつれ、どんどん彼女の四十七年前の声色や話し口調が蘇ってくる。彼女は落ち着いて淡々と丁寧に話すが、優しい声質だ。そして時折甘えたような口調になる癖があることも思い出した。
時折柔らかそうな髪が風を受け、ふんわりと舞い上がる。風に舞う少女の柔らかい髪に触れたいと思った。頬に手のひらを当てて感触と体温を確かめたいと思った。髪の毛の匂い、彼女の匂いを嗅ぎたいと思った。毛穴が見えるくらいの至近距離で彼女を見詰めていたいと思った。
そんなことを考えつつ、象さんの滑り台で遊んでいる子供たちの動きを目で追っていた。それは長い沈黙だったのかも知れないし、ほんの一瞬のことだったのかも知れない。
しかし、この沈黙でさえも、かけがえのない時間として独り占めしている喜びを感じていた。この
「ねえ、森園くん」ケイは遠くを見るのをやめて、こっちを向いていた。不安そうな表情だが眼力の強い瞳で見つめられ、ぱたぱたと大きく瞬きをして、こう言った。
「ほんとうに、わたしでいいですか? 迷惑じゃない?」
昔の自分なら、うまく答えられなかったに違いない。だが今は、きちんと対応できる自信があった。目を逸らすことなく真っ直ぐに瞳を見つめ返した。これまでの人生経験がそうさせているのだろう。
「うん。もちろんだよ」そう言うと、彼女は顔を見つめ返してきた。少し緊張しているような表情だ。
「今日から澤木さんを、もっと好きになっていくと思うよ。いや、思うじゃなくて、ケイを好きになる自信があるんだ」
一瞬にして彼女は泣きだしそうな顔で下を向き、少し嗚咽を漏らし、ジュルっと鼻を啜った。とんでもないことを言ってしまったのかと、ひやっとした。
「ごめん、何か変なこと言った?」
「あのね」俯いたまま、か細い声でケイが言う。
「いま、わたしのこと『ケイ』って呼んでくれたでしょ」
「あ、呼び捨てにしてごめんね」
「違うの。うれしかったの。わたし森園くんに名前で呼ばれたかったの」
「ほな、ケイもぼくのこと『森園くん』って言わんようにしてね」
と言うと、ぱっと顔をあげ、こっちを見た。
「カンジ…くん?」泣き笑いの顔がそこにあった。
「どうして関西弁なの?」笑いながらそう言った。
「やばい!」と思ったがもう遅い。ずっとリラックスして話をしていたので、油断してしまったのだろう。いまここで関西弁を話す理由がない。
「うちはオカンとオトンが関西人で、家では関西弁やねん」
「そうなんだ、関西弁って、お母さんをオカンって言うのね。漫才みたいー」
ほっと胸を撫で下ろし一緒に声を出して笑ったが、頭の地肌はたっぷりと汗をかいていた。だがこうして『家では関西弁』と苦し紛れの言い訳をしたことで、関西弁を漏らしても不審に思われないと、都合のいい考えをすることにした。
いつのまにか、子供たちがいなくなっていた。横顔はすっかりシルエットになっている。いつもなら部活も終わり、家に帰り着いている時間だ。腰を上げ、公園を出て彼女の家まで一緒に歩く。
「あのさ、ひとつ聞いてもいい?」
「なあに」
「ケイちゃん、どうして部活に入ったの?」
「わたしは、ヒロさんと友達だから」
「あー、そうか、ナカザワさんと仲良しだから誘われたんだ」
「そうね」と悪戯っぽい目つきになり一歩下がって、こう言った。
「ど・ん・か・ん! そんなわけないでしょ」そう言うと、すたすたと小走りに家に向かっていく。あっけに取られたふりをして、心の中で呟いた。「知っているよ。おまえは俺のことを、ずっと見てたかったから入部したんだね」
彼女は玄関先で足を止め、振り返りざまにこう言った。
「えっと、わたしのこと『ケイちゃん』ではなく、『ケイ』って呼んでください」
「わかったよ、ケイ」
「ありがとう、カンジ。明日も会いたい」
「うん、明日も一緒に帰ろう」そう伝えると、ドアをあけて中に入った。扉の中から、こっちに向かって「バイバイ」と声を出さずに口だけを動かして手を振る。その表情は無邪気な少女の笑顔だった。
次第に彼女の家が遠くなる。ふたりはそれぞれ学区の端同士だったので、今から一時間近く歩く。自宅までの間ずっと、この数時間の出来事を順番に思い出していた。
そして実際の47年前の出来事と比較していた。振り返ってみると、僕たちは面と向かうと言葉が出てこないカップルだった。しかし交際初日、多くの会話を交わし、笑い、お互いの顔や声をちゃんと思い出せる関係になることができた。
今日のことで、この先の出来事が変わる予感がする。いや『予感がする』ではなく、そうなるだろうし、そうしようと決めた。何かの行動が次の行動を生む。決められた運命をもう一度トレースする必要はない。
この瞬間は、どんなに些細なことでも過去に体験していない時間であり、新しく作っている新しい出来事なのだ。時間の流れは次々に『過去』として、新しいアーカイブを上書き保存し続ける。
この時代で経験するひとつひとつの瞬間に、自分に素直に生きていくことは間違っていない。そうすることが、幸福な気持ちを持ち続けていける原動力だ。これまで正体がバレないように怯えていた気持ちや、孤独感や絶望感が一気に晴れて安寧している。それは一緒に幸せな時間を過ごしたからに違いない。彼女に救われたのだ。彼女が救ってくれたのだ。
そして確信したことがある。実際の中学時代よりも、二度目の体験をしている今のほうが、ずっとケイを好きになっている。この先の人生で、中学時代を思い出すことがあれば、二回目に出会った彼女のことを思い出すだろう。
そんな妙な自信があり、歩きながら、ふんわり舞い上がったケイの髪の毛のことを思い出していた。人生の最後に恋をした相手が、人生で初めて恋をした相手であることに、不思議と違和感がなく、それよりも僕はいま『恋をしている』ことの喜びに浸っていた。
六月の月が、透明な青色で明るく光っている。いつものように空に話しかけた。「がんばったよ」と。
――――――――――――
【用語解説】
※アイアンキング:ウルトラマンなどをオンエアしていた『タケダアワー』の17作目の特撮テレビ番組。
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