第8話 神への憎しみ

 8月の終わり超大型台風が九州北部に接近して来た。

 中心気圧は910hPa、最大瞬間風速は60m/sと予想され、現在、長崎県壱岐市に上陸し今夜未明には九州北部を通過するとのことであった。


 6年前に九州北部に上陸し甚大な被害を出した台風17号を遥かに上回る勢力を維持し、刻々とこの久住にも近づいていた。


 浩子の両親は台風17号通過直後、山林の倒木の撤去に向かい土砂崩れに飲み込まれ生き埋めとなり命を落とした。


 浩子の家は、集落から離れた場所にあり周りを防風林の役目を果たす雑木林に囲まれ、家そのものは暴風雨の影響をもろに受けることはなかった。


 浩子と祖母は午後7時の台風情報のニュースを見ていた。


 祖母が言った。


「あん時の台風より大きいみたいだね。牛舎が心配だよ」と


「うん、お父さんが亡くなって牛舎の手入れしてないから…」と浩子も心配そうに呟いていた。


 その時、玄関のチャイムが鳴った。


 祖母はこんな日に訪ねて来る人は誰だろうと不思議に思いながら玄関に出て行った。


「神父様、どうなされたんですか?」


「3時間後には台風が最接近します。

 牛舎の扉の閂を調べておこうかと思いまして。」


「今こそ、浩子と牛舎のこと心配してたんですよ。」


 浩子も玄関に行き、ジョンを見て、


「どうしたんですか?神父様、危ないですよ。もう直ぐ、台風が来ますのに。」と挨拶抜きに驚いて言った。


 ジョンは浩子に言った。


「今から牛舎の扉だけ調べておくよ。道具は揃っているかな?」


「はい、全て納屋にありますけど…」


「OK、納屋の鍵だけ貸してくれないかい。」


「私も行きます。」


 浩子は納屋の鍵を持ち、ジョンを案内した。


 ジョンは納屋に入り、工具とベニア板を持ち、牛舎に向かった。


 牛舎の扉は早くも強風に耐えきれそうもなく、ギシギシと悲鳴を上げていた。


 ジョンと浩子は強風の中、牛舎の扉にベニア板を打ち付け補強し、裏扉から牛舎に入り、閂を内から補強するためワイヤーで固く留め金に固定した。


 牛達は、この何時間後に自然の脅威が襲いかかって来ることを既に察知しているかのように各柵内の中で忙しく動き回っていた。


 ジョンと浩子は牛舎内の各柵を点検して周り、それと同時に牛達に安心するよう話しかけた。


「これで大丈夫だ。馬の厩舎も見ておこうか?」とジョンが言った。


 浩子はもう台風の最接近まであまり時間がないので無理しないようにとジョンを止めたが、ジョンはまだ間に合うと言い、厩舎に向かった。


 ジョンは牛舎と同じように、もう一枚のベニア板を扉に打ち付け、そして、厩舎の裏から回り扉の閂を補強した。


 午後8時、周辺は豪雨と強風が防風林を柳のようにひん曲げるほど強まっていた。


 ジョンは浩子と祖母に何かあったら教会に電話するように言い、車で戻ろうとした。


 その時、浩子は6年前の悪夢を思い起こしていた。


「神父様、今夜はもう教会に戻らず、ここにお泊まりください。この辺りは土砂崩れが多いですので心配です。」と浩子は言った。


 ジョンはまだ大丈夫だと言い車に乗ろうとした時、浩子が叫んだ。


「私も一緒に行きます。」と


 祖母もあの6年前を思い出していた。


「私も一緒に行くよ、お父さん。」


「浩子は小さいからおばあちゃんと一緒に居なさい。」


「そうよ。お父さんとお母さん、直ぐに戻って来るからね。おばあちゃんと待っててね。」


「うん…、でも、悪い大人の風がたくさん集まってるから…、私、お父さんとお母さんが心配なの」


「大丈夫だよ。風が強まらないうちに戻るからね」


「わかった…」


 祖母はあの時の浩子と二度と戻って来なかった両親の会話が昨日のように脳裏に浮かんだ。


 そして、祖母は感じていた。浩子は動物が感じるような感性を持っていることを…


「浩子、神父様について行ってあげて、ここは大丈夫、教会の方が風が強いから、早目に行って神父様を手伝ってあげて。」と祖母は浩子の思いを代弁するよう言った。


「分かったは、おばあちゃん、気をつけてね。」と浩子は言い、神父の車に乗り込んだ。


 浩子の家から教会まで通常であれば車で10分足らずで着くが、今日は里道を通るのが危険であったため、一旦、上の県道に出て、迂回するため、30分はかかる行程であった。


 浩子はジョンに言った。


「風達が居なくなってるの。皆んな隠れてるの。怖がってる。」と


 ジョンも頷き、こう言った。


「朝から風達が居なくなってる。誰も近寄って来なかったよ。」と


「あの日もそうだった…、風の子達が言っていたの。『悪魔の風が来るんだ。僕たちを拐って行くんだ。隠れておかないと…、皆んな連れて行かれたら、悪魔の風の子ばかりになるんだ。そして、汚い臭い土埃と一緒に森を壊すんだ。隠れないと…』って」と浩子が言った。


