第16話 俺の血はネイティブ
ジョンは目を覚ました。灼熱の太陽はまだまだ天空の絶頂に陣取っていた。
ジョンは馬に水筒の水を飲ませ、先を急いだ。
砂漠地帯は出発して1日で抜け出す行程であったため、ジョンは些かばかり昼寝をしたことを後悔していた。
しかし、東前方にカーソン国有林のホイーラー山が蒼然と構えているのが見え出したことから、ジョンは水への心配事が消え失せたかのように、水筒の水を飲み干し、馬を早歩きさせた。
広大に思えた砂漠も今、前方に見えるカーソン国有林に比したら、この行程では、ほんの僅かの路程であった。砂地がやがて赤土に変わり、平坦な道に傾斜角度が生じてきた。
周りの景観も緑の植物が急に現れだし、マツやムクの木々、そして、久々、馬以外の生物の声として鳥達の囀りが聞こえて来た。
ジョンは出発して1日目の夕暮れを迎えた。場所はカーソン国有林の手前の森林地帯であった。
太陽は早々とホイーラー山の裏に隠れてしまい、辺りは薄らと木漏れ日が立ち込んでいた。
ジョンは森林道へ馬を向かわせた。馬は水の匂いを嗅ぎとった様に首を上下に振り出し、駆け足となった。
やがて、木々の間から青い湖が見えて来た。ジョンは馬に水を飲ませながら、馬の服帯を緩めてあげ、鞍を下ろした。
ジョンは今夜はこの水辺で野宿することにした。
ジョンはムツの木に馬の手綱を結び、若干、そのロープを伸ばしてあげた。馬はそれが分かると水を飲むのを止めて、水辺の草を食べだした。
ジョンはリュックからシュラフとランタン、携帯ラジオを取り出し、鞍を拠点にして寝床を作った。
そして、周りの枯れ技を拾い集め、湖岸の小岩で竈門を作り、薪火を熾した。
飯盒に豆を入れ煮立て、コーンビーフの缶詰を食べた。
そして、鞍を枕に木漏れ日が宵闇へと変わる瞬時を湖の色変わりで感じ取っていた。
ジョンはこの静寂で閑寂な居心地に先祖、先住民の面影を思い浮かべた。
「この水辺には古来から自然と共存していた人間が居た。熊や狼と同じように生態系の狩猟者として、水辺に来る鳥獣を獲っていただろう。今のアメリカ人みたいに無闇矢鱈に殺戮することなく共存として…
先住民、インディアン…、ネイティブ・アメリカンなど呼称されるとは、その時、誰も思い知ることなく、神の与えた土地に他の動物と同じように根ざしていたのに…
白人が全てを台無しにした。白人、キリスト教、神の模倣者‥、自然と共存することなく、自然を支配しようとした。エゴイズムだ。人間のために自然が有ると思い込んでやがる!見ろ!こんな無防備な人間一人が銃もなく、平気で森の中で寝そべって居れるじゃないか!熊も狼もピューマも何も居なくなった!白人が何もかも奪い捕ってしまったんだ。
そんなことも考えず、俺はキリスト教の神父なんかになっちまって!
俺の血はネイティブなんだ!自然なんだ!
せめて、人間を神の模倣者としないユダヤ教の信徒になればよかったんだ!
