第1部 その3「社内恋愛みたいで」
深川 美月は状況が全く飲み込めていなかった。とりあえず、目の前にあるシロップと氷をミキサーにかけた上にどっさりクリームを乗せた飲み物に刺さったストローを吸う。
期間限定のナッツ味は飲み込めた。
ここは駅ビルに入っている、お洒落なコーヒーチェーン。四人がけの席に陽壱と美月が並び、向かいにはさっきまでキラッキラだった女の子が肩をすぼめて座っている。酷く緊張している様子だ。
あんな姿を見られたあとでは、無理もないと思う。あの格好は恥ずかしい。
名前は佐久間 優紀。陽壱や美月とは少し前までクラスメイトだった女の子だ。長身で高校生離れしたスタイルをした、かなりの美人。ただ、本人はそれを良しとせずに意図的に隠していた。そしておそらく、陽壱に恋をしている。
「あの、ごめんなさい」
チョコレートの混ざったコーヒーを少し飲み、優紀は口を開いた。
「実は私、地球防衛隊なんです。バイトなんですけどね。それでノイズを退治してまして。あ、あの透明なのをノイズって呼んでるんです。ずっと私なんかの正体はバレないと思ってて、浅香くんにはコスプレってごまかせたんですけど、やっぱりバレちゃいました。なので、お二人にはこの《い》か《ろ》《は》のどれかになってしまうんです。本当にごめんなさい」
優紀は一息にまくし立て、テーブルの上に書類の束を置いた。厚みが五センチ以上あるように見える書類には、小さな文字がびっしり書いてある。
「詳しくはこちらを」
美月の隣で陽壱がスパイス入りのミルクティーを口に運んで、一言。
「多いね」
美月も頷いた。
「多いねぇ」
優紀も頷く。
「多いですよね」
数秒の無言。横目で見る陽壱は、気まずさに耐えきれなくなったみたいだった。
「バイトってことだけはわかったんだけど、いや、わからないけど、バイトなの? バコスプレ?」
「よういち、落ち着いて」
意味のわからない質問に、美月は思わず吹き出してしまう。釣られるように、優紀も小さく笑っていた。
彼女から溢れていた重苦しい緊張が、少し和らいだように感じた。
「佐久間さん、ゆっくりでいいから、説明してもらえるかな?」
陽壱の背中をさすって落ち着かせつつ、優紀が話しやすいように声をかける。
「はい、実は――」
どうも優紀は説明下手なようで、整理されないままの断片的な情報が出てくるだけだった。長い長い話をしていたが、さっぱり理解できない。
美月の頭に、たくさんの疑問符が浮かんでは消えていった。
対して陽壱は落ち着きを取り戻し、真剣な表情でその話を聞いている。
「――ということなんです。どうしたらいいと思う?」
「一旦整理するよ」
美月が「ごめん、わからない」と言いかけたのと同時に、陽壱が人差し指を立てた。テーブルにはいつの間にかルーズリーフとシャーペンが用意されている。
「佐久間さんは二年になってからバイトを始めた。それが地球防衛隊という会社。チラシにあった『自分を変えたい人』とか『優しくアットホームな職場です』とか『ノルマはありません』という宣伝文句に惹かれたと」
陽壱はルーズリーフにキーワードになる単語を書き出していく。相変わらず下手な字だけど、美月としては可愛げがあっていいと思っている。
「地球防衛隊の仕事は、ノイズと呼ばれるあの怪物を退治すること。ノイズを倒す戦闘服として、あのコス……あの格好していると。ここまでいい?」
確認するように、陽壱が優紀を見る。優紀はかなりの速度でコクコクと頷いた。陽壱のこの理解力はいつも頼りになる。
この佐久間 優紀という子は、騙されやすいタイプだなと感じる。あまり交流はなかったが思い出すと、一年の頃から人に流されているように見えていた。
「バイトとして働き始めて知ったのが、ノイズは地球に来ている宇宙人が作ったものということ。地球防衛隊はその宇宙人と提携している表向きは民間の会社で、裏では世界中の政府とも繋がっている。合ってる?」
再び優紀は高速で首を縦に振った。メガネが落ちないか心配になる。
「時給は高く表記されていたけど、ノルマじゃなくて月間目標があって、それを達成しないとバイト代は減額。だから必死にやってたら目立って噂になってしまった上に、俺に見られてしまったと。そして、見てしまった俺たちはにはその三択しかないと?」
優紀の頷きは止まる様子がない。美月は期間限定のナッツ味を楽しむことに集中した。
「《い》と《は》はもう選択肢じゃないよな。《ろ》しか選べないだろ」
陽壱は頭を抱えている。
美月は(ここで頭撫でたら、よういちは喜ぶかなぁ)と考えていた。
「ブラックどころの話じゃないぞ。これ社会問題だよ。佐久間さんのご両親には?」
「あの、後から知ったんですが、お父さんとお母さん、ここの社員なんです。社内恋愛みたいで」
さすがの美月も、期間限定を吹き出した。
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