第4部 その7「陽壱さんウハウハです」

 東 恵理花ことエリカ・アーズマは、自身のことを魅力的な存在だと思っている。

 それは、エリカの立場という部分が大きい。自分自身はあくまでも付属品だ。

 もちろん、付属品として相応しい見た目であると自負はしている。ただし、あくまでもそれは付加価値に過ぎない。


 今はエリカの祖父が人族の長という地位に就いている。数年もすれば父に代替わりすることだろう。

 慣例的に男性が長となることが決まっているのだが、エリカは女の一人っ子だ。

 そういう場合は、長の家系に入る男が跡を継ぐということも、はるか昔からの決まり事であった。

 つまり、エリカの夫になるということは、将来の地位が約束されるということだ。

 そのため、エリカはモテにモテた。年頃になると、婚約の申し出が後を絶たなかった。


 時を同じくして、魔獣の問題が発生した。

 その対策のために結託した各種族であったが、水面下では魔獣の驚異が去った後の権力争いが行われていた。

 未来の長が不在となっている人族が狙われるのは、当然のことだった。種族間の友好をうたい、その実は人族の乗っ取りを画策し、エリカは更にモテた。

 当のエリカは幸か不幸か、増長するほどの能天気さを持ち合わせていなかった。表向きは傍若無人を気取りつつも、男たちの権力欲を冷たく見つめていた。


 と、そんな過去もあり、恵理花は自分の口から出た言葉が理解できずにいた。自ら嫁になりたいなどと、そんなことを言うつもりではなかった。

 なぜか顔を中心に全身が熱い。

 目の前では陽壱が口をあんぐり開けている。


「あ、いや、私が言いたいのはですね、人族の長は人族がやるべきだと思いましてね、それで、勇者なら誰もが納得するし、今の人族にはちゃんとした男性がいなくてですね、だから浅香先輩にですね」


 必要もないことを慌てて説明している自分がわからない。もう、何もかもわからない。

 恵理花はひたすら混乱していた。


「落ち着け東」


 陽壱が身を乗り出し、恵理花の肩を掴む。

 凍結魔術でもかけられたと思うくらい、体と思考が硬直した。


「ひゃい」

「よし」


 硬直させた本人は、満足げに席に戻って腕を組んだ。

 何なんだこの人は。


「でな、俺たちを巻き込んだからには、こっちの価値観にも合わせてもらわないと困るんだ」

「価値観?」

「そう、結婚って、好き同士がするものだと思ってるからさ」


 チラチラと隣の美月を見ながら陽壱が語る。恵理花はなぜか息が苦しくなった。


「好き同士って、どういう意味ですか?」


 その素直な疑問に、陽壱は首をひねって考え込む。

 説明が難しいことなのだろうか。


「あのね恵理花ちゃん。この場合の好きってね、恋愛感情としての好きのことね」

「恋愛感情? 言葉はわかりますが、具体的には……」


 やっぱり理解できない恵理花に、美月も首をひねった。

 感情論での結婚なんて、長の孫である自分にできるわけがない。目の前の異世界人は変なことを言う。

 そもそも、恋愛感情なんてこれまで意識したことがなかった。


「そうだ」


 美月が手を叩く。


「例えばね、一緒にいると嬉しいのに妙に緊張したり、胸がドキドキしたり、そんな相手いない?」

「ドキドキ……」

「そうそう。あとは、他の人とは明らかに違って大切に思えたり、これからもずーっとそばにいたいと思えたり」

「明らかに違って大切に……」


 恵理花はこれまでの人生を思い出す。

 幼い頃、好きと思える異性の友人はいた。でもドキドキはしなかった。それに、成長するにつれて自分を見る目が変わっていったのが不快だった。

 それからは、権力の付属品として異性から見られるだけの存在だ。誰もかれも同じだ。

 だから、異世界の学校に通っている間も、異性とは必要以上に関わらないようにしていた。きっと、誰もかれも同じだから。


「あっ……」


 恵理花は同じではない存在に気付いてしまった。

 今、会話は楽しいのに妙に緊張している。心臓は、普段の三倍くらいの速度で動いているような気さえする。

 事件が解決して、この世界で一緒に暮らすことを当たり前に夢想していた。あの金髪の少女からの連絡が来ないことを願っている自分がいる。


「おおぅ……」

「東、どうした?」


 恵理花と呼んでほしい。もっと気遣ってほしい。


 いつからだろうか。

 突然、彼にとっての異世界に連れてきても怒らなかったときからだろうか。

 いろんな質問に対してちゃんと答えられないのに、苦笑いを返してくれたときからだろうか。

 冒険者ギルドで意図的に六兆を見せず、Fランクに甘んじようとしたときだろうか。

 一気に態度を変えた各種族の長たちを見ても、自身の態度は全く変えなかったときだろうか。

 急な結婚の話に、真剣に答えてくれたときだろうか。


 これは大変良くない。

 大変良くないことに気づいてしまった。

 かなり初期から恋愛感情を持っていたのに、全く気付かなかった。

 今更言うのはプライド的に耐えられないし、なにより恥ずかしい。とにかく恥ずかしい。

 よし、押し切ろう。


「恋愛感情はわかりませんが、人族のため、とにかく私と結婚してもらいます。今から陽壱さんと呼ぶので、恵理花と呼んでください」

「えぇ、俺らの話全く聞いてなかったのか」


 呆れ顔の陽壱を見ても恥ずかしいが、強気を崩したらバレてしまう。

 さり気なく呼び名を変えることにも成功した。


「大丈夫です。重婚もできるので、深川先輩も一緒です。陽壱さんウハウハです」

「話が戻ったぞ」


 馬車の中は賑やかなまま、魔獣の出現ポイントへと向かっていた。

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