ユダヤの血が流れているのに…」と
ジョンは17世紀初頭の白人、渡来者、そして、イエス・キリストの存在自体を拒絶するかのように、薄目の中に黒く色変わる湖を呆然と眺めていた。
携帯ラジオからは、やはり、多国籍軍のイラクへの空爆の実況が流れていた。
ジョンは呆然とした感覚から得体の知れない怒りが湧き上がって来た。
「世界平和のためにアメリカは戦っている?それは違うだろ!アメリカの戦争は全て自国の利益のためのものじゃないか!2回の世界大戦も金儲けのためにわざわざヨーロッパまで渡り、朝鮮、ベトナムとの戦争も、全て共産主義から資本主義を守るためと大義を掲げ、無駄な血を何千万と流し、自然を破壊し、今度はイスラム教との戦いか!石油利益を守るために戦っているだけじゃないか!他所の土地の資源を当てにするよう、この広大な大陸を乱開発したからだ!」と
ジョンは沸々とした怒りを抑えることができず、この旅の目的さえ失ったように、浩子のことも感じなくなっていた。
「俺は何のために生まれ、何のために生き、何のために死ぬのか?こんな何も目的もない人間は戦場に行けば良い!空砲を鳴らしながら眉間に弾を喰らい、死んでしまいたい!エゴイズムの一員として、神の与えた自然を支配した報いとして、地獄に堕ちるべきだ…」
そんな破滅的な感情が、この静寂と閑寂な森の中で、パチパチと燃え上がる焚き木の中の熾りのようにジョンの心を激らせていた。
すると、その静寂と閑寂の空気を消し去るかのように、森林道に自動車のエンジン音が聞こえ、その方を見遣ると、赤色灯のランプの光が見えた。
自動車のドアがバタンと閉まる音が聞こえ、人間の足音が近づいて来るのが分かった。その足踏みの音からして2人のように思えた。
ジョンは寝袋から這い出て、ラジオを消し、その来訪者を待ち受けた。
足踏みの音が止まり、女性の声がした。
「この馬はあなたのですか?」と
ジョンはその声の方を振り向き答えた。
「はい、僕の馬です。」
今度は男の声がした。
「今時、馬で旅行する人は珍しいなぁ~」と
女性の方が焚き火に近づき、姿を表し、こう述べた。
「此方は、森林保安官です。貴方はキャンプに来られたのですか?ここは、一応、キャンプ禁止地域でして…」と
ジョンはこう返事した。
「それは知りませんでした。僕はキャンプに来たのではなく、オクラホマに行くために野宿してました。焚き火はすぐに消します。」と
女性の森林保安官はこう言った。
「いえ、そうであれば、今日は大丈夫です。最近、禁猟区での密猟が多発してるためパトロールしています。
ここは、ツキノワグマが居ますので、焚き火は消さずに注意してくださいね。」と
男性の森林保安官も声を掛けてきた。
「貴方は銃は持って無いのですか?」と
ジョンは答えた。
「はい、銃は持っていません」と
男性の森林保安官が、焚き火に手を翳しながらこう言った。
「知らぬが仏ですね。このコーンビーフの匂いも熊は好きですからね。くれぐれも気をつけてくださいよ。」と
ジョンはお礼言い、こう付け足した。
「まだ、この自然に熊は居るんですね?」と
女性の森林保安官が答えた。
「本当はここに居るはずのない生物ですよ。森林奥地が乱開発され、こんな麓に降りてきたんですよ。」と
ジョンが再度お礼を述べると、保安官達は帰って行こうとしたが、女性の保安官が帰り際に馬に近寄り撫でながらこう言った。
「私も馬が大好きなんです。この子も良い馬ですね。」と
ジョンは立ち上がり、改めて、その保安官を見た。
薄暗くよく見えなかったが、制服姿が凛々しく、帽子からポニーテールの黒髪が見えた。
女性の保安官は馬を撫で終わり、ジョンを見てこう言った。
「熊が来たらこの子がいな鳴くから、直ぐに分かりますよ。」と
ジョンはまたお礼を言った。
「ありがとうございます。気をつけます。」と
女性の保安官はにっこり微笑み去って行った。
ジョンは保安官達の車が動き出すのを確認して、鞍袋から斧を取り出して、枕の側に置いた。
そして、こう呟いた。
「熊は居るのか。山から追い出されたのか…」と
そして、焚き木を組めたし、炎を強火にし、斧を握り、目を閉じた。
「追い出された熊とは戦えないよ。俺と同じじゃないか」と心に閑寂さを感じながら眠りについた。
その頃、浩子はバーハム神父の運転する車に乗り、シアトルからモニュメント・バレーを目指し、ハイウェイを走っていた。
浩子は感じていた。
「ジョンはナボハ族の居留地にはもう居ない。ジョンは何処に居るか…、何となく分かるわ。ジョン、貴方が今居る所が…、静寂の中で貴方は私を待っている。静寂の中で、あの久住の森の中で私を待って居てくれたように、森と風の中に貴方はきっと居る…」と
浩子は車のフロントガラスから見える高層ビルや工場建物の景観を見ながら、こんな人工的な居場所にジョンは居るはずはないと感じていた。
「貴方が何故、私の側から去ったのか?今、そればかり考えています。神父のタブーを犯し、世間から疎遠された神父達と同じような境遇を探してるのね。でも、私は信じています。貴方が私を待っていてくれることを…」
浩子はジョンの無限の愛を感じていた。
「理由無き別れなどあるはずがない、ジョンは私を守るために去ったの。だからこそ、そのジョンの愛を受け容れるためには、私が赴かないとならない…」と
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