 その時、ジョンは初めて生まれ故郷のナバホ族の居留地を訪れた時を思い出していた。


 バーハム神父に聞かされた自然の面影はなく、近代的な観光施設が立ち並び、モニュメント・バレーの一本道も観光客を乗せたバスが排気ガスを撒き散らし、砂埃と共に穢れた臭気が漂っていた。


 ビュートの谷底にあるはずの母親の墓標は消え去っており、代わりに、巨巌の説明板が建てられていた。


 谷底の風達が泣いていた。


「ジョン、白人は悪魔だ。ビュートもメサも泣いてるさ。俺達の遊び場はもうないよ。神に聞いてくれよ。どうしてあんな悪魔を造ったのか!」と


 ジョンと浩子はなんとか教会に着くと、教会の裏口から中に入り、祭壇に灯していた蝋燭の火を消し、雨戸を閉めた。


 ジョンが言った。


「教会は大丈夫だよ。問題は僕の家の方さ。」と


 新築し建ての平家は内装は完備されていたが、外堀の側溝などはまだ行き届いておらず、水が浸水する恐れがあった。


 浩子が言った。


「裏の倉庫に土嚢があります。それを運びましょう。」と


 ジョンと浩子は倉庫に行き、重さ10kgの土嚢を平家の玄関口に並べた。


 既に強風は暴風に変わりつつあった。


 ジョンと浩子は平家の勝手口から中に入り、浩子はジョンに断りもせず、祖母に電話を掛け、今日は教会に泊まるから何かあればこちらに連絡するよう告げた。


 ジョンも浩子もびしょ濡れだった。


 浩子がこの家の勝手を知っているかのように、ジョンに言った。


「神父様、お風呂入れますので」と


 ジョンは寝室に行き、浩子には少し大きいかもしれないと思いながらも、ポロシャツとタオルを渡し、


「浩子、先にシャワー浴びてきな。」と言った。


 浩子は遠慮したが、ジョンは浩子の濡れた髪をタオルで拭きながら、バスルームに案内した。


 浩子は少し恥ずかしかったが、そんな場合ではなく、急いでシャワーを浴び、ジョンと交代すべきと考え、ジョンの好意に甘えシャワーを浴びた。


 2人はシャワーを浴びた後、携帯食のカップラーメンを食べた。


 外には悪魔の風が到着したようだった。


 一瞬、弓を弾くようにギリギリと木々を揺らし、その後、鉄の矢を放つように強烈な攻撃を何度も何度も繰り出し始め、平家の窓ガラスを打ち鳴らした。


 また、一瞬、一休みしたかと思うと、ブルドーザーが体当たりして来るみたいに、平家全体をミシミシと浮き上がらすように揺さぶった。


 ジョンと浩子はソファーに腰掛け肩を寄せ合って、テレビの台風情報を見ていた。


 すると、プツッとテレビが消え、部屋の電気も消えてしまった。


 ジョンは家のブレーカーを見に行ったが正常であった。


 この辺りの電線が切れて、停電になったようであった。


 ジョンは携帯用のカンテラを灯して、ソファーの前のテーブルに置き、また、浩子を安心させるように肩を抱き寄せた。


 浩子も目を閉じて、ジョンの肩に顔を乗せ、6年前の台風の一夜を思い出していた。

 いつの間にか浩子は寝てしまい夢の中にいた。


 浩子は倒木が道を塞いでいる峠に降り立ち、山々を虐めまくる悪魔の風と対峙していた。


「どうして、あなた達はこんなことをするのよ!お父さんとお母さんを返して!」


 悪魔の風が笑いながら叫ぶ。


「お前は運が悪いんだよ。今更、そんなこと言ってどうするんだ。文句を言うなら、お前らが慕っている『神様』とやらに言えよ。祈っても祈っても、何も叶えてくれませんってな!」と


 浩子も叫ぶ。


「もうこれ以上、森を壊さないで!皆んな泣いているじゃない!もう、いいでしょ?これ以上、何を私から奪うのよ? もう消えてちょうだい!」と


 悪魔の風が笑いながら言った。


「うん?「これ以上、何を奪う?」、そんなこと知るもんか!お前は過去と現実だけを承知すれば良いのだ。お前の両親が死んだこと。森の半分の木が倒れたこと。

 先のこと、未来のこと、そんなもん、俺ら悪魔の知ったことか!

 お前らの大好きな『神様』に聞いてみろよ。

 今度は、どの大事な人を失うのか?  

 まぁ、教えてくれないと思うがな。」と


 浩子は打ちひしがれたようにその場に蹲り泣き通した。

 自分の無力さ、神の無加護を恨んだ。


「神様、あんなにあんなに祈ってもどうして助けてくれないのですか?私が一体どんな悪事を働いたのですか?教えてください?どうして、助けてくれないのですか?教えてください…」


 浩子は「はっ」と目を覚まし、隣を見遣った。


 そこには自分の肩を力強く抱き寄せ、瞼は閉じているが、その瞼の下の眼光は燃え上がっている戦士の顔をしたジョンの凛々しい横顔があった。


 浩子は想い感じた。


「神様、恨みます。どうして、私の愛する両親を助けてくれなかったのですか。どうして、私の愛する人を神父にしたのですか。神様を憎みます。」と

 